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        第419回
    2010年7月13日
 《昭和26年のスポーツ》
■3月4日から11日迄第1回アジア競技大会がニューデリーで開かれて、日本の選手も参加しました。
日本選手は五競技に参加して大活躍しました。日本の獲得したメダルは、金=24、銀=21、銅=15、で合計60箇と云う成績でした。
■4月19日には第55回ボストンマラソンが開催され、日本の田中茂樹選手が初優勝しました。
■6月3日には、NHKテレビが初の実験中継でプロ野球の放送をしました。
此の年のプロ野球・セントラルリーグの優勝は、読売ジャイアンツで79勝29敗の成績でした。
        個人のタイトルは
              最優秀選手    川上哲治(ジャイアンツ)
              最優秀新人    松田 清   同
              首位打者     川上哲治   同 377本
              本塁打王     青田 昇   同 32本
             
パシフィックリーグの優勝は、南海ホークスで72勝24敗でした。
   
        個人タイトルは
              最優秀選手    山本一人(南海ホークス)
              最優秀新人    蔭山和夫   同
              首位打者     大下 弘(東急フライヤース)本塁打王       同    同  26本
              打点王      飯田徳治(南海ホークス)87 最多安打     木塚忠助   同  130
              盗塁王        同    同  55
              最優秀防御率   柚木 進   同  2.73
              最多勝利     江藤 正   同  24
              最多奪三振    阿部八郎(阪急ブレーブス)
              最高勝率     中谷信夫(南海ホークス)
■10月28日には旧国技館に於いて、日本人初のプロレス試合が行われました。力道山対ブラウンズの試合でした。
これから、テレビの普及とともに力道山のプロレスは大人気となりました。。。。。。

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        第411回
    2010年7月4日
 《第1回ミス日本に山本富士子》
今年も色々な事がありました。主な出来事を書いておきますと、3月に旧制高校の最後の卒業式がありました。戦前から続いた旧制の高校はこれで終わりになりました。
4月には、鉱工品貿易公団の公金を横領していた「早船元首」が元ミス東京の妻と自首して来たと言います。これを世間では「つまみ食い事件」として、大騒ぎして居ましたね。
4月22日に第1回ミス日本に「山本富士子」が選ばれました。山本富士子は昭和6年12月11日に大阪市西区立売堀で生まれました。京都府立第一高等女学校を卒業し、昭和25年第1回ミス日本の第一位となり、昭和28年に大映に入社しました。
そして「花の講道館」でデビューし、「湯島の白梅」「夜の河」「日本橋」「夜の蝶」「彼岸花」「墨東奇譚」などに主演して、天性の美貌と演技力も付け、ブルーリボン賞なども受賞しました。
昭和38年に契約問題で大映との間がこじれ、五社協定によって映画界から追放されました。以後は舞台とTVで活躍しました。
舞台での代表作は300回公演間近の「春琴抄」や「静御前」「乱舞」など、テレビでは「にごりえ」「時雨の記」などがあります。昭和37年に作曲家の古屋丈晴と結婚して一男があるそうです。
彼女の映画で一番印象に残っているものは「千姫」です。彼女は凄い美貌の持ち主でしたね。

此の年5月には日立製作所がストに突入され、大分長く争議が続いた様です。
6月には信越線の熊の平トンネルの入り口で崖崩れが発生して50人が死亡したそうです。
7月にマッカーサーは警察予備隊の75000人の創設と、海上保安庁8000人の増員を指令したとあります。
7月には廣島の沖合で機雷が爆発し、漁船4隻が遭難して46人が死亡したとあります。廣島湾には戦時中呉の軍港があり、日米の戦いが盛んに行われた地域ですから、浮遊機雷も多かったと思いますよ。
又此の月には新聞・通信・放送界にもレッドパージが吹き荒れた様です。この時期は共産党の活動が激しかったですからね。また、警察予備隊設置令が施行されました。
9月には定期便の台風の襲来です。今年は「ジェーン台風」と云いました。死者行方不明者が539人も出たようです。
あまり明るいニュースはありませんでしたが、徐々に物資も出回り始めましたが、何しろすごいインフレの波が押し寄せていました。。。。。。
        第780回
    2010年7月1日
 《戦中からの歌手の活躍》
此の昭和25年と云う年には、戦中から活躍して居た歌手が大勢出演して居ましたね。
それらの経歴は既に書いてありますので、此の年に盛んに歌われていた歌を列記しておきます。
『イヨマンテの夜』・・・・伊藤久男
『水色のワルツ』・・・・・二葉あき子
『星影の小径』・・・・・・小畑 実
『山のかなたに』・・・・・藤山一郎
『赤い靴のタンゴ』・・・・奈良光枝
『買い物ブギ』・・・・・・笠置シヅ子
『東京キッド』・・・・・・美空ひばり
『ダンスパーティの夜』・・林 伊佐緒
『桑港のチャイナタウン』・渡辺はま子
『白い花の咲く頃』・・・・岡本敦郎
岡本敦郎(おかもとあつお)は、大正13年12月25日に北海道で生まれました。
武蔵野音楽学校を卒業した、歌手で作曲家でもありました。日本コロムビアの専属でバリトン歌手です。
ヒット曲には「あこがれの郵便馬車」や「高原列車は行く」などがあり、作曲には「千曲川旅情の歌」などがあります。
軽快なリズムの歌が得意だったようですね。
『越後獅子の歌』・・・・・美空ひばり
此の年には以上の流行歌が歌われていましたが、未だ13才の天才少女「美空ひばり」一番の人気歌手でしたね。特に此の年の「東京キッド」はシルクハットに燕尾服で、ステッキを持ってステージダンスを歌いながら踊った姿は、忘れられない強烈な印象でした。
「川田晴久」のギター片手の姿も残って居ます。その後の「美空ひばり」は大きく成長しましたが、我々の世代は13才の子供が大人顔負けの舞台で歌う姿はいつまでも忘れられませんね。。。。。。。
 
        第406回
   2010年6月26日
《想い出の電蓄を作る》
寝たきりの彼女の為に、見舞いに行って帰ると、卓上型の電気蓄音機を作ることにしました。
医療の方は全然分かりませんので、せめて音楽でも聴かせたいと云う願いで、作り始めました。
部品関係は、例に依って神田の闇市とか露天商を覗いて買って来ました。電蓄ですからアンプを作らなければ成りませんから、露天商を見て廻り、電機部品を売ってる店を探すんです。此の頃になると、大抵の部品は買うことが出来ました。
問題は、アンプに使う真空管です。何と言っても「マツダ真空管」は良いですが、値段がべらぼうに高いのです。露天商の親爺に交渉しますが、主力菅の「203」と云うのが320円もしたんです。「もっと負けてくれ」と云うと、「マツダでなければ安いのがあるよ」と云うんです。それは「テン」と云うブランドだと云います。
聞いた事がないなぁ・・と思いましたが、値段が100円だと云うのです。そのほかにも真空管は4本ほど必要だったので、懐具合を考えて全部「テン」にしました。
そのほかには細々とした「オーム」とか「コンデンサー」とか「バリコン」なども必要で、アンプだけの部品で1000円ほどかかりました。
キャビネットとか、ターンテーブル、モーター、ピックアップ、とか買いそろえましたら総額2000円くらいかかりましたね。
毎晩、寝る暇を惜しんで、半田鏝と設計図ので悪戦苦闘の状態でした。配線一つ間違えると、電蓄は鳴りません。ですから1本1本の接続には慎重さが必要なんです。
それでも、約一月ほど掛かりましたが、完成しました。当時はSP盤のレコードで78回転です。
それまでにレコードを1枚1円40銭で3枚ほど買いました。その曲は「イタリーの庭」「テネシーワルツ」「別れの曲」だと思いました。
これをいそいそと担いで、彼女の家に届けました。。。。。

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        第401回
      2010年6月21日
 《朝鮮戦争の勃発》・・5
朝鮮戦争のお話は3回くらいで終わらせる積もりでしたが、朝鮮内部の抗争が、アメリカ・ソ連の争いになって来ましたのでもう少し続けたいと思います。
どうやら、米ソの対立も激しくなりましたので、米ソの代理戦争の様相になって来ました。
米ソ両国による冷戦の激化は、朝鮮半島にも大きな影響がありました。北半部では昭和21年2月8日に、金日成を中心とした共産勢力が、ソ連の後援を受けた朝鮮臨時人民委員会を設立しました。そして翌年の8月には重要産業国有法が施行され、共産主義国家設立への道を歩み出しました。
このように、北半部での共産国家設立の動きに対して、日本の統治時代にアメリカに亡命して独立運動を繰り広げていた李承晩は、南半部での早期の国家設立をアメリカに迫りました。その結果、昭和22年6月には李承晩を中心とした南朝鮮過度政府が設立されて、北半部と南半部は別々の道を歩み始めることになりました。
そして金日成は南半部に送電を停止したりして、南北の対立は決定的になり、李承晩は対抗して朝鮮労働党を参加させない選挙を実施して、正式な国家を設立させることを決断しましたが、済州島では南朝鮮労働党のゲリラが武装蜂起して、その鎮圧の過程で軍部隊の反乱や島民の虐殺などが発生したと云います。
このような事が続いて、1948年8月15日に李承晩が大韓民国の成立を宣言し、金日成もこれに対抗して朝鮮民主主義人民共和国を成立させました。此の結果、北緯38度線は単なる境界線ではなく、事実上の「国境」となりました。
此の頃、地続きの中国大陸では、國共の内線の末、ソ連の支援を受けて戦って居た毛沢東の率いる中国共産党が勝利し、1949年10月1日に中華人民共和国が成立しました。
敗北した蒋介石の率いる中華民国政府は台湾に亡命し、その後も中華人民共和国との対立を進めていました。
こう云う情勢の中で、金日成はソ連を訪問して韓国との開戦の許可を求めたり、中華人民共和国を訪れて毛沢東の援助をすると云う約束を取り付けたりしました。
こう云う情勢から、南北の戦争が勃発したようです。。。。

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