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貧困と人づきあい(82)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多

最近、「ひきこもり親子 公開対論」(*1)
などということをやっているので、

ひきこもりと父

というテーマを考えることが多い。

*1.ひきこもり親子 公開対論


なんといっても、私というひきこもりにとっては、

「母」

が問題であることは圧倒的だが、
母と父が配偶者である以上、

母の陰画としての父

として、やはり父もひきこもりの生成に
大きく関わっていることが多いように思う。

また、母を飛び越えて、
父だけが圧倒的にひきこもりを作っているように
お見受けする家庭もある。








先週、「スパゲッティの惨劇(68)」(*1)において
少しだけ私の父のことを回想させていただいた。

*1.「スパゲッティの惨劇(68)」


私の父は、あまり知的レベルの高くない父の一例である。

もっと知的レベルの高い父親であると、
どういう現象が起こるだろうか。

いつも申し上げるように、
ひきこもりは、一つとして同じ事例はない。
一つ一つが個別で独特である。

しかし、そのなかでも
ある一定数のぼんやりした共通項が浮き上がることがある。

私が今から申し上げようとしているのもそれで、
知的レベルの高い父親であると、

息子と政治の話をしようとしている

もしくは、

息子に政治に関心を持たせようとしている

という共通点があるように思えている。



「お前ももう大人なんだから、社会に目を向けて、
政治に関心を持ちなさい」

という父の心もあるだろう。

「共通の話題となりうる政治の話をすることで、
なんとか息子と対話の扉を開きたい」

という父の心もあるだろう。

いろいろな動機から、
多くの父が、息子と政治の話をしたがっているし、
息子に政治に関心を持ってほしい
と思っているようである。

しかし、それに対して
多くのひきこもりの息子は反応しない。

私の父と私自身の関係は、
そういう関係ではなかったが、
それでも私はやはりひきこもりの子の立場だから、
対話しない息子がなぜ父親の誘導になびかないかが
良くわかる気がするのである。

それは世代論にも関わる非常に根深い問題だが、
そもそも父親の語る「政治」は、
彼らの家庭内の生活の実相からかけはなれていて、
ひどく空虚に響いていることがある。

たとえば、息子や娘が持つ、母親への不満といった
家族内の生々しい問題が山積しているのに、
安倍政権がどうの、消費税がどうの、選挙がどうの、
という話は、
子どもにとっての「現実」ではなく、
体(てい)の良い「逃げ」として響くのだ。

こうした認識は、
政治のことを話したがっている父親たちには
理解しがたいだろう。

「何を馬鹿なことを言っておるんだ。
政治ほど現実くさい現実はないではないか。
私がいつ、現実から逃げようとした?」

と思われるのではないか。

そこに、対話のない父と子の
基本的な認識のズレがあるようにも思える。


「子どもが夢中になっているゲームやアニメの世界のことは、
私にはわからない。
しかし、政治だったら、さすがに子どもでも
インターネットその他で接していて、
多少は知っているだろう。

政治は、稀少な共通の話題なのだ。
だから政治のことを話そうとするのに」

と、お父さん方は思われているかもしれない。

しかし、ひきこもりの子どもは概して、
ゲームやアニメ以外にも
家庭内のことであったり、
ひきこもりである自分の将来であったり、
もっと切羽詰まった問題をかかえている。

あまりにも切羽詰まっているから、
子どもの側から言葉にできない。

そして、それらの問題について、
父親の側から言葉を切り出すとなると、

「おい、お前。将来はどうするつもりなんだ」

という話になってしまうから、
父親の方が口を切るわけにいかない。

そこで、父親としては気を利かせたつもりで、
それらの話題を避け、
政治の話をしてやっているのに、
これには子どもの興味が向かないのである。

だいたい、政治の話となれば、
父親の方が圧倒的に知識があって、
父親の独壇場になってしまう。

お説教されるのと同じように、
子どもはほぼ聞くだけになってしまう。
それが見通せるだけに、多くの子どもは、
父親と政治の話に入っていくのが面白くないのである。








「じゃあ、お前。
安倍政権や憲法改正や消費税について考えなくていいのか。

父さんたちはどうせ先にいなくなるが、
お前たちの時代になったときに、
日本がどうなっているかということは、
いまのお前たちの投票にかかっているんだぞ。

選挙のときだけ投票所に行ったって、
どうせロクでもない候補に入れてしまうだろう。
だから、ひごろから
政治について話していなければダメなんだ」

というのがおそらく、
子どもと政治について話したいお父さんたちの
気持ちであるだろう。

しかし、子どもは概して、
そんな「未来のこと」よりも「現在のこと」で忙しいのだ。

むしろ、政治の話に「逃げる」父親を
子どもは胡乱な目で眺めていたりする。







先日、「スパゲッティの惨劇(68)」に書いた私の父は、
政治に逃げるかわりに
プロ野球に逃げたのであった。

また、私の父も、私が30代のころに、
あたりさわりのない話題を出して、
私と対話しようとした時もあった、
と今にして思い出される。

私が文学を読み、
父は文学とは行かないまでも三文小説をよく読んでいたので、
そうした領域で共通の話題をさぐったのである。

わけあって、父と私と弟で住んでいた短い間のいつだったか、
ある日、唐突に父が、
たしか清水義範であったか、
しょうもないパロディ小説を読んでいることを
話し始めたことがあった。

あそこに母がいたら、
父はけっしてそんな話は出さなかっただろう。

その場に母がいなかったから、
父はたしょう自由な空気を呼吸していて、
そのような話題を出したのだと思う。

ところが、折悪しく、
それは弟がなにやら不機嫌な日であった。

父が、自分が読んでいる、
しょうもないパロディ小説の話を始めたとたん、
弟が、

「なんだ。パロディか」

とひと言、吐き捨てるようにいったのである。

それで、その夜の親子三人の会話は
それ以上、進展しなかった。

父は失意を味わったことだろう。

二度と、父から私たちに
対話をしかけることはしなくなってしまった。

私もわるい。

弟がそう言っても、
なんとか私が父をフォローしてやれば、
あのときの私たちの対話は進展しただろう。

残念である。私も若かった。

もし今の私なら、
父が話題に取り上げた小説が、
まるで論じるに値しない作品であっても、
なんとかそこから対話の芽をつむごうとするかもしれない。

そういう後悔の念も手伝って、
公開対論にいらっしゃる
ひきこもりのお父さん方とは
なんとか対話をつむぎたいと思っている。

ただ、あまりに本音を出そうとしないお父さんには
私も未熟者だから、

「いったいあなたは、何のためにここに来たのですか」

などと苛立ったりする。



・・・「貧困と人づきあい(84)」へつづく

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