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ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

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不登校ひきこもりだった私(15)」からのつづき・・・


ぼそっと池井多 ひきこもり界隈で、
 いろんな議論がいろんな人から出てくるんだけど、
 「なぜかこの話だけは出てこない」
 というのがありましてね。

 「これはタブーになっているのかなあ」
 と思ったりもしていることがあって。

 それは、

 出産ひきこもり

 の問題なんですよ。

林恭子 ほう。フンフン。

ぼそっと池井多 私自身は、今から振り返ると

 「子どものいない人生を選んできた」

 という感じがあるのです。

 そのわけは、

 「とてもじゃないけど、
 子どもを持つと、その人生に責任が持てない」

 という感覚ですね。

 あるいは、

 「自分自身一人育てるのに、これだけ大変なのに、
 このうえ子どもなんて育てられない」

 という感覚と申しましょうか。

 そういう、いろいろな有象無象の感情が湧いて、

 「子ども? いや、持たない。持たない」

 という人生を歩んできたように思うのです。

 ……。

 林恭子さんの場合は、
 ご両親にはお孫さんが5人いる、
 とおっしゃったでしょう。

 それはつまり、真ん中の妹さんと下の妹さんに
 お子さんがいらっしゃるということですよね。

 そのへんについてはいかがですか。

林恭子 自分が子どもを持つかどうか、
 というような問題ですか。

ぼそっと池井多 そうです。

 たとえば、さきほど、

 「人生を新たな段階に進めるために
 結婚という新しいプロジェクトをやってみる、
 という気になった」

 とおっしゃっていました。

 すると、その延長で

 「人生をもっと新たな段階に進めるために
 出産という新しいプロジェクトをやってみる」

 というのもあるかと思うのですが。

林恭子 それは、今ぼそっとさんがおっしゃった、

 「自分は子どもを持たない」

 という気持ちとまったく同じです。


……。
……。




・・・「不登校ひきこもりだった私(17)」へつづく

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外国のうつ・ひきこもり事情(127) 
からのつづき・・・
traduit par ぼそっと池井多



ぼそっと池井多 あなたのようなタイプの女性と話す機会が
なかなかないものですから、
私のような愚鈍な男には、
あなたの言葉はたいへん刺激になります。

そこで次に、
こういう質問をさせてください。

かねがね私は、
天才的な自負を持った若い女性と話をする機会があったら、
ぜひ訊いてみたい質問がありました。

しかし、その機会はなかなか訪れませんでした。

なぜならば、
女性でそういう傲然とした自負を示す人は、
すでに中年から老年であることが多く、
若い女性というのは、
私のような男の前ではたいてい恭謙だからです。

若い女性で、やたらプライドが高い人は、
そのプライドの根拠は、あらかた彼女の容貌とか、
持っているモノとか、ファッション感覚とか、
性的技巧とか、若さそのものとか、
肉体性と感性に向けられているのです。

逆にいえば、
知性や悟性をプライドの根拠にしている若い女性と
中高年以降になった私は出会ったことがないのです。

私自身が若いころには、
そういう女性にはたくさん出会いましたが、
あるていど齢を重ねてからは、
そういうことはなくなってしまいました。

いっぽう、まだ若いのに知性や悟性に傲慢な風を吹かし、
世界へ挑戦状を叩きつけるような言葉を吐く人は、
たいてい男性です。

それも、
なんらかの形で自分が社会に適合できないことを
必死に理論化しようとしている、
自己愛を肥大させた男性が多い、
というのが私の印象です。

というわけで、
知性や悟性に関して天才的な自負を持った若い女性と、
私はほとんど出会ったことがありません。

ところが今、
私はそのようなチャンスを得ていると言えます。
なぜならば、
あなたとこの対話をしているからです。

あなたは言葉で、
ご自分が「魅力的な若い女性」であるとおっしゃるけれども、
こうして文字のやりとりをしているだけですから、
私にはそれを視覚的にこの目で確かめる術がない。

そのことは、あなたもわかっているわけです。

つまり、私があなたを「美しい」と確認できないことを
わかったうえであなたは
ご自分を「美しい」と描写しているのにすぎない。

それは、賢明なあなたからすれば、
あなた自身の容貌としての美を
あなたのプライドの源泉にしていることにはなりません。

そこが、そんじょそこらの若い美しい女性とちがうわけです。

あなたは明らかに、
ご自分の並外れた存在価値の根拠を
知性や悟性に置いて
私の前にご自分を見せて(se présenter)いらっしゃる。

さて、そこで私は
次のような質問をさせていただきたいのです。

あなたのひきこもり生活の、どのような場面で、
あなたは自分が若い女性であることを意識しますか。

それとも、あなたは、
あなたが若い女性であることを考える機会が、
いまの生活の中ではまったくありませんか。

ジョセフィーヌ ……。

残念ながら、
あなたの質問の意味がよくわかりません。 

あなたの質問に至るまでの前説は
なんとなく理解できましたが、
最後の質問の二つのかんたんな文章がわからないのです。

あなたのフランス語能力が原因だとも思えない。
翻訳に苦慮するような
たいした構造をした文章でもありませんから。

あなたが有利になる英語に切り替えたところで、
やはり私があなたの質問の意味を
理解できないことには変わりがないでしょう。

ぼそっと池井多 これは失礼いたしました。

それでは、私が考えていることを、
以下のように三つの角度から言い換えたいと思います。
 
まず第一に、
いちばん初めにあなたはご自分を
「とても魅力的で知性あふれる若い女性」
として自己紹介されました。
それがあなたのアイデンティティだと申してよいでしょう。

第二に、あなたの文章は、
はじめは女性的であったのに、
だんだん男性的になってきたように私は感じています。

これは論理的に導き出していることではなく、
私の感覚なので、これ以上説明することはできません。

第三に、賞賛する人物としてあなたが挙げたのは、
すべて男性です。

ドストエフスキー、ニーチェ、マルクス、ランボー
などなどです。

あなたが自分に誇りを持っている女性であるのに、
そのなかに女性が一人も含まれないことが、
私には奇異な印象をもたらしました。

あなたの文章は私に、
さきほど挙げたフランスの精神科医ジャック・ラカンによる、
別の言葉を思い出させています。

正確な引用ではないかもしれませんが、
ラカンはどこかでこう言っています、

「男が誰かに恋するとき、相手は女性である。
そして女性が誰かに恋するとき、やはり相手は女性である」
 
いっけん「そんな馬鹿な」と思える言葉ですが、
これは一つの抽象化された真実を示しています。

女性というのを客体、
恋をする主体でなく恋をされる対象
として捉えているからです。

若い女性というのは、
象徴的に全人類が恋する対象です。

若い女性という存在は、
美的にも性的にも魅力的な象徴性を備えています。

ぶしつけなことを申し上げるようですが、
あなたはそれを知っているから、
ああいう自己紹介をされたのではないでしょうか。

それは、私のように
いくつになっても下劣な欲望をいだいて
悶々とひきこもっている男性にとっては、
目の前に豪奢な美味しいものを投げ出されたようなものでした。

たちまち、浅はかな私は
言葉の向こうのあなたの肉体にかぶりつきそうになりました。

かたや、あなたの言葉は非常に主体的に響きます。
あなたの言葉には客体性が感じられないのです。

ひきこもり生活をしていれば、
誰からも「見られる」ということがなく、
「客体」や「対象」になる意識を持つ瞬間が
生活の中に存在しないことでしょう。

その影響なのだろうか、
と私は関心を持っているというわけです。

あなたが感心するランボーは
「見者(voyeur)」
でもありました。

彼はすべてを見た。 
当時のフランスの腐りきった俗社会も見たし、
ヨーロッパ人たちが行かないアフリカの奥地も見た。

彼は人間たちみんなを見た。
ランボーは詩を書いている間、強固な主体でした。

そこであなたにお尋ねしたのです。

あなたの生活のどこで、
自分が若い女性であることを意識しますか。

それとも、あなたは、
あなたが女性であることを考える機会を、
いまの生活の中では持っていませんか、と。

ジョセフィーヌ ああ! 

だんだんあなたの質問の意味がわかってきました。
私が賞賛している歴史上の女性はたくさんいますよ。

たとえば、……




へつづく・・・

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治療者と患者(313)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害


2019年7月16日(火)に放送された


NHK総合「クローズアップ現代+」

『オウム死刑執行1年 見えてきた真相』(*1)


を録画で観た。

*1.番組ホームページは

イメージ 5


ちょうど約1年前、
2週間以内に13人の死刑という
まるでジェノサイドのような勢いでおこなわれた執行の
裏側にどのようなことがあったのか、
を探求した番組である。

しかし、情報公開請求を出しても、
少なくとも今の段階では
出される文書のほとんどの部分が黒塗りにされるので、
じっさい死刑執行の裏に何があったのかは、
「神のみぞ知る」ならぬ、

「国のみぞ知る」

という状態になっているらしい。

そのような中で
私が格別に関心を抱いたのは、
新見智光(にいみ・ともみつ)元死刑囚である。








かつて渋谷で、新見と思われる人物に、
私自身がビラを差し出され、
オウムへの勧誘を受けたことがある。

だから私は、彼に格別の関心を抱いたのであろうか。

いや、もしそれだけであったなら、
私の新見という人物への関心は、
今ほど深まらなかったことだろう。

街の中ですれちがっただけの人が、
あとで社会を揺るがすほど有名な存在になったことは、
他にも経験がある。

やはり、私の新見への関心は、
逮捕されてからも彼が、
オウム真理教の信者のなかで
いわば最右翼ともいうべき立場を堅持してきたからであった。

たとえば、同じような年齢層で
松本智津夫に深く「帰依」していた井上嘉浩のような信者は、
逮捕後は一転して「麻原批判」に転じ、
法廷などでも松本智津夫との対決をえらんだ。

けれども新見智光は、法廷でも眉一つ動かさず、

「自分は尊師の弟子です」

などと述べ、
地下鉄サリン事件のような凄まじい無差別テロも

「事件は救済のためだった」

と述べて憚らなかった。


イメージ 1


また、拘置されていた独房のなかでは、
教団施設においてとまったく同じ瞑想をおこなっている、
といった報道もあった。

すなわち、新見智光は、
逮捕されて死刑を待つ身となっても、

「そんなことは俗世のこと。
自分は麻原尊師の教えを守り抜く」

という姿勢をつらぬいているかに見えた男である。

このような男が、
死刑を前にいったいどういう心境になっていたか。

放送では、新見が日記に、
こう書いていたことが明らかになったというのである。

もっと別の人生があったんじゃないか。

 教祖一人をあがめるのではなく、
 自分を信じるのが大事という人生が。

イメージ 2


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誰かに全部委ねる。
そういう生き方は誤りだった。

イメージ 4


ほかでもなく、
教祖にもっとも忠誠を誓っていたといってよいオウム信者が、
二十年以上という歳月を経て、
死刑を前にこのような人生の回顧をしたという事実は、
いくら注目しても足りないくらいの気がするのである。








このような元死刑囚たちの言葉を聞いて、
私が思い出すのは、
かつて「同じ釜の飯を喰っていた」かのごとき
阿坐部村の患者たちのことである。

私を排斥し、追放した患者たちである。

本ブログの新しい読者の方々のために、
古くからの読者の方にはすでに聞き飽きた話を
少し繰り返させていただく。

いまだに詳しい理由はわからないが、
私の主治医であった精神科医、齊藤學(さいとう・さとる)は、
2013年ごろから私にさまざまな冤罪を着せ、
他の患者たちが私を憎むように仕向けていった。

私は、精神療法にはつきものの、
ラポール(主治医との信頼関係)が成り立っている
と思っていたものだから、
当初はいったい何が何やらわからず、
怒るよりも、落胆するよりも、
まずはただびっくりするだけであった。

患者村のデイナイトケアにおいては、
斎藤ミーティングと称する、
いわば「村の中央広場」における、
斎藤医師による、長い時には4時間にも及ぶ演説を、
患者たちは毎日聞かされる。

そのあいだ、患者たちは発言を許されない。
一方的に聞くばかりである。
これは、洗脳の常套手段といってよい。

ここで齊藤學は、
私がやってもいないことをやったかのように言い、
私を犯罪者として吹聴したのである。

齊藤學に「帰依」している転移患者たちは、
それまでの患者仲間としての私との関係など
まるでなかったかのように、
私を排斥し、追放する側に回ったのであった。

本ブログを以前からごらんの皆さまは、
数年にわたるそのプロセスを、
リアルタイムでごらんになったことだろう。








いうまでもなく、
これは悪夢のような体験であった。

私は、「トラウマ」という語を軽々しく用いたくはない。

人間、生きていれば、
いやなことやショックなことの連続である。

それを逐一「トラウマになった」などと言っていたら、
キリがないと思う。

また、それによって
「トラウマ」という語にも一種のインフレが起こってしまう。

ほんとうに「トラウマ」という語を用いるべきときに、
効力を発しなくなってしまうだろう。

だから私は「トラウマ」という語を
日常的に使用したくはないのである。

それを前提の上で言うと、
私にとって齊藤學の精神医療を受けた体験は
結果的に「トラウマ」となった。

信頼していた精神科の主治医にとつぜん冤罪を着せられ、
それをもとに患者村から追放された事件は、
はじめは何が何やらわからない状態であったが、
時を隔てて考えてみればこれは
「トラウマ」だったのである。(*2)

*2.そう思っているのは、
けっして私一人ではなく、
齊藤學との「治療関係」において
同様の被害を受けた者がたくさんいる、
という事実が次第にわかっていった。


母親から虐待されたことが、
私の人生において第1のトラウマならば、
阿坐部村を追放された一連の事件は第2のトラウマである。

第1のトラウマだけでも、

「もう十分だ」

と思っていたのに、

「50代にもなって、またこんな目に遭うなんて」

と恨めしく思い、崩れ折れそうになったことも、
一度や二度ではない。

しかし、考えてみれば、
人はみな、つらい人生を生きているのだ。

これが私の人生だったということだろう。
となればもう、乗り越えていくしかない。

そう考え、私もここ数年は、
一見つまらない精神患者たちの内部抗争、
「阿坐部村内戦」を懸命に戦ってきた。

どんなつまらないと見えることでも、
まずは足元にあることを丹念に片づけていかなくてはならない、
と考えるからでもある。

はじめは、

「やめろ」「やめろ」

という人ばかりが私の周囲にあらわれた。

しかし、彼らの中では、
私が訴えることの中核が見えている人は少なかった。

6年続けているうちに、
それが見えている人が次第に増えてきて、
現在に至っている。

その多くは、やはり私と同じように
齊藤學による医療被害にあった人々である。

通常、精神医療による被害というと

・身体拘束
・薬物投与

だけだと思われ、

「薬を使わない精神療法はいちばん安全である」

などと考えられる傾向がある。

それは、いちがいに間違いではないが、
要は、「誰が」精神療法をおこなうか、
によって全的に異なってくるのである。







阿坐部村は、5月末をもって
クリニックのデイナイトケアを廃止し、
それ以降は、付属しているNPO法人ザストによる
自助グループを通じての患者支配へと体制を変更した。

もちろん、変更といっても
実質的には縮小である。

リカモリング・アホバイザー制度などと
怪しい商法を始めたものだから、
昔のようにたくさんの患者が来なくなり、
東京・港区の高い地代を払えなくなったため、
デイナイトケアという医療体制が維持できなくなったのである。

デイナイトケアであると、
治療者の側は、
クリニックという空間を提供しなければならない。
そのコストを払うことになる。

ところが、自助グループであると、
「患者が自分たちでやっている」というタテマエなので、
公民館などのパブリック・スペースを
患者たちの名前で借りさせ、やらせることができる。

治療者は空間を提供しなくてよいし、
コストを払う必要もない。

ほんらい自助グループというのは、
患者や当事者が「分たちでけ合う」から自助なのであって、
頂点に治療者が君臨し、支配・管理していては、
「自助」グループとは呼べない。

ところが、
治療者は自助グループの現場に姿をあらわさないので、
支配・管理している実態が、
第三者に見えないようになっている。

たとえ厚生労働省から査察が入っても、
これならば安全である。

いわばオウム真理教が各地に持っていた
「ヨガ・サークル」のようなものである。

表向きはただの自助グループに見える、
それらザストのミーティング群は、
リカモリング・アホバイザーなどの上級患者が、
仕切るファシリテーターとして遣わされており、
その場で起こったこと、なされた発言などは、
くまなく頂点に君臨する治療者に報告されるようになっている。

それは「スーパーヴィジョン」と呼ばれる。








このぼそっとプロジェクトが立ち上がった当初は、
しきりと自分の頭で考えようとしていた流全次郎
どのような利益供与をちらつかされたのか、
昨年リカモリ制度へ入ってしまい、
いまではすっかり

私の心の中には、塞翁先生が棲み憑いておられる。巣食っておられる。
塞翁先生が亡くなられた後も、
私の中の塞翁先生が消えてなくなることは、
けっしてないだろう。

などと、身も蓋もないことを
ザスト通信に書くようになってしまった。

「棲み憑く」

などという奇怪な漢字を選択していることから、
何か邪悪なものに染まった、
という無意識的な自覚もあるのかもしれないが、
この言葉はまさに流全次郎の信仰告白であり、
帰依の表明だといってよい。

新見智光の、

自分は尊師の弟子です

という法廷での発言を想わせる言葉である。

彼も、新見智光のように、
死が近づいてきたときになって、

もっと別の人生があったんじゃないか。

教祖一人をあがめるのではなく、
自分を信じるのが大事という人生が。

誰かに全部委ねる。
そういう生き方は誤りだった。

と悟るようになるのだろうか。

新見の場合は、
そのように考えるようになったときには、
すでに時間がなかったわけである。







・・・「治療者と患者(315)」へつづく

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当事者活動を考える(31)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多


ぼそっと 今日この(公開対論の)会場にいらしている親御さんの
最大の関心事は、
どうやって息子さんがひきこもりから抜けたか、
ということだと思います。

その点に関しては、いかがですか?

カズ 正直、息子がひきこもりを脱するのに、
これが決め手になったというのは、
私も家内も分からないと思うんですね。

状況的に言いますと、
高卒認定試験を受けて、受かった。

本人はどうしても大学に行って、
高校受験が思い通りに行かなかったのをリベンジしたい
という強い気持ちがあったので、
それを本人なりに受けて、受かったこと。

もう一つは、高校中退者向けの予備校があって、
1年間だけ、大学受験前に通うようになりました。
同年代と違う道を歩んだ引け目をあまり感じなくて済む、
同じように中退した人たちが通ってる空間なので、
そこが自分なりの居場所だったと思うんですね。

ぼそっと とすると、何かをしたから、
息子さんがひきこもりを卒業したわけではないということですね?

カズ 私はずっと単身赴任で家にいなくて、
つぶさに息子の状況を見ていないのですが、
家内は相当に苦しんで、病んでしまい、
精神科のカウンセリングに行きました。

そこである先生に、

「この子は安心感が足りないので、
3歳の子どもと同じように接してあげてください」

と言われたんです。
それが本人の安心感に繋がったのかな
という気はしています。

ぼそっと よく親御さんのお話を聴いていますと、
ひきこもりは親と子の問題であるように見えて、
そこに埋もれているのは、
親御さん夫婦の関係性の問題であったりする
と思うんですね。

例えば、お父さまが単身赴任で、
奥さまが全部それを抱え込んで、

「あなたは関西で仕事してるから良いかも知れないけれど、
わたしは大変なのよ!」

な〜んていう話はありましたか?

カズ:ええ。
電話するたびにかなり愚痴を言われました。
いろいろ相談したところ、奥さんばっかりじゃなくて、
父親も本気で心配してると、
息子本人にちゃんと態度で示した方が良い
と言われまして。

ただやっぱり、
どう声を掛けて良いか分からない。
かける言葉がないのです。

なので、私が出来たことは、
一緒にラーメンを食べにいくことぐらいですね。

ぼそっと ラーメン?

カズ ええ。
息子はほとんど家に引きこもっていますけれど、
「本人も、たまには外に出たいだろう」
と思って、ラーメンを食べに行ったんです。

「いつまでひきこもってるんだ、外に出ろ」

と言っても、首を振ることはないだろうな
と思って、何か口実を探していた時、
息子はラーメンが好きで、私も好きで、

「昔、ラーメン美味しかったね。
こういうラーメン屋あるけど知ってる?」

みたいな会話をしていたのを思い出しまして、

「ちょっとラーメン食いに行かない?」

と、一回連れ出したところ、
渋々と付いてきたんです。

これだったら、
一緒にラーメンを食べに行く目的があるので、
あまり本人に干渉せずに連れ出せるんじゃないかな、
と思い、それからは
単身赴任先から帰るたびに、
いっしょにラーメンを食べに行きました。

ぼそっと ラーメンを食べに行きながら、
どんな話をされたんですか。

カズ 何も話しません。
無言ですよ、行きも帰りも。

無言ですけれども、行ってました。



・・・「当事者活動を考える(33)」へつづく

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支援者だった私(9)片隅の彼<4>」からのつづき・・・
by 鈴木良太

私は両親の公認の下、
暫く伯父の家に預けられることになった。

西東京の外れにある借家で、
伯父や伯母と一緒に、
非行歴のある少年たちと共同生活を始めた。

そこでも最初私は相変わらず
以前とは人が変わったように無口であったが、
そこでの生活は色々な意味で私をほっとさせた。

私に息吐く暇を与え、私を寛がせた。
次第に私の中の様々な思いが言葉となって溢れ、
すぐにも私は共に生活をしていた私より二、三年上の
様々な過去を持つ少年たちの言葉に耳を傾けることも、
私自身の話をできるようにもなっていた。

三月の終わりに、私は父と母の下に戻った。
三年の進級と同時に学校にも復学を果たした。
それはもちろん、私が自分で望んだことだった。

私はもう誰の言葉もそれほどうるさく感じなくなっていた。
それから一年、私は自分の意思で受験勉強に精を出し、
翌年志望した学校に無事合格を果たした。

その結果を最初に伝えた相手も伯父と伯母だった。
二人ともそのことを自分のことのように喜んでくれた。
だが、それから間もなく伯父と伯母の二人とはまた疎遠になる。






その年の夏休みに、伯父の私塾のキャンプがあり、
私も一年前まで寝食を共にしていた仲間たちと
一緒に参加させて貰った。

伯父や伯母を始め、
嘗ての仲間たちと再び巡り合えたことを、
最初は私も素直に喜んでいた。
が、次第に私は
自分一人蚊帳の外に置かれているような
居心地の悪さを覚えるようになる。

伯父や伯母と、
嘗ては私も共に生活をしていた少年たちとの絆は、
以前にも増して強くなっているように思えた。
もう私が入り込む余地は
どこにもないような気がした。

次第に何とも名付けようもない感情が沸き立ち、
キャンプが終わりに近付く頃には、
私は不貞腐れているような、
怒っているような態度ばかりを取っていた。

当時私はそんな自分の気持ちを理解できずにいたが、
今なら分かる。
多分私はあの時、
伯父や伯母と彼らを取り巻く少年たちとの関係に
嫉妬のようなものを感じていたのだ。

キャンプが終わると、
今度は私の方から伯父や伯母たちを避けるようになっていた。
時々電話で話したり、
年賀状のやり取りをしたりすることはあっても、
西東京のあの家に遊びに行くようなことは
もうなくなっていた。

だが、何にしても、
私がそうやって伯父夫婦に世話になったことは間違いないのだ。

伯母も伯父と一緒に非行少年などの面倒を看てきただけあって、
私の知る限り豪傑肌の人だった。
長い間疎遠になっていた上、
伯母の言葉は恩着せがましく聞こえなくもなかったが、
柄にもなくこの人に哀願されると
やはり私は弱かった。

それで私は「分かりました」と渋々了承した。
同時に電話の向こうで
伯母が安堵の悲鳴のような声を上げるのが聞こえてきた。

それも私には意外なことに思えた。
本当に余程困っていたのだろうか。
それとも、すでに私がその申し出を受け入れることを
前提に話を進めていたのだろうか。

恐らくその両方だった。
その日の内に、
スタッフとして私の名前が記載された
その自助グループのチラシの見本が
ファックスで送られてきた。

私には勝手に南国若者支援センターの
「サポーター」とかいう肩書が付いていた。
それどころか

「中学生の頃から不登校、
最近もまたひきこもりがちになるが、
現在はそうした自身の経験を生かして、
ひきこもり支援のNPO法人のスタッフをしている」

とまるででっち上げの経歴まで記されていた。

伯母には電話で「知りませんよ」と言ったが、
伯母は「いいのよ、分かりゃしないわよ」と
気にも留めない様子だった。

「大体、あなた最近本当にひきこもり気味らしいじゃない。
昔も学校サボってうちに転がり込んできたし」

電話を切る間際に、もう一度だけ私は
「本当に僕でいいんですか。どうなっても知りませんよ」
と念を押したが、
「大丈夫よ。適当にやりゃいいわよ」
と相変わらず伯母は楽観的であった。

そのくせ、盆明けに、
伯母と一緒に財団の本部に挨拶に行った時のことだった。

財団の本部は築地の本願寺の傍にある
四階建ての細長いビルで、
受付で伯母が名前を告げると、
応接室に案内され、間もなく、
今回の企画を立案した野間さんという人がやってきた。

野間さんは以前特別支援学校の教師をしていて、
現在はある寺の住職をしているそうだ。
眼光が鋭く、恰幅もよく、
ヤクザの親分か相撲部屋の親方のようにも見える人だった。

が、笑うと途端に目尻が下がり、
瞬時に大食いタレントのような
底の浅い顔になる人でもあった。

話が私のことに及ぶと、
「さぞ、お辛い思いをされてきたのでしょう」
とその鋭いのか、下品なのかよく分からない眼差しを
急に潤ませた。

伯母がこの人に私のことを
どのように話していたのかは知らない。

だが、元関取のようなこの住職が大きな身体を屈め、
急に悲しげな眼をするのを目の当たりにすると、
何だかこの人が気の毒になった。

それで私は「いやァ、気楽なものですよ」と言った。
「毎日昼過ぎに目を覚まして、
小説を読んだり、DVDを観たり、
いい加減次の仕事探さなければいけないのかも知れませんけど、
できることならこのまま一生ひきこもっていたいです」
と言った。

更に私がアハハと声を上げて笑うと同時に、
伯母が素早く私の膝を叩いた。
それから、野間さんに気付かれないように私を睨んだ。
野間さんは拍子抜けしたような顔をしていた。

「まあ、この子も
これだけ軽口利けるぐらいまで回復したってことです」

伯母がそう言って
野間さんに変に取り繕ったような笑みを向けた。

野間さんはまた虚を突かれたような顔をした。
そして、程なくして、
私は伯母が野間さんに向けた笑みが、
やはり偽物だったことを思い知らされる。

野間さんに別れを告げて、財団の本部を後にした時だった。
急に伯母が怒ったように、
「あなたねェ……
何が一生ひきこもっていたいです、アハハよ。
余計なこと言うんじゃないわよ」
と言った。

「そんなこと言われても……
今の生活本当に結構気に入っているんですよ」

「それはあなたが偽ヒキだからそう思っているのでしょ? 
今のままずっとひきこもっていたい、
なんていうひきこもりが本当にいるとでも思っているの? 
野間さんにはあなたのこと、
本物の元ひきこもりだって話しているのだから
それらしくしなさいよ。
あの坊主、使えない奴だけど、
純粋なところもあるのだから、
偽ヒキだってばれたらどうするのよ」

「偽ヒキ……ですか? 
何ですか、それ?」

坊主呼ばわりについては触れなかった。

「だから、偽ヒキは偽ヒキよ。
偽物のひきこもりのこと。
この世界には時々そういうのがいるのよ。
実際は本物のひきこもりとは全然違うのに、
心情的に彼らに共感して、ひきこもりを自称するような人たちが。
あなたみたいに失業保険や貯金で食い繋いで、
真面目に働こうともしないで、
大手を振って遊び暮らしているような人も立派な偽ヒキよ」

「そんなこと言われても……」

そもそも、別に私は
ひきこもりを僭称したことなど一度もないのだ。
今回の話にしても、
伯父や伯母に頼まれたから渋々引き受けただけだ。
「偽ヒキ」云々言われても訳が分からない。
大体、ひきこもりらしくするとは、一体どういうことなのか。

「だから、神経過敏なぐらいに人目を気にしたり、
自信なさそうに振る舞ったり、
少し考えれば分かりそうなものでしょ。
ひきこもりの子たちは、仕事をしたり、学校に行ったり、
世間並みのことをしてないってことで、
皆自分のことを責めているのだから。
それを最初から偉そうに足組んでソファに踏ん反り返って、
あなた一体何様のつもりよ」

そこまで言われると、
さすがに私も面白くなかった。
それなら今回の話はなかったことにしましょうか、
との言葉が一瞬喉元まで出掛かったが、
結局何も言い出せなかった。

伯父が入院してから、
伯母は塾の経営を一身に任され、
毎日猫の手も借りたいほど多忙な日を送っているらしかった。
それに今更断るのも大人げない。
それで仕方なく私は「はあ」と言ったきり黙っていた。




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