秋山勝彦の宅録日記

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あのネ・・・Mandrakeと言ったらP-modelの前身バンドじゃない?
もう40年(!!!)も前の事だぜ!
僕が17歳の高校2年(かな?)で平沢さんが22歳 田中さんと田井中さんが23歳か・・・
う〜ん・・・若い!(笑)

僕も高校の時に「阿媚叫喚」(命名者・山口君に「鼻」を「媚」に換えてもらいました)と言うバンドをやっていて そのバンドは、キーボード・ドラム・ベースのトリオバンド。
僕がシンセとオルガンで前沢君がベースで山口君がドラム。
一応プログレ(爆) でも普段は、学生服ですが17歳で胸までの長髪!殆どがハッタリでした。
でも 最初からプロになろうとは、思ってなかったし なれるとも思ってなかった。
大切なのは、毎日5時間の受験勉強!(´;ω;`)ウッ…

その3人で最初は、浦和ロックンロールセンター主催で浦和市民会館(埼玉会館じゃなかったよネ?)で行われたライヴを見に行って初めてMandrakeを見ました。
その前にロックンロールセンターのセンター長(?)高沢さんに「今度のライヴでは、秋山君が好きそうなバンドが出るよ」と言われていたので「プログレだよ」と期待。
未だベースが関さんの時でした。
感想?それが・・・俺だけ余り良くなかったンだわ。
ただ前沢君と特に山口君がかなり感激してました。「これは、凄い!」と。

で そのMandrakeが蕨の「にんじん」というライヴ・ハウス(かな?)に出演するという事で2人に付き合う形で僕も行きましたが・・・それが・・・凄かった!
お客が多分俺達だけ?3人かな?・・・
その頃の日本のロック・バンド(何組いたかい?)のプログレのバンドは、色々いましたが(プロでは、四人囃子を筆頭にCosmos FactoryにFar East Family BandにEastにクロニクル。セミプロみたいな感じで 阿修羅王道にだててんりゅう・・・等々)を軽く超える演奏でした。
そんな演奏をたった3人の前で演ってくれるなんて!ちょっと感動しましたネ。
「こりゃ〜こちらもそれに応えなきゃ!」と立ち上がって拍手をしました。
だって それが礼儀だろ?
それからは、Mandrakeが僕にとって海外を含めてもプログレでは1番のバンドになりました。

それで平沢さん達とちょっと話したのかな?確かメロトロンとか運ぶのを手伝ったかな?
「運ぶのを手伝う」と言うより メロトロンに触れる事が嬉しかったかも?
その頃は、「終末の果実」とか「錯乱の扉」とか「tales from pornographic ocean」とか演っていたな。
何度かライヴに行って 終演後に楽器を片付けるのが恒例になりよく話が出来るようになりました。
そりゃ〜嬉しかったさ!
こんな凄いバンドが知り合いだぜ?自慢さ!勝手に仲間意識を持っちゃたりして(笑)

スタッフみたいな事をやらせてもらったり 演技者として(笑)出させてもらったり・・・
平沢さんが浦和で演る僕等のライヴを見に来てくれて 帰りに4人で喫茶店に入ったり。
4人の胸まで長髪の若いのがダラダラ歩いてるわけ 内心かなり誇らしかったよ。
吉祥寺に「Dack」と言う音響家電を扱う店があって その2階でよくMandrakeがライヴしてました。
そこで阿媚叫喚がMabdrakeの前座を演る事がありました。
そりゃ〜嬉しかったさ!
憧れのバンドと共演するンだぜ?
例えば・・・今の俺で言うと・・・ボブ・ディランの前座で歌うようなもんだよ。

僕の高校生活など受験一色なわけ。
何をやっていても受験が暗く重く圧しかかってきてた。
そんな暗く重い日々の中でその吉祥寺の1日は、なんと言うか?・・・う〜ン
そんな日々の中でその吉祥寺の1日は、数少ない明るい日が差したような記憶に残る1日でした。
平沢さん23歳 俺が18歳 みんな若かった。
そういう記憶は、今の56歳の俺の何処か分からない底にちゃんと保存されてます。
40年前?余りにも長いし 余りにも短い。
振り返るわけじゃないけど そんな事を思い出したりする時は、
もう「平沢さん ありがとうございました」しかありません。

(ちょっとセンチメンタルになりました。どうもセンチメンタルは、苦手でネ)

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