ハーブの名歌

華の昭和名歌300・華の平成名歌200

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 何曲か、聴いてみた。この曲は、現在の歌謡曲に、かなり通じるものがある。プロトタイプの、ひとつと言っていい。秩峰の声は癖の無い渋い声で、言葉も聴きとりやすく、分かりやすい。音程も、他の演歌師に比べてとてもしっかりしている。つまり、現在の歌謡曲も、難なく歌いこなしたろう。
 日本 島国 めぐりは海よーーー血潮は踊る 海兵さん 明けても暮れても 水兵さん おや海軍さん 
(収集プロフィール)
塩原 秩峰(しおはら ちつみね、1880年(明治13年)8月19日 - 1937年(昭和12年)3月24日)
大正時代から昭和初期に活躍した日本の演歌師、歌手。栃木県那須塩原市出身。
経歴
初期の京都オリエントで書生節を多数吹き込み、「レコード流行歌」の普及に大きな功績を持った鳥取春陽に次ぐ、人気演歌師である。やや低めの歌声が特徴。代表曲には『平和節(ジョーヂァソング)』、『金色夜叉』、『春爛漫の花の色』などがある。京都オリエントがニッポノホン大阪支社レーベルになってからは新録音発売は途切れたが、1934年(昭和9年)、大阪ニットーで吹き込んだ『兵隊ぶし』で再びヒットを放つ。片面は美ち奴とデュエットの『水兵ぶし』で、塩原はこの2曲を最後に引退する。1937年(昭和12年)3月24日、敗血症のため56歳の若さで亡くなった。
*森山加代子(1961年発売。シングル「パイのパイのパイ」。同年公開の映画『アワモリ君売出す』劇中歌)大正7年(1918年)発表。
元々のメロディーは、ヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された「ジョージア行進曲」(Marching Through Georgia)で、アメリカ南北戦争時のウィリアム・シャーマン将軍の海への進軍の様子を描いた行進曲である。添田によって作詞される以前から、明治25年(1892年)に「ますらたけを」の題で国文学者・東宮鉄真呂の作詞による軍歌が販売されたり、救世軍が街宣活動で演奏するなど広く親しまれていた。これに添田が改めて歌詞をつけたものが「パイノパイノパイ」である。資料によっては作曲者も添田知道(添田さつき)や神長瞭月とされていることがあるが正確ではない。日本では原曲よりも「パイノパイノパイ」での知名度が高いため、ブラスバンドがジョージア行進曲を演奏したところ、卑俗な歌を演奏するとはいかがなものかと苦情が来たというエピソードもある。
売文社に勤めていた添田がある日「のんき節」の掲載許可を貰いに父・添田唖蝉坊の元を訪ねると気まぐれに、演歌を一つ作ってみないかと言われた。当時流行りつつあった洋食屋のメニューを羅列したような仮歌であったが、唖蝉坊がメロディーを口ずさむと、幼少期に神奈川県大磯の実家に預けられていた時に遊び仲間から「ますらたけを」のメロディーで囃し立てられた記憶が急に蘇り、小説家志望で歌は嫌いでなかったこともあり、作詞経験はないがつい釣り込まれてしまった。その席上、唖蝉坊にはどうせ浮世は出鱈目だという人生感があり、口癖になっていてその場でも出た。そうして「デタラメ」が「ラメ」となり「ラメチャン」となって囃子言葉はスラスラと決まり、全体は宿直の一晩で書き上げた。このとき添田知道はわずか19歳だった。
明治中頃の丸の内は三菱ヶ原と呼ばれる草の生い茂る原野であったが、明治27年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工したのを皮切りに、東京府庁舎、東京駅の建造が始まり、原野からわずか20数年で急速に近代化を遂げた東京の名所・古跡・風俗が歌い込まれているのが特徴である。「パイノパイノパイ」の大流行につれて新たな歌詞が求められ、京阪神・中京・吉原の風俗、更に第一次世界大戦の戦後処理のためパリ講和会議に全権として参加した元老・西園寺公望が愛妾や灘萬の店主を伴ったことが大新聞に取り上げられたこと、会議の結果としてドイツが所有していた山東省の権益や南洋諸島の委任統治権を得た戦勝気分を背景として添田が改詩したものが「平和節」の名で大正8年に発表された。
代表曲
『春爛漫の花の色』 作詞 矢野勘治、作曲 豊原雄太郎 1916年(大正5年)
『嗚呼玉杯に花受けて』 作詞 矢野勘治、作曲 楠正一 1916年(大正5年)
『夜半の追憶(男三郎の歌)』 作詞 武島羽衣、作曲 田中穂積 1917年(大正6年)
『平和節(ジョーヂァソング)』 作詞 添田さつき、作曲 ヘンリー・ワーク
1917年(大正6年)
『金色夜叉』 作詞 宮島郁芳、作曲 後藤紫雲 1918年(大正7年)
『白菊』 作詞・作曲 神長瞭月 ※商船学校寮歌、山本久光との歌唱
1918年(大正7年)
『水兵ぶし』 作詞 伊藤松雄、作曲 清美生二 ※美ち奴とのデュエット 1934年(昭和9年)
『兵隊ぶし』 作詞 伊藤松雄、作曲 水谷ひろし 1934年(昭和9年)
脚注[編集]
^ 1934年、書生節は「流行青年歌」「流行青年節」と表記されている。

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