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VOSOT ぼそっとプロジェクト
ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

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治療者と患者(314)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

齊藤學(*1)

「誰にも必要とされていない男性には

 自殺をお勧めする」(*2)


*1. 斎藤學(さいとう・さとる)
精神科医。1941年東京都生まれ。1967年慶應義塾大学医学部卒。同大助手、フランス政府給費留学生、国立療養所久里浜病院精神科医長、東京都精神医学総合研究所副参事研究員(社会病理研究部門主任)などを経て、1995年9月より、家族機能研究所代表。1990年代に「アダルトチルドレン」の概念を米国より日本に導入し脚光を浴びる。
医療法人社団學風会さいとうクリニック理事長。日本嗜癖行動学会理事長。同学会誌「アディクションと家族」編集主幹。JUST(日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン)理事長。
著書に、『児童虐待』(金剛出版)、『家族依存症』(新潮文庫)、『「自分のために生きていける」ということ』(大和書房)、『「家族」という名の孤独』(講談社)『封印された叫び』(講談社)、『家族の闇をさぐる』(小学館)他多数。

*2. NPO法人JUST発行「JUST通信」100号
2019年5月8日 発行 p.8


これは、私の主治医であった精神科医、
齊藤學(さいとう・さとる)の言葉である。

もしこれが、齊藤學を批判する立場からの記述ならば、
読者のみなさんはこう思うかもしれない。

「嘘だろう。
 いくら何でも、
 精神科医たる者が、
 患者に対していう言葉ではないだろう。

 それは、それを書いた者の被害妄想じゃないの?」

と。

しかし、これは、
齊藤學という治療者に対して
忠実な下僕のようになっている患者の側の記述である。

したがって、この記述の信憑性は十分すぎるほどある。

被害妄想の類いではない。
嘘やフェイクニュースの類いでもない。

だが、これを聞いて、私はなんら驚かない。

じつは、私も齊藤學の医療機関に足しげく通っていたころ、
これに類する言葉をいつも聞かされていた。

本ブログにも掲載したことのある、
私自身が聞いた言葉はこうであった。

「体内受精をすれば、
 子どもを作ることは、女性だけでもできる。

 男性は、ほんらい要らない性。

 だから、男どもはみんな生ゴミとして袋に詰めて
 燃やしちまおうか」

齊藤學が、そういって女性患者たちの笑いを取っていたのは、
2002年のNPO法人JUSTの年次フォーラムの壇上であった。

すっかり自分が古参の患者だと思いこんでいる、
流全次郎などが阿坐部村へやってくるよりも、
はるか以前のことである。

私は、精神科医のこの言葉を聞いたとき、
なぜか映画『ソフィーの選択』の一シーンを思い出したのである。

広く知られるように、『ソフィーの選択』とは、
メリル・ストリープ主演で、
アウシュビッツにおけるユダヤ人ホロコーストを
あつかった作品である。

ポーランドの平原に見える地平線。
そこから立ち上るひとすじの煙。
煙の立つ方角へ黙々と向かっていく列車。

煙は、人間を大量に焼く場所から立ち上っていた。
要らなくなった人間たちが
ゴミとして粗末に処分されていく。……

治療者、齊藤學の言葉を聞いて、
おそらくその共通点から、
私はその映画のシーンを無意識に回想したのだろう。

齊藤學がやっている治療共同体の中が、
著しい女尊男卑であり、
そこに長く通っていた私のような患者は、
すっかりその空気に影響されてしまい、
いまも後遺症が残る。

しかし、このことは、その治療共同体の外、
すなわち一般市民の皆さまには
おそらくほとんど理解されることがないだろう。

おりしも時代は
#Me Too旋風などといって、
これまで社会に虐げられていた女性たちが
声を挙げることの波に乗っている。

「そこでは、男尊女卑でなく女尊男卑である」

と指摘や告発をするだけで、
その指摘や告発をする者は、
フェミニストたちに弓を引く頑迷な性差別主義者
というレッテルを貼られかねない。

「そんな時代に、
『私の精神科は、女尊男卑です』だと?

いったい何をおかしなことを言ってるんだ。

やっぱり、精神科に通うくらいの人だから、
頭がおかしいんだよ、きっと……」

などと解釈されるのがオチである。

時代的なタイミングとしては、
まさにそういう不利を背負った指摘であり、告発である。






齊藤學が、

「誰にも必要とされない男性には自殺を勧める」

といい、
実際に自殺をしてきた男性患者はたくさんいる。

それは、その患者村で長年過ごしてきた者だから知っている。

しかし、患者が自殺すると、この治療者は、

「あの患者の死因は自殺だから、私の知ったことではない」

という態度を取って、逃げるのである。

たとえば、12.7会談(*3)において、
私が齊藤學に質問した
NPO法人JUSTの元事務局長の死の真相については、
彼はそのようにごまかした。

*3. 参照「治療者と患者(29)」
および「治療者と患者(194)」


そのくだりは、音声データにおさめられている。

死の前日まで、その患者の精神世界を把握し、
操作してきたはずの精神科医が、

「ああ、あの患者の場合は、
死因は自殺だったので、
私はなぜ死んだのか知りません」

などと、はたしてシャアシャアと言えるであろうか。

しかも、空間的にも同じビルの同じ階、
彼のすぐそばで
その前日あたりまで「勤務」していた患者である。

その患者が何を考え、何を悩んでいたか、
精神科医であり上司である齊藤學が知らなかったわけがない。

それをわざわざ知らなかったフリをするということは、
原因は齊藤學自身にあり、
斎藤がその男性患者を死に追いやった、
と考えるのが自然である。

ここで、冒頭の言葉に立ち返ってくる。

「誰にも必要とされていない男性には自殺をお勧めする」

これで、ようやくつながるのである。






じつは、その事件は、氷山のほんの一角である。

それに類する事件は、
その治療共同体で無数に起こってきた。

ところが、こうした事件は、
まったく社会的に問題になることがない。

なぜならば、まず第一に、
患者村の患者たちは、
「守秘義務」を課せられているからである。

ほんらい精神医療における「守秘義務」とは、
患者の利益を守るために設定された概念だが、
ここでは治療者の利益を守るために使われている。

第二に、自殺する患者は、
自分がなぜ自殺するかを
つぶさに書き残すことがないからである。

感情がエスカレートして、
その勢いで死んでしまうのだろう。
何かを言語化するには、
あるていど感情をコントロールする理性が必要である。

逆にいうと、
自分がなぜ自殺するか、つぶさに言葉にできるような患者は、
自殺をしないで済む。

言葉にすることによって、
感情のピークを乗り越えるからである。

たとえば私が、いまだに自殺していないのは、
時間をかけてでも、少しずつであっても、
齊藤學によって何をされたかを
言葉にできているからである。

いっぽうでは、こういうこともある。

たとえ、さいとうクリニックで過去に自殺していった
男性患者たちが、
何かを書き残していたとしても、
それが齊藤學の持つ治療者の権力のおよぶ範囲内であると、
もみ消されたり、
発表するにしても歪曲されたりしてきた。

JUST事務局には、私が書いたものがかなり蓄積されていたが、
齊藤學の指示をうけた春日局などの上級患者によって、
それらは抹消されてしまった。

そういうことが、
「薬をつかわない安全な精神医療、精神療法」
を看板にかかげて運営されている
治療共同体のなかで起こっている実態である。

そこで私は、
齊藤學が患者から症例にまつわる証言を誘導し、
さらにそれを歪曲していた事実に関して、
時間をかけて
春日局や押上たちにわからないように、
物的証拠をおさえていったわけである。






齊藤學の

「誰にも必要とされない男性には自殺を勧める」

という言葉は、
相模原事件の植松被告の主張にも通じる、
優生学的な発言と言ってよい。

しかし、
誰にも必要とされない者は、
生きていてはいけないのだろうか。

ひきこもって、この社会の片隅で、
誰にも必要とされずにひっそりと
男性が生きていてはいけないのだろうか。

生きているためには、
必ず誰かに必要とされなくてはならないのだろうか。



私は、ぜったいそれはちがうと思う。



ここで齊藤學が「女性」と言わず、

「誰にも必要とされない男性は、……」

といっている意味は、

「女性はまだしも出産し、人口の再生産に寄与できるから」

という理由に基づくものと考えられる。

だから齊藤學は、
「赤ちゃんの舟」などということをやっているのである。

これはすなわち、

「子どもを産まない女性は、
 男性と同じように無価値である」

という思考につながるものであり、
けっきょく
「私は女の味方だから」
と触れて回っている精神科医、齊藤學は、
「女性は子産み機械」だと2007年に発言した
柳沢元厚生労働大臣と同じ思想の持ち主だということがわかる。







「誰にも必要とされない男性には自殺を勧める」

精神療法家、齊藤學の一言には、
多くの角度から検討すべき課題が
凝縮して詰まっている。

齊藤學は、
彼のおこなってきた「精神療法」の実態を告発する私を、
弁護士をつかって圧力をかけている(*4)が、
今後とも私は、
彼の発言を考察していくつもりである。

*4.「治療者と患者(201)」





・・・「治療者と患者(316)」へつづく

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からのつづき・・・
by ぼそっと池井多


二人の教師にトイレへ連れこまれ…

マリコ 今でもときどき高校の教室の悪夢が出てきます。
高校はつまらなかったです。
担任の先生とのバトルもありました。

ぼそっと池井多 たとえば、どんなバトルですか。
思い出すのも、いやかもしれませんけど…

マリコ たとえば、髪の毛の色をめぐるバトルですね。
推定30代後半の女性だった担任の先生が、
かねがね私に「髪の毛を黒くしなさい」と言っていました。
私はその必要はないと思ったので従いませんでした。

やがて卒業という時に、その先生から、

「卒業式の日、
あなたが自分で髪の毛を黒くしないんだったら、
私がスプレーであなたの髪を黒く染めてやる」

という宣戦布告を受けました。

卒業式の日には、保護者がたくさん来校するから、
「生徒の髪の毛は黒」と決めたルールを守らせている、
というポーズを取らないと、
学校が困るからでしょう。

私立の学校はビジネスでやっているから、
評判が落ちると儲からないので、困るのだと思います。

それで、犯罪予告のとおり、卒業式の日に、
私は彼女に髪の毛を黒く染められました。
それまで私が彼女のいうことを聞いてこなかったから、
卒業前に私という生徒へのせめてもの復讐を図ったのでしょう。

まず私は彼女よりも圧倒的に背が高かったので、
彼女はもう一人同僚の先生を連れてきました。
私があばれたら、体格的にかなわない
と恐れたのでしょうね。

そして、二人にトイレへ連れ込まれました。

そこであばれても恥ずかしいと思ったので、
私はあばれませんでした。
私は何も間違ったことをしていないという信念があったし、
卒業証書はもうすぐもらえるので、
もうその教師たちの好きなようにさせておこうと思いました。

ただ、いちおうその二人には、
「あなたたち二人がやろうとしていることは人権侵害ですよ」
と告知をしました。

でも、彼女らはそれに対して「フッ」と笑うんですよね。

この人間以下の者たちには、
もう二度と会うことはないだろう、
と思いながら、スプレーさせておきました。
オランダではありえないことです。
虐待です。

日本のいけない所は、教育者や親が
「あなたのためを思ってやっているのよ」
といって、悪を行なう点です。

人権や人格をまったく無視してやっている。
でなければ、
私の髪の毛を黒くするということはありえない。
なのに、そういうことが日本では通らない。

「校則は校則だから」と言って。
「この学校は自由だけど、自由のなかにも規律はある」
などと言って。

何のためにルールがあるのでしょう。
ルールというのは、
人間が人間らしくみんな共存していけるように
あるものではないのでしょうか。

人権を侵害して押しつけているルールだったら、
それはルールの方を変えるべきなのです。


どうしても日本人になれない

ぼそっと池井多 マリコさんのそういうマインドは、
どこから来たのでしょう。

マリコ それは私がマイノリティだからじゃないですか。
小学生の時にがんばって完璧な日本人になろうとしたけど、
なれないんだもん。いくらがんばっても。

だから、これは
「完璧な日本人になろう」
というマインドがまちがっていたんだ、
と考えるようになったのです。

日本にいるとどうしても
日本のしきたりに従わなくてはならない。
でも、この世界には別の価値体系がある
ということを知っていたから、
「この国の価値体系に従わなくてもいい。
べつにここで生きていかなくてもいい」
と考えることができたのです。

私は、まったく日本での将来像が築けませんでした。
就職のときに、
ダっサいスーツを着て集団面接するなんて、
自分にはとうていできないと思ったのです。





・・・「貧困と人づきあい(92)マリコさんの場合<5>」へつづく

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支援者だった私(11)」からのつづき・・・
by 鈴木良太

私の自己紹介が終わると、
その場にいた全員が今度は拍手で応えてくれた。

私はまた胸の中で苦笑した。
が、だからと言って
、別に私がそこにいた青年たちに
悪い印象を抱いた訳ではなかった。

今度は彼らが一人一人順番に自己紹介をしてくれた。
自助グループのスタッフの自称元ひきこもりの人たちに比べて、
皆自分のことを割と率直に話してくれた。
それが何より好感を持てた。

面白かったのは、
まるで職歴を語るように、全員
「ひきこもり歴何年です」
とひきこもってきた期間を最初に話してくれることだった。

長い人では中学生の時からひきこもって、
もう三十代後半にもなっていた。

最後に自己紹介をしてくれたのが、
私が宮内君と見当を付けていた人だった。

彼は高校を中退してからひきこもりになり、
去年の夏に初めて南国若者支援センターにきたのだそうだ。
名前を橋本さんという。

ひきこもり歴は何と二十五年以上に及ぶ。
橋本さんは若く見えるが、
その実私よりも十歳以上年上だった。

彼らの自己紹介を聞き終えてから、
私はふと宮内君はどこにいるのだろうと思った。

私が宮内君だと見当を付けていた人は宮内君ではなかった。
結局その場に宮内君はいなかった。

今日宮内君はきていないのかと思ったその矢先に、
伯母が隣の部屋に向かって、
「宮内君、あなたもこっちにきなさいよ」
と言ったので愕いた。

まさか和室にいたあの青年が宮内君ということはあるまい。
私の視界に入らなかっただけで、
あの部屋にもう一人別の青年がいたのだろうか。

だが、伯母に呼び付けられて、
今にも雷を落とされんばかりにとオドオドと姿を現したのは、
やはりあの彼であった。

姿を見せると同時に、
彼はダイニングと洋室の境ぐらいのところに、
今度もまた小さく畏まって正座をした。

緊張している様子で膝の上で拳を固く握っている。
その手は汗でぐっしょりと濡れているのか、
彼はほんの十秒にも満たない間に、
その手を何度も結んだり開いたりする。

「覚えておいて。
彼がここの世話人の宮内君。
前にも言ったと思うけど、
彼は社会福祉士で、今は院で勉強をしているの。
分からないことがあったら何でも彼に聞いて」

伯母の言葉が終わらぬ内から、
宮内君は蒼くなったり、赤くなったりしながら、
その獅子舞のような顔を左右に何度も振った。
ちなみにこの日、彼が顔を上げたのはこれが最後のことだった。

「ね、宮内君」
伯母が念を押すように宮内君に言った。

だが、伯母のその言葉に
宮内君は項垂れていくばかりであった。

その宮内君の顔を、
更に追い詰めるかのように覗き込んだ後、
なぜか伯母は私を見てニヤリと笑った。
その意味が分からない。

宮内君は俯いたまま、
相変わらず膝の上に置いた二つの手を
開いたり、結んだりしている。

世の中にはその場にいるだけで、
辺りの空気を凍り付かせてしまうような人が時々いる。
その影を見せただけでも、
周りの人間を遠退けてしまう人がいる。

気の毒だが、宮内君はまさにそんな人だった。

ついさっきまで寛いだ顔をしていた青年たちが、
急に一目でそれと分かる偽物の微笑を口許に貼り付け、
周りの誰かに助けを求めるかのように
辺りに視線を泳がせている。

中には比喩ではなく
文字通り冷や汗を掻いているものさえいた。

気のせいか、彼らの視線は、
特に私に向けて切実に何かを訴え掛けてくるように思える。

私がこの伯母や、伯父の甥のせいだろうか。
現に橋本さんを始め、
伯母と宮内君を除くその場にいた全員と、
私の視線が交錯する回数が
さっきよりも確実に増している。

もしこうした空気を一変するのが
この南国若者支援センターの「サポーター」とやらの
役目なのなら嫌な役を仰せ付かったものだ。

だが、そう思って、伯母の顔に目を向けたその矢先に、
伯母は待ち兼ねていたように、またニヤリと笑い、
「それじゃあ、私、今日はそろそろこれで帰るわね。
後のことはよろしく」
と言って腰を上げた。

声を掛ける暇もなく、
伯母は大股にダイニングを横切り、事務所を後にした。

玄関のドアが閉まって、十秒ぐらいしてから、
私は心の中で、舌打ちした。
ふざけんなよ、
と胸の中で毒突いたが、もう遅い。

相変わらず宮内君は、
悪代官に召し出された罪人のように、
正座をして小さく畏まっている。

ほかの人たちが口許に貼り付けたような笑みを浮かべて、
固まっているのも同じであった。
さっきまでの和やかな雰囲気は
宮内君の登場で一挙に消え去っていた。
これだけ瞬時にその場の空気を凍り付かせてしまう人間も
探してもそう簡単に見付からないだろう。

やがて、一人がわざとらしく時計に目を向けて、
「僕、そろそろ帰らなくちゃ……」
と言った。
「五時に歯医者の予約が入っているんです」
と彼は誰も理由を聞いていないのに、
そう嘘臭いことを言って鞄を肩にした。

そして、彼はすぐさま玄関に赴くと、私に向かって、
「今日はありがとうございました。またきます。
それじゃあ、失礼します」
と慇懃な挨拶をして、瞬く間に事務所を後にした。

更にそれから三十秒もしない内に、また別の一人が
「あの、すいません……
実は昨日身内で不幸がありまして……
そろそろ行かないと……」
とこれまた嘘臭いことを言いながら、
帰り支度を始めた。

残りの人たちも何だかんだ
俄かには信じられない理由を付けて次々と帰っていく。
最後に残った橋本さんに至っては、
皆が帰ったから自分も帰ると、
まるで小学生のようなことを言い出す始末であった。

せめてもの救いは、
彼が玄関で私に頭を下げた時、
私に同意を求めるかのように
決まり悪く笑ったことぐらいだった。

その理由は言うまでもない。
彼もほかの皆と同じように
この宮内君を避けたかったのだろう。

が、そう思うと、
私にはますます宮内君が気の毒に思えてならなかった。
彼は相変わらず足を崩すこともなく、
まるで死刑宣告を言い渡される寸前の
被告人みたいに小さく構えている。

いつの間にか陽が大分傾いていた。

ベランダの向こうの雑居ビルの合間から
西日が指し込んでくる。

洋室のソファに凭れて、
私は暫くぼんやりと虚空に目を向けた。
壁の時計の秒針が時を刻む音が聞こえてくる。
宮内君は相変わらず下を向いたまま、
顔を上げる気配すらない。
私はもう一度、ベランダの向こうに目を向け、
部屋の中を見回した。

それから、宮内君に向かって、
「さて、誰もいなくなったことだし、我々も帰りますか?」
と言った。

宮内君は答えなかった。
「帰ろう、帰ろう。五時過ぎだよ。
もう誰もこないんでしょ?」
と私は言った。

だが、やはり宮内君は答えない。

「ちょっと早いけど、
せっかくこうして会えたのだから、
もしよかったら、飲みにでも行きませんか? 
あなたにはこれから色々教えて貰うことになるんだろうし、
是非ご馳走させて下さい」

私がそう言うと、
漸く宮内君は僅かながら反応らしきものを見せた。

肩を少し震わせた。
別に深い考えなどなかったが、
一度そう口にしてしまうと、
何だかこの青年と本当に飲みに行きたくなった。

「行こうよ、行こう。
若いのに世話人なんてやって色々苦労もあるでしょ。
俺も今度何だかよく訳の分からない自助グループの
スタッフをやることになったから、
色々話も聞いてみたいし。
それにたまにはパーッとやらないと」

両膝の上で拳を固く握りしめたまま、宮内君が漸く、
「いっ、いえ」
とオドオドと声を発した。

相変わらず顔を上げずに、
膝の先の一点を注視している。

「何で? 飲みは苦手? 
だったら美味しいものでも食べに行こうか? 
この辺詳しくないけど、
好きなものあったら何でも言ってよ。
寿司でも中華でもフランス料理でもイタリアンでも
何でもご馳走するよ」

宮内君は黙っている。

「行こうよ、行こう。
ついでにこの辺案内してよ。
いい店あったら、そこ入ろう」

「いっ、いえ」
と再び宮内君が下を向いたまま、
オドオドと口を開いた。

「ろっ、六時まで、
いっ、居場所の開設時間なので……
そっ、それにこれから、
ワッ、ワタクシは報告書を作成しなければならないので……
もっ、もし、よろしければ先にお帰り下さい」

ワタクシ? と私は思いながら、
「報告書? どこに出すの? 
NPOの監督官庁ってどこ? 
それとも、補助金出してくれる財団に?」
と彼に訊ねた。

「いっ、いえ。
そっ、それは、せっ、先生がやってくれます。
ワッ、ワタクシが報告書を出さなくてはいけないのは、
せっ、先生に対してです」
と宮内君はオドオドしながらそう言った。

「先生?」と私は言った。

「くっ、工藤先生です……
くっ、工藤さんの伯父様の……」

「ああ」私は苦笑した。
「あれのことか。あんなの放っておけばいいじゃん」
と言って私は笑った。
「大体、何が南国若者支援センターだ。
名前の由来は? 南国関係ないじゃん」

私がそう言うと、
宮内君は初めてその獅子舞のような顔に
微かに笑みのようなものを浮かべた。

「東京の豊島区に事務所を構えていて、
何で南国若者支援センターなんだよ。意味分からん」

宮内君が下を向いたまま肩を震わせた。
必死に笑みを噛み殺している様子である。

「南国若者支援センター? 
誰が付けたの? 
どうせあれなんだろうけど」

宮内君がその獅子舞のような顔に
微かに笑みを浮かべながら言った。

「おっ、お察しの通り先生がお付けになりました」
「何で南国なの?」
「そっ、それは、
ワッ、ワタクシにもよく分かりません。
せっ、先生はご存知の通りああいうお方なので」
「変わってないんだな、あれは」

私は笑った。
昔からそうだ。
伯父にはどこか人を喰ったようなところがある。

宮内君がまた肩を震わせた。
今度もまた必死に笑みを抑え込もうとしている様子である。
私もまた思わず口許を緩めた。
なぜかその時、
伯父を介して、この青年の琴線に少し触れたような気がした。

だが、それも束の間、
今度宮内君は下を向いたまま、
意を決したように唇を固く結び、
またオドオドしながら、
「パッ、パソコン、つっ、使ってもいいですか?」
と言った。

私は一瞬、肩すかしを喰らわされたような気がした。
一度小さく嘆息し、それから、掌でパソコンを指し、
「どうぞ。ここの世話人はあなたなのですから」
と彼に言った。 

宮内君が小さく畏まっていた洋室の入口のところから、
部屋の隅に置かれたデスクトップ型のパソコンまで
数メートルの距離もない。
だが、その僅かな距離を
宮内君は部屋の真ん中に置かれた足の
短いテーブルの角に膝を打ち付けたり、
パソコンの後ろ側に置かれたキャビネットに肩をぶつけたり、
苦労を重ねながら漸くパソコンの前に辿り着く。

私の存在が彼を緊張させ、慌てさせているのだろうか。

彼のその体たらくを見ていると、
私の中にふと意地悪な興味が湧いてくる。

パソコンの前に座り、ウインドウズを起動させても、
彼は相変わらず居心地が悪そうで、
私を煙たがっているのが一目で分かった。
が、私は彼が仕事を終えるまで
この場所で待つ気になっていた。

それから、彼はエクセルを立ち上げ、
相変わらず居心地が悪そうに、
何やらガチャガチャとキーを叩き出した。

横目で覗くと彼が書いているのは、
業務日誌のようだった。
居場所の参加人数や、
彼らの動向とやらが記されていた。

ずっと隣の部屋にいたのに、
ちゃんとそれを把握しているのだろうか。
もっとも、彼に気付かれないように
そっと横から覗いただけなので、
本当は何を書いていたのかはよく分からない。

彼が業務日誌を作成している間に、
無駄だと思いつつも、
また飲みに行く誘いをしたが、
やはり断られた。

彼は六時まで居場所に詰めていて、
六時を過ぎると身支度を整え、
私と一緒に事務所を出た。

その際にも夕食を一緒に取ろうと誘ったが、
今度もまた遠回しに断られた。
何でもこれから人と会う約束があるらしい。

だが、彼のオドオドとした話し振りから、
一瞬でそれは嘘だと分かった。
結局彼とはその日、JR大塚の駅のホームで別れた。

彼は今十条に住んでいるらしい。
今思えば、それが後に、
私の右腕となる宮内君との長い付き合いの始まりであった。




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盗みが止まらなかった私(186)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多


リュウ ぼくが子どものころ、
 母親はどんだけぼくに嫉妬したことか。

 それでいて、母親は嫉妬している自覚もないと思う。

 (ぼくがぼくでいることを)許せない、ということも
 自覚がなかったと思う。

 ぼくがちょっと泣いただけで、とやかく言われたの。

 子どもが泣くということは、
 何かを訴えているということだから、
 ふつうの親だったら、
 子どもが泣いたら、
 まずは共感し、
 いったい何を泣いているのか、
 耳を傾けるものだと思う。

 だけど、ぼくの母親は、
 自分がしたいことを何もしてこなかったものだから、
 ぼくがぼくの感情を出すことも許せないわけ。

 母親はぜんぶ我慢して、
 やっていることはぜんぶフリでしょ。

 だから、ちょっとぼくは泣くことも許されなかった。

 ぼくは、あれだけ始終、表情をのぞかれて、
 感情を出していないかどうか、監視されていた。

 ちょっとでもぼくがウットリした表情を見せると、
 母親は、
 「いやらしい!」
 って叱るの。

 それから、ぼくがちょっとでも何か関心をもって、
 何かを見てると、
 たちまち邪魔しようとするわけ。
 ぼくの関心を持ってる表情を責めるの。

 ぼくが笑うと、今度は
 その笑い方が「わざとらしい」、
 「気を引こうとしてる」とか言って、責める。

ぼそっと池井多 感情レベルでも支配しようとしているわけだね。

リュウ そう。それは今ふりかえると、
 ぜんぜん自分が満たされてない子どもが
 フリだけで母親やってた、っていう感じなのかな、
 と思う。

 フリで生きていない人は、
 自分の判断で行動して毎日を生きているんだろうけど、
 母親はフリで生きているから、
 すべてが自分の判断じゃないわけ。

 フリだけで生きているから、
 どんどん自分の悪い所を隠す。
 それで、体裁を保つだけで
 母親は人生いっぱいいっぱいになっていた
 ということがあるのかな、と。

……。
……。


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やっぱり今日もひきこもる私(134)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多

お知らせしたように、
おととい7月28日は、東京・日比谷で開かれた
R-SIC(アールシック)2019に登壇させていただいた。

このイベントは、
大学生の皆さんが中心となって運営されているようである

したがって、よくもわるくも
サークル活動のようなノリがある。

ミッドタウン日比谷という東京のド真ん中の
公共の場所を借りて遂行される学園祭のようであった。

それだけに、運営は、

「もし社会人が開催していたら、こうはならない」

と不満を訴えたくなる、
ザツで杜撰な箇所も多かった。

しかし、そういう点が
かえって次世代を担う若い人たちならではの
柔軟性として機能しているのかもしれない、
と考えて今回は我慢した。


イメージ 1


1990年代は、よくこの日比谷に来たものである。

すぐそば、霞が関にある東京地方裁判所で
裁判を傍聴したあと、
日比谷公園を散策して頭をクールダウンしていた。

その流れで、日比谷図書館にもよく通った。

2000年ごろ、働くことができず、貯蓄が尽きて、
ホームレスになることを現実的に覚悟した。

そのころ、ホームレスの人たちが多く生活していたのが、
新宿西口、上野公園、隅田川岸、そしてこの日比谷であった。

私はその中から、この日比谷を
自分の生き残りの場所と思い定めていた。

それも、通いなれた日比谷図書館があったからである。

結果的に私は、
ホームレスにならずに、生活保護を受け、
こんにちの生活へむすびついているのだが、
あれ以来、日比谷へ足しげく通うことはなくなってしまった。

だから、私のまぶたの裏には、
日比谷といえば、
主に時代がまだ「20世紀」と呼ばれていたころの
景色が焼き付いている。

とうぜん、
このミッドタウン日比谷などという巨大な建築物などは、
あのころには存在しなかった。

その代わり、その一角に何が建っていたのかも
このように景色が変わってしまうと思い出せない。

たとえ自分の住む東京という街であっても、
このようにひきこもっている者が出てくると、
一つの時代をまたぎ、
タイムスリップしたかのような感覚がある。

無理もない。
隣の皇居では、
同世代の私たちが「なるちゃん」と呼び親しんだ人が
いまでは天皇を務めているのだから。

イメージ 2
ミッドタウン日比谷6階テラスより皇居を臨む


壇上では、
いつも申し上げているようなことを申し上げた。

すなわち、川崎事件に関しては、

「ひきこもりへの差別が助長されてはならない」

としながらも、

「自分も犯罪者予備軍である」

という感覚があり、
それゆえに、そのように指弾される恐れもなく、
ひきこもりとも何の関係もなく生きている一般市民の皆さまに

「ところで、あなたはどうですか」

と問いたい、という気持ちがある。

これは、けっしてわかりやすい感情ではない。

どうやら私が舌足らずだったようで、
隣に座っていた林恭子さんが、

「ぼそっとさんが言いたいことはこういうことですよね」

と、彼女の言葉でパラフレーズしてくれた。

私はいつも「危ないこと」を言ってしまうらしく、
観客が誤解を招かないように心配してくれたのだろう。
こういうところ、
林さんはたいへん感覚が細やかな人である。


イメージ 3
左から、恩田夏絵さん、林恭子さん、私、
そして精神科医の大井雄一さん。


ファッション誌から飛び出てきたモデルのように美しい
恩田さんのテキパキとしたファシリテーションで、
話は敏速に運ばれていった。


「どういう支援がほしいか」

と問われて、私は、

「当事者は皆それぞれ異なり、
 一人の当事者の意見は他の当事者を代表できない」

といつもの定理を申し述べたうえで、

「一人の当事者として私は、
 とくにひきこもり支援を必要としていません」

といった。

会場を埋めている支援者の人たちが気を悪くするだろう、
とは思ったが、
正直に語らないわけにはいかない。

いまさらワードやエクセルの使い方でもあるまい、
と思うし、
どうしてもHTML言語をやれ、というのであれば、
独習したほうが早く習得できそうな気がする。

支援者たちが、

「ああ、自分は支援をしてるんだ」

という充実感にひたるための支援を、
被支援者である私は必要としていない。

裏返せば、そういうことを

「受援力がない」

というのかもしれない。

しかし、それでも仕方がないのである。

反対に、喉から手が出るほどしてほしいことは、
私のやっている当事者活動への後方支援である。

資金的な援助でもいいし、
「ひ老会」や「ひきこもり親子公開対論」の
官民連携による拡充でもいい。

私はひきこもりによくあるパターンで電話に出られないので、
電話受付を行政で代行し、
図書館の予約通知のように、
メールで知らせてくれたらありがたい。

けれど、たいてい「官」の方々は、

「そんな、当事者活動なんかを
 なぜ私たちが下支えしなければいけないのか」

と考えているのではないか。

また、ひきこもり相談センター、
ひきサポネット、保険相談所、社協、などの機関が、
ちょうど近隣の図書館が、利用者の相互乗り入れをするように、
自分の管轄地域を超えて横につながってくれたら、
これまた受益者にとってはずいぶん便利になると思うのだが。

……などなどと、
さすがに、そこまで具体的に語らなかったけれど。

イメージ 5
恩田夏絵さんによる集団自撮りショット


登壇者は朝10時に会場集合であった。

いつもなら、私は寝ている時間である。

そんな時間にひきこもりを都心に呼び寄せ、
壇上でひきこもりのことを話させるとは、

「その時点で主催者は、
ひきこもりのことがよくわかってないんじゃないか。
せめて夕方の出番にしてくれればいいのに」

などと独りでブツブツ言っていた。

じつは、先日6月30日のシンポジウムのときには、
登壇しているあいだに、
いつもの居眠り癖が出て、
壇上で眠ってしまったのである。

とはいえ、そのときは、
壇上には私をふくめて10人がのぼっていたから、
観客の視線は分散しているであろうし、
10人のうち1人ぐらい眠っていても
どうせわからないだろう、
とタカをくくっていたら、
たちまちその油断が身体をとろけさせて、
いつのまにか寝てしまったのである。

ところが、あとで聞いたら、
なんと、みんな知っていた。

いったいどういうわけだか、
壇上の発言者たちも、観客の皆さんも、
みんな私が眠っていたことを知っていたのである。

「よく見てるなあ」
とつくづく感心した。

今回は、さらに4人と壇上の人数が少ないし、
けんめいに目を見開いていたので、
ディスカッションの最中には眠らなかったが、
夜の懇親会を待っている午後の時間に、
同じ建物のなかでソファを見つけて
むさぼるように昼寝をした。

日本という国は、
まだこういうことが安全にできるところがよい。

テラスで行われた夜の懇親会の時間は、起きていた。

日本酒は、出なかった。


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・・・「やっぱり今日もひきこもる私(136)」へつづく

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