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VOSOT ぼそっとプロジェクト
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やっぱり今日もひきこもる私(141)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多

本日、20:00〜に放送のNHK Eテレ

ハートネットTV

に出演させていただく。

イメージ 1

とはいえ、昨年放送されたものに
少し映像を追加して再編集したものである。

追加する冒頭の映像を収録するために、
7月25日に東京・お台場の近く、
芝浦埠頭にある貸しスタジオにおじゃました。

つまり、
渋谷にあるNHK本局のスタジオで収録したわけではない、
ということである。

担当の三輪祥子ディレクターは、
私が「謎のスタジオ」と呼ぶ、
この芝浦埠頭にある貸しスタジオが
大のお気に入りである。

コンクリートのぶちぬきのような
不愛想な造りをしているのに、
外からの自然光がガラスの壁を通して
ダイレクトに入ってくるからであろうか。

光が、美しい。

昨年の放送も、ここで撮った。

カメラさんは、時刻と陽の高さを計算しているようである。

イメージ 2

カメラさんは、

「こういうふうに光を当てると、
 女性はきれいに撮れるんだよ」

とレクチャーしながら、
三輪ディレクターを映して見せてくれた。

私もモニターをのぞきこむ。

イメージ 4

おお! なるほど。

私が「NHK文化福祉局のマドンナ」と呼ぶ三輪さんは、
こうしてみると、
まるで、よく柔軟剤入り洗剤のCMに出てくる
女優さんのように見えるではないか。

すっかり
「きれいに撮る」
のブームとなり、
つぎに私の静止画カメラで
三輪さんと、アシスタントに入った乾ディレクターを撮った。

イメージ 3

かわいい、かわいい。

こうして見ると、二人とも
まるでAKBか乃木坂ぐらいのアイドルに見えるでしょ。

とても〇十代には見えないんじゃ…。

……。
……。

さて、こんなことばかりやっていると、
太陽が傾いてしまい、
せっかく自然光が入るスタジオを確保した
意味がなくなってしまうので、
あわてて私の本番に入ることになった。

すると、そこで三輪ディレクターが
ハタと気がついて指摘する。

あっ、ぼそっとさん。
 鼻毛、切ってこなかったでしょ!

しまった。

メイクさんは入らないので、
そういうことは出演者が
自分で世話を見なくてはならないのである。

朝、部屋を出てくるときは、
暑くて、うつで、動けなくて、
家から出てくるのがやっとだったために、
鼻毛なんぞという細部まで神経が回らなかったのだ。

「なにか鼻毛を切るものはないか」
ということで、
たちまちスタッフさんたちの小道具の中から、
2つのハサミと1つのカッターナイフが貸し与えられた。

「これで鼻毛を切れ!」
というわけである。


イメージ 5

しかし、上のようなハサミが入るほど、
私の鼻の穴はデカくないし、
カッターナイフで鼻の内部を
カリカリと引っ掻いて刈り取ろうとしても、
肝心な鼻毛は切れないうちに、
顔の中央部が血で真っ赤になっていきそうな予感がした。

血みどろの顔で「ハートネットTV」に出るわけにいかない。

まだ、時代劇だったら、
「斬られ役」
ということで血みどろの顔もサマになるが、
文化福祉番組でそうはいかないのである。

下のハサミも、
私の鼻の穴に突っこむには、
まだデカすぎたのだが、
これしかなさそうだった。

「えいっ!」

と、なんとか我慢をしてハサミを突っこみ、
悪戦苦闘の末、くだんの鼻毛一本を始末した。

そして、
消毒アルコールで刃先を拭って、彼らに返した。

「はい、ハサミとカッターナイフをお返しします。

 刃先はぜんぶアルコールで消毒しておきました」

というと、三輪さんもスタッフさんたちもいっせいに

「ああ、よかったー!」

と心から安堵の大声をあげたので、
私としては何となく微妙な気持ちになった。

「そこまで汚いもの扱いしなくてもいいじゃんか」

とでもいうような気持ちである。

しかし、
たしかに他人の鼻の穴につっこまれたハサミを
そのまま返されるのは、
誰だって気持ちの良いものではないだろう。

やはり、携帯用の消毒アルコールのスプレイは、
こういう時のために持っておくべきだと思った。

このようなあれこれを経て撮影された映像から、
今夜放送の「ハートネットTV」は始まる。

ご興味ある方は、ぜひごらんください。


イメージ 6




・・・「やっぱり今日もひきこもる私(143)」へつづく

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やっぱり今日もひきこもる私(140)」からのつづき・・・
内容的には
やっぱり今日もひきこもる私(139)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多


can*****さんの評論、

「ひきこもりは飽食時代の怠け者なのか」

をご紹介したところ、大きな反響をいただいた。

これは、日本のひきこもりをめぐる論議のなかで、
中心的な位置を占める骨太の論点といってよいだろう。

私は、かねがね異なる角度から、

「ひきこもりは経済的剰余の産物である」

とする考え方に疑問を唱えてきた。

「自分は、高度成長以後の
モノがありあまる時代の日本に生まれたから
ひきこもりになったのだろうか?」

そうした疑問は、ひきこもり始めたばかりの
20代の私にも強くあった。

だからこそ、
「そとこもり」の目的地として、
あるいは「死地」として、
貧困にあえぐ暗黒大陸とされていた
アフリカをめざしたのである。

また、今もなお貧困国と呼ばれている国にも
日本のひきこもりと寸分違わぬひきこもりが存在することを
実証的に示したくて、
フィリピンのひきこもりCJ(*2)や、
バングラデッシュのひきこもりイッポ(*3)のインタビューを
掲載させていただいたこともある。





たしかに、富裕な時代の副産物と見なされてしまうような
いわゆる「道楽息子」型のひきこもりもたくさんいる。

私自身、そういうタイプの
金持ちで働かないひきこもりたちに
多く出くわす。

だから、一般市民の方々が彼らを見て、

「ひきこもりは飽食時代の怠け者」

という結論を下したくなってしまう気持ちはよくわかるのである。

しかし、いつも申し上げるように、

「ひきこもりは一つとして同じ事例がない」

というほど千差万別である。

そのような「道楽息子」型のひきこもりは、
ひきこもり当事者層のごく一部にしかすぎない。

したがって、「道楽息子」型のひきこもりを持って、

「ひきこもりとは飽食時代の怠け者である」

と一般化して結論を下してしまうことはできないのである。

また、練馬事件で殺されてしまったひきこもりの息子のように
「道楽息子」に見えるひきこもりであっても、
その道楽ぶりが、
「飽食時代の怠け」のための結果であったのか、
それとも、そうならざるをえない環境があり、
それ以外に彼自身の存在を
この世界に示す手立てが与えられていなかったゆえの結果なのか、
といった考察も別途、必要になることだろう。

そのように、

「ひきこもりは飽食時代の怠け者か」

という問いは、ほとんど古典的というべきほどに
ひきこもり界隈には古くから存在する。

can*****さんの今回の評論は、
その問題に真っ向から切り込んだ力作であったといえよう。

以下に、寄せられたコメントを採録する。

Reimei34 :
「ぼくは、働きたいとは思わない。ことば通りまことに簡単である。仕事というものがぼくには信用できないし、きらいである。仕事などというものは、人間がまちがって発明した、たいへん悪いことだとぼくは思っている。」
(アガサ・クリスティー『終りなき夜に生まれつく』より)


作中でこの言葉を発した人物の背景はともかくとして
(それはそれで意味深なのですが)、
このくらい明快に
「労働=善」
「労働こそは人間が人間であるための必須条件」
という図式や、
そこから派生する
「労働しない者=悪
→多数派がいかようにでも残酷なリンチにかけてよいスケープゴートである」
という捻れた風潮に突き付ける言語が出てこないものかと、
引きこもり当事者としてずっと思っていました。

私自身、働くということにどうしても馴染めませんでした。

仕事はそれなりにこなせても、
虚しさと苦痛が日々一刻一刻付きまとって離れず、
その苦痛にエネルギーを奪われてしまうのです。

多分、仕事というものにまつわる
様々な「ねばならぬ」感に圧倒されてもいたのでしょう。

ACである私には、単に「生きるだけ」でもう、
「ねばならぬ」は重量オーバーなのです。


[ Reimei34 ] 2019/8/15(木) 午前 8:56 

 
hik***** :
can*****さま
ぼそっとさま

私自身、様々経緯はありつつ、就労でも挫折しています。

うさぎと亀の件や、「現場恐怖症」という言葉、
"たとえ一念発起して出社してみても、
人に対する緊張を隠しきれず身体がギクシャクし、
前日の予期不安による不眠も相まって、
仕事には集中できないでしょう。"
"働くことは餓死に匹敵するくらい恐い"
と言った表現、正に私を代弁してくださっているようでした。 

[ hik***** ] 2019/8/15(木) 午後 1:52 

 
aon*_*85 :
can*****さんの文章を拝見して、
いろいろと考えさせられました。

「餓死まで追い込めば働き出す」
という指摘は、ある意味
大部分の人には当てはまるでしょう。

優秀なスパイも隠れキリシタンも、
肉体的拷問の前には「転ぶ」のが圧倒的多数なのは事実だと思います。
ただ、それでも転ばない人も一部にいるのですが。

しかし、そこまで追い込んで働いても、
生きる意味や自分の価値は見いだせないでしょう。

「現場」で感じる嫌な思いですが、
自分の場合はその「嫌な思い」をしたくないから、
努力をしていたりします。

それは前向きな努力というより、
神経症的な努力なのでしょう。

その嫌な思いの原因を辿ると、
それは自分の中の癒えぬ傷をえぐることにつながるように思います。
その傷とは何かと考えると、
自分で自分に失望していることのように思います。

ひきこもりなどになる大元の原因は、
本人にはないと思います。
しかし、いつまでたってもその原因に向き合うことを避け、
逃げ続けている自分に失望しているのではないでしょうか。  

ここに書くことは
正に自分のことなのです心が痛むのですが、
本当は臆病で卑怯でずる賢い自分が、
そんな自分を認めたくなくて、
必死にそうではない自分を演じていたりします。

だから自分に失望するのでしょう。

以前の上司が私は大嫌いだったのですが、
彼は技術に詳しく弁の立つ人でした。
実は私によく似ていたのでしょう。

自分が毛嫌いする人は、
案外自分に似ている人かもしれない。

そんな認めたくない事実を認めない限り、
本当の自分の人生は生きられないのかもしれません。  


[ aon*_*85 ] 2019/8/16(金) 午前 0:47 






・・・「やっぱり今日もひきこもる私(142)」へつづく

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外国のうつ・ひきこもり事情(133)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多


スウェーデンからやってきた女性ジャーナリスト、
ヴィクトリア・マクムードフと私の出会いは最悪だった。

本ブログでも書かせていただいているように、
さまざまな海外メディアからひきポスに
毎週のようにコンタクトがあり、
ひきポスでは私が海外担当となっているので、
ご用件をうけたまわっている。

しかし、あまり「わかっていない」メディアがつづくと、
こちらも応対していて腹が立ってくるのである。

日本のひきこもり事情に無知な海外のメディア人は、
たいていこういうパターンでやってくる。

今年3月に、日本政府はひきこもりに関する実態調査を発表した。それによると、日本ではひきこもりが増えているという。

いったいその原因は何か。
日本社会のどのような側面がひきこもりを生み出しているのか。

それを訊きたいので、インタビューさせてほしい。

また、ガチでひきこもっている人と
その部屋の写真を撮りたいので、
誰かガチこもりを紹介してほしい。


ここまで重症であると、
こちらに余裕がないときは、
いったいどこから話をしてよいかわからない。

まあ、最初の一人や二人のときは、
ひきこもり学のABCから教えてさしあげるつもりで、
彼らの持っている誤った知識を
ひとつひとつ正していってあげるのだが、
来る人、来る人がみんな重症では、
こちらも毎回同じことを説明して疲れてしまう。

そこで私はひきポスの英語版に、

Are Hikikomori Really Increasing in Japan Recently?   
― Getting Back to the Origin of the Problem ―

という記事を書かせていただいた。(*1)


まさしく「書きなぐった」といった感じの記事である。

ひきポスにコンタクトしてくる海外のメディアは、
とりあえずこれを読んでから来てほしい、
といつでも示せるようにしておくため書いたのである。

のちに、日本の読者の方々も
参考までに読みたいとおっしゃるので、
日本語版を作っておいた。(*2)

*2.ひきこもりはほんとうに最近の日本で急増しているのか 
― 問題の原点に立ち返る ー


「ひきこもりがいるのは、日本だけではありませんよ」

「そもそも最近になってひきこもりが増加しているとは
何をもって、そう判断しているのですか」

「ガチこもりが、知らない外国人のメディア人を
いきなり自分の部屋に入れて写真を撮らせるわけありません。
だからガチこもりというのです」

といった基本的なことをいちおう書いたものである。

スウェーデンの通信社から連絡してきたヴィクトリアも、
初めはそんな一人であった。

日本では最近ひきこもりが急増していると聞きます。
 そのことについて取材するために、
 もうすぐ日本へ行きます。
 よろしくご対応ください。
 また、ガチこもりの写真を撮りたいので紹介してください」

そんな感じのコンタクトであった。

またか。
 ふさけるな!

と思った。

しかし、まさか「ふざけるな」とは書けないので、

「海外のメディアの方は、
 日本のひきこもり状況について
 あまりご存じでない場合が往々にしてあります。
 なので、まずはこれを読んでからご来日ください」

といって、くだんの記事のリンクを返しておいた。

ところが、すでに日本に来ているはずの日になっても、
ヴィクトリアはいっこうにそれを読んでいる気配がない。

あちこちの日本の都市を転々としながらなので、
 まだ記事は読んでいません」

と返事がきた。

ふざけるな。
知るか。

そっちはプロのジャーナリストだろう。

出張先の都市を転々としながらであっても、
弾丸とびかう戦地を転々としながらであっても、
インタビュイーが与えた資料は読んでくるのが
プロってものじゃあ、ないのかい。

ちょうど私も、他のメディアの取材が集中し、
忙しくなり、余裕をなくしていた時期である。

そこで、こう返事してやった。

「読んでこられない場合、
 たとえ当日であっても
 インタビューをお断りする場合があります」

すると、こんな泣き言をいってきた。

「パソコンが壊れてて、スマホしかないので、
 すいすいとウェブサイトの閲覧ができないんです」

知るか。

そんなもの、ホテルにパソコンを借りるとか、
経費で新しいパソコンを買うとか、
なんとかできないのか。

だいたい、あなたが出張しているのは日本だよ。
アマゾンやアフリカの奥地ではないんだ。

いったい何考えてるんだ。

……そこまで考えて、ふと私は、

「このヴィクトリアって女性はいくつだろう」

と思った。

いままで私は、
はるばる東洋の国まで取材にやってくるのだから、
さぞかし30代以降の
脂の乗ったベテラン女性ジャーナリストだとばかり思っていた。

しかし、考えてみれば、根拠は何もない。

これまでのやりとりから
ヴィクトリアの年齢がわかる記述は一つもなかった。

もしかしたら、まだジャーナリストになってまもない、
経験の浅い新人なのかもしれない。

となると、私には、
かよわい若い女の子をイジめる趣味はないのである。

ヴィクトリアが、
まだ仕事に不慣れな若い女の子である可能性が
頭の中にちらついてくると、
どういうわけだか、私の彼女への返信の文体が、
とたんに変わってきた。

「あのね、日本のホテルでは、
フロントでパソコンを貸してもらえるところもあるよ。
一度、聞いてみるといいんじゃないかなー。

いずれにしても、会う前に読んできてくれると嬉しいんだけど」

すると、ヴィクトリアは蚊の鳴くような声で、

「ハイ、そうします…」

と返事したような気がした。

「気がした」というのは、
メールでやりとりしているから、
実際の声は聞こえてこないのである。

でも、やりとりから、
そんな感じで彼女が返事を送信したと感じられた。







会ってみて、やはりそういうことだったとわかった。

彼女はまだ24歳になったばかり。
ジャーナリストになってまだ1年足らずの新人であった。
海外出張も、これが初めてだという。

それはそうだろう。

「よく、初めての海外出張で日本などという遠い国を選んだね」

というと、

「地理的に遠くても、
社会的にスウェーデンと変わらない国のほうが
何かと困らないと思ったんです」

なるほど、わからないこともない。
今や日本は、経済的には一流国ではなくなってしまったが、
先進国ならではの安心、ということがあるだろう。

マクムードフという彼女の姓は、
スウェーデン人というよりもスラブ系を想わせた。

スウェーデン系は圧倒的に「……ソン」で終わる姓が多い。

「ご出身はロシアですか?」

と聞くと、

「いいえ、一族はクリミアからスウェーデンに移住しました」

ときっぱり答えた。

いけない、いけない。

どうも私の世代の日本人は、
クリミアやウクライナやベラルーシといった土地は、
「旧ソ連の一部」という頭があり、
ソ連の土地はほとんどロシアが引き継いだから、
それらの国々も未だにロシアの一部のような錯覚がある。

しかし、それらの国々の人にとっては
これはとんでもないことなのである。

とくにクリミア紛争が起こったときには、
クリミア・ウクライナ・ロシアは
互いに三つ巴の敵国のような様相を呈し、
凄惨な殺し合いを演じた。

結果としてクリミア共和国はウクライナの支配を離れ、
ロシア連邦の構成主体の一つとなったが、
彼女がきっぱりと

「わたしはロシア人ではなくクリミア人です」

と語るのは道理なのである。

ロシア人とは格別したアイデンティティを持つ。

また、クリミアというと、
私のようなエロ男は、
あの美しすぎる検事総長ナタリア・ポクロンスカヤの国、
というイメージがある。


「クリミア 検事総長 かわいい」の画像検索結果

そういう目で見ると、
なるほどヴィクトリアも透き通るような白い肌をしている。

彼女の父は、私と同じ齢だという。
旧ソ連領クリミアから家族を連れて、
慣れない「西側の国」スウェーデンへ移住したらしい。

なにやら話を聞いていると
ヴィクトリアが日本のひきこもりである私の話を書くよりも、
私が彼女の話を聴き、
彼女の一族が紛争の地クリミアからスウェーデンに渡った
苦難の物語を一篇の記事に仕立てた方が
はるかに良いような気がしてきた。

ヨーロッパ社会では下層階級になりがちな
移民の家族から這い上がって
大手通信社のジャーナリストになろうとがんばっている
クリミアの娘ヴィクトリアがけなげに思えてきて、
彼女がジャーナリストとして
私の記事を予習してこなかったことなど
もうどうでも良くなってきたのである。

どうも、私は女性記者に甘いようである。

そして、私の「シチリアの娘」マリアテレサも
実の父親が私と同じ齢であることを思い出した。

私は日本のひきこもりの現状を、
ヴィクトリアには特別に、面倒をものともせず、
一からていねいに手取り足取り教えてあげた。

といっても、
実際に、手にさわったり、足にさわったり、
したわけではない…。

それで、結果的には良い雰囲気になってインタビューを終え、
彼女は「Bye, Bye!」と手を振って
スウェーデンに帰っていったのであった。

イメージ 1




・・・「外国のうつ・ひきこもり事情(135)」へつづく

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やっぱり今日もひきこもる私(139)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多


本日13時より、千葉市で講演させていただく。

演題は
当事者から見たひきこもり親子のコミュニケーション不全」。

お問い合わせは、千葉県菜の花会まで。


イメージ 1
by acworks

千葉市は、私にとって不思議なご縁の街である。

本ブログにも書いているとおり、
私は千葉県民だった時代が長い。

2歳から小学校1年生まで千葉県柏市。
小学校1年から4年生まで千葉県松戸市で育った。

年数にしてみると合計8年に満たなくて、
その後あちこちの町に住んだ年数より
客観的には短いわけであるが、
大事なことは、
幼少期における時間と、
大人になってからの時間は、
流れるスピードがちがう
ということである。

そのため、実感では、
千葉県に40年ぐらい住んでいたように
大人になった私は感じるときがある。

私の「子ども時代」は、ほぼ千葉県にあった。

今も音信不通の原家族が住み、
私自身も2歳まで育った横浜という土地があるため、
けっして千葉県は故郷(ふるさと)ではないが、
さまざまな原風景が私にとって千葉県にある。

にもかかわらず、
その県庁所在地である千葉市には行ったことがないのである。

私が住んでいた柏市も松戸市も、
千葉県の西の端、どちらかというと
東京都の延長のような所にある。

千葉市へ行くよりも、東京に出た方が早い。
なので、県庁所在地へ行く用事がないのである。

小学校4年生のときに、
社会の授業で県議会議事堂の見学というのがあり、
松戸の小学校から千葉市へ行ったような気もするが、
電車ではなくバスで行ったので、
またしてもその実感がない。

なにやらバスの座席に揺られているあいだに、

「ハイ、ここが県議会議事堂です。」

と降ろされ、
まったく内容も憶えていない退屈な講釈を聴き、
そのままバスで松戸市の小学校へ帰ってくるような
半日ぐらいの旅だった。

「千葉へ行った」

という記憶になっていないのである。

なので、少年の私は長らく

「ぼくの住んでいる県の都はどんなところなのだろう。
 一度、自分で電車に乗って行ってみたい」

と思っていた。

ところが、とうとう千葉へ足を踏み入れる機会もなく、
小学校5年生のときに千葉県を離れた。

あとはもう、行く機会がない。

「そとこもり」の過程で、
アフリカ大陸の最南端、喜望峰にも行ったし、
ヨーロッパ大陸を北上し、北極圏にも行った。

しかし、少年の自分が住んでいた
目と鼻の先にある県庁所在地には
訪れる機会が皆無であったのである。

観光地である千葉県マザー牧場などは
精神科患者村のバスツアーで行くことがあったが、
もちろん途中の千葉市では降りない。

そのため千葉市は、私にとって
ずっと頭に思い描いて、足を踏み入れることのない、
限りなく身近で、限りなく遠い街にとどまっていた。

それがこの齢になって、
一人の「ひきこもり」として講演にお招きいただき、
眷恋(けんれん)の地に足を踏み入れることになろうとは。




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支援者だった私(13)片隅の彼<8>」からのつづき・・・
by 鈴木良太



「よくニートなんて言葉が使われることがあるけど、
ひきこもりと、そのニートとは
ちょっとニュアンスが違うのかな?」

「ワッ、ワタクシの個人的な見解でいいですか?」

「何でもいいよ」

私がそう言うと、なぜか宮内君は
また急に小さくなってオドオドし出した。

私の言い方がまずかったのだろうか。
それで私は取り敢えず、
「もちろん、それで構わないよ」
と言い直した。
「あなたの見解を聞きたいのだから」

 宮内君がまたオドオドしながら言った。
「あっ、はっ、はい……
そもそもニートと言うのは
イギリスから導入された概念でありまして……
ニートの語源はご存じだと思いますが……
Not in Employment Education or Trainingの略語です」

「それは聞いたことがある。
ところで、よく学生さんとかで、バイトしていない時に、
『俺、今ニートなんだ』
とかいう人がいるけど、それとも全然違うんだ?」

「ちっ、違います」
と宮内君は言った。
「ぜっ、全然、違います」

珍しく彼にしては声に力が籠っていた。
彼はちょっとムキにさえなっているようだった。

これから先、彼との付き合いは何年も続いていく訳だが、
彼がこういう風に感情を露にするのは、
後で述べる唯一の例外を除いて滅多にあることではなかった。
今思えば貴重な瞬間だったかも知れない。

「なっ、なぜ我が国で、
そのニートという概念が導入されたのかと言いますと、
総務省の調査によると、
二〇〇〇年代の半ばに
いわゆる団塊の世代の方々が一斉に退職するのを踏まえて、
日本の労働人口が戦後初めて減少するのです。

そっ、それもただ減少するのならいいのですが、
将来的に働き、仕事をし、税金を納めるべき、
わっ、若い世代の中に、仕事に就けない人たちが
相当数いるということも分かったのです。

もっ、もともと、ニートとひきこもりは全然違う概念でした。
そっ、そもそも、全国的にひきこもりが注目され始めたのは、
ごっ、ご存じかどうか知りませんが、
二〇〇〇年に起きた
新潟女児監禁事件と西鉄高速バスジャック事件が切っ掛けでした。

ぜっ、前者に関しては、
犯人の男は三十代後半にも拘わらず、
もう十数年以上もの間、
仕事はおろか、一切の生産活動から遠ざかり、
親の年金で食べていたような状態でした。

こっ、後者に関しては、ふっ、不登校で、
せっ、精神的に問題があって、
入退院を繰り返していました。

それで最初、世間では、とっ、特にマスコミなのですが、
実は、そういうような状態にある人たちがそれほど珍しくはなく、
百万人ぐらいいるとか言われるようになりました。

そっ、そして、当初ひきこもりは
先に申し上げた二つの事件のように
極めてネガティブな形で注目されてしまいましたので、
はっ、犯罪者予備軍のような捉え方をされてしまいました……」

さっきまで
少し感情的になっていたようにも見えた宮内君だったが、
いつの間にか彼は例のごとくオドオドしていた。
が、彼はオドオドしながらも続けた。

「が、そうした中でも、
以前からそうした問題に取り組んでいた精神科医の方や、
大学で社会学を教えている先生から、
はっ、反論がありました。

ひっ、ひきこもりとは決して犯罪者予備軍などではなく、
若者の心の問題、コミュニケーションの問題として
取り上げられるようになったのです……

でっ、ですが、若い人の、心の問題や
コミュニケーションの問題という課題が浮上しても、
国は何も手を付けませんでした。

そっ、それで、若者の心の問題、
コミュニケーションの問題を、
あっ、あるいは、病的な問題を、
ニートという概念で、
労働問題にすり替えてしまったのです。

こっ、厚生労働省を中心に、
そうした若者を救うために、
若者自立塾というものが全国に設立されましたが、
でも、それは単に働く能力がない若者を仕事に就けさせるため、
スキルを習得させることに
重点が置かれているのに過ぎなかったため、
上手くいきませんでした。

たっ、確かにひきこもりの人の中には
仕事に就く上でのスキルアップが必要な場合が少なくありません。

でっ、でも、より本質的には、
スッ、スキルの問題ではないのです。

やはりあくまで心の問題、
コミュニケーションの問題なのです。

ニートというのが利権となって、
こっ、この南国若者支援センターも……
ワッ、ワタクシもよくは知らないのですが、
様々な補助金や助成金が付いた時期もあったみたいです。

でっ、ですが、どこも、どの団体も、
やはり上手くはできませんでした。

第一、合宿型の自立塾などを始めても、
人が集まらなかったのです。
なっ、なぜかというと、極端に言えば、
ひきこもりではなく、ニートという人なんか存在しないのです」

恐らく彼がその当事者だからなのだろう。
彼はオドオドしながらも、
最後の方は熱く語った。

生来吃音があるのか、
それとも長い間、不登校を経験してきただけに、
人と話すことに慣れていないのか、
例のごとく、宮内君の言葉は、
つっかえつっかえで聞き取りにくかったが、
私は大いに感心して、「へえ……」と言った。

伯母の言うことは間違っていなかった。
自分の得意分野に関しては、
彼はそれなりに能弁に話すことができるのだ。

宮内君は更に続けた。

「みっ、民主党が政権を担っていた時代、じっ、事業仕訳で、
そっ、その若者自立塾は廃止に追い込まれました。
はっ、働けない若者たちの問題は、
しゃっ、社会と関わることのできない若者たちの問題は、
はっ、白紙に戻されました。

都も、ワッ、ワタクシが先ほど申し上げました実態調査を
下に始めた委託事業を一端中止し……
コッ、コンパスというのですが……
ひっ、ひきこもりに関しては再調査、再研究を始めたところです。

ひっ、ひきこもりを取り巻く世界は
今また大混乱に陥っているといってもいいでしょう」

「例の自助グループの話知っているでしょ?
 今度の十月に立ち上がる奴」

「ぞっ、存じております」
宮内君はオドオドしながらそう言った。

「そういう話を聞くと、ちょっと心配になってくるな。
俺みたいな素人が関わってもいいのかな?」

「そっ、それは、
ワッ、ワタクシの口からは何とも申し上げられませんが……」

宮内君はまたオドオドしながらそう言った。

「でも、さっきの宮内君の話の中で
一つ疑問に思ったことがあったのだけど、何だっけ? 
どこかの精神保健福祉センターが
二百人ぐらいのひきこもりの人たちを調査したところ、
一人を除いて、ほかは綺麗に三分の一ずつ、
発達障害や統合失調症や人格障害に分類されたということだけど、

じゃあ、例えば
この南国若者支援センターに通っている人たちはどうなの? 
もしその調査の結果が正しければ、
彼らも何らかの病理や障害を
抱えている可能性があるってことだよね。

確かに彼らと実際に話してみて、
実年齢よりも幼いなと思ったりすることはある。
でも、精神的な疾患があるようには思えないけど、
その辺はどうなの?」

宮内君は言った。

「たっ、例えば最近足繁く居場所に顔を出して下さっている
橋本さんという方がいますよね」
「うん」
「あっ、あの方は統合失調症です」
「え? そうなの?」

 そして、宮内君は誰も聞いていないのに、
「とっ、統合失調症は、大体、思春期以降に発症することが多くて、
自分の考えが誰かに筒抜けになっているとか、
自分は誰かに操られると思い込んだり、
幻聴や妄想が起きて、一人で喋っていたり、
またそういうことで、たっ、絶えず不安に駆られて、
誰かに、特に家族に暴力を振るったりすることもあります。

でっ、ですが、とっ、統合失調症は多くの場合、
脳内のドーパミン系のニューロンという物質の過活動によって、
幻覚や妄想が起きたりするのですが、
今はそれを押さえるいい向精神薬も開発されていますから、
薬物療法だけでも
ある程度のところまでは快復させることができるのです」
と蘊蓄を垂れた。

「そうなんだ。あの橋本さんが。全然知らなかった」

「いっ、今はだいぶ落ち着いてこられているようですが、
いっ、一時期は本当に酷かったらしいですよ。
とっ、盗聴器が仕掛けられていると思い込んで、
家中めちゃくちゃにして捜し回ったり、
古館一郎さんや黒柳徹子さん、
池上彰さんやマツコ・デラックスさんに、
いっ、いつもご自分のお考えをテレビで先に言ってしまう
ということを理由に、
テッ、テレビ界を代表して
自分のところに謝罪しにくるよう家族に強要したり……
そっ、それも症状が悪い時には金属バットを持って、
家の近くの公園まで、
家から逃げ出した母親を追い回したこともあったそうですから」

「今はあんなに穏やかな人なのに、信じられないな。
でも、その橋本さんはそれから一体、どうやって回復したのだろう?」
「いっ、医療の力が大きかったと思います」
「いい先生に出会えたのかな」
「そっ、その辺はよく分かりません。
たっ、ただ、医療機関に繋がるまでが大変でした。
ひっ、ひきこもりの人たちもそうですが、
とっ、統合失調症の方々も、
多くの場合地域や親族や情報からさえも孤立している場合が多いのです。

ごっ、ご家族にしてもご本人にしても、
まさか自分がそうした病気に罹患するなどと思ってはいないでしょうし」

「大変なんだね。
それで橋本さんはどうやって医療の現場と繋がれたの? 
暴力沙汰起こして警察に逮捕され、
強制的に精神病院に入院させられたとか?」

「いっ、いえ」
「じゃあ、どうして?」
「あっ、ある講演会で先生が橋本さんのお母様と出会い、
家庭訪問をされたのです」
「先生?」
「くっ、工藤さんの伯父様のことです」
「ああ……」
「さっ、最初は本当に大変だったみたいですよ。
ワッ、ワタクシも直接先生からお話を伺った訳ではありませんが。
その頃の橋本さんは世界中の人間が自分を監視し、
今日にでも明日にでも自衛隊が攻め込んでくる
と思い込んでいたらしいですから。
リッ、リビングを占拠してバリケードを作っていたそうです。
そっ、そこに突然先生が現れたものですから、
最初は敵のスパイ呼ばわりされ、
それから暫くの間、それまで以上に家の中が荒れたらしいです」

「それをあれはどうやって
橋本さんが病気を受け容れられるようにしたのだろう?」

「さっ、さあ……くっ、詳しいことはワタクシも分かりません。
たっ、ただ先生と出会ったことで、
橋本さんは段々自分の病気を受け容れられるようになって、
自分から医療の門を叩くことができるようになりました。
でっ、でも、その詳しい経緯については、
さっ、先ほども言いましたが、
ワッ、ワタクシにも分かりません。

でっ、ですが、多分先生は先生にしかできないやり方で
橋本さんをお救いになられたのではないでしょうか?」

「ふうん」と私は漏らした。
「あれはあれで相変わらず頑張っているんだね」

私がそう言うと、宮内君は少し嬉しそうな顔をした。
だが、私と目が合うと、
彼はなぜかそれを見咎められたかのように、
例のごとくオドオドした。





※ 編集者註

文中、「ニート」の解釈は、
筆者、鈴木良太氏個人のものであり、
VOSOT(チームぼそっと)としての見解ではない。




・・・「支援者だった私(15)片隅の彼<10>」へつづく

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