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ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

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貧困と人づきあい(89)


日本社会でやっていけない者

ぼそっと池井多 そのころまでには、
マリコさんはオランダがもうすっかり
一つの故郷として心に根ついていたのですね。

マリコ オランダは、母の里帰りにくっついて、
幼い時から何度も訪れていましたし、
それに加えて、
日本が異国のように見えている自分の感覚を確かめるために、
16歳のときに1年間オランダに留学したのです。

それで、「ああ、やっぱり」と確認して日本に戻ってきて、
高校を3年間やりましたが、
卒業したらオランダに移住することにしました。

留学の1年があったので、
高校を卒業するのは19歳でした。

進路相談のときに、担任の先生が言うのです。

「私はあなたを心配している。
あなたは日本の社会ではやっていけないと思う」

と。

私は鼻白んで、

「はあ、大丈夫です。
私は日本の社会などでやっていくつもりはないので。
大学からオランダに移住します」

といったら、先生はたちまちカチンと来ていました。

いま考えると、
「あの先生の言葉はひどいな」
と思います。

教育者が、自分の教えている子どもに対して、
「あなたはこの社会に合わない」
という。

逆に「その社会がおかしいのではないか」というのが
本来の考え方だと思うんですが。

もし今、あのときの学校の先生に会ったら、
そう言ってやりたいです。




編 集 後 記

by ぼそっと池井多


いま連載中のインタビューは、
4月に収録されたものである。

マリコさんは仕事の都合で、
3か月に1度、日本に帰ってくる。

というか、いまの彼女の生活の本拠地はオランダなので
「3か月に1度、日本へやってくる」
というべきか。

じつは今、マリコさんは再び日本にやってきていて、
明日、私は3ヵ月ぶりに彼女と会う約束をしている。

この記事で語られているような「マリコ節」が聞けるのを
楽しみにしているのである。




・・・「貧困と人づきあい(91)」へつづく

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やっぱり今日もひきこもる私(129)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多


ジャーナリズムの専門誌、日本新聞協会発行の

新聞研究 2019年7月号

で、私たちチームぼそっとの活動を取り上げていただいた。


イメージ 1


イメージ 2

読売新聞の記者、粂文野さんの筆によるものである。

この記事のほかにも、
ひきこもり報道という、
ジャーナリズムの中でもとりわけ難しい分野について
多くのメディア人が考察を述べており、
ひじょうに興味深い一冊を成している。

さすが文章のプロたちが寄稿している雑誌だけあって、
専門誌といっても、
一般にわかりやすい平易な文章で書かれた記事ばかりである。






私たちチームぼそっとのやっている当事者発信が
「ジャーナリズム」の端くれとして評価されたことは
たいへん喜ばしい。

思えば、私の精神科の主治医、
齊藤學(さいとう・さとる)という精神科医は、
自分が贔屓(ひいき)にしている女性患者を引き合いに出して、

江青さんのヒステリーに比べたら、
 池井多のジャーナリズムなんてどうでもいい

などと、のたまったものである。

また、

「あんたは他の人間と同じく、
 顔が前についていて、背中が後ろにある」

といった表現で、
私の個性や能力の存在を否定していた。

「顔が前についていて、背中が後ろにある」

とは、わかりにくい表現であるが、
齊藤學なりに

「お前は他の人間となんら変わらない。
 お前の個性も、お前に固有の能力もない」

ということを言いたかったのであろう。

そのように自信を喪失させることで、
私の当事者発信をやめさせ、
去勢(きょせい)を試みたのである。

去勢とは、通常は患者を「治す」ための
治療上の技法であるが、
近年の齊藤學の場合は、
患者に言うことを聞かせるために
この職業上知りえた技法を乱用している。

つまり、何でも治療者のいうことを聞き、
何でも治療者がいうことを信じる患者に仕立て上げ、
おとなしくリカモリング・アホバイザー制度に入り、
せっせとピア・トークなどという無益な営みに精を出して
納める金を着実に納めるだけの存在に洗脳したかったのだろう。

なるほど、私は無能な人間ではあるが、
私に残っていた最後の知性のかけらは、
そういう齊藤學という大嘘つきを最後まで信じなかった。

自分の頭で考える力を持たない患者たちは、
皆、ブラックホールのように
齊藤學の営む患者村に吸い込まれていった。

その結果が、今日の状況である。






精神科の患者が、治療者を信じられないのは、
ほんらい悲しいことである。

しかし、悲しいからといって、
とても信じられないような治療者に
しゃにむにすがりつくようであってはならない。

そういう患者を力づくで信じさせようとするのは、
患者の心の弱りにつけこむ卑劣な治療者である。

とんでもない治療者や、
その残党リカモリング・アホバイザーたちは、
早くこの世界から一掃して、
まともな治療者だけが心のケアの世界に生き残り、
患者が治療者を信じられる世の中に
していかなければならないと思う。

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害




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外国のうつ・ひきこもり事情(126) 
からのつづき・・・
traduit par ぼそっと池井多


ぼそっと池井多 きっとあなたは
そういう面で早熟な女性だったのでしょう。

私が、自分の人生を真剣に考え始めたのは、
就職先が決まった二十三歳の時でした。
しかし、どうやらあなたはそれを十七歳でおこなっている。

そのとき、あなたは高校生だったのですね。
高校は卒業したのですか。

ジョセフィーヌ たしかに、あのころ私は高校生でした。
学校へ行くのはバカバカしいので、やめました。
だから、高校は卒業していません。

高校卒業などという資格を取ったところで、
私が持っている知識や内面性の高さに比べたら、
その資格は不当に低すぎます。
そんな資格で私の世界における価値が決まってしまうなんて、
まっぴらごめんだったからです。

いずれにせよ、私は
学校のカリキュラムなどではまったく飽き足らないくらい、
異様に高い知能を持っていました。 

それと同時に、私は狙った獲物は逃さない、
直感にすぐれた猟師でもあり、
学校のように管理された環境では、
何事においても私が持つ才能や資質を
発揮することはできませんでした。

ぼそっと池井多 それがほんとうならば、
あなたは相当すごい方ですね。
こんにち、あなたの生き方を批判している人は、
あなたの身近にいますか。

ジョセフィーヌ こんにち、私を批判する者はいません。
なぜならば、
私はあなたを含めた数少ないひきこもり仲間の他には、
誰とも社会的な接触がないからです。

ぼそっと池井多 なるほど。いまは誰もあなたの周りでは、
あなたを批判する者はいないのですね。
だから、あなたの価値が、
あなたの中で揺るがないともいえる。

そこで、あなたにお尋ねしたいと思います。

今、あなたには何か不足しているものがありますか。
あなたはこの世界からさらに何が欲しいですか。
それとも、この世界からもはや何も期待していませんか。
 
ジョセフィーヌ いまの私の人生に不足しているものは、
おそらく達成評価でしょう。

私のような高い知能を持った者は、
その知能の所在を立証するような、
何か凡人たちの及ばない
とてつもなく素晴らしいことを成し遂げ、
世の中の馬鹿どもを
私の足元にひれ伏せさせなければなりません。

私は生きているうちに
自分の可能性を最大限に活用したいと思っています。

 「自分は必ず何者かになる」

というニーチェの言葉を、私はぜったい実践したい。

しかし、私は陳腐な平凡さは好きではありません。

そのために私は、
「なんでもいいから何か仕事を見つける」
というような、つまらないことは、
試みようとすら思っていません。

ぼそっと池井多 こんなことを申し上げてよろしいでしょうか。

あなたもご存じのとおり、
私は世界のいろいろなひきこもりの皆さんと
対話させていただいています。

お気に召さないかもしれませんが、
あなたのように思っているひきこもりは
あなたの他にもたくさんいます。

多くのひきこもりは、
自分が非常に偉いと思っているのです。

じっさい、非常に偉いひきこもりもいるのでしょう。
しかし、それほどでもないひきこもりもいると思われます。

それでは、陳腐な平凡さを排除したところで、
私たちはどのように
「自分は必ず何者かになる」
というニーチェの宣言を実践できるのでしょうか。

ジョセフィーヌ たとえば、 
私は大いなる文学的才能を持っています。
その才能の高さに、
しばしば私は自ら恐ろしくなるほどです。

私は自分の作品の中で実践できる、
言語への贈り物を数知れず持っていると思います。

私はドストエフスキー、ヘス、プルースト、
ブロイ、セリーヌ、ボードレール、ナボコフ、
ロートレアモン、そしてランボーなどの後継者に当たる者です。

だから、 私はこの世界を自ら去るつもりはありません。

そして私はこの言葉を世界で最も誠意をこめて言いますが、
「私はこの世界からもはや何も期待していない」
ということはけっしてないのです。




へつづく

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不登校ひきこもりだった私(14)」からのつづき・・・


ぼそっと池井多 ひきこもりというのは、どうしても

 「いつも独りで居たいんだ」

 という人が多くて、
 いくら恋人といっても、しょせんは他者だから、
 いつも顔を突き合わせて生きていると
 窮屈になっちゃうんじゃないか、とか
 そういう危惧を持っている当事者さんは多い
 と思うんですけれども、
 そういう問題はご結婚なさるときに
 林恭子さんの場合、いかがでしたか。

林恭子 それはですね、
 そもそも「夫がいいな」と思ったのが、

 「ずっと一緒にいて違和感のない人」

 という理由がすごく大きかったんですよ。

 これ、言ったら、夫に怒られちゃうかもしれませんが、
 ずっと一緒にいても
 邪魔にならなかったんですね。

 それがやっぱりいちばん楽だったので。…

 それがないとね、
 やっぱり難しいみたいですね。

 あと、夫は家で仕事をしていて、
 彼は、いつも基本的に家にいるんですよ。

 私はもう外にばかり出かけているので、
 家にいると、いつも夫がいるんです。

 それで、じつはこのごろ
 私はけっこう来てるんですよ。

 だから、このあいだの年末も

 「ちょっと映画でも観てきて」

 といって、ちょっとお金を渡して、
 外出してもらったんです。

 そういうことやっている人、
 けっこういるらしいんですよ。

ぼそっと池井多 なるほどねー。
 ちょっと子どもに小遣い与えて、
 「これで外で遊んでおいで」
 っていうようなもんですかね。

林恭子 そう、そう。

 だから、
 「ちょっと独りにしてほしい」
 っていうのは、
 ちょっと今は大きな課題ですけど、
 向こうはなんか全然、平気みたいですね。

 彼は一人っ子なんですけど、
 だからときどき独りになりたいんじゃないか、
 と思うんですけど……

 でも、あ、そうか、
 彼はふだん独りなのか。
 ふだん私が家にいないからね。
 そうか、そうか。

 それでバランスが取れているみたいですね。

 やっぱりずっと一緒じゃあね、
 さすがにキツいと思いますよ。
 どんなに、仮に相性がいいとしてもね。

ぼそっと池井多 なんかお話を聞いただけで
 こんなことを申し上げてはおこがましいのですけど、
 ある種「存在感のなさ」ということで、
 旦那さまとお父さまって
 共通しているのかなあ、と思いました。

林恭子 いや、もう、さすがでございます。

 そうだと思います、たぶん。

 そして、それは、妹たち二人も
 選んだ旦那さんたちというのはわりと穏やかで
 やさしい感じの人たちですね。

 やっぱりそういうところって
 (父の)影響があるんじゃないかしら。

……。
……。


・・・「不登校ひきこもりだった私(16)」へつづく

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当事者活動を考える(30)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多


本ブログの読者の皆さまはよくご存じであるように、
私はときどき「ひきこもり親子 公開対論」という
イベントを開催させていただいている。

そこでどんなことが話されたか、
ぜひ文字化して記事として発表してほしい、
という声をよくいただくのだが、
登壇して発言してくださったご本人の諒解をとるのが難しく、
いままで実施できていなかった。

しかし前回、ひきこもりのお父さんとして登壇してくださった
カズさん(仮名)が、
一部、本人が特定される情報を削除することで
公開することに同意してくださった。

ありがたいことである。

そこで、それを連載していこうと思う。



ぼそっと池井多 それでは、
今日の「お父さま」に登壇していただきましょう。
カズさんです。

(会場拍手)

ようこそいらっしゃいました。
私も、当事者としてのカズさんは
詳しく知らないんですけども、
その概略を教えていただけますか?

カズ (……個人情報により中略……)
私は50代に入ったばかりで、息子は2人おり、
上の長男が20代で、今は社会人になっておりますが、
彼がひきこもりになったのは、
高校受験を間近に控えた中学3年生の秋ごろでした。

突然、学校に行けなくなりまして、
高校受験には何とか行ったんですけれども、
ほとんど失敗しました。

唯一、滑り止めの高校に受かり、
そこに通い始めたんですけれども、
一学期でまた学校に行けなくなり、
そのまま中退してひきこもりの状態になりました。

なので、高校の一時期を除いて、
中学3年生から高校3年間の4年弱ぐらい、
自宅でガチなひきこもりでした。

何とかその後、高卒認定試験を受けて大学に入り、
社会人になりました。
その経緯は、また後ほどお話しますが、概略はそんな所です。

ぼそっと ありがとうございます。
今は長男との軋轢とか、対話の不在とかはないのですか?

カズ 表面上はないですけども、
ひきこもっていた当時のことを
腹を割って話せているかと言うと、
やはりまだ腫れ物に触るような所があり、
話せておりません。

ぼそっと ひきこもっていた当時は、
やはり親子の対話は不在だったんですか?

カズ そうですね。
中学3年生の秋口に学校へ行けなくなった時、
私は単身赴任で関西にいたんですけれども、
家内から状況を聞いて、

「そのうち学校に行くだろう。
色んなプレッシャーで、疲れて休んでるんじゃないか」

と軽く考えていたんです。

でも、年末になっても、
一向に学校に行く気配がなくて。

さすがに、高校受験がもうすぐに迫ってきてましたので、
焦りが出てきまして、
ある日、息子がかぶっている布団を無理やりひっぺがして、

「いつまでこんな所で休んでるんだ!
もう高校受験をする気が無いなら、
出て行ってしまえ!」

と言いました。

そうしたら息子はパジャマのまんま、
ほんとうに寒空の中を出て行ってしまって、
警察に捜索を頼んで、
ようやく近くの公園で見つかりました。

それが本人のトラウマになってしまい、
その後も対話どころか、
視線も合わせられない状態でした。

ぼそっと 警察に連れ戻された時、
お父さまとして息子さんにはどういう言葉をかけてあげました?

カズ 言葉はかけられないですね。
自分が「ひどい言葉を言ってしまった」という
罪の意識があって、
全くかける言葉がなかったです。

ぼそっと その息子さんは今は社会人で、
すでにひきこもりではなくなっているという事ですけれど、
多分、今日この会場にいらしている親御さんの最大の関心事は、
どうやってひきこもりから抜けたか、
ということだと思います。
その点に関しては、いかがですか?







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