ハーブの名歌

華の昭和名歌300・華の平成名歌200

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 ヒット曲を久しぶりに、10曲ばかり聴き直してみた。独特の泣き節の「十九の浮草」、当時の曲としては、新しい試みをかなり取り入れた「別れの入場券」など、それぞれ味わいがある。けれど、この曲と、「お別れ公衆電話」が2大代表曲だろう。
 ほぼ同時代の活躍なのだが、美空ひばりや島倉千代子、石井千恵(やや洋楽の影響がみられる)、などとどこか違った、演歌・歌謡曲の世界だ。そう、松山の歌の世界は、詞や曲を超えて、どこか強い土俗性、を感じさせるものなのだ。
(詞 松井 由利夫 曲 水森 英夫 昭和32)
 もしも私が 重荷になったらいいの 捨てても恨みはしない お願い お願い 連れて行ってよこの船でーーーああ ドラが泣かせる 未練の波止場
(収集プロフィール)
松山 恵子(まつやま けいこ、1938年4月10日 - 2006年5月7日)福岡県生まれの、演歌歌手。庶民派で知られ、「お恵ちゃん」(おけいちゃん)の愛称で幅広いファンに親しまれた。裾の幅が広いフリフリのドレスにハンカチがトレードマーク。
経歴
福岡県戸畑市(福岡県北九州市戸畑区)で生まれる。生後すぐに父の仕事の関係から東京へ引っ越すが、終戦後の食糧難のため、父の故郷の愛媛県宇和島市へ引っ越す。中学2年生で出場した「日本コロムビア全国歌謡コンクール」で10位入賞を果たし、関係者の注目を集めた。1954年、歌手になるため家族全員で上京しようとしたが、東京行きの資金が足りず大阪へ途中下車して、大阪府大阪市淀川区に引っ越す。大阪エコー音楽学院の研究生となり、日本マーキュリーレコード全国歌謡コンクールで優勝。彼女の師である大阪エコー音楽学院の西脇稔和の薦めで「雪州音頭」(作詞・小倉武良、作編曲・西脇稔和)を岡崎景子の芸名で日本マーキュリーレコードで初吹き込み、第1号を発売する。1955年、「宵町ワルツ」「マドロス娘」でデビュー。1956年に「十九の浮草」が大ヒットし、一気にスターダムにのし上がった。「未練の波止場」「だから言ったじゃないの」「お別れ公衆電話」「泣いたって駄目さ」「東京なんて何さ」「アンコ悲しや」「酒場小唄」など数多くのヒット曲を飛ばし、『NHK紅白歌合戦』にも1957年から通算8回出場した(そのうち、7回は連続出場。詳細は下記参照。)。
1969年に交通事故に遭い、瀕死の重傷を負う。この時の輸血が原因で肝炎を患い、亡くなるまで闘病を密かに続けていた。一時は生命も危ぶまれたが不屈の闘志で復活し、最後まで国民的歌手としての人気を維持した。晩年は裾幅3.5メートル、重さ20〜30キロのドレスを着込んで歌うという年齢を感じさせないステージが多くの世代に親しまれ、懐メロ番組に欠かせない存在であった。1989年には、久しぶりに紅白歌合戦に出場。裏面全体にバラの花を飾った直径2メートル半のド派手なドレスで登場した。1995年には第37回日本レコード大賞功労賞を受賞した。歌い終わると手に持ったハンカチを振る。自分のことを「オケイチャンはね」という。
私生活を売り物にすることは無かったが、一度だけ交通事故で入院した後、週刊誌に半生を語ったことがある。美空ひばりや島倉千代子等の同年代のスター歌手同様、家庭は波乱に満ちていた。数々の男性と浮名を流すなど非常にモテたが、生涯一度も結婚せず、子供もいなかった。2006年4月、入院中に死期を悟り、長らく苦労をともにしたマネージャーと養子縁組を行った。
2006年2月収録のNHKデジタル衛星ハイビジョン『シブヤらいぶ館・演歌一本勝負』で、1996年頃から肝臓癌で闘病中であることを告白し、その直後の3月下旬に入院。4月末に容態が急変し、5月7日に亡くなった。享年69。6月に新曲「人生ありがとう」を発表する予定だった。東芝EMIは、松山の死を受けて追悼アルバムの製作を決め、2006年8月9日に『松山恵子愛唱歌〜お恵ちゃんありがとう〜』のタイトルで発売された。
演歌歌手の三船和子は、松山にあこがれて歌手になったという。三船は松山の葬儀で号泣し、「お恵ちゃんの歌は私が歌い続けます」と語った。「お恵ちゃんのことを悪く言う人は一人もいない」と言われるほど、性格が良いことで知られ、観客やファンはもちろん、スタッフにも常に優しく接していた。前述の三船や立川談志など、芸能人にもファンは多かった。JR宇和島駅構内に、ヒット曲「お別れ公衆電話」を記念した電話ボックスが設置されている。
代表曲
「ホステス小唄」
「だから言ったじゃないの」(出だしの「あんた泣いてんのね」の台詞は流行語になった。また、レコード会社移籍後の発売は「だから云ったじゃないの」と表記されている。)
「お別れ公衆電話」
「アンコ悲しや」
「鳴門ちどり」
「未練の波止場」
「十九の浮草」
「泣いたって駄目さ」
「思い出なんて消えっちゃえ」
「恋の三度笠」
「東京なんて何さ」
「ひとりぽっちの三等車」
「鳩よ」
「平和への祈り」
「女の劇場」
「哀愁の駅」
「キュッキュッ節」(合いの手が卑猥であるとされ、放送禁止に)
「逢わなきゃよかったんだわ」
「石狩の町よさようなら」
「バックナンバー1050」
「別れの入場券」
「色去灯」
「ハイハイハイ〜今度生まれて来る時も〜」
「紅とんぼ」
「一葉記」(遺作)

 やっと、山内惠介と三山ひろしが、初出場となった。2人とも、はじめから、才能とある程度の幸運に恵まれてはいた。が、この栄冠を勝ち得るまで、どれほどの修練と血と汗の努力が、あっただろうか。もっとも、五木ひろしや水前寺清子などに比べると、まだまだ軽いか?とまれ、現代の若者としては、かなり褒めていいことだろう。来年は、古株・大物歌手が、かなり姿を消しそうだが。時は、誰も抗えぬまま、過ぎてゆくのかも。

 もうひとつの代表曲「想い出が多すぎて」も良いが、この曲のもつ明るさと、癒しに、より惹かれた。曲全体にあふれる、カントリー風の、軽快で明るいリズムは、歌の内容と切り離しても、40数年を経てなお斬新だ。
(詞・曲 高木 麻早 1973)
 今ひとり部屋の隅にいて 今ひとりひざを抱いて眠る ギターのつまびきそれは昨日ーーー今ひとりソファー 横になって 今ひとり想うあなたのこと ラララララ ラララララ ラララララ
(収集プロフィール)
高木麻早(たかぎ まさ、1953〜  )女性シンガーソングライター。愛知県名古屋市出身。
略歴
1973年5月、ヤマハ第5回ポピュラーソングコンテストに出場し、「ひとりぼっちの部屋」で入賞。同年9月10日、同曲で「ヤマハ音楽振興会」所属でキャニオンレコードからデビュー。「ひとりぼっちの部屋」は40万枚を超える売り上げとなり、ファースト・アルバム『高木麻早』と共に大ヒット。オリコン新人賞受賞。
1985年、音楽活動を休止。
2004年11月、オリジナルアルバム「True Love」をリリースし、音楽活動を再開。
人物
コンサート、ライヴを中心に活動。また、ニック・ニューサー、岡崎友紀、名高達郎らの作品も手掛ける。
ディスク・ジョッキー、司会など幅広い活動を展開。
シングル
ひとりぼっちの部屋(1973年9月10日) - 1990年11月21日再発
想い出が多すぎて(1974年1月10日)
コーラが少し(1974年3月25日)
不思議な気分(1975年4月25日)
すりがらす(1975年8月25日)
愛は貴方のぬくもり(1976年1月25日)
あいつってさ(1976年11月25日)
愛のシルエット(1977年3月25日)
夢のバラード(1977年6月)
忘れたいのに(1978年9月21日)
ひとり徒波(1979年4月)
風の歌(1979年12月5日)
な・お・ん(1980年6月)
会者定離(2009年3月14日)
アルバム
高木麻早(1973年10月10日) - 1994年11月18日/2001年12月19日再発
麻早(1974年5月10日) - 1994年11月18日再発
TAKE A TEN(1974年9月10日) - 1996年3月21日再発
麻早 こころの扉(1975年7月5日) - 1996年3月21日再発
高木麻早LIVE(1976年)
Silhouette(1976年) - 1996年3月21日再発
DREAM ON(1977年) - 1996年3月21日再発
はじめて女になったとき(1978年) - 1996年3月21日再発
渇奏路(1980年)
PICK UP ME(1983年)
Good-bye あの頃(1984年)
MASA☆夢(2002年7月15日)セルフカバー
TRUE LOVE(2004年11月17日)
ベストアルバム
プレイバック・シリーズ 高木麻早(1987年12月5日)
ポプコン・スーパー・セレクション 高木麻早 ベスト(2003年3月26日)
マイ・リコメンド 高木麻早(2006年12月21日)

 しみじみとした風情が、全体を包む。最近の、いまいちのオンパレードの歌謡曲のなかでは、群を抜く佳曲。かつての、多くの日本人に共通した、日々の深い思いがいい。
(詞 仁井谷 俊也 曲 岡 千秋 2015)
 盆に帰ろか それとも暮れか それも出来ずに 幾年過ぎた 山に朝霧 椎葉の里よーーー今も聞こえる ひえつき節よ 瞼に抱いた 故郷が 生きる明日の 支えです
(収集プロフィール)
岡 ゆう子(おか ゆうこ、19xx〜  )佐賀県出身の歌手。「歌う日本地図」の、異名をもつ。
シングル
1979 博多の恋・昭和ネオン花 (ビクターよりデビュー)
1980 筑波おどり
1988 おしどり人生

 水前寺の、初期の名曲。全体に、力の漲った歌いぶりで、声もよく伸びた秀作。置かれた状況は、演歌の宝塚版だが、激しい男への恋心が、いさぎよく歌われている。たぶん、江戸の終わりころなのだろうが、ままならぬ恋、という点では、現代にも通じることだろう。
(1965)
酒は飲め飲め 飲めども酔わぬ 強い男に ささげたい 女心を 博多の帯に 締めて突き出す この槍もーーー君は都へ わたしは佐渡の 月に忍んで 泣ける夜は ひとり歌わん 黒田節
(収集プロフィール)
略歴
前史…水前寺の父、林田壽は熊本市内で化粧品・洋品店を経営していたが、過大投資が祟って破綻し、一家は夜逃げ同然に「あさかぜ2号」で上京、歌のうまい民子に将来を託した。
1964年10月15日 『涙を抱いた渡り鳥』でデビュー。
1965年 NHK紅白歌合戦に初出場。以降、1986年まで22回連続出場。
1968年 『三百六十五歩のマーチ』が100万枚の大ヒット。翌1969年3月開催の第41回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用となる。
1969年 『真実一路のマーチ』で第11回日本レコード大賞大衆賞受賞。
1970年 ドラマ『ありがとう』(TBS) 主演
1981年 『有明けの海』で古賀政男記念音楽大賞、日本作詩大賞に入賞。
1989年 バックバンドのサックス奏者だった6歳下の小松明と結婚。2月28日、水前寺公園の中の出水神社で挙式。
2000年 熊本市に老人ケアハウス「水清庵」を設立。また「水前寺清子一座」を旗揚げ、全国公演。
2005年 期間限定再集結聖飢魔IIのミサにゲスト出演し、聖飢魔IIの演奏で『三百六十五歩のマーチ』をデーモン閣下と歌唱。
デビュー前、芸名は「東京マリ」にしようと自分で考えていた(もともとポップス歌手志望だった)が、演歌歌手としてデビューすることになり、恩師である星野哲郎やレコード会社ディレクターの提案によって芸名が「水前寺清子」になった。また、星野の葬儀では弔辞を読み上げた。
シングル
涙を抱いた渡り鳥(1964年10月)作詞:有田めぐむ、作曲:いづみゆたか
娘田原坂(1964年12月)
花の都の渡り鳥(1965年2月)
女黒田節(1965年5月)
娘ざかり(1965年7月)
女ごころの流し唄(1965年8月)
人生舞台(1965年10月)
ゆさぶりどっこの唄(1965年11月)
その一言を待ってます(1966年3月)
女三四郎(1966年4月)
俺は天下のご意見番(1966年5月)
人情一枚(1966年6月)
いっぽんどっこの唄(1966年11月)(ミリオンセラー)
いのちしらずにゃ敵がない(1967年5月)
どうどうどっこの唄(1967年8月)
いつでも君は(1967年9月)
第一回日本作詩大賞受賞
毎日放送(MBS)制作の同名テレビドラマの主題歌。関東広域圏では当初NETテレビ(現:テレビ朝日)にネットされる予定で、レコードジャケットにも「MBS・NET系」と記されていたが、諸事情により東京12チャンネル(現:テレビ東京)での放送となった。
みそこなっちゃいけないよ(1967年10月)
おしてもだめならひいてみな(1968年1月)
男でよいしょ(1968年3月)
艶歌(1968年6月)
神様の恋人(1968年8月)
ひとりでよいしょ(1968年9月)
三百六十五歩のマーチ (1968年11月)(ミリオンセラー)
人生男節(1969年1月)
男じゃないか(1969年2月)
にんげんどっこの唄(1969年5月)
敦賀とてもすきすき(1969年8月)
赤いトランク(1969年8月)
真実一路のマーチ(1969年10月)
日本レコード大賞大衆賞受賞曲
東京でだめなら(1969年12月)
空手道(1970年3月)
1+1の音頭(1970年5月)
ありがとうの歌(1970年5月)
自ら主演したテレビドラマ「ありがとう」の主題歌
三度笠だよ人生は(1970年7月)
だめでもともと(1970年10月)
ニッポン放送の『くず哲也の日曜はダメよ』のコーナー開始に、この曲の「みなさん、だめでもともと、だめでもともとじゃないですか! ドーンといきましょう!!」の台詞が使われた。
大勝負(1970年11月)(ミリオンセラー)
あゝ恋唄(1971年2月)
ねんがら子守唄(1971年4月)
ああ男なら男なら(1971年7月)
浪花太鼓(1971年9月)
青空浪人の唄(1971年10月)
苦労買います(1971年12月)
おどんが国は(1971年12月)
NHKの『みんなのうた』で紹介。
この手にとまれ(1972年2月)
柔の道(1972年3月)
いつかは逢えるだろう(1972年9月)
大逆転のマーチ(1972年10月)
昭和放浪記(1972年10月)
指言葉の歌(1972年12月)
かあさん(1973年6月)
大恋愛(1973年8月)
望郷の詩(1973年11月)
どこかでありがとう(1974年1月)
テレビドラマ「ありがとう」第3シリーズエンディングテーマ
ハナハナハナ(1974年4月)
人生ブルース(1974年5月)
幸せ正面だーれ(1974年7月)
てっぺんまごころ(1974年8月)
花の散りぎわ(1974年10月)
あたしのものよ(1974年12月)
大成功(1975年2月)
みつばちマーヤの冒険 (1975年4月)
「チータとみつばち合唱団」名義
同窓会(1975年6月)
君は青空を見たか(1975年8月)
浮草(1975年10月)
明日がござる(1975年11月)
しあわせ橋(1976年3月)
鬼面児(きめんじ)(1976年3月)
にっぽん流行歌(1976年7月)
お父さん(1976年10月)
お前のふるさとどこなんだ(1977年2月)
花染め音次郎(1977年3月)
虚空太鼓(こくうだいこ)(1977年11月)
春らんまん(1978年2月)
我がふるさと(1978年3月)
岬にて(1978年4月)
九州よかとこ(1978年7月)
肥後の駒下駄(1978年8月)
カラスの唄(1979年2月)
船橋手柏子音頭(1979年5月)
夢一番(1979年5月)
オアシス音頭(1979年8月)
昭和艶歌(1979年9月)
あなたの光はどんな色(1980年4月)
さすらい情話(1981年2月)
有明の海(1981年8月)
命坂(1982年7月)
花が咲いたらまた来るよ(1983年1月)
あさくさ物語(1983年8月)
涙のマーチ(1984年4月)
浪花節だよ人生は(1984年8月)
(木村友衛、細川たかし、こまどり姉妹らと競作。1984年の紅白では細川と『同曲対決』を行った)
人生夢三味線(1985年4月)
松五郎愛歌(1985年10月)
男三百六十度(1986年4月)
玄海恋歌(1987年2月)
今日から一歩(1988年2月)
こころの港(1989年8月)
青空(1990年8月)
曼陀羅華(1991年1月)
ハーモニー(1991年11月)
三百六十五歩のマーチ(1991年11月)
この再録音バージョンがテレビアニメ「丸出だめ夫」の主題歌となる。
いまさら歌舞伎(1992年3月)
人生一路(1993年1月)
どすこい!!太郎(1993年7月)
NHK『みんなのうた』で紹介。
結婚行進曲(1993年9月)
おんな富士(1993年12月)
勝(1994年3月)
ブンブンビート阿波踊り(1995年2月)
自慢じゃないが女だよ(1995年7月)
Oh!演歌だよ(1996年6月)
尾張宗春音頭(1996年8月)
C.C.レモン(1997年7月)
C.C.レモン (「チータ」名義)
母・子守唄(1997年10月)
おんなの街道(1998年3月)
女の花道(1998年12月)
甲子園の詩(1999年7月)
関東春雨傘(2000年8月)
いきてゆく物語(2000年11月)
自身が主演したドラマ「教習所物語」の主題歌。共演した武田鉄矢とのデュエットで、パッケージとC/Wが異なる水前寺版(クラウン)と武田版(ユニバーサルポリドール)がある。
涙をふいて(2002年10月)
三好鉄生のカバー曲
ウォーキング・マーチ(2002年10月)
21世紀版「三百六十五歩のマーチ」
だめでもともと音頭(2003年8月)
春夏秋冬(2003年8月)
キッカケサンバ(2003年11月)
「きっかけはフジテレビ。」キャンペーンソング、「ポンキッキーズ21」挿入歌
きっかけ音頭(2003年11月)
春雷(2006年6月)
チータのテーマソングともいえる楽曲でコンサートのラストで歌われる事が多い
よいしょ・こらしょ(2008年11月)
日本人だね演歌だね(2009年8月)


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