医療従事者ぶーのしろうと哲学・心理学

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病院の話

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脅かされる医師たち

↑↑「おびやかされる医師たち」と読んでください。↑↑

インターネットの普及によって、簡単に自分の病気を調べられる今、
患者さんたちは、医師の知識が以外に浅いということに気づくだろう。

医師は広く浅く、一方、患者さんたちは、自分の病気についてどんどん専門的な知識を身につけていく。
そして患者さんや医療関係者のネットワークによって、その医師が信用に値しないことが暴露されていく。

場合によっては、献身的な専門の医師から、ネットで自分の今受けている治療が妥当なものであるかどうか判断してもらうことも可能になるだろう。また自分の担当医の医師に限界を感じ、医師を変えるべきか自分で判断できるようにもなるだろう。


特に問題ありありの癌化学療法の日本の現状を変えるのに、ネットは多いに役立つことができる。

たとえば、自分に行われている治療薬・投与方法と今の症状・副作用を患者さん自信がそのサイトの自分のらんに書き込んでいく。そして癌治療専門医(腫瘍内科医)が、その治療が妥当なものか判断し書き込む。副作用が強すぎると判断した場合、治療法を変える、または中止するアドバイスを書き込む。
あらかじめ担当医が承諾していれば、その指示はスムーズに直接担当医にも知らされ治療法にその都度反映される。

また、癌化学療法にあたる医師が、癌治療専門医の指示を受けて行う場合と、受けない場合の診療単価に大きく差をつけるというのも、医療界の改善に役立つかもしれない。

こうした変化を起こすには、患者さん同士のネットワークと患者さんを思う医療従事者のネットワークが大事だ。ブログはその点で何かとてつもない大きな変化を医療界にもたらす気がしてならない。

これからは、ふんぞり返ってえらそうにしている医師なんて通用しない。
そういう医師は化石となり時代に取り残されていくことになるだろう。

肺がんの患者さん

私の働いている病棟に入院してくる肺がんの患者さんは今のところ 喫煙率100%

つまり、全員、自分が肺がんだと知るまでは喫煙の習慣があった人だ。

さすがに病気を告知されてからはタバコを吸う人はいない。

病気とがんばって闘っているが、みんなタバコを吸っていたことをかなり後悔している。
肺がんの患者さんはなぜか、他のがん患者さんと比べて極端に笑顔が少ない。
いつも深刻な面持ちだ。
どちらも告知されているという点では条件が同じだ。

他のがんと比べて、たばことの因果関係がはっきりしているため、後悔の気持ちが強くなるのか。

がんになるということは、
自分が死ぬかもしれないという不安や恐怖があるだろうということは予測できると思う。

しかし、実際に自分ががんになるということは自分の苦痛だけではない。
自分がいずれ死ぬことによって起こる自分の子供や配偶者・家族の悲しみまで背負うことになる。
その家族の悲しみをもたらしている肺がんが、
自分がタバコを吸っていたことに起因するかもしれないという彼らの自責の念は計り知れないものがある。

愛煙家のみなさん、今ならまだ間に合うかも・・・

昔読んだラジニーシ(インドの哲学者?宗教者?)の本で私が気に入っている自転車の話がある。
以下抜粋

=====
初心者が自転車を乗るのを想像してみたらいい。
道は大きくて広い。だが、道路の端のほうに小さな石がひとつあったら自転車に乗った初心者はその石に乗り上げるのではないかと心配する。
彼がその石を目指して走るようなことはまずない。
目の見えない人ですら、十中八九それを無事にやり過ごすだろう。
だが恐怖ゆえに自転車乗りの初心者は、その石だけに気をくばる。
その石は彼の心のなかに大きく映り、彼にとって道は消える。
彼はその石に催眠術をかけられる。それに引き寄せられ、最後にはそれに向かって突進する。
彼は、自分をそれから救うためにできるかぎりのことをした、まさにそのものと衝突する。

道は大きくて広かった、なのになぜこの男は事故を起こしたのだろう。

心理学者クーは平均的な心は「逆効果の法則」によって支配されている、といっている。 =====


そんなことは確かにある。日常気をつけているとしばしば目にする。

人は何か恐れているとき、脳の血流が偏るのか、気持ちにも思考にも余裕がなくなり、
他の思考ができなくなる傾向がある。

ラジニーシは「恐怖の対象が私たちの意識の中心を占めるからだ」といっている。

医療事故のニュースが最近頻繁に報道されるようになり、神経過敏に反応し、病院へ来たが医療者を信用できないという人がたまにいる。

自分や自分の家族が入院した時、「医療事故をおこすんじゃないだろうね」、と点滴のため訪室した看護師にすごむ。「手術は失敗するんじゃないだろうね。」と手術をする前から言う。

そうすると私はラジニーシの話を思い出してしまう。こういう人たちは、自ら医療事故を招いているようなものだ。

彼の顔は決してジョークではなく、余裕がない。
彼は要注意人物として看護師間でささやかれる。

彼は医療関係者によけいなプレッシャーをかけている。

プレッシャーをかけられた医療者も同じく失敗に引き寄せられる。相互に逆効果の法則が働く。

そういう人達の過半数は概して運が悪かったとしかいいようのないことが起こる。
ふつうであれば起こらないことが起きるのだ。
点滴のまちがい。その他のまちがい。手術後の縫った傷がつかず、さらに悪化してなんでそんな手術でそんな傷が・・・と悲惨な状態で帰宅することになった人も。(その人は温厚な人でしたが、家族が手術前からやたら医療者にプレッシャーをかける人たちでした。その患者さんがとても気の毒でした。)

看護師サイドだけでも逆効果の法則が起こる。
ある看護師が何かひとつ大きな医療事故を起こす。その看護師の心に、また事故を起こすのではないかという恐怖がしばらく植えつけられる。びくびくして仕事をしていると結局また事故を2〜3回繰り返す。

この逆効果の法則を防ぐ方法はあるのだろうか。
私が思うに、その答えは・・・あまり深刻になりすぎないで気持ちに余裕を持つことだ。
そうすれば、脳の血流が偏ることもなく、冷静な判断と行動ができる。失敗に引き寄せられるへんなメカニズムを防ぐ方法だ。

開く トラックバック(1)

看護師が医師に対等に意見をいう病院は、いい病院です。
もし医師と看護師が患者さんのことで、口論しているところを見かけたら、安心してください。

医師が高圧的なところだと看護師はほとんど抗うことなく医師の言いなりです。
そういうところは、封建的で看護師が患者さんのために意見を言うことはなく、看護師は自分の立場を守ることに精一杯です。
その現場は、保守的で、医療事故防止の対策も現場の声が生かされないため効率が悪く、患者さんにとってけっして安心してかかれる病院とはいえません。

看護師仲間と話すと、そんな病院がまだまだ多いんです。

しかもかなり大きな病院でも・・・

それを聞くと、あぁ日本の医療界もまだ発展途上国なんだな、と思います。



        =今日の看護師は見た!シリーズ第2弾=

某医師は自信家だ。

説明もはきはきとし、なんでも自身を持って治療にあたる。
しかし、謙虚さがたりないのが最大の欠点だ。

するとどうなるか。
失敗しても反省しない。
看護師の意見に耳をかさない。

患者さんが、治療のまずさで亡くなっても、改善するという努力がない。
そのため犠牲者が続出する。

自信あるのはいいけど、自信と謙虚さとのバランスって大事だなと思う。

あっ、謙虚さを欠いているものって、それは過信か・・・

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