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VOSOT ぼそっとプロジェクト
ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

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盗みが止まらなかった私(181)」からのつづき・・・


ぼそっと池井多 うちの親にとって
 「子育てとは何であったか」を考えてみるに、
 ようするに「世間体」なんだけど、

 「私はこれだけやりました! 
 子育てという義務感を果たしましたっ!
 どうだっ!
 もう余計なことは聞かない」

 ということだったんではないかな、
 と思うんですよ。

 「ちゃんとあんたを子どもとして育ててます。
 なんか文句あるか。

 学費も出して、大学も出してやりました。
 私だって、こんなことしたくなかった。
 ここからは、何も得てません。
 でも、世間でやんなくちゃいけないことになってたから、
 やってやりました。

 っていうような。

 「子どもを産まないと世間に承認されないし、
 子どもを育てないと人間として一人前に扱われない。

 だから、自分の存在承認のために
 子産みを選び、
 産んじゃったかぎりは育てないと
 これまた社会で承認されないから、
 しかたなく育ててやりました。

 ほらっ、こっちだって好きじゃないことを
 いやいややってやっているんだから、
 いいだろ! つべこべ言うな。」

 と、自分の力量とギリギリのところでやった結果が
 虐待だったのではないかな、
 と思ったりもするんですが、……

 リュウさんのところの親子関係は
 何によって成り立っていたと思いますか。


リュウ うちは打ち出すほど「やった!」というほど
 力のある親ではなくて、
 むしろ未熟すぎて……。

 親が未熟ということは、
 それだけでもう十分、残念なんだけど、
 親がほんとに未熟すぎる。

 だから、ぼくは今もういい齢なんだけども、
 精神科クリニックに通いながら、
 障害者枠で守ってもらって、
 独りで生活するのがやっと、
 という生活を 保っているんだけど、
 でも、もしぼくが母親の年代に結婚して
 それで子どもを作っていたりしたら、
 とてもじゃないけど子育てなんかできなかっただろうと思う。

 母親本人は、自分のできていない部分は見ないから、
 反省もしないで、
 できていないこともできていることにして
 まっしぐらに進んでいったけど、
 その影響は、こうやって子どもであるぼくに出てる。
 母親自身のこともまったく向き合っていない。

 親も、親の限界のなかで精一杯やってたんだろうな、
 ってことは理解できるんだけど、
 ただ、もう、ほんっとに
 母親が幼すぎるの。

……。
……。


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