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VOSOT ぼそっとプロジェクト
ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

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支援者だった私(9)片隅の彼<4>」からのつづき・・・
by 鈴木良太

私は両親の公認の下、
暫く伯父の家に預けられることになった。

西東京の外れにある借家で、
伯父や伯母と一緒に、
非行歴のある少年たちと共同生活を始めた。

そこでも最初私は相変わらず
以前とは人が変わったように無口であったが、
そこでの生活は色々な意味で私をほっとさせた。

私に息吐く暇を与え、私を寛がせた。
次第に私の中の様々な思いが言葉となって溢れ、
すぐにも私は共に生活をしていた私より二、三年上の
様々な過去を持つ少年たちの言葉に耳を傾けることも、
私自身の話をできるようにもなっていた。

三月の終わりに、私は父と母の下に戻った。
三年の進級と同時に学校にも復学を果たした。
それはもちろん、私が自分で望んだことだった。

私はもう誰の言葉もそれほどうるさく感じなくなっていた。
それから一年、私は自分の意思で受験勉強に精を出し、
翌年志望した学校に無事合格を果たした。

その結果を最初に伝えた相手も伯父と伯母だった。
二人ともそのことを自分のことのように喜んでくれた。
だが、それから間もなく伯父と伯母の二人とはまた疎遠になる。






その年の夏休みに、伯父の私塾のキャンプがあり、
私も一年前まで寝食を共にしていた仲間たちと
一緒に参加させて貰った。

伯父や伯母を始め、
嘗ての仲間たちと再び巡り合えたことを、
最初は私も素直に喜んでいた。
が、次第に私は
自分一人蚊帳の外に置かれているような
居心地の悪さを覚えるようになる。

伯父や伯母と、
嘗ては私も共に生活をしていた少年たちとの絆は、
以前にも増して強くなっているように思えた。
もう私が入り込む余地は
どこにもないような気がした。

次第に何とも名付けようもない感情が沸き立ち、
キャンプが終わりに近付く頃には、
私は不貞腐れているような、
怒っているような態度ばかりを取っていた。

当時私はそんな自分の気持ちを理解できずにいたが、
今なら分かる。
多分私はあの時、
伯父や伯母と彼らを取り巻く少年たちとの関係に
嫉妬のようなものを感じていたのだ。

キャンプが終わると、
今度は私の方から伯父や伯母たちを避けるようになっていた。
時々電話で話したり、
年賀状のやり取りをしたりすることはあっても、
西東京のあの家に遊びに行くようなことは
もうなくなっていた。

だが、何にしても、
私がそうやって伯父夫婦に世話になったことは間違いないのだ。

伯母も伯父と一緒に非行少年などの面倒を看てきただけあって、
私の知る限り豪傑肌の人だった。
長い間疎遠になっていた上、
伯母の言葉は恩着せがましく聞こえなくもなかったが、
柄にもなくこの人に哀願されると
やはり私は弱かった。

それで私は「分かりました」と渋々了承した。
同時に電話の向こうで
伯母が安堵の悲鳴のような声を上げるのが聞こえてきた。

それも私には意外なことに思えた。
本当に余程困っていたのだろうか。
それとも、すでに私がその申し出を受け入れることを
前提に話を進めていたのだろうか。

恐らくその両方だった。
その日の内に、
スタッフとして私の名前が記載された
その自助グループのチラシの見本が
ファックスで送られてきた。

私には勝手に南国若者支援センターの
「サポーター」とかいう肩書が付いていた。
それどころか

「中学生の頃から不登校、
最近もまたひきこもりがちになるが、
現在はそうした自身の経験を生かして、
ひきこもり支援のNPO法人のスタッフをしている」

とまるででっち上げの経歴まで記されていた。

伯母には電話で「知りませんよ」と言ったが、
伯母は「いいのよ、分かりゃしないわよ」と
気にも留めない様子だった。

「大体、あなた最近本当にひきこもり気味らしいじゃない。
昔も学校サボってうちに転がり込んできたし」

電話を切る間際に、もう一度だけ私は
「本当に僕でいいんですか。どうなっても知りませんよ」
と念を押したが、
「大丈夫よ。適当にやりゃいいわよ」
と相変わらず伯母は楽観的であった。

そのくせ、盆明けに、
伯母と一緒に財団の本部に挨拶に行った時のことだった。

財団の本部は築地の本願寺の傍にある
四階建ての細長いビルで、
受付で伯母が名前を告げると、
応接室に案内され、間もなく、
今回の企画を立案した野間さんという人がやってきた。

野間さんは以前特別支援学校の教師をしていて、
現在はある寺の住職をしているそうだ。
眼光が鋭く、恰幅もよく、
ヤクザの親分か相撲部屋の親方のようにも見える人だった。

が、笑うと途端に目尻が下がり、
瞬時に大食いタレントのような
底の浅い顔になる人でもあった。

話が私のことに及ぶと、
「さぞ、お辛い思いをされてきたのでしょう」
とその鋭いのか、下品なのかよく分からない眼差しを
急に潤ませた。

伯母がこの人に私のことを
どのように話していたのかは知らない。

だが、元関取のようなこの住職が大きな身体を屈め、
急に悲しげな眼をするのを目の当たりにすると、
何だかこの人が気の毒になった。

それで私は「いやァ、気楽なものですよ」と言った。
「毎日昼過ぎに目を覚まして、
小説を読んだり、DVDを観たり、
いい加減次の仕事探さなければいけないのかも知れませんけど、
できることならこのまま一生ひきこもっていたいです」
と言った。

更に私がアハハと声を上げて笑うと同時に、
伯母が素早く私の膝を叩いた。
それから、野間さんに気付かれないように私を睨んだ。
野間さんは拍子抜けしたような顔をしていた。

「まあ、この子も
これだけ軽口利けるぐらいまで回復したってことです」

伯母がそう言って
野間さんに変に取り繕ったような笑みを向けた。

野間さんはまた虚を突かれたような顔をした。
そして、程なくして、
私は伯母が野間さんに向けた笑みが、
やはり偽物だったことを思い知らされる。

野間さんに別れを告げて、財団の本部を後にした時だった。
急に伯母が怒ったように、
「あなたねェ……
何が一生ひきこもっていたいです、アハハよ。
余計なこと言うんじゃないわよ」
と言った。

「そんなこと言われても……
今の生活本当に結構気に入っているんですよ」

「それはあなたが偽ヒキだからそう思っているのでしょ? 
今のままずっとひきこもっていたい、
なんていうひきこもりが本当にいるとでも思っているの? 
野間さんにはあなたのこと、
本物の元ひきこもりだって話しているのだから
それらしくしなさいよ。
あの坊主、使えない奴だけど、
純粋なところもあるのだから、
偽ヒキだってばれたらどうするのよ」

「偽ヒキ……ですか? 
何ですか、それ?」

坊主呼ばわりについては触れなかった。

「だから、偽ヒキは偽ヒキよ。
偽物のひきこもりのこと。
この世界には時々そういうのがいるのよ。
実際は本物のひきこもりとは全然違うのに、
心情的に彼らに共感して、ひきこもりを自称するような人たちが。
あなたみたいに失業保険や貯金で食い繋いで、
真面目に働こうともしないで、
大手を振って遊び暮らしているような人も立派な偽ヒキよ」

「そんなこと言われても……」

そもそも、別に私は
ひきこもりを僭称したことなど一度もないのだ。
今回の話にしても、
伯父や伯母に頼まれたから渋々引き受けただけだ。
「偽ヒキ」云々言われても訳が分からない。
大体、ひきこもりらしくするとは、一体どういうことなのか。

「だから、神経過敏なぐらいに人目を気にしたり、
自信なさそうに振る舞ったり、
少し考えれば分かりそうなものでしょ。
ひきこもりの子たちは、仕事をしたり、学校に行ったり、
世間並みのことをしてないってことで、
皆自分のことを責めているのだから。
それを最初から偉そうに足組んでソファに踏ん反り返って、
あなた一体何様のつもりよ」

そこまで言われると、
さすがに私も面白くなかった。
それなら今回の話はなかったことにしましょうか、
との言葉が一瞬喉元まで出掛かったが、
結局何も言い出せなかった。

伯父が入院してから、
伯母は塾の経営を一身に任され、
毎日猫の手も借りたいほど多忙な日を送っているらしかった。
それに今更断るのも大人げない。
それで仕方なく私は「はあ」と言ったきり黙っていた。




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盗みが止まらなかった私(184)」からのつづき・・・


リュウ ぼくがため息一つすれば、
 それに対して母親はすごく反応するから、
 それで母親が反応することに関してぼくが認識して
 それにぼくが反応したりすることはすごくいけないことだから
 どうしても隠すでしょ。

 だから、兄弟も父親も何も知らないし、
 ほんとうにぼくと母親だけがそれを知ってて、
 寸前にぼくは止めるわけ。

 ぼくの家族は表面的に、社会的にはみんな
 「いい人」を演じているから、
 近所でも
 「ちょっとテンション高いにぎやかなオバチャン」
 みたいなイメージで母親は固定してるけど、
 もう、(内実は……)。

 どう言ったらいいのかな、
 母親の弱い部分はみんなぼくにつながっているから、
 ぼくがもう全部支えなきゃいけない。

 つねに母親の監視の対象になってたっていうか……

 ちょっと話が飛んで、脈絡もなくなってるんだけど……

 だから、うちの親は、
 母親に関していうと、もう、何というのかなあ、
 もう、ぼくといっしょ。

 あの人はもう、家庭を持って子ども作れるような
 女じゃなかったんだと思う。

 ほんと一人でずっと子どもやってるのが適してた
 っていうか、
 社会に触れないで、ずっと子ども扱いしてくれるような
 生き方を選んでいればよかったんだと思う。

 母親が若い頃は、
 96%が結婚したみたいだし、
 大半が子ども産まなきゃいけないって時代だったから、
 あの母親でもそうしちゃったんだよね。
 
 母親もいろいろあったらしいんだけど、まあ……

 いまもときどき実家に帰ると、
 母親がもう人として保てていないから……




・・・「盗みが止まらなかった私(186)」へつづく

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貧困と人づきあい(89)


日本社会でやっていけない者

ぼそっと池井多 そのころまでには、
マリコさんはオランダがもうすっかり
一つの故郷として心に根ついていたのですね。

マリコ オランダは、母の里帰りにくっついて、
幼い時から何度も訪れていましたし、
それに加えて、
日本が異国のように見えている自分の感覚を確かめるために、
16歳のときに1年間オランダに留学したのです。

それで、「ああ、やっぱり」と確認して日本に戻ってきて、
高校を3年間やりましたが、
卒業したらオランダに移住することにしました。

留学の1年があったので、
高校を卒業するのは19歳でした。

進路相談のときに、担任の先生が言うのです。

「私はあなたを心配している。
あなたは日本の社会ではやっていけないと思う」

と。

私は鼻白んで、

「はあ、大丈夫です。
私は日本の社会などでやっていくつもりはないので。
大学からオランダに移住します」

といったら、先生はたちまちカチンと来ていました。

いま考えると、
「あの先生の言葉はひどいな」
と思います。

教育者が、自分の教えている子どもに対して、
「あなたはこの社会に合わない」
という。

逆に「その社会がおかしいのではないか」というのが
本来の考え方だと思うんですが。

もし今、あのときの学校の先生に会ったら、
そう言ってやりたいです。




編 集 後 記

by ぼそっと池井多


いま連載中のインタビューは、
4月に収録されたものである。

マリコさんは仕事の都合で、
3か月に1度、日本に帰ってくる。

というか、いまの彼女の生活の本拠地はオランダなので
「3か月に1度、日本へやってくる」
というべきか。

じつは今、マリコさんは再び日本にやってきていて、
明日、私は3ヵ月ぶりに彼女と会う約束をしている。

この記事で語られているような「マリコ節」が聞けるのを
楽しみにしているのである。




・・・「貧困と人づきあい(91)」へつづく

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やっぱり今日もひきこもる私(129)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多


ジャーナリズムの専門誌、日本新聞協会発行の

新聞研究 2019年7月号

で、私たちチームぼそっとの活動を取り上げていただいた。


イメージ 1


イメージ 2

読売新聞の記者、粂文野さんの筆によるものである。

この記事のほかにも、
ひきこもり報道という、
ジャーナリズムの中でもとりわけ難しい分野について
多くのメディア人が考察を述べており、
ひじょうに興味深い一冊を成している。

さすが文章のプロたちが寄稿している雑誌だけあって、
専門誌といっても、
一般にわかりやすい平易な文章で書かれた記事ばかりである。






私たちチームぼそっとのやっている当事者発信が
「ジャーナリズム」の端くれとして評価されたことは
たいへん喜ばしい。

思えば、私の精神科の主治医、
齊藤學(さいとう・さとる)という精神科医は、
自分が贔屓(ひいき)にしている女性患者を引き合いに出して、

江青さんのヒステリーに比べたら、
 池井多のジャーナリズムなんてどうでもいい

などと、のたまったものである。

また、

「あんたは他の人間と同じく、
 顔が前についていて、背中が後ろにある」

といった表現で、
私の個性や能力の存在を否定していた。

「顔が前についていて、背中が後ろにある」

とは、わかりにくい表現であるが、
齊藤學なりに

「お前は他の人間となんら変わらない。
 お前の個性も、お前に固有の能力もない」

ということを言いたかったのであろう。

そのように自信を喪失させることで、
私の当事者発信をやめさせ、
去勢(きょせい)を試みたのである。

去勢とは、通常は患者を「治す」ための
治療上の技法であるが、
近年の齊藤學の場合は、
患者に言うことを聞かせるために
この職業上知りえた技法を乱用している。

つまり、何でも治療者のいうことを聞き、
何でも治療者がいうことを信じる患者に仕立て上げ、
おとなしくリカモリング・アホバイザー制度に入り、
せっせとピア・トークなどという無益な営みに精を出して
納める金を着実に納めるだけの存在に洗脳したかったのだろう。

なるほど、私は無能な人間ではあるが、
私に残っていた最後の知性のかけらは、
そういう齊藤學という大嘘つきを最後まで信じなかった。

自分の頭で考える力を持たない患者たちは、
皆、ブラックホールのように
齊藤學の営む患者村に吸い込まれていった。

その結果が、今日の状況である。






精神科の患者が、治療者を信じられないのは、
ほんらい悲しいことである。

しかし、悲しいからといって、
とても信じられないような治療者に
しゃにむにすがりつくようであってはならない。

そういう患者を力づくで信じさせようとするのは、
患者の心の弱りにつけこむ卑劣な治療者である。

とんでもない治療者や、
その残党リカモリング・アホバイザーたちは、
早くこの世界から一掃して、
まともな治療者だけが心のケアの世界に生き残り、
患者が治療者を信じられる世の中に
していかなければならないと思う。

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害




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外国のうつ・ひきこもり事情(126) 
からのつづき・・・
traduit par ぼそっと池井多


ぼそっと池井多 きっとあなたは
そういう面で早熟な女性だったのでしょう。

私が、自分の人生を真剣に考え始めたのは、
就職先が決まった二十三歳の時でした。
しかし、どうやらあなたはそれを十七歳でおこなっている。

そのとき、あなたは高校生だったのですね。
高校は卒業したのですか。

ジョセフィーヌ たしかに、あのころ私は高校生でした。
学校へ行くのはバカバカしいので、やめました。
だから、高校は卒業していません。

高校卒業などという資格を取ったところで、
私が持っている知識や内面性の高さに比べたら、
その資格は不当に低すぎます。
そんな資格で私の世界における価値が決まってしまうなんて、
まっぴらごめんだったからです。

いずれにせよ、私は
学校のカリキュラムなどではまったく飽き足らないくらい、
異様に高い知能を持っていました。 

それと同時に、私は狙った獲物は逃さない、
直感にすぐれた猟師でもあり、
学校のように管理された環境では、
何事においても私が持つ才能や資質を
発揮することはできませんでした。

ぼそっと池井多 それがほんとうならば、
あなたは相当すごい方ですね。
こんにち、あなたの生き方を批判している人は、
あなたの身近にいますか。

ジョセフィーヌ こんにち、私を批判する者はいません。
なぜならば、
私はあなたを含めた数少ないひきこもり仲間の他には、
誰とも社会的な接触がないからです。

ぼそっと池井多 なるほど。いまは誰もあなたの周りでは、
あなたを批判する者はいないのですね。
だから、あなたの価値が、
あなたの中で揺るがないともいえる。

そこで、あなたにお尋ねしたいと思います。

今、あなたには何か不足しているものがありますか。
あなたはこの世界からさらに何が欲しいですか。
それとも、この世界からもはや何も期待していませんか。
 
ジョセフィーヌ いまの私の人生に不足しているものは、
おそらく達成評価でしょう。

私のような高い知能を持った者は、
その知能の所在を立証するような、
何か凡人たちの及ばない
とてつもなく素晴らしいことを成し遂げ、
世の中の馬鹿どもを
私の足元にひれ伏せさせなければなりません。

私は生きているうちに
自分の可能性を最大限に活用したいと思っています。

 「自分は必ず何者かになる」

というニーチェの言葉を、私はぜったい実践したい。

しかし、私は陳腐な平凡さは好きではありません。

そのために私は、
「なんでもいいから何か仕事を見つける」
というような、つまらないことは、
試みようとすら思っていません。

ぼそっと池井多 こんなことを申し上げてよろしいでしょうか。

あなたもご存じのとおり、
私は世界のいろいろなひきこもりの皆さんと
対話させていただいています。

お気に召さないかもしれませんが、
あなたのように思っているひきこもりは
あなたの他にもたくさんいます。

多くのひきこもりは、
自分が非常に偉いと思っているのです。

じっさい、非常に偉いひきこもりもいるのでしょう。
しかし、それほどでもないひきこもりもいると思われます。

それでは、陳腐な平凡さを排除したところで、
私たちはどのように
「自分は必ず何者かになる」
というニーチェの宣言を実践できるのでしょうか。

ジョセフィーヌ たとえば、 
私は大いなる文学的才能を持っています。
その才能の高さに、
しばしば私は自ら恐ろしくなるほどです。

私は自分の作品の中で実践できる、
言語への贈り物を数知れず持っていると思います。

私はドストエフスキー、ヘス、プルースト、
ブロイ、セリーヌ、ボードレール、ナボコフ、
ロートレアモン、そしてランボーなどの後継者に当たる者です。

だから、 私はこの世界を自ら去るつもりはありません。

そして私はこの言葉を世界で最も誠意をこめて言いますが、
「私はこの世界からもはや何も期待していない」
ということはけっしてないのです。




へつづく

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