ハーブの名歌

華の昭和名歌300・華の平成名歌200

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 鈴木白洋や桜井敏雄の歌唱も聴いたが、やはり曽我の歌唱が、この歌にはあっている、と感じた。当時のクラシックの発声で、オペラ風に歌っている。この曲には、その雰囲気がよくあっている。曲は、飽きのこないメロディーで、ほのかな哀愁が心地よい。
(作詩 後藤紫雲  作曲 高木青葉 昭和7年)
1 棹さす小船に 舵はたえ
  流れに砕くる 月影は
  千々に砕けて
  波間に漂いて
  いづこの船路を たどるらん
2 秋錦秋の 幕をはり
  笛の音棹の音 さえわたり
  月光ななめに 
  飛ぶ雁の哀れにて
  いつもの塒に やどるらん
3 春はヴェニスの 宵の夢
  涙に夢も 泣きぬれて
  さざれの真珠と
  なぞろう うたかたの
  哀しき船出を 慕うらん
4 ともしびやつれて 春は逝き
  櫓はさざなみに ささやきぬ
  たゆとう 小船に
  迷える悲歌をのせ
  儚き別れを しのぶらん
(収集プロフィール)
曽我 直子(そが なおこ、1905年 - 1995年7月24日)昭和初期に活動した、日本の歌手。本名は岡田 田鶴(おかだ たづ)。別の芸名として浅香 つる江がある。愛知県で生まれる。東洋音楽学校声楽科、帝国劇場歌劇部研究生を経て歌手となる。主にニッポノホン、コロムビア、ヒコーキ(3つとも現在はコロムビアミュージック)等のレコードレーベルで多くの曲を歌い、ヒット歌手となった行進曲を川崎豊とデュエットで歌ったことで知られる。
*なつめろダイアリーより
曾我直子は東洋音楽学校声楽科出身で、本来、正統派の声楽家を志していたという。帝国劇場歌劇部の研究生を経て、帝劇女子管絃楽団でアルバイトとしてクラリネットを吹いていたが、昭和詩初期に歌手に転身。帝国劇場との契約上、本名の岡田田鶴の名が使用できないため、曽我直子という芸名で活動した。また、ほぼデビュー時からコロムビアとヒコーキレコードで浅香つる江の変名も用いている。
 昭和初期のニッポノホン、コロムビア系レーベルに旺盛に吹き込みをし、天野喜久代、井上起久子、河原喜久恵らとともに女声歌手のレギュラー陣となった。吹き込みは「ジャズソングの女王」と謳われた割りには少なく、昭和4年から5年にかけてヒット曲を連発したことで一気に人気が盛り上がったが、そのあとは関種子、丸山和歌子、渡邊光子、淡谷のり子ら女声陣の充実とともにいち早く消えていった。レコード歌手からの引退が比較的早かったためである。
 とりわけ同時期にデビューした東京音楽学校出身の河原喜久恵(*)は曽我と似通った個性を持っており、曽我よりもさらに安定した技巧とメリハリを有していた。昭和5年から6年にかけて、特に「ザッツ・O・K」の大ヒットを契機に曽我の人気は河原喜久恵に継承されたといってよい。
 曽我はソロでの吹き込みとともに川崎豊とのデュエットも残しており、なかでも「沓掛小唄」「蒲田行進曲」はヒット盤となった。独唱では「麗人の唄」「金のグラス」「明眸禍の唄」がヒットし、とりわけ「麗人の唄」はコロムビアに河原喜久恵盤があるにもかかわらず、ニッポノホンで曽我による2種類の吹き込み盤(うち1種は川崎とのデュエット)が作られるほどの人気を示した。
 曽我の歌唱は女性らしい繊細さと伸びの良さ、楽譜に忠実な点が特徴として挙げられる。晩年の藤山一郎氏に伺ったところ、「楽譜に忠実に歌われた方でした」という藤山氏らしいコメントを頂戴した。彼女の発声は、邦楽の素養が影響しているのではないかと思われるが、声に鼻にかかったか弱い色気があり、川崎豊の男性的な力強いテナーと好対照であった。写真を見てもすんなりした線の細い美人で、いかにも恋に思い悩む女の唄にふさわしい容姿である。
 一連のレパートリーの中でも叙情小曲の「忘れな草」は絶唱である。この歌曲には柴田秀子(創唱者)や三浦環など声楽家の録音もあるが、技巧的にはともかく情感の豊かさに於いて、通り一遍な物足りなさを感じさせる。三浦環などは歌詞が聞き取りにくく、しかもオペラティックに歌われると日本歌曲らしい楚々とした美しさが失われてしまう。
 曽我はオペラの舞台やクラシカルな曲目による独唱会の経験はないが、声質は叙情性に富んだリリコ・ソプラノであり、マイクロフォンを駆使したフレキシブルな感情表現も心得ていた。ほかの昭和初期の歌手にもいえることだが、これも先に触れたように邦楽の発声法を心得ていたからではないだろうか。
 筆者が筆頭に推す「忘れな草」や「金のグラス」、「女と恋」など曽我の一連のレコードは、同時代の天野喜久代、井上起久子、青木晴子らとはまた異なる魅力ある個性をうつしだしている。「忘れな草」と裏面の「明眸禍の唄」は、異なるアレンジによる2種類の録音が確認されており、それぞれに特色のある出来栄えになっている。初めのテイクでは素朴かつストレートだが押し付けがましくない歌唱が、胸に迫る効果を挙げている。一方、後のテイクではマンドリンなどを加えたより大きい編成をバックに、フレーズごとに強弱をつけてドラマティックに歌われている。テイクを重ねたのでかなり疲労したとみえて、声はよれよれとしてほとんど投げやりに歌っているようなところも見られる。それが真に迫っており、レコードとして成功している。最終フレーズで間を置くのも別テイクの特徴であるが、これはわざとらしく、やり過ぎの観がなくもない。
LP時代の復刻盤では後者が使われており、今日見かける盤も後のテイクの方が多いようである。
 ちょっと珍しい吹き込みとしては、昭和4年秋に日本でも封切られたフォックス映画「サニイ・サイド・アップ」”Sunny side up”のフィルムに、フォックス本社からの依嘱で内田栄一と曽我直子が唄をかぶせている。歌っているのはレコード化もされた「夢の恋人」”I’m a Dreamer aren’t we all?”で、これなどは日本公開のフィルムが残っていたら見てみたいものだ。
 曾我直子はもともと声楽家志望であったのだが、当時のクラシカルな声楽家の多くがそうであるように、流行歌吹き込みのアルバイトを余儀なくされた。曾我直子も経済的な理由からレコード歌手となり、ごく少量の歌曲によってのみ、その望みを果たすことが出来た。そのためか、割合に声楽家、オペラ歌手に知己が多かったようである。浅草オペラ出身の清水金太郎や、同じ東洋音楽学校出身の淡谷のり子と交流があったという。しばしばレコードで共演をした川崎豊もオペラ志望のテナー歌手で、留学費用を捻出するためにレコード吹き込みをしていた。このコンビのレコードは、昭和初期の洋楽壇の厳しさをうつしし出す鏡でもあるのだ。
 舞台での公演活動についてはあまり詳らかではないが、全盛期に全国を巡演したほか、戦時中には軍の慰問にも加わったという。中国大陸で慰問を行ない、原子爆弾が投下される直前の広島でも慰問活動を行なったそうである。
戦後は保母さんのようなことをしながら、音楽を教える道を選んだ。晩年まで個人経営の音楽教室で歌やピアノを教え、音楽家として生き抜いたのであった。
*森本敏克氏「SPレコードのアーティスト」(六甲出版)「歌の花籠」
Dグラフィー
(昭和15年)月は冴ゆれど
”Lonesome in the Moonlight”
未記載 未記載 未記載 ニッポノホン
夜の柴笛   未記載 未記載 未記載 ニッポノホン
マダム 堀内敬三 未記載 堀内敬三 ニッポノホン
浜唄  未記載 未記載 未記載 ニッポノホン
空中行進曲 北原白秋 諸井三郎 未記載 ニッポノホン
祭り唄 未記載 未記載 未記載 ニッポノホン
ヴェニスの舟唄 後藤紫雲・宮島郁芳 後藤紫雲・宮島郁芳 未記載 ニッポノホン
隊長さん(ジャズ民謡) 未記載 未記載 未記載 ニッポノホン
麗人の唄 サトウハチロー 堀内敬三 未記載 ニッポノホン
尖端的だわね 松竹蒲田音楽部 松竹蒲田音楽部 未記載 ニッポノホン
麗人の唄(w.川崎豊) サトウハチロー 堀内敬三 未記載 ニッポノホン
浅草行進曲 多蛾谷素一 塩尻精八 未記載 ニッポノホン
夢の家"Dream House"
(w.天野喜久代) 未記載 未記載 未記載 コロムビア
沓掛小唄(w.川崎豊) 長谷川伸 奥山貞吉 奥山貞吉 コロムビア
金のグラス 小野行人 石津豊 堀内敬三 コロムビア
乳姉妹の唄 川村花菱 堀内敬三 未記載 コロムビア
空中行進曲(w.川崎豊) 北原白秋 諸井三郎 未記載 コロムビア
蒲田行進曲(w.川崎豊) 堀内敬三 R.フリムル 堀内敬三 コロムビア
明眸禍の唄 吉井勇 杉山長谷夫 未記載 コロムビア
忘れな草 勝田香月 杉山長谷夫 未記載 コロムビア
みなと行進曲 堀内敬三 堀内敬三 未記載 コロムビア
新潟小唄 北原白秋 町田嘉章 未記載 コロムビア
尖端的だわね 松竹蒲田音楽部 松竹蒲田音楽部 未記載 コロムビア
第九回極東大会の歌 足立賢治 陸軍戸山学校軍楽隊 未記載 コロムビア
淀君小唄 三上於兎吉 奥山貞吉 未記載 コロムビア
恋と女 三上於兎吉 奥山貞吉 未記載 コロムビア
名古屋音頭 関本とめ 松浦まこと 未記載 コロムビア
北投小唄 栗原白也 町田嘉章 未記載 コロムビア
由比ガ浜小唄 久米正雄 町田嘉章 未記載 コロムビア
夢の恋人
“I’m a Dreamer aren’t we all?” 未記載 未記載 未記載 コロムビア
オール箱根ソング
(ヘッチョイ節) 野口柾夫 杉山長谷夫 未記載 コロムビア
月の沙漠 加藤まさを 佐々木すぐる 未記載 ヒコーキ
椰子の実 加藤まさを 佐々木すぐる 未記載 ヒコーキ
夢がほんとになればよい 未記載 未記載 未記載 ヒコーキ
唐人お吉 神田日活文藝部 神田日活文藝部 未記載 ヒコーキ
青い鳥 法月花客 佐々木すぐる 未記載 ヒコーキ
ねんねのお里 北原白秋 佐々木すぐる 未記載 ヒコーキ
忘れな草 勝田香月 杉山長谷夫 未記載 ヒコーキ
出船 勝田香月 杉山長谷夫 未記載 ヒコーキ
祭り唄 未記載 未記載 未記載 リーガル
ヴェニスの船唄 後藤紫雲・宮島郁芳 後藤紫雲・宮島郁芳 未記載 リーガル

「ヴェニスの舟唄」高木青葉(作曲)後藤紫雲(作詞)
土取利行:唄・演奏(バンスリ、エスラジ、タブラ)
 大正13年東洋音楽学校で鈴木米次郎校長に目をかけられて卒業、バイオリン教習所着実­にやっていた高木青葉のいわば会心作。彼は演歌で苦労していたが、街頭に立ってやって­いたある夜のこと、聴衆の中に鈴木校長の姿が。夜の演歌は世間的にいやしいと見られて­いたので叱られ放校処分になると思っていたが、「君のやっていることは音楽普及のため­にいいことです」と校長。こんなエピソードを持つ高木はまじめな演歌をやっていていい­曲も残しているが、早く亡くなってしまったと、添田知道氏は述べている。
街頭でお客を掴まえるには相当に目立った歌い方をしなければならなかったろう、勢い、­こうゆう型になるんだネ・・桜井は震災前から石田一松の門弟の中の演歌の伝唱者として­白眉だった、お人でアル・・・兎に角、街頭では、よく透る、高い声と、節回しの上手さ­にあった、故に、余計に節を回す人もあったようだ・・目ン無い千鳥の頭はこれか!
*発売年不明(大正期機械式吹込) 内外レコード 書生節 ベル入
唄唱:鈴木白洋

 この所、実力のある若手たちが、次々と台頭してきていて、いい雰囲気になってきた。この方は、本業が津軽三味線奏者ということだが、歌も上手い。現時点で、プロのなかで、すでに中の上までいっている、といって過言ではないだろう。加齢とともに、深みが出てくるであろうし。
(詞 志賀 大介 曲 伊戸 のりお 2016)
男は生きて いるうちに 三度背中で 泣くという そこからーーー腕が錆びれば ただの棒 かっこ悪いぜ 強い忠治が 泣いている
(収集プロフィール)
浅野 祥(あさの しょう、1990年3月〜 )津軽三味線奏者。宮城県仙台市出身の、津軽三味線奏者。歌手。
*浅野 祥は生まれながらの天才三味線プレーヤー。彼は決して自分をカテゴライズしない。古典はもちろんのことクラッシックやジャズ、ポップ・ミュージック・・・
「僕の三味線で表現すると?」
そんな無限の好奇心が彼の中に渦巻いている。ずば抜けた表現力は独特の響きを奏で、その世界の重鎮達をも唸らせた。さらに彼の音は、音楽ジャンルのボーダーを越え、ポップ・ミュージックのトップランナー達の心さえ、とらえはじめている。
 略歴
宮城県仙台第一高等学校卒業。慶應義塾大学総合政策学部卒業。
5歳より祖父の影響で三味線を始める。1998年、8歳のときに津軽三味線全国大会15歳以下の部で最年少優勝。2004年の津軽三味線全国大会では一般A級の部で最年少優勝を果たし、2006年まで3年連続優勝。
2007年には上海公演、2008年にはカナダ、アメリカなどでの公演を行う。フラメンコとのコラボレーションや、WAHAHA本舗の舞台に参加するなど幅広い活動を行っている。
シングル
1. 忠治が泣いている (作詩:志賀大介 作曲:伊戸のりお 編曲:伊戸のりお)
2. いかとりの唄 (採作詩:志賀大介 作曲:神奈川県民謡 編曲:伊戸のりお)
3. 忠治が泣いている(オリジナル・カラオケ)
4. いかとりの唄(オリジナル・カラオケ)
5. 忠治が泣いている(一般用カラオケ)
6. いかとりの唄(一般用カラオケ)
7. 合格節 (作詩・曲:御守太郎/編曲:浅野祥)

 大陸の旅的、時代錯誤的、などという声もあるが、私は聴いてみて新鮮な感じを受けた。この30年、酒、山、川、岬などに、人生を例えて歌い上げる、という歌が多過ぎたから、というのも主因のひとつだろう。ときに名曲もあったが、ほとんどはその安易さ、浅さにうんざりする、というパターン。これは、ポップス系の方たちが、密かに思っていたこと。この曲のように、一度異国へ出て、外から自分とその取り巻く状況を見つめてみる、という試みもいいのでは。
(詞 板橋雅弘 曲 水森 英夫 2016)
流れる雲の 影追い越して 風になるのさ 荒野の風に 許すことなく 忘れてーーーなにが待つのか 最果ての闇 くすぶる愛に さらばと叫び 走り去るのさ メルボルン特急
(収集プロフィール)
松尾 雄史(まつお ゆうし、1991.7〜 )長崎県諫早市出身の歌手。日本クラウン所属の演歌歌手。作曲家水森英夫に師事。180cmの長身と巻き舌を織り交ぜた節回しが特徴。
2012年
日本クラウン創立50周年記念新人として6月6日デビュー
第45回 日本有線大賞 問い合わせ賞受賞
第45回 日本作詞大賞 入賞作「くちなし慕情」
2013年
デビュー1年目の演歌歌手が、舞台『World』準主役で大抜擢!
シングル
くちなし慕情(2012年6月6日)
純子の泪(2013年5月8日)
北斗岬(2014年1月8日)
青二才(2015年1月7日)
メルボルン特急(2016年10月20日)
*板橋雅弘
小説家、漫画原作者、コラムニスト、エッセイスト
東京都文京区出身。中央大学法学部卒。
大学在学中に伝説のキャンパスマガジン「中大パンチ」をえのきどいちろう、杉森昌武とともに立ち上げ、「中大七大怪獣」「嘘」「真実」「真実の真実」「真実の真実の真実」などのおバカ記事で絶賛と非難を浴びる。大学卒業後、中大パンチの仲間と編集プロダクション「シュワッチ」を設立。24歳にして「週刊プレイボーイ」の最年少アンカーとなり、さらにおバカな記事を書きまくる。ついでに今はなき「GORO」「スコラ」といった、男性誌でもおマヌケ記事を書きまくる。また、プロレスに熱中。まだ若手だった高田延彦に入れ揚げ、ついに本まで出版。一方、「SPY」でトレンド(恥)ルポルタージュの連載をはじめ、後に「DIME」での「日本一を見に行く」につながり、3年間にわたり日本の隅々を旅して回る。また、バブルの時流に乗り、都会派恋愛小説を書く。これが縁で「週刊少年マガジン」で1話読み切りのラブコメ「BOYS BE…」シリーズの連載開始。1991年より10年に渡り、いたいけな少年に夢と希望と幻想を与え続ける。シリーズ全58巻、2000万部以上売る大ベストセラーとなる。

 心に、すっと入ってくる声と、曲調である。自己陶酔に、陥りがちな種類の歌なのだが、花京院は思い入れに走らず、そこをうまくコントロールしているようだ。それによって、多くの人の心に、すんなり入っていく。さて、このクラスの女性歌手は現在多く、有力な方だけでも、10人程度はいる。あせらずに、いい曲を歌って行って欲しい、とせつに思う。
(詞 喜多條 忠 曲 榊 薫人 2011)
 あいや あああ あ〜 あれをごらんよ 寄り添うカモメ 幼なじみか恋仲か 津軽はるかに 風の中ーーー泣いて昔にヨォ 帰らりょか
(収集プロフィール)
花京院 しのぶ (かきょういん しのぶ、1957年8月〜 )宮城県出身の、演歌歌手。
*スポニチアネックスより
仙台出身の無名の演歌歌手が、デビュー34年目で全国放送に初めて登場する。三味線を弾きながら歌う花京院しのぶ(54)で、27日放送のNHK「歌謡コンサート」に生出演。東日本大震災で親族7人が犠牲になり、5月にはデビューからともに歩んだ師匠でマネジャーの島津晃氏(享年84)と死別。悲しみを乗り越えて歌う苦労人の“望郷の鎮魂歌”に注目だ。
 花京院が披露するのは7月に発表した「望郷あいや節」。仙台在住の作曲家、榊薫人氏が青森民謡「津軽あいや節」を基調に作った新曲。仙台を地盤に33年間、地道に歌い続けてきた苦労人が、亡き師匠と被災した故郷への思いを込めて歌う鎮魂歌でもある。
 震災で福島第1原発から車で15分ほどのところに住む親族ら6人が死亡、1人が不明になったまま。そんな悲しみを乗り越え「望郷あいや節」はバチで力強く叩く三味線の音と高らかな歌声で始まる。花京院は「もの悲しさの中に力強い希望の思いを込めて元気と勇気が伝わるように歌いたい」と思いを語る。
 78年にデビューして4年間は鳴かず飛ばす。仙台に帰り、地元で20年間歌い続けた。“女・三橋三智也”を目指してモノにした広い声域がビクター関係者の目に留まり、03年に契約した。
 資生堂の元美容部員という経歴もユニーク。トレンドには敏感で、女子高生らが携帯電話をビーズなどで飾り付ける「デコ電」さながらに、愛用の三味線やバチ、着物までデコレーションを施している。「昔からヒカリモノが好きで、舞台の照明に映えるようにと付けたのが始まり」と説明。若者にも親しみやすいド派手なキャラクターはインパクト十分。
*78年に「夫婦道」で日本クラウンからデビュー。花京院は仙台市青葉区にある地名からつけた。03年にビクターに移籍後「望郷新相馬」「望郷やま唄」を発売。「新相馬」のカップリング「お父う」はカラオケ大会で人気が出ており「望郷あいや節」に再収録。
・特技 : 津軽三味線、日本舞踏名取(泉流)
・紅白出場歴 : なし
・受賞 : 平成7年 日本文化振興会『最優秀国際グランプリ賞』
シングル
夫婦道 1978
望郷新相馬
お父う 2011
望郷よされ節

 大衆演劇の、花形役者のような芸名。最初は、キワモノ、の印象をうけた。三山ひろしとの共演で、この方を初めて知ったのだが、PVを見て驚いた。すごい実力だ。オリジナルはすでに、現在のムード歌謡歌手のトップクラスに、ひけを取らない。カヴァー曲は、まだ研究の余地があるが。
 私は,ダウトというバンドは、まるで知らなかった。今回、関連資料として、5、6曲聴いてみた。歌も音の技量も、実力十分なバンドである。私の知らないところで、まだまだ素晴らしい実力を持った若手がいることに、感激。ぜひ、ソロ活動と併行して、バンドも続けてほしい。
(詞 石井 克明 曲 田尾 将実 2015)
まるで貴方は東京 憧れの男よ 祈るように捧げた 大切な操ーーー忘れられないの 私を女に変えた この街を  
(収集プロフィール)
花見桜幸樹(はなみざくら・こうき、198X〜 )兵庫県神戸市出身。12012の塩谷朋之とは高校時代の同級生であり、大学1年の時に結成したバンドMist of Rougeのメンバーだった。
*ビジュアル系バンド・ダウトのボーカル幸樹が、来年2月18日にムード歌謡歌手としてソロデビューすることが明らかになった。アーティスト名は、公私ともに親交の深いゴールデンボンバーの鬼龍院翔が、“花見桜幸樹”(はなみざくら・こうき)と命名した。
 ソロデビュー曲(タイトル未定)は、哀愁たっぷりのメロディーに昭和の残り香漂うラテンビートを乗せたムード歌謡。振り付けやポーズも盛り込み、メイクや衣装もV系から一転、歌謡歌手“仕様”となる。
 異色の転向に幸樹は「素直に自分の歌を求めてくださるのは至福の極みです。尊敬できる仲間に命名してもらった以上、その名に恥じないよう、やるなら中途半端にはせず、とことんやりきりたいと思います。皆様どうぞよろしくお願いします」と意気込んでいる。


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