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VOSOT ぼそっとプロジェクト
ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

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やっぱり今日もひきこもる私(116)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多


ようやく一連の事件への報道も下火になってきたからこそ、
当事者としてはいろいろ本当のことが言える、
ということがある。

どの局のニュースやワイドショーをつけても
「ひきこもり」のことで燃え盛っていた数日間は、
ひきこもりに無知な一般大衆を増長させないように、
とても言えなかったことがたくさんあった。

当たり前なことだが、言えなかった。
たとえば、
川崎殺傷事件のような、無差別殺傷の凶行が起こるたびに、

被害者にも  加害者にも  なりえる自分

というものを強く意識させられる、ということを。


イメージ 1


まず被害者になりえる自分

あの日、バス停でならんでいた子どもたちは、
まさか数分後に自分があのように殺傷されるとは
思っていなかった。
夢にも思っていなかった。
それでも、あのような目に遭ったのである。

この不確実性は、すべての人が持っているものである。

家から一歩外へ出たら、
そこに通り魔が包丁をかざして通りかかるかもしれない。
あるいは、
ブレーキを踏みまちがえた車が突っこむかもしれない。

人はいつ被害者になるか、わからない。

ひきこもりは、このリスクを避けるために、
「家から出ない」
という選択肢を取ることが多い。

とくにヨーロッパのひきこもりたちはそうである。
社会不安型のひきこもり、とでも言おうか。

いわゆる「ふつうの人たち」は、
この「被害者になりえる自分」だけを意識し、
なんとか自分にふりかかる災禍を予防しようとする。

その結果、
「ひきこもりは犯罪者予備軍」
などという偏見にたどりつき、
ひとまず仮の安心を得た気分にひたるのである。

なぜならば、
「ひきこもりを避けていれば、自分は安心」
という「おまじない」を信じることで、
安全を取り戻した気分になれるからである。






もう一つの自分。
すなわち、「加害者になりえる自分」がいる。

これは、じつは
多くのひきこもりが実感しているものではないのか。

私のもとには、
こんなメールやメッセージが多くやってくる。

川崎の事件を見て、
明日は自分があのようなことをしでかしてしまうのではないか、
と不安でならない。

テレビで語られるひきこもりは、
みんな『清く、正しく、美しい』ひきこもりばかり。
でも、自分はけっしてそんなひきこもりではないからだ。

そして、そうであるために、
練馬の事件のように、
明日は自分が親に、あるいは社会に殺されるのではないか
と恐ろしい。


それに対して、私は答える。
「私もそう感じている」
と。

事件のあと、私もテレビに出ているので、
私がそんなことをいうのは、
まるで二枚舌であるかのように
誤解する人がいるかもしれないが、
私の中ではこれらのことは、
きっちりと整合性が取れていることである。

いつも申し上げるように、
もともとひきこもりは矛盾と葛藤の所産であるから、
矛盾であるように見えるのは、
半ば自然であるといえよう。

以下は、その整合性の説明といってよい。






6月1日に開催させていただいた公開対論というイベントで

「私自身もブラックな気分になることがある」

という話をさせていただいた。

言い換えれば、私も
川崎事件の岩崎容疑者になりえる自分というものを感じている
という内容だ。

私は1999年に、
私のひきこもりの原因となっている慢性うつを治そうとして、
東京・港区にある精神科クリニックに通い始めた。

そこは集団療法を旨としており、
登録している何千人もの患者たちを住民とする
治療共同体を成している。
私は「患者村」と呼ぶ。

そこへ何年も通い、「治療」なるものを試みるなかで、
ある日私は、信じていた主治医によって
とつぜん、あらぬ冤罪を着せられることになる。

なんでも私が、同じクリニックに通う女性患者を
セカンド・レイプしたというのだ。

そのように転移した患者たちに言いふらすことによって、
治療者は患者たちの心を
自分に集中させようと図ったのだろう。
私という患者存在は、
治療者の集団療法の具とされたわけである。

その患者村では、
いくら根も葉もない荒唐無稽なことであっても、
教祖然とした治療者が催眠まじりに言うことは、
みな患者たちは信じてしまう。
治療転移しているからである。

治療者の言葉は、神の言葉なのである。

こうして、それまで患者村の運営に貢献していた私は、
一転して犯罪者というレッテルを貼られ、
他の患者たちによって激しい排斥にあいはじめた。

治療者も、もはや彼らを支持しないことには、
自分が言ってしまったことに整合性が取れないので、
いっしょになって私を攻撃し始めた。
それが彼の私への「治療行為」となった。

本ブログ
「治療者と患者」
「ザスト通信を読む」
などのシリーズは、結果的に、
その軌跡をリアルタイムに記録していくことになった(*1)。

*1.参考:「治療者と患者(272)


「精神療法」を受けにいったはずのところで、
思いもかけない状況に追いこまれ、
私は孤立し、心は荒れ、凶暴になっていった。

心の癒しを求めて通った精神医療の場で、
まさかこのような思いをさせられるとは、
予想だにしていなかったのである。

過去に、私は似たような経緯をもって、
母親によって原家族から追放されている。
家族のなかで、児童虐待が行われていたというタブーを私が暴露したからであった。
権力者である母親は私を追放することで、
家族の外形を保ったのである。

そのことを知っている精神科の治療者は、
「逆説的アプローチ」
などと称して、
同じ構造の受難を私に課することによって、
私を患者村から屈辱とともに追放したのであった。

治療者には権威があり、
患者である私のいうことなど誰も聞いてくれなかった。

その時である。
私が通り魔になってやろうと思ったのは。

私は、その患者村がある、東京・港区の某町にあらわれ、
片っ端から人を刺してやろうか、
と血なまぐさい願望にとらわれた。

混乱し、狼狽した頭では、
そのようにするしか、
私の屈辱と怒りを
他者に知ってもらう術がないように思われたのである。

もし私が企業に勤めていてイジメになったのなら、
まだしもカウンセラーにかかるなり、
精神科や心療内科にかかるなりして、
心の内を他者に聴いてもらう道が想定された。

しかし、よりによって
そうした機能を担うはずの精神科医療機関で
組織的なイジメにあったとなると、
そこで雇われているカウンセラーたちも
クビになりたくないから精神科医には頭があがらないし、
仲間であったはずの患者たちは
みな治療者に転移しているため私を排斥する側にまわるし、
もう、無差別殺傷事件でも起こすしか
私の叫びを他者に知ってもらう方策はないように思われたのである。






だが、考えてみれば、
港区のその町に住んでいる「ふつうの人たち」は、
そこでクリニックを営む精神科医とは関係のない
無垢な市民である。

そういう人たちを巻きこんではいけない、と考え直した。

巻きこむべきは、その患者村の住民たちである。
だから、次の段階として私は、
そこのクリニックに包丁を持ってあらわれ、
治療者といわず患者といわず
奴らを片っ端から刺してやりたいと夢想した。

だが、これも考えてみれば、
あまり目的に適っていないと思われた。

なぜならば、
患者のなかにも
私をひそかに支持してくれている人々がいるのである。

そういう患者たちは、
治療者や上級患者の権力を恐れて
声を挙げられないだけで、
水面下で私に接触し、私の活動を応援してくれていた。
しかし、ネット上の接触なので、
私からは顔がわからない。
そういう人たちを刺してしまってはいけない。

となれば、刺すべきは、
冤罪を着せた治療者と、
それを支持している上級患者、転移患者たちだけである。

……そう考えているうちに、
やはりこれは通り魔という手段で解決するよりも、
言論によって患者村の実情を社会へ訴えていった方がよい、
という結論になった。

幸い、おそらく患者たちの手前、
引っこみのつかなくなった精神科医が
私のことを「告訴する」などと虚勢を張り始めたので、

「これはありがたい。渡りに舟だ」

と思ったのである。

私の手元には、協力者たちのおかげで、
決定的な証拠がいくつも集まってきた。
法廷の場で明らかにできるのであれば、
わざわざ無関係な人に被害をあたえる必要などない。

そんな混濁した年月を経て、
私は主治医が私を裁判に訴えてくるのを
今はこうして待ち受けている、という次第である。

それが彼の私への「治療」であった。

そのプロセスは、まさに本ブログの
「治療者と患者」「ザスト通信を読む」
などにたどることができる。(*1)








こうして私は、
川崎事件の岩崎容疑者のようにならないで済んだ。

しかし、それは私がたまたま
岩崎容疑者が持てなかったいくつかの僥倖に恵まれたからにすぎない。

一歩まちがえば、
私も無差別殺傷事件の加害者として
いまごろニュースやワイドショーで取り上げられていたかもしれないのである。

いや、それは完全に過去形で語ることもできない。

これから先だって、
社会的に同じくらい追い詰められていったら、
また暴発したくなることは決してないなどと
どうして断言できようか。

こうした前提を踏まえたうえで、
あえて言おう。

私は犯罪者予備軍ですと。


いま発売中の週刊新潮では、
私たちひきこもりを全国に100万人いる
「暴発予備軍」
と呼んでいるようであるから、
これもついでに言っておこう。

私は暴発予備軍です、と。










さて、これは私がひきこもりだから、
犯罪者予備軍、暴発予備軍なのであろうか。

精神科通いだから、
犯罪者予備軍、暴発予備軍なのであろうか。

そうではない。

私がひきこもりである、
あるいは精神科通いである、という属性と、
私が犯罪者予備軍、暴発予備軍である、という事実は、
関係がないのである。

私が犯罪者予備軍、暴発予備軍になった理由は、
これまで述べてきたように
医療の場で心がゆるんだ場所で
いきなり信じられない異様な体験をさせられ、
極度に精神的に追い詰められたからである。

患者村という小社会で20年近く生きてきた私には、
そこが世界のすべてであったのだ。

会社でもいい、村落でもいい、
それまで属していた世界から
ある日とつぜん屈辱をかぶせられて追放されたとなれば、
私でなくても、誰であっても、
同じような凶暴な心にとらわれるのではないだろうか。

まったくひきこもりと関係ない、
精神科とも縁もゆかりもない「健全な」一般市民や
世間から信用を博しているエリートビジネスマンだって、
あのとき私が置かれた状況へ陥れられれば、
同じような血なまぐさい願望をいだくのはないだろうか。

つまり、人が通り魔になろうと思うのは、
一種の化学反応である、ということだ。

そして、そのように妄想をいだくのと、
実際に実行に移すことのあいだには、
千里のへだたりがある。


……このようなことを
6月1日に開催させていただいた
「ひきこもり親子 公開対論」の場で
私は大急ぎで要点だけかいつまんで
お話しさせていただいたのであった。

それが、朝日新聞(*2)やNHKニュースWEB(*3)などの
メディアで紹介されたわけだが、
字数制限の関係上、
一部の言葉が選択されて報道されることになった。

*2.朝日新聞

*3.NHK News WEB


そのため、記事や番組に採用された私の言葉だけを読むと、
あたかも私が

「ひきこもりは清く正しく美しい人たちばかり」
「私は犯罪者予備軍なんかではない。差別するな」

と言っているかのような印象を、
読者の皆さまが持つだろうと思うのである。

すると、それは本記事で述べている、

「私は犯罪者予備軍である」

という主旨と矛盾するように聞こえる。

私が、まるで
「あっちでああ言い」「こっちでこう言い」
しているように思われてしまう。

「そうではない。矛盾していないのだ」
ということを述べておかなければならない、と思って
本記事を書かせていただいた次第である。







私は、
「ひきこもりは犯罪者予備軍である」とは言わない。
「私は犯罪者予備軍である」という。

そして、
犯罪者予備軍であるほど鬱屈して苦しんでいる者や、
練馬事件の熊澤容疑者のように切迫している家族は、
私が間接的に知るかぎりでも、
いま現在でも多く存在すると思う。

そういう人たちの存在や苦悩をないものとして、
ひきこもりをやたら美化して、きれいに語っていっても、
日本社会を揺るがすほどに肥大した「ひきこもり問題」は
なんら解決していかないことだろう。

なんといっても、

「いま困っている人」

を見捨てるような問題の取り上げ方であってはならない、
と思うのである。



#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

  • 顔アイコン

    こうした「むしゃくしゃした」動機による殺人事件は、「引きこもり」というよりも「男性」が起こすというほうが、統計的に圧倒的な正しさがあるのではないでしょうか。
    過去の事件を振り返っても、女性の加害者は思い浮かびません。
    そして、なぜ男性が「むしゃくしゃ」するのかというと、本当は「弱さ」や「寂しさ」や「悲しみ」といった感情を、男性だからという理由で「女々しい」と社会的に表現することができず、唯一男性でも認められる「怒り」という感情に乗せ換えて、あたり構わず表現した結果なのではないでしょうか。
    生物的に男性になるのは、X-Y染色体を持てばよく簡単ですが、社会的に男性、しかも成人男性になるのは非常にハードルが高いように思います。しかも、それに挫折したとしても、その弁明をしようにも「女々しい」とまわりから一喝される恐れがあります。
    引きこもりに男性が圧倒的に多いのも、同じ理由があるように感じます。

    [ aon*_*85 ]

    2019/6/8(土) 午後 11:53

    返信する
  • aon*_*85さま コメントをどうもありがとうございます。

    いつもながら鋭いご考察に頭が下がります。

    何年か前に浦安市で「むしゃくしゃした」女性の通り魔が一件、発生したようなおぼろげな記憶がありますが、たしかにおっしゃるとおり、圧倒的に通り魔は男性のほうが多いですね。

    そして、それを「女々しさ」を禁じられた男性の社会的ジェンダーにその原因を遡る所などは、まさにアオネさんならではの強靭なご思考だと思います。

    ただし、ひきこもりは男性の方が多いと算出した内閣府の調査結果は、ひきこもり大陸のなかでは不評で、「あれは調べ方がわるい。ほんとは男女同数のはずだ」などと囁かれております。

    チームぼそっと

    2019/6/9(日) 午後 10:00

    返信する
  • 顔アイコン

    読み返すと、我ながらずいぶんと断定口調だなあ〜と思いました。
    そもそも、正解など無い問いに、それでも何か近づこうと、自分なりのバックグラウンドと思いから言葉を出すから、自信が無くて断定口調になるのかもしれません。更に、「女々しさを禁じられた男性の社会的ジェンダーにその原因」といったあたりは、本当は自分自身のことだったりします。
    本来は、社会的な意味での男性も女性も、野球でいうピッチャーとキャッチャーのような役割に過ぎず、それを性別と結び付けて固定化したことが問題のような気がします。それもこれも、個々人の幸福は減らしても、「人類全体の発展のため」ということになるのでしょう。
    本当は、人間も本能が規定する範囲で生きているのが幸福なのでしょうか。
    猫を見ているとそう思います。毎日、種まきもせず寝てばかりで、腹が減ったら飯を要求し、寂しい時だけ人にすり寄ってくる。
    明日のことなぞ心配せず、この瞬間だけを生きています。。。

    [ aon*_*85 ]

    2019/6/10(月) 午前 0:13

    返信する
  • aon*_*85さま コメントをどうもありがとうございます。

    地球上すべての民族文化でそうというわけではありませんが、ほとんどの民族文化において、男性にそういう社会的ジェンダーが求められてきました。

    どこまでが生物的な男性の特性が社会に対して再帰的に作用してそういう「男のイメージ」がつくられ、どこから先が「イメージ」に留まらず本当の男性性の本態なのか、私は長いこと考えています。

    問題は、そういうフロイト的な思考方法を、多くのフェミニストたちが採用しないということです。

    猫は、人類でいえば狩猟生活に留まっており、農耕文化へ踏み出さないから、ああいう生活が送れているのかもしれません。

    チームぼそっと

    2019/6/10(月) 午後 0:51

    返信する
  • 顔アイコン

    通り魔タイプの殺人に男が多いということについては、ジェンダー差だけでなく身体的・生物的なセックス差も大きいと直感的には思います。私はどちらかというと心身一元論ですので、身体が違えばとうぜん感受性も違うはず、と思えるわけです。
    ただ、心身レベルの差異を社会的ランク付けの根拠にしてしまったところから、話がかなりややこしくなってしまったということでしょうか? 個人的にはそんなふうに受けとめております。

    猫は立ち上がって農耕文化をすっとばして暴走族になっているのが昔いましたね。「なめんなよ」って。

    (^^;)

    ともあれ、大きな事件の後は、ウケ狙いで極端なことを言う奴ばかり出てきますので、こういうバランスの取れた論点は貴重です。

    [ can***** ]

    2019/6/24(月) 午後 8:55

    返信する
  • can*****さま コメントをどうもありがとうございます。

    通り魔という形で外へ暴発するのは、おっしゃるとおり、いろいろな素因から男性が多いかもしれませんね。
    暴発そのものには、もっと内へ向けられるパターンもあることでしょう。

    「なめんな」暴走族にも、どことなく狩猟生活に明け暮れた騎馬民族の名残りを感じます。

    私自身も極端なことをいう輩に入るのでしょう。けしてウケ狙いではありませんが。

    チームぼそっと

    2019/6/25(火) 午前 10:48

    返信する
  • 2019/6/26(水) 午前 1:56内緒の方 3件のコメントをどうもありがとうございました。

    チームぼそっと

    2019/6/26(水) 午前 11:23

    返信する
  • 匿名さま コメントをどうもありがとうございます。

    そういう不条理はよくありますね。
    いじめっ子というのは競争力が強いために、けっこう世の中で出世して、のうのうと生きているケースが多いように思います。被害者はたまったものではありません。

    チームぼそっと

    2019/6/29(土) 午後 4:23

    返信する

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