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VOSOT ぼそっとプロジェクト
ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

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海外ひきこもりだった私(18)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多


こうして私は、
一人も在日コリアンの人を現実に知らないままに、
在日の支援活動をやっている知識人、
鈴澤先生に父親像を投影することになった。

在日の支援活動をおこなうことを理論づけるために、
鈴澤先生は「民族責任」という概念を語った。

自由と責任の哲学者、サルトルが、
アルジェリア独立闘争を支援するのは、
フランス帝国主義の犠牲になったアルジェリアに対して、
フランス人として「民族責任」を取るためだ、
というところから来ている。

在日朝鮮韓国人の人たちのことを支援するのは、
日本帝国主義の犠牲になった朝鮮半島に対して
日本人として責任を取るためだ、
というわけである。

平たくいえば、
過去に日本人が悪いことをしたのだから、
その責任を後の世代の私たちが取らなければならない、
ということである。







このシリーズでこれまで何度か述べてきたように、
幼時から私は、何かにつけて母親に、

「責任を取れ、責任を取れ」

と言われて育ってきた。

責任を追及されたことの中身には、
たしかに幼い私の粗相もあったかもしれないが、
年端もいかない子どもが、
そこまで厳しく責任を追及される必要もないことだったように
いまは想われるのである。

しかも、まだ、私自身がまちがったことをして、
責任を追及された時ならば、
まだしも仕方ないと思う。

そうではない場合、たとえば
スパゲッティの惨劇(1)」(*1)に述べているような
本来まったく私が責任を取る必要のないことや、
母親の認知の混乱から生じていることに対しても、
私は父の肉体的な打擲という重い懲罰をもって
「責任を取らされて」きた。

*1.「スパゲッティの惨劇(1)」

これが、私がのちに

「冤罪(えんざい)」

というものに過敏になった所以である。

そういうことがわかって、
治療共同体の中で私に数々の冤罪を着せ、追放した精神科医、
齊藤學(さいとう・さとる)の精神療法とは、
はたしていかなるものか、
推して知るべしといったものである。

「スパゲッティの惨劇」と名づける一連のパターンによって、
私が責められてきたのは、
正確には、「責任を取らされて」きたのではなく、
たんに親に「いじめられ」「虐待されて」きたのにすぎない。

だが、それを「責任」と教えられて育ってきたものだから、
私は責任とは何かがわからず、
そのため自他境界が満足に引けず、
精神世界が深く混乱したまま
身体だけ大人になってしまった。

文字通りのアダルト・チルドレンである。

のちに、それを治療するべくつながった
精神医療である阿坐部村でも、

「女性患者をセカンド・レイプした」

などと、やってもいない不名誉な罪を
治療者によってなすりつけられ、
精神世界の混乱に拍車がかけられていったわけである。

その結果、現在50代のひきこもりの私が在るのだが、
話を戻すと、
鈴澤先生の口から「民族責任」という語を聞いたときには、
まだ私の内部の精神がまるで固まっていない
20代の前半であった。








当時の私は、心の中で、

「母親から責任をふりかざされるのはいやだ。
なぜならば、母親は自分の責任を果たさない人だからだ。

でも、鈴澤先生はぼくに責任を教えてくれる人かもしれない。
なぜならば、鈴澤先生は自分の責任を果たす人だからだ」

という図式で、母親と鈴澤先生をとらえていた。

だから、鈴澤先生のいう責任には、
何でも従おうと思った。

当時、身勝手な若者ではあったが、

「人生を生きていく以上、
なんの責任も果たさないで生きていくわけにはいかないだろう」

ということぐらいは、
うすうす頭の片隅でわかっていたのである。

そこで、

「どうせだったら、納得のいく責任について教えてくれる、
鈴澤先生についていきたい」

という気持ちになっていたのだと思う。

ところが、その鈴澤先生が、

「民族責任」

という、またよくわからない責任を持ち出してきた。

さらに、その延長で

「戦争責任」

ともいう。

ちょっと待ってくれ。

ぼくは朝鮮韓国人に対して、何もしていません。

太平洋戦争が始まったころ、
ぼくはまだ生まれていません。

なのに、なぜぼくがそんなことにも
責任を取らなければならないのでしょうか。

なぜそんなことで
ぼくが責められなければならないのでしょうか。

ぼくの母親は、
ぼくがやってもいないことで、
つぎつぎと責任を取らせました。

母親自身の手で、
自分がつくったスパゲッティを流しのゴミ入れに捨てたのに、
私がそれを捨てたことにされ、
その「責任」を父に打たれることで果たしてきました。

そのように、ぼくは
自分がやってもいないことで、
今までじゅうぶん責任を果たしてきたのです。

このうえ、在日朝鮮韓国人だの、太平洋戦争だの、
同じくぼくがやってもいないことで責任を問われるのは
まっぴらゴメンです。

そんなことをやっていたら、
ぼくはもう責任の山に押しつぶされて死んでしまいます。

……。
……。


あのころの私は、ほんとうはそう叫びたかったのだ。

しかし、そんなことを叫んだら、
精神病院送りになってしまうだろうということは、
さすがに大学生の私はわかっていたので、
そういう叫びを自ら隠滅しようとしていた。

けれど、心の叫びは
隠滅しようとして隠滅しきれるものではないのだ。

それは、私の人生のあちこちから、
まるで有毒ガスの漏出のように
不適切な噴出を始めることになる。




・・・「海外ひきこもりだった私(20)」へつづく

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