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VOSOT ぼそっとプロジェクト
ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

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外国のうつ・ひきこもり事情(127) 
からのつづき・・・
traduit par ぼそっと池井多



ぼそっと池井多 あなたのようなタイプの女性と話す機会が
なかなかないものですから、
私のような愚鈍な男には、
あなたの言葉はたいへん刺激になります。

そこで次に、
こういう質問をさせてください。

かねがね私は、
天才的な自負を持った若い女性と話をする機会があったら、
ぜひ訊いてみたい質問がありました。

しかし、その機会はなかなか訪れませんでした。

なぜならば、
女性でそういう傲然とした自負を示す人は、
すでに中年から老年であることが多く、
若い女性というのは、
私のような男の前ではたいてい恭謙だからです。

若い女性で、やたらプライドが高い人は、
そのプライドの根拠は、あらかた彼女の容貌とか、
持っているモノとか、ファッション感覚とか、
性的技巧とか、若さそのものとか、
肉体性と感性に向けられているのです。

逆にいえば、
知性や悟性をプライドの根拠にしている若い女性と
中高年以降になった私は出会ったことがないのです。

私自身が若いころには、
そういう女性にはたくさん出会いましたが、
あるていど齢を重ねてからは、
そういうことはなくなってしまいました。

いっぽう、まだ若いのに知性や悟性に傲慢な風を吹かし、
世界へ挑戦状を叩きつけるような言葉を吐く人は、
たいてい男性です。

それも、
なんらかの形で自分が社会に適合できないことを
必死に理論化しようとしている、
自己愛を肥大させた男性が多い、
というのが私の印象です。

というわけで、
知性や悟性に関して天才的な自負を持った若い女性と、
私はほとんど出会ったことがありません。

ところが今、
私はそのようなチャンスを得ていると言えます。
なぜならば、
あなたとこの対話をしているからです。

あなたは言葉で、
ご自分が「魅力的な若い女性」であるとおっしゃるけれども、
こうして文字のやりとりをしているだけですから、
私にはそれを視覚的にこの目で確かめる術がない。

そのことは、あなたもわかっているわけです。

つまり、私があなたを「美しい」と確認できないことを
わかったうえであなたは
ご自分を「美しい」と描写しているのにすぎない。

それは、賢明なあなたからすれば、
あなた自身の容貌としての美を
あなたのプライドの源泉にしていることにはなりません。

そこが、そんじょそこらの若い美しい女性とちがうわけです。

あなたは明らかに、
ご自分の並外れた存在価値の根拠を
知性や悟性に置いて
私の前にご自分を見せて(se présenter)いらっしゃる。

さて、そこで私は
次のような質問をさせていただきたいのです。

あなたのひきこもり生活の、どのような場面で、
あなたは自分が若い女性であることを意識しますか。

それとも、あなたは、
あなたが若い女性であることを考える機会が、
いまの生活の中ではまったくありませんか。

ジョセフィーヌ ……。

残念ながら、
あなたの質問の意味がよくわかりません。 

あなたの質問に至るまでの前説は
なんとなく理解できましたが、
最後の質問の二つのかんたんな文章がわからないのです。

あなたのフランス語能力が原因だとも思えない。
翻訳に苦慮するような
たいした構造をした文章でもありませんから。

あなたが有利になる英語に切り替えたところで、
やはり私があなたの質問の意味を
理解できないことには変わりがないでしょう。

ぼそっと池井多 これは失礼いたしました。

それでは、私が考えていることを、
以下のように三つの角度から言い換えたいと思います。
 
まず第一に、
いちばん初めにあなたはご自分を
「とても魅力的で知性あふれる若い女性」
として自己紹介されました。
それがあなたのアイデンティティだと申してよいでしょう。

第二に、あなたの文章は、
はじめは女性的であったのに、
だんだん男性的になってきたように私は感じています。

これは論理的に導き出していることではなく、
私の感覚なので、これ以上説明することはできません。

第三に、賞賛する人物としてあなたが挙げたのは、
すべて男性です。

ドストエフスキー、ニーチェ、マルクス、ランボー
などなどです。

あなたが自分に誇りを持っている女性であるのに、
そのなかに女性が一人も含まれないことが、
私には奇異な印象をもたらしました。

あなたの文章は私に、
さきほど挙げたフランスの精神科医ジャック・ラカンによる、
別の言葉を思い出させています。

正確な引用ではないかもしれませんが、
ラカンはどこかでこう言っています、

「男が誰かに恋するとき、相手は女性である。
そして女性が誰かに恋するとき、やはり相手は女性である」
 
いっけん「そんな馬鹿な」と思える言葉ですが、
これは一つの抽象化された真実を示しています。

女性というのを客体、
恋をする主体でなく恋をされる対象
として捉えているからです。

若い女性というのは、
象徴的に全人類が恋する対象です。

若い女性という存在は、
美的にも性的にも魅力的な象徴性を備えています。

ぶしつけなことを申し上げるようですが、
あなたはそれを知っているから、
ああいう自己紹介をされたのではないでしょうか。

それは、私のように
いくつになっても下劣な欲望をいだいて
悶々とひきこもっている男性にとっては、
目の前に豪奢な美味しいものを投げ出されたようなものでした。

たちまち、浅はかな私は
言葉の向こうのあなたの肉体にかぶりつきそうになりました。

かたや、あなたの言葉は非常に主体的に響きます。
あなたの言葉には客体性が感じられないのです。

ひきこもり生活をしていれば、
誰からも「見られる」ということがなく、
「客体」や「対象」になる意識を持つ瞬間が
生活の中に存在しないことでしょう。

その影響なのだろうか、
と私は関心を持っているというわけです。

あなたが感心するランボーは
「見者(voyeur)」
でもありました。

彼はすべてを見た。 
当時のフランスの腐りきった俗社会も見たし、
ヨーロッパ人たちが行かないアフリカの奥地も見た。

彼は人間たちみんなを見た。
ランボーは詩を書いている間、強固な主体でした。

そこであなたにお尋ねしたのです。

あなたの生活のどこで、
自分が若い女性であることを意識しますか。

それとも、あなたは、
あなたが女性であることを考える機会を、
いまの生活の中では持っていませんか、と。

ジョセフィーヌ ああ! 

だんだんあなたの質問の意味がわかってきました。
私が賞賛している歴史上の女性はたくさんいますよ。

たとえば、……




へつづく・・・

  • 凄く興味深い話しですね^ - ^
    次回を楽しみにします。

    [ myd*7 ]

    2019/7/22(月) 午前 0:44

    返信する
  • myd*7さま コメントをどうもありがとうございます。

    さすがお目が高いです。

    これは、まさしく迫真の対話でした。

    次回、最終回です。よろしくお願いいたします。

    チームぼそっと

    2019/7/22(月) 午前 9:37

    返信する

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