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私の、いま住んでいる街は、昔からの城下町である。と言っても、旧市街は4キロも離れているし、お城は、玄関と次の間しか、残っていないが。越して来た、40年前は、その地域は、寂れた感じだったのだが、現在は一大観光地になっている。年に400万人前後の、人が来るという。街おこしが、上手く行ったのだろうか。そんな訳で、この曲の雰囲気は、とても親しい。
(詞・安井かずみ 曲・平尾昌晃)
格子戸をくぐりぬけ 見上げる夕焼けの空に---家並みがとぎれたら お寺の鐘がきこえる 四季の草花が 咲き乱れ----
(ウィキペディアより)
小柳 ルミ子(こやなぎ るみこ、1952- )は、歌手、女優である。 別名:rumico。HIRAKU所属。福岡市早良区(当時は西区)生まれ。
もはや天晴れ、としか言いようのない女の執着心と法外な慰謝料で、全国の既婚男性を震え上がらせたのが記憶に新しいルミ子。が、その芸事に対するプロ魂と日々の努力は宇宙級である。幼少の頃からバレエ/タップダンス/日本舞踊などに邁進し、宝塚音楽学校に入学。71年に「私の城下町」でレコード大賞新人賞を獲得、という華々しい歌手デビューを切った。以降も「瀬戸の花嫁」「星の砂」「今さらジロー」といったヒットを放っている。また、デビュー当時こそ清楚なアイドルというイメージが強かった彼女だが、徐々に「大人の女」路線にシフト・チェンジし、映画『白蛇抄』(83年)では、そのグラマラスな肢体と鬼気迫る演技力で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞も獲得している。
89年にダンサーの大澄賢也と結婚。自らの舞台でも夫婦ならではの息の合ったダンスを前面に打ち出し、徹底したエンターテインメント・ショーを展開していくが、00年にはついに離婚。以後、ヌード写真集上梓や骨折、ウン千万に相当する宝石盗難……といった話題が先行しているが、新世紀には気分も改めて「歌」でゴージャスな存在感を再アピールして欲しい。02年6月、シングル「TEN ZILLION〜100億の幸福に包まれて」のリリースを機に、rumicoと改名。
人物・概要
1970年(昭和45年)に宝塚音楽学校を首席で卒業、そのまま「夏川るみ」の名で宝塚歌劇団に入団するも初舞台のみで退団。(最も小柳は歌手デビューを当初から念頭においており、宝塚は歌や演技の鍛錬を積む為の腰掛けであった。)
退団した同年、渡辺プロに所属し、NHK連続テレビ小説「虹」で女優としてデビュー。翌年1971年(昭和46年)4月25日には作曲家平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューし、160万枚(売上枚数は新井恵美子『女たちの歌』より)の大ヒットとなる。同曲は1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第一位を記録し、当時としてはアイドルのデビューシングルとしては最大のヒットとなる(1997年にKinKi Kidsの「硝子の少年」に破られる)。また日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞した。その後にリリースした「お祭りの夜」や「京のにわか雨」、また「瀬戸の花嫁」(日本歌謡大賞受賞)なども大ヒットし、天地真理・南沙織らとともに新三人娘と呼ばれ、1970年代前半を代表するアイドルとなった。
その後はアイドルというジャンルを卒業し、持ち前の歌唱力を活かした正統派歌手として「逢いたくて北国へ」「星の砂」「お久しぶりね」などのヒット曲を飛ばした。その軌跡として、デビューの1971年(昭和46年)から1988年(昭和63年)まで、NHK紅白歌合戦に18年連続出場という実績を残している。その歌唱力は現在も健在である。さらに女優としても、1983年に公開の「白蛇抄」で見せた迫真の演技により、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞する。順風満帆かに見えたが渡辺プロからの独立を巡り、仕事を干される等辛酸を舐めていたが、1989年(平成元年)に、13歳年下の無名のダンサーであった大澄賢也と電撃結婚し、結婚後は大澄と共に夫婦でのテレビ出演やステージを精力的に行い、夫婦揃ってのステージは各地で大盛況となり、結婚後も仕事で成功を収めていた。かつては芸能界のおしどり夫婦とも呼ばれていたものの、2000年(平成12年)に離婚となる。離婚する条件として、大澄に対して高額の慰謝料を要求したこと、そうでなければ、以前の無名のバックダンサーに戻ることのどちらかの二者選択を迫っていたことが明らかになり、話題となった。なお、以前ある番組に出演した際に、上記の二者選択発言は、実際は大澄が発言したとも告白している。
1994年(平成6年)、日本テレビで放送されていたドラマ「家なき子」に安達祐実演じる主人公・相沢すずを執拗に苛める伯母・園田京子役で出演。出演は3週だけだったが、小柳本人にとっては初の苛め役であり、話題を呼んだ。インタビューでは「絶対に弱みを見せないで頑張りましたね」と安達を評価したこともある。
2000年(平成12年)、日本テレビ系列にて松本幸四郎主演で放送されていたドラマ「明日を抱きしめて」にて、主要キャストとして出演していた三田佳子が息子の不祥事の心労から降板。急遽、三田とも親しい彼女に白羽の矢が立てられ、堂々と後任として演じきり話題となる。
2002年(平成14年)、歌手名をrumicoに、女優名を小柳ルミ子とした(しかし現在は音楽番組に出演する際も「小柳ルミ子」名義である)。この年の5月7日に発売された島津亜矢のシングル「夜桜挽花」のトータルプロデュースを手がけている。
2007年(平成19年)7月22日、27歳年下の俳優・石橋正高との婚約を発表して世間を驚かせる。前年の2006年12月12日に亡くなった、ルミ子の母親の喪が明けてから籍を入れる予定であった。しかし、入籍直前の2007年11月27日、テレビ朝日系列の「スーパーモーニング」にて、石橋に対して結婚への疑問を抱き始めたとのことで、結果石橋との同居及び婚約も解消したことを告白。「甘えられる事に疲れた」と話しているが、実際には交際が世に知れ渡る1ヶ月前には破局していたという。
かなりの近眼であるのは有名。また霊感も強く、旅先でのホテルなどで体験した心霊体験は「ごきげんよう」などのテレビ番組で度々、披露されている。さらに涙もろい性格でもあり、「NHK歌謡コンサート」など歌番組での歌唱時に、感極まって思わず涙ぐむシーンをよく見せている。
ステージでは華麗なダンスも売り物である。日常生活の中にバレエレッスンに基づくエクササイズを取り入れているなど努力を惜しまないタイプ。その成果もあって女性にしては筋肉質の鍛えられた身体をしている。本人曰く、バストはデビュー以来Eカップを保ち続けているという。
シングル
わたしの城下町(1971.4)
お祭りの夜(1971.9)
雪あかりの町(1972.1)
瀬戸の花嫁(1972.4)
京のにわか雨(1972.8)
漁火恋唄(1972.11.1)
春のおとずれ(1973)
恋にゆれて(1973)
十五夜の君(1973)
恋の雪別れ(1973)
花のようにひそやかに(1974)
ひとり囃子(1974)
冬の駅(1974)
黄昏の街(1975)
ひと雨くれば(1975)
花車(1975)
桜前線(1976)
恋岬(1976)
夾竹桃は赤い花(1976)
逢いたくて北国へ(1976)
思い出にだかれて(1977)
星の砂(1977.4.25)
湖の祈り(1977)
ひとり歩き(1978)
夢追い列車(1978)
泣きぬれてひとり旅(1978)
雨…(1978.11.25)
スペインの雨(1979)
恋ごころ(1979)
来夢来人 (ライムライト)(1980)
螢火(1980)
ジョーク(1980)
南風(1981)
たそがれラブコール(1981)
みだれ髪(1982.5.21)
通りゃんせ帰りゃんせ(1982)
お久しぶりね(1983.7.21)
今さらジロー(1984)
乾杯!(1985.3.5)
乱(1986 3.21)
背中でちょっとI LOVE YOU(1987)
泣かないから(1987)
LEATHERY(1988)
だらしがないね(1989)
はずかしがらずに男たちよ(1991)
誰でもいいはずないじゃない(1991)
涙が迎えに来てるから(1994)
夜明けの伝言(1995)※「小柳ルミ子&高山厳」名義でのデュエット
鳩(1996)
千年の恋(1997)
だから京都(1998)
いい気になるなよ(2000)
TEN ZILLION~100億の幸福に包まれて~(2002)※マキシシングル。「rumico」名義
アルバム(主な作品)
緑の地平線/こころの歌(1975)
花車(1975)
いつまでもこんな日が(1975.10.25)
青春・歌は私の心(1976.10.25)
テレビ番組
セイシュンの食卓(1992年 - 1994年、テレビ朝日)
ドラマ
虹(1970年 NHK)
おさな妻(1970年 東京12チャンネル)
いちばん星(1977年 NHK)
仔犬のワルツ(2004年 日本テレビ)
白と黒(2008年、東海テレビ)
ほか
映画
誘拐報道(1982年・東映)
白蛇抄(1983年・東映)
家なき子 劇場版(1994年・東宝)
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