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VOSOT ぼそっとプロジェクト
ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

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治療者と患者(313)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害


2019年7月16日(火)に放送された


NHK総合「クローズアップ現代+」

『オウム死刑執行1年 見えてきた真相』(*1)


を録画で観た。

*1.番組ホームページは

イメージ 5


ちょうど約1年前、
2週間以内に13人の死刑という
まるでジェノサイドのような勢いでおこなわれた執行の
裏側にどのようなことがあったのか、
を探求した番組である。

しかし、情報公開請求を出しても、
少なくとも今の段階では
出される文書のほとんどの部分が黒塗りにされるので、
じっさい死刑執行の裏に何があったのかは、
「神のみぞ知る」ならぬ、

「国のみぞ知る」

という状態になっているらしい。

そのような中で
私が格別に関心を抱いたのは、
新見智光(にいみ・ともみつ)元死刑囚である。








かつて渋谷で、新見と思われる人物に、
私自身がビラを差し出され、
オウムへの勧誘を受けたことがある。

だから私は、彼に格別の関心を抱いたのであろうか。

いや、もしそれだけであったなら、
私の新見という人物への関心は、
今ほど深まらなかったことだろう。

街の中ですれちがっただけの人が、
あとで社会を揺るがすほど有名な存在になったことは、
他にも経験がある。

やはり、私の新見への関心は、
逮捕されてからも彼が、
オウム真理教の信者のなかで
いわば最右翼ともいうべき立場を堅持してきたからであった。

たとえば、同じような年齢層で
松本智津夫に深く「帰依」していた井上嘉浩のような信者は、
逮捕後は一転して「麻原批判」に転じ、
法廷などでも松本智津夫との対決をえらんだ。

けれども新見智光は、法廷でも眉一つ動かさず、

「自分は尊師の弟子です」

などと述べ、
地下鉄サリン事件のような凄まじい無差別テロも

「事件は救済のためだった」

と述べて憚らなかった。


イメージ 1


また、拘置されていた独房のなかでは、
教団施設においてとまったく同じ瞑想をおこなっている、
といった報道もあった。

すなわち、新見智光は、
逮捕されて死刑を待つ身となっても、

「そんなことは俗世のこと。
自分は麻原尊師の教えを守り抜く」

という姿勢をつらぬいているかに見えた男である。

このような男が、
死刑を前にいったいどういう心境になっていたか。

放送では、新見が日記に、
こう書いていたことが明らかになったというのである。

もっと別の人生があったんじゃないか。

 教祖一人をあがめるのではなく、
 自分を信じるのが大事という人生が。

イメージ 2


イメージ 3


誰かに全部委ねる。
そういう生き方は誤りだった。

イメージ 4


ほかでもなく、
教祖にもっとも忠誠を誓っていたといってよいオウム信者が、
二十年以上という歳月を経て、
死刑を前にこのような人生の回顧をしたという事実は、
いくら注目しても足りないくらいの気がするのである。








このような元死刑囚たちの言葉を聞いて、
私が思い出すのは、
かつて「同じ釜の飯を喰っていた」かのごとき
阿坐部村の患者たちのことである。

私を排斥し、追放した患者たちである。

本ブログの新しい読者の方々のために、
古くからの読者の方にはすでに聞き飽きた話を
少し繰り返させていただく。

いまだに詳しい理由はわからないが、
私の主治医であった精神科医、齊藤學(さいとう・さとる)は、
2013年ごろから私にさまざまな冤罪を着せ、
他の患者たちが私を憎むように仕向けていった。

私は、精神療法にはつきものの、
ラポール(主治医との信頼関係)が成り立っている
と思っていたものだから、
当初はいったい何が何やらわからず、
怒るよりも、落胆するよりも、
まずはただびっくりするだけであった。

患者村のデイナイトケアにおいては、
斎藤ミーティングと称する、
いわば「村の中央広場」における、
斎藤医師による、長い時には4時間にも及ぶ演説を、
患者たちは毎日聞かされる。

そのあいだ、患者たちは発言を許されない。
一方的に聞くばかりである。
これは、洗脳の常套手段といってよい。

ここで齊藤學は、
私がやってもいないことをやったかのように言い、
私を犯罪者として吹聴したのである。

齊藤學に「帰依」している転移患者たちは、
それまでの患者仲間としての私との関係など
まるでなかったかのように、
私を排斥し、追放する側に回ったのであった。

本ブログを以前からごらんの皆さまは、
数年にわたるそのプロセスを、
リアルタイムでごらんになったことだろう。








いうまでもなく、
これは悪夢のような体験であった。

私は、「トラウマ」という語を軽々しく用いたくはない。

人間、生きていれば、
いやなことやショックなことの連続である。

それを逐一「トラウマになった」などと言っていたら、
キリがないと思う。

また、それによって
「トラウマ」という語にも一種のインフレが起こってしまう。

ほんとうに「トラウマ」という語を用いるべきときに、
効力を発しなくなってしまうだろう。

だから私は「トラウマ」という語を
日常的に使用したくはないのである。

それを前提の上で言うと、
私にとって齊藤學の精神医療を受けた体験は
結果的に「トラウマ」となった。

信頼していた精神科の主治医にとつぜん冤罪を着せられ、
それをもとに患者村から追放された事件は、
はじめは何が何やらわからない状態であったが、
時を隔てて考えてみればこれは
「トラウマ」だったのである。(*2)

*2.そう思っているのは、
けっして私一人ではなく、
齊藤學との「治療関係」において
同様の被害を受けた者がたくさんいる、
という事実が次第にわかっていった。


母親から虐待されたことが、
私の人生において第1のトラウマならば、
阿坐部村を追放された一連の事件は第2のトラウマである。

第1のトラウマだけでも、

「もう十分だ」

と思っていたのに、

「50代にもなって、またこんな目に遭うなんて」

と恨めしく思い、崩れ折れそうになったことも、
一度や二度ではない。

しかし、考えてみれば、
人はみな、つらい人生を生きているのだ。

これが私の人生だったということだろう。
となればもう、乗り越えていくしかない。

そう考え、私もここ数年は、
一見つまらない精神患者たちの内部抗争、
「阿坐部村内戦」を懸命に戦ってきた。

どんなつまらないと見えることでも、
まずは足元にあることを丹念に片づけていかなくてはならない、
と考えるからでもある。

はじめは、

「やめろ」「やめろ」

という人ばかりが私の周囲にあらわれた。

しかし、彼らの中では、
私が訴えることの中核が見えている人は少なかった。

6年続けているうちに、
それが見えている人が次第に増えてきて、
現在に至っている。

その多くは、やはり私と同じように
齊藤學による医療被害にあった人々である。

通常、精神医療による被害というと

・身体拘束
・薬物投与

だけだと思われ、

「薬を使わない精神療法はいちばん安全である」

などと考えられる傾向がある。

それは、いちがいに間違いではないが、
要は、「誰が」精神療法をおこなうか、
によって全的に異なってくるのである。







阿坐部村は、5月末をもって
クリニックのデイナイトケアを廃止し、
それ以降は、付属しているNPO法人ザストによる
自助グループを通じての患者支配へと体制を変更した。

もちろん、変更といっても
実質的には縮小である。

リカモリング・アホバイザー制度などと
怪しい商法を始めたものだから、
昔のようにたくさんの患者が来なくなり、
東京・港区の高い地代を払えなくなったため、
デイナイトケアという医療体制が維持できなくなったのである。

デイナイトケアであると、
治療者の側は、
クリニックという空間を提供しなければならない。
そのコストを払うことになる。

ところが、自助グループであると、
「患者が自分たちでやっている」というタテマエなので、
公民館などのパブリック・スペースを
患者たちの名前で借りさせ、やらせることができる。

治療者は空間を提供しなくてよいし、
コストを払う必要もない。

ほんらい自助グループというのは、
患者や当事者が「分たちでけ合う」から自助なのであって、
頂点に治療者が君臨し、支配・管理していては、
「自助」グループとは呼べない。

ところが、
治療者は自助グループの現場に姿をあらわさないので、
支配・管理している実態が、
第三者に見えないようになっている。

たとえ厚生労働省から査察が入っても、
これならば安全である。

いわばオウム真理教が各地に持っていた
「ヨガ・サークル」のようなものである。

表向きはただの自助グループに見える、
それらザストのミーティング群は、
リカモリング・アホバイザーなどの上級患者が、
仕切るファシリテーターとして遣わされており、
その場で起こったこと、なされた発言などは、
くまなく頂点に君臨する治療者に報告されるようになっている。

それは「スーパーヴィジョン」と呼ばれる。








このぼそっとプロジェクトが立ち上がった当初は、
しきりと自分の頭で考えようとしていた流全次郎
どのような利益供与をちらつかされたのか、
昨年リカモリ制度へ入ってしまい、
いまではすっかり

私の心の中には、塞翁先生が棲み憑いておられる。巣食っておられる。
塞翁先生が亡くなられた後も、
私の中の塞翁先生が消えてなくなることは、
けっしてないだろう。

などと、身も蓋もないことを
ザスト通信に書くようになってしまった。

「棲み憑く」

などという奇怪な漢字を選択していることから、
何か邪悪なものに染まった、
という無意識的な自覚もあるのかもしれないが、
この言葉はまさに流全次郎の信仰告白であり、
帰依の表明だといってよい。

新見智光の、

自分は尊師の弟子です

という法廷での発言を想わせる言葉である。

彼も、新見智光のように、
死が近づいてきたときになって、

もっと別の人生があったんじゃないか。

教祖一人をあがめるのではなく、
自分を信じるのが大事という人生が。

誰かに全部委ねる。
そういう生き方は誤りだった。

と悟るようになるのだろうか。

新見の場合は、
そのように考えるようになったときには、
すでに時間がなかったわけである。







・・・「治療者と患者(315)」へつづく

  • 顔アイコン

    そう。自分を信じられるようになること。
    これが回復であると考えます。
    でもこの記事、途中から患者村の話につながってると
    笑思って、精神医療と、宗教は、つくづく構図が同じだなあと深く共感しましたよ。
    でもいきつくところが本来「自分を信頼できるようになること、時分を取り戻す」ことなのだから、必然なのかもしれないですよね。親子関係がうまくいかなかったもが、治療者との関係で親子関係を作り直していくわけだからそしてそれが十分にできたら、自分の内面を自分で
    解決できる力がついたり、「教祖」から離れていけるようになるんだろうね。
    でもそれがやたら薬で洗脳されたり、医療行為という商品を売られたりするからインチキ宗教とかわんない感じになっているんかなあ。
    結局一番大きな力になるのは当事者間での支えあいかもしれないなといつも思うんよ。
    ぼそっとサンはどう思う?

    [ ton*in ]

    2019/7/20(土) 午後 3:22

    返信する
  • 顔アイコン

    阿坐部村・・・笑笑

    [ ton*in ]

    2019/7/20(土) 午後 3:26

    返信する
  • 顔アイコン

    ほんらい自助グループというのは、

    患者や当事者が「自分たちで助け合う」から自助なのであって、

    頂点に治療者が君臨し、支配・管理していては、

    「自助」グループとは呼べない。

    これはその通りなんだと思います。

    [ ton*in ]

    2019/7/20(土) 午後 3:28

    返信する
  • 顔アイコン

    信じていた仲間から追放され孤立することは、人間の心にとって最大の苦痛であり恐怖ではないでしょうか。自分も含め大多数の人は、その不安から逃れようと、自分をごまかしたりしてしまうものだと思います。
    その苦痛のなかから、自分にできることを積み重ね、成長によって乗り越えようとされていることは、素晴らしいと思いました。
    人生のつらさに向き合って乗り越えた人ほど、他の人の痛みに共感できるのかもしれません。

    [ aon*_*85 ]

    2019/7/20(土) 午後 9:06

    返信する
  • 顔アイコン

    (ブヒッと割り込み!!_1)
    >「でもこの記事、途中から患者村の話につながってると
    笑思って、精神医療と、宗教は、つくづく構図が同じだなあと深く共感しましたよ。」

    Ton*inさんの言う通り、精神医療と宗教の構図は同じものが含まれていると感じますだブヒ。
    だからこそ集団レベルでの、安全対策上の見直しが常に必要なのでしょうねブヒ。

    「患者村の話し」なのは、ぼそっとさんが当時者として実体験を語ってくれているからだよブヒ。
    オウムを参照としながら、麻布村の類似した危険性への見直しを訴えてくれているのだから、別におかしくないと思うブヒ。
    彼なりの本物の語りだよ。これが当事者間での支え合いさブヒ

    ここ、vosotさんのブログの場があってこそ、こうブヒってでも語れますよブヒッ!?
    「5ch麻布十番さいとうクリニック(斎藤学)PART2」はまるでブタおやじが裏に居て、ねつ造されたホイホイサイトみたいなので、怖くて14でストップしたまま、ビビッて誰も語れなくなっちゃったままだし。
    私も今、実はまだこれでも、かなりビビッてますよ、ブヒーッ!?

    [ - ]

    2019/7/21(日) 午前 1:01

    返信する
  • 顔アイコン

    (ブヒッと割り込み!!_2)
    みんな、
    グループ集団が狂ってしまい、
    「チカン猿はカッコイイぜ」みたいに、
    可笑しくなっちゃった例をとり挙げて、
    もっと自由に語ってみないかい?ブヒブヒ??
    たとえば
    『カルトからの脱会と回復のための手引き』(日本脱カルト協会 編)という本には
    「JSCPR 集団健康度測定目録」というカルト度を測定する検査表があるよ。
    インターネットにも出てるよ。http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/GHI/index.html
    これを自由に使ってもいいと思うよ、ブヒ。

    ブタおやじの麻布村とは、もともとは精神科医療デイ・ナイト・ケアから始まったもの。
    最近は医療福祉問題として、補助金目当ての「障害者ビジネス」もずいぶん問題視されてるみたいだし。
    そういえば麻布村には「就労移行支援」が抜けていたよね?おかしくないかいこれってブヒ??
    結局はあそこも補助金目当て囲い込みの場だったのかいブヒ?ブヒ??
    だから、こうしてブヒブヒ言う奴が現れるのさ、ブヒブヒブヒッ!!!
    ここでvosotさんと みんなで一緒に自由に語りあっ

    [ - ]

    2019/7/21(日) 午前 1:04

    返信する
  • 顔アイコン

    (ブヒッと割り込み!!_3)
    自分が JSCPRの 集団健康度測定目録を使って、麻布村をチェックしてみた得点結果が、151点でした。ブヒ!?
    勝Ы乎弔料躪膩鮃度(機銑召泙任旅膩廖砲151点なので、「非常に不健康」との結果でした。

    得点評価基準は、以下によります。
    50点以下:ふつう
    51点〜79:やや不健康
    80〜109:不健康
    110点以上:非常に不健康

    ご参考に、ブヒ。

    [ - ]

    2019/7/21(日) 午前 2:06

    返信する
  • ton*inさま コメントをどうもありがとうございます。

    ジュディス・ハーマンが『心的外傷と回復』などで述べた回復のプロセスというのは、あなたがおっしゃったとおり、最終的には患者が自分の頭で考えられるようになることが回復である、という立場でしたね。

    2000年ごろにはハーマンと親しかったはずの齊藤學のPIASなる精神療法というのは、その最後の段階が彼自身にお金が入ってくるように変更されていて、流全次郎のように一生、治療者から離れられないのが「回復」であるように持っていっているわけです。

    そうすれば、デイナイトケア閉鎖後も、患者は永久に齊藤學のスーパーヴィジョンに通い続け、その受講料で治療者は経済的に潤い続けるからでしょう。

    「一番大きな力になるのは当事者間での支えあい」というのはおっしゃるとおりであり、その頂点に治療者の監視など要らないわけです。

    チームぼそっと

    2019/7/21(日) 午後 5:09

    返信する
  • aon*_*85さま コメントをどうもありがとうございます。

    「信じていた仲間から追放され孤立することは、人間の心にとって最大の苦痛であり恐怖」

    というのは、まさしくその通りだと思います。

    川崎事件の加害者も、あるいは秋葉原その他の過去の無差別殺傷事件の加害者たちも、そのような絶望的な立場に追いやられたからこそ、犯行に走った部分があるのではないかと推測します。

    齊藤學が「PIAS」「精神療法」と称している一連の催眠活動は、患者(とくに男性)をそのような心境に追いやるものです。もっとも無差別殺傷という形で他者を害する結果になった患者はおりませんが、「自殺」「自死」という形で自己を害する結果に終わった者は数知れずおります。

    そうした事実も、今後とも取り上げていこうと思っております。

    チームぼそっと

    2019/7/21(日) 午後 5:14

    返信する
  • ase*****さま コメントをどうもありがとうございます。

    なるほど、齊藤學の治療共同体は、カルト集団としてマークされているのですね。当然だと思います。

    「精神医療のなかで、身体拘束と薬物投与は危険だ」
    と言われるとき、まさか薬を用いない精神医療、すなわち精神療法が「カルト化」「宗教化」という危険性を持っているとは、人々は考えなかったことでしょう。

    なぜならば、精神科医という存在は、ある程度「人徳」があり、職業上知りえた情報や技法を、自分の欲のために行使するなどということはありえない、と人々は先入観で考えていたからではないでしょうか。

    しかし、精神科医にもいろいろな者がいるわけです。

    まだ齊藤學の権威を恐れ、被害者たちは表立って発言できないようですが、今後とも齊藤學による医療被害の実態を告発していこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

    チームぼそっと

    2019/7/21(日) 午後 5:20

    返信する
  • 顔アイコン

    阿坐部村では、無差別殺傷という形ではなく自殺・自死という形で自己を害する結果になった患者は本当に多いよね。
    それだけではなく、自己効力感を見失ないヒネクレてしまう結果になる患者も多いと思うよ。
    ヒネクレてしまい、詐欺行為やマルチ商法やカルトに突っ走ってしまう患者も多く居ると思うよ。
    自殺するよりは、マルチ商法の方がまだマシだなんて、自分で勝手に思い込んでしまったりして。
    あるいは、あのブタおやじからそう思い込まされたりする患者が、結構たくさん居ると思うよ。
    あのブタおやじならやるよ、こうしたスリ替えの「刷り込み」洗脳をネ。
    これもまた、医療洗脳被害の一つだよねブヒ。ともに可哀想なケースだよブヒ!?
    患者を洗脳しやがって、「人徳」の無いヒドイおやじだぜまったくブヒ!
    みんな、このブログを読み直して、
    ちゃんと洗脳専門家から「脱会カウンセリング」を受けようね。ブヒ

    [ - ]

    2019/7/22(月) 午後 0:15

    返信する
  • 顔アイコン

    >ちゃんと洗脳専門家から「脱会カウンセリング」を受けようね。
    ちゃんと脱洗脳専門家からの「脱会カウンセリング」を受けようね。(でした。修正ブヒ!)
    「二重の刷り込み」による洗脳被害は素人だけでは扱いが難しいものだよブヒ!

    [ - ]

    2019/7/22(月) 午後 0:32

    返信する
  • 顔アイコン

    さっきは、「ちゃんと脱会カウンセリングを受けましょう」などと言っちゃったけれどもブヒ、、、。
    でも、同じ体験をした者どうしの語り合いの場が、脱会カウンセリングと同じようなものになり得るものだよ、ブピ!
    実際に、阿坐部村みたいなブタおやじからの「医療型カルト問題」の被害体験者であっても、ぼそっとさんの様に引きこもりを語る場づくりにステップアップしたりして、人は経験を通して成長していくものだよネ、ブピー!
    だってここがもう、語り合い癒し合いの場になっているからネ。ブピ!!
    だからみんな、あきらめないで、うつむかないで、一緒に語り合って、乗り越えていこうよ、ブピブピー!!

    [ - ]

    2019/7/24(水) 午前 0:30

    返信する

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