1970年代の中頃までテレビでエレキ・ギターを弾いている人を見るのにも大変に稀だった頃 沢田研二さんのバック・井上堯之バンドは、俺にとって有難いものでした。
歌番組は、アイドルと演歌と歌謡曲(ポップス)ばかり でしたから。
1971年は、俺が小学6年ですから そのようなエレキにかなり飢えておりました。
もうお笑い番組も見てましたよ!
だって かしまし娘さんも歌江姉さん以外の方は、ギブソンのフルアコを抱えていましたし 東京モダン・ボーイズのリーダーは、エピフォンの最上級のモデルを使ってましたし ドリフターズの中本さんは、ギブソン335や145を使ってブルースを決めてました。
そんな飢えの小学生の僕に井上さんのギターを弾く姿は、そんな飢えの癒しになっていました。
だから 使用楽器等も記憶してますし 音色も憶えています。
僕の世代からちょっと上の世代のロック好きな方なら頷いてもらえるでしょう(ねェ?)
1度ですが(本当に今になって悔しいです。もっと見ておけば良かった・・・)生の井上さんを見た事があります。
余り音響的に良い条件ではなかったのですが 71年の後楽園球場です。
グランド・ファンク・レイルロード(GFR)の前座での公演を見ています(なかり小さいですが)
モップスの次に麻生レミとfriends その friends でギターを弾いていたのが井上さんです。
(モップス→麻生レミ&friends →マッシュマッカーン→GFRの順でした)
ベースが山内テツさん ドラムが原田祐仁さん キーボードは、大野克夫さん で井上さん。
小学6年ですから 当然に1人で行けませんので 上智に通っていた従姉が同伴。
井上さんは、白に青の太い縦縞の入ったベルボトムで 上がランニングでした。
従姉に教えてもらったのですがジャニスのカヴァーを演っていました(当時は、未だジャニスを聴いていなかったので)
ギブソンSGスペシャルのラージ・ピックガードを弾いていましたが ちょっと音響が悪過ぎでした。
「当時」だからしょうがないのですが・・・GFRは、凄かったです。
PAシステムの使い方の差で と言うか PAシステムなどと言う概念が日本であったか?どうか?
その頃でも日本では、ヴォーカルは、ヴォーカル・アンプ(爆)にマイクを持っていなきゃダメ。
ですから 申し訳ないのですが余り印象が残っていません。
あっ!また長くなりました・・・年寄は、前置きが長くて・・・(汗)明日に!