ハーブの名歌

華の昭和名歌300・華の平成名歌200

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 残された映像がすくなく、入手できた資料は少し。演歌師らしい、太く、威勢のいい声。浪曲調の語り、も上手そうだ。
 三府の一の東京で(ああどっこい)/波に漂うますらおが/はかなき恋ににさまよいし/父は陸軍中将で/片岡子爵の長女にて(ああどっこい/桜の花の開きかけ/人もうらやむ器量よし/その名も片岡浪子嬢/(ああちょいと)海軍中尉男爵の/川島武男の妻となる/新婚旅行をいたされて/伊香保の山にワラビ狩り(ああどっこい)/遊びつかれてもろともに/我が家をさして帰らるる/(ああちょいと)武男は軍籍あるゆえに/やがて征くべき時は来ぬ/逗子をさしてぞ急がるる/浜辺の波のおだやかで(ああどっこい)/武男がボートに移るとき/浪子は白いハンカチを(ああどっこい)/打ち振りながら/「ねえ、あなた早く帰って頂戴」と/仰げば松にかかりたる/片割れ月の影さびし/実にまあ哀れな不如帰」
(収集プロフィール)
大江 しげる(おおえ しげる、19XX〜??)元東京演芸協会所属の、演歌師。
*昭和の初期まで縁日などで親しまれた大道芸「のぞきからくり」、のぞき穴をのぞくと押絵と凸レンズが作り出す立体的な世界が広がっている。「のぞきからくり」は、映画やテレビの普及によって完全に消えてしまい現在は博物館でしか見ることができない。
のぞきからくり「不如帰」(ホトトギス)実演:昭和ロマンを楽しむ会
「不如帰」は徳冨蘆花(とくとみろか)の不朽の名作で1898年(明治31)から1899年まで「国民新聞」に連載された。明治時代のベストセラー小説。
「人間はなぜ死ぬのでしょう 死んでも私はあなたの妻ですわ、未来の後までも」
「八千八声 ないて血を吐くほととぎす」
落語の「天王寺詣り」に天王寺の境内でやっているぞのきからくり「不如帰」の口上が入っている。同じ不如帰でも各地によってさまざまな文句とからくり節があった。
あらすじ:片岡陸軍中将の娘浪子(なみこ)は、海軍少尉川島武男(たけお)と結婚したが、結核にかかり、家系の断絶を恐れる姑によって武男の留守中に離縁される。二人の愛情はとだえなかったが、救われるすべのないまま、浪子は、もう女になんぞ生まれはしないと嘆いて死ぬ。
*懐かしいのぞきからくり(不如帰) 大江しげる談
大江しげるは東京演芸協会に所属していた芸人で昭和の末期まで活動していた時事演歌の演歌師であった。寄席芸人で「のんき節」の替歌が得意だった。
子供の頃、縁日で一番楽しんだもの、「のぞきからくり」の思い出と「不如帰」の一節を語っている。外題は事件ものが多かった。大人が五銭、子供が三銭だったそうである(昭和初期)。
大江しげるは昭和27年から玉川スミとコンビを組んだこともある。
大江しげる(演歌師、漫才師)
*帝大生ゆめじの大道芸日記より
昭和の末期まで活動していた時事演歌の演歌師、寄席芸人で「のんき節」替歌が得意だった。昭和27年から玉川スミとコンビを組んだこともある。また、三遊亭小円朝の母方の祖父が大江しげるとのことである。
もちろん、書生節の「ああ踏切番」なんかも歌っていた。桜井さんたちと比較するとバイオリンは上手ではなかった。歌の間に効果的に音を入れるという”鳴り物入り”であった。
下ネタから政治ネタまでいろいろなのんき節を歌っていたが、政権党にも野党にも厳しく皮肉っていた。 今考えると、社会党の末路を予言していた。
社会党にはじめて 女の委員長 土井さんに期待が集まります
たか子さんは未だに独身ですが 立派な党員生めますか
ハハ のんきだね
歌 街頭版」(大江しげる編、添田知道監修)より船村徹さんの寄稿
「命ある限り演歌を」  船村 徹
 いや驚きですね、70歳を超えたご高齢で、未だに”演歌”を歌い続ける大江先輩の存在はーーー。あえて先輩と言わして頂いたのは、私自身が、それこそ大江さんの先輩筋にあたる、のんき節の故石田一松先生(元衆議院議員)のヒキで、音楽学校在学中に銀座で演歌師(バイ)をさせてもらっていたからなんです。
 時の権力の横暴に抗し、演歌を持って糾弾するのではなく、歌に託して大衆の喚起を促したのが、”演歌”の起源ですが、大江さんは今もその精神(こころ)をうしなっていないーーどころか、折にふれ時に応じて風刺小唄”のんき節”を創作し、歌い続けていらっしゃる。この反骨は今どき大変貴重なものだ、と尊敬している私も一人です。
 ”無形文化財”とも言うべきこの大江先輩の存在を、同好の志のお力で長く後世に伝えて頂ければ、後輩の一人としてこんな嬉しいことはありません。
*三遊亭小圓朝(小円朝)談話 
親父(三代目三遊亭円之助)が土日になると後楽園に野球を見に連れてってくれるんです。ーー中略ーー
 ご承知の通り父は噺家ですが、母も芸人の家庭なんです。祖父母が「大江しげる・笙子」という漫才をやっていました。漫才をやめてからも祖母はお囃子をやっていたんです。だからそういう家族なんですね。親戚が集まるとにぎやかで、噺家のあたしが黙っちゃう。
*「石動三六日記 寄席編」より
おそらく1976年だと思うんですけどね。初めて浅草の松竹演芸場に行きました。多分、当時は落語より色物の方が面白かったんでしょう。で、色物専門のこの寄席に来たわけですが、このときの上席は漫談家を中心にした東京演芸協会というグループの特別興行(今でも東洋館の中席がそうですが)。手元にあるチラシによると、出演者はアダチ龍光(奇術)・黒田幸子とその一行(民謡)・筑波僑一郎と剣竜会(殺陣)・悠玄亭玉介(花街うらばなし)・大江しげる(時事演歌)・三遊亭歌夫(漫談)・鏡味小仙社中(太神楽曲芸)・サムライ日本(殺陣とお笑い)・林家一楽(紙切り)・松旭斎小天華(奇術)、これに桜井長一郎・宮尾たか志・牧伸二・小野栄一・早野凡平・佐々木つとむという当時の売れっ子が交互出演。パッとしないメンバーでしたね。
大江しげるという老芸人だね。明治時代の書生姿、袴に高下駄でバイオリン弾きながらの時事演歌。「のんき節」を唄ってました。
*3LPBOX/ 添田知道・大江しげる「歌でつづる鉄道百年」
株式会社 イメージファクトリィ 効果音
★ NO-706「メインストリートのならず者・大道芸NO-2」 (0323)
14.物産アメ売り。明治〜昭和初期 (0323)
15.バイオリン演歌、大江しげる。パイノパイノパイ (0323)
16.バイオリン演歌、大江しげる。船頭小唄 (0323)
17.バイオリン演歌、大江しげる。郭の歌 (0323)
*漫才師 大江茂(しげる):前芸名:砂川捨夫、後に凸凹ボップ・ホープのボップ
*玉川 スミ:昭和27年 大江しげるとコンビを組み四年ぶりに有楽町ビデオホールの舞台に立つ玉川一郎先生の勧めで芸名を「玉川一恵」とする
*世相に流れゆく演歌師 演歌四十年の“小松ッちゃん”(新宿)
東京は日本ではないと外人にいわれるたびに私は、いや東京こそはまぎれもなく日本なのであると答えることにしている。都には国のすべての要素が集結する。
*大江しげるさんはずいぶん前になくなりました。
あまり音源が残ってないのが残念ですね。

 この3、4年、まるでおじさん歌手の、再生プロジェクトが始まったような流れが。加納ひろし、千葉一夫、渡辺 要、半田浩二、山崎ていじ、野上こうじ、坂井一郎、そしてこの歌手も、その一人。どれも、さすがにいい歌を引っさげている。この曲は、木下先生の、遺作のなかのひとつの詞に、曲を付けたものとか。哀愁と、柔らかな思慕、男の気儘さ、薄紅の浜撫子の花、などが渾然となって、人生の深みを感じさせる。この歌手は、関西から西が活動のメインで、全国的なデビューは、この曲が初めてという。どうりで、私はこの方を、ほとんど知らなかった。歌唱力は、上の下だが、所々に、ふと人生の深みを感じさせる声音があって、そこが魅力といえるだろう。
(詞 木下 龍太郎 曲 檜原 さとし 2016)
どこへ行こうと 後追いかける 風のうわさは 影法師 当てにならない 帰りを待ってーーー浜撫子に おまえに託した 言伝てよ
(収集プロフィール)
みやま 健二(みやま けんじ、1956〜 )京都府出身の歌手。
*決起大会でみやま健二は今までの美山から芸名を変更したことについて「デビュー曲の『俺のみち』から代表曲の『泪橋』など、今まで美樹克彦先生に作曲などをお世話になり、先生の名前・美樹からひと文字もらって美山としていましたが、さらなるステップアップをねらって改名しました」と、新曲にかける想いの強さを語った。
 「浜撫子」はすでに「Music news jp」でも報じている通りに、健気な女心を気遣う男の気持ちを優しい声で歌ったアップテンポな演歌。作詞は木下龍太郎、作曲が檜原さとし、編曲は伊戸のりお。
 カップリングには07年に徳間ジャパンから出している「泪橋」を新たに吹き込んでいる。
みやまは子どもの頃から父親に倣って剣道を始め、今は4段の資格を持つことが示す通りに、曲がったことが大嫌いな性格。そんな男気を前面に出して歌ったのが、デビュー曲の「俺のみち」であり「泪橋」だった。
 ところが最近は「ふたりの明日」(ウェブクウ)にも見られるように、このところ男の優しさをにじませた内容へシフトしつつあった。新曲「浜撫子」に至ってはさらに、その優しさを強めており、最近増えている女性ファンの獲得を狙っているかのようである。
 みやまは60歳。京都府亀岡市出身。若くして歌手を志望するが、剛直な性格の父親から猛反対に遭って断念。家業の建設業を手伝った後に自ら設備業を始める。事業は軌道に乗ったが、父母が亡くなった翌年に知人の勧めもあって、ようやく45歳でCDデビュー。事業は息子に譲った。
 歌手業のかたわら京都・祇園でラウンジ経営も始めた。店は繁盛していたが、歌手活動が手薄になってしまうことから、あっさりと手を引いてしまった。
 一昨年には「俺のいい女」「ふたりの明日」を出し、活動拠点を京都から大阪に移している。みやまは「京都だけで活動していたのでは、今回のような素晴らしい新曲には結びっかなったと思います」と、還暦メジャーデビューを喜びをかみしめていた。
 この日、同席した徳間ジャパンの福西哲也大阪オフィス長は「かつて『泪橋』も徳間から出しており、お帰りなさいといった表現が良いのかもしれません。新曲『浜撫子』をぜひヒットさせたい」と話していた。

 何曲か、聴いてみた。この曲は、現在の歌謡曲に、かなり通じるものがある。プロトタイプの、ひとつと言っていい。秩峰の声は癖の無い渋い声で、言葉も聴きとりやすく、分かりやすい。音程も、他の演歌師に比べてとてもしっかりしている。つまり、現在の歌謡曲も、難なく歌いこなしたろう。
 日本 島国 めぐりは海よーーー血潮は踊る 海兵さん 明けても暮れても 水兵さん おや海軍さん 
(収集プロフィール)
塩原 秩峰(しおはら ちつみね、1880年(明治13年)8月19日 - 1937年(昭和12年)3月24日)
大正時代から昭和初期に活躍した日本の演歌師、歌手。栃木県那須塩原市出身。
経歴
初期の京都オリエントで書生節を多数吹き込み、「レコード流行歌」の普及に大きな功績を持った鳥取春陽に次ぐ、人気演歌師である。やや低めの歌声が特徴。代表曲には『平和節(ジョーヂァソング)』、『金色夜叉』、『春爛漫の花の色』などがある。京都オリエントがニッポノホン大阪支社レーベルになってからは新録音発売は途切れたが、1934年(昭和9年)、大阪ニットーで吹き込んだ『兵隊ぶし』で再びヒットを放つ。片面は美ち奴とデュエットの『水兵ぶし』で、塩原はこの2曲を最後に引退する。1937年(昭和12年)3月24日、敗血症のため56歳の若さで亡くなった。
*森山加代子(1961年発売。シングル「パイのパイのパイ」。同年公開の映画『アワモリ君売出す』劇中歌)大正7年(1918年)発表。
元々のメロディーは、ヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された「ジョージア行進曲」(Marching Through Georgia)で、アメリカ南北戦争時のウィリアム・シャーマン将軍の海への進軍の様子を描いた行進曲である。添田によって作詞される以前から、明治25年(1892年)に「ますらたけを」の題で国文学者・東宮鉄真呂の作詞による軍歌が販売されたり、救世軍が街宣活動で演奏するなど広く親しまれていた。これに添田が改めて歌詞をつけたものが「パイノパイノパイ」である。資料によっては作曲者も添田知道(添田さつき)や神長瞭月とされていることがあるが正確ではない。日本では原曲よりも「パイノパイノパイ」での知名度が高いため、ブラスバンドがジョージア行進曲を演奏したところ、卑俗な歌を演奏するとはいかがなものかと苦情が来たというエピソードもある。
売文社に勤めていた添田がある日「のんき節」の掲載許可を貰いに父・添田唖蝉坊の元を訪ねると気まぐれに、演歌を一つ作ってみないかと言われた。当時流行りつつあった洋食屋のメニューを羅列したような仮歌であったが、唖蝉坊がメロディーを口ずさむと、幼少期に神奈川県大磯の実家に預けられていた時に遊び仲間から「ますらたけを」のメロディーで囃し立てられた記憶が急に蘇り、小説家志望で歌は嫌いでなかったこともあり、作詞経験はないがつい釣り込まれてしまった。その席上、唖蝉坊にはどうせ浮世は出鱈目だという人生感があり、口癖になっていてその場でも出た。そうして「デタラメ」が「ラメ」となり「ラメチャン」となって囃子言葉はスラスラと決まり、全体は宿直の一晩で書き上げた。このとき添田知道はわずか19歳だった。
明治中頃の丸の内は三菱ヶ原と呼ばれる草の生い茂る原野であったが、明治27年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工したのを皮切りに、東京府庁舎、東京駅の建造が始まり、原野からわずか20数年で急速に近代化を遂げた東京の名所・古跡・風俗が歌い込まれているのが特徴である。「パイノパイノパイ」の大流行につれて新たな歌詞が求められ、京阪神・中京・吉原の風俗、更に第一次世界大戦の戦後処理のためパリ講和会議に全権として参加した元老・西園寺公望が愛妾や灘萬の店主を伴ったことが大新聞に取り上げられたこと、会議の結果としてドイツが所有していた山東省の権益や南洋諸島の委任統治権を得た戦勝気分を背景として添田が改詩したものが「平和節」の名で大正8年に発表された。
代表曲
『春爛漫の花の色』 作詞 矢野勘治、作曲 豊原雄太郎 1916年(大正5年)
『嗚呼玉杯に花受けて』 作詞 矢野勘治、作曲 楠正一 1916年(大正5年)
『夜半の追憶(男三郎の歌)』 作詞 武島羽衣、作曲 田中穂積 1917年(大正6年)
『平和節(ジョーヂァソング)』 作詞 添田さつき、作曲 ヘンリー・ワーク
1917年(大正6年)
『金色夜叉』 作詞 宮島郁芳、作曲 後藤紫雲 1918年(大正7年)
『白菊』 作詞・作曲 神長瞭月 ※商船学校寮歌、山本久光との歌唱
1918年(大正7年)
『水兵ぶし』 作詞 伊藤松雄、作曲 清美生二 ※美ち奴とのデュエット 1934年(昭和9年)
『兵隊ぶし』 作詞 伊藤松雄、作曲 水谷ひろし 1934年(昭和9年)
脚注[編集]
^ 1934年、書生節は「流行青年歌」「流行青年節」と表記されている。

*名曲の数や、歌唱力、活動状況等を総合しました。
1位 石川 さゆり
2位 坂本 冬美
2位 香西 かおり
4位 川中 美幸
5位 水森 かおり
6位 天童 よしみ
7位 藤 あや子
8位 伍代 夏子 
9位 長山 洋子
10位 門倉 ゆき
11位 あさみ ちゆき
11位 原田 悠里
11位 三船 和子
11位真木 柚布子
11位神野 美加
11位扇 ひろ子
11位石原 詢子
11位長保 有紀
11位水田 竜子
11位市川 由紀乃
11位岡 ゆうこ
11位林 あさ美
11位小桜 舞子
11位 小野 由起子
11位 服部 浩子
11位 金田 たつえ
11位 音羽 しのぶ
11位 城之内 早苗
*都はるみ・水前寺清子・小林幸子・八代亜紀・森昌子・大月みやこ、は別格としました。

 全体に、しみじみとした、回顧と未練の物語。ここは香西の、最強分野の曲。この傾向の歌を歌わせたら、かなう者はいないだろう。それをよく知った先生方の、産み出した佳曲。言葉も美しく、深く人生を感じさせる。
(詞 原 文彦 曲 叶 弦大 2016)
 盆もそろそろ 10日を過ぎて 女ごころに 秋の風ーーー窓の硝子に 夕月ひとつ 好きと伝えて この想い
(収集プロフィール)
香西 かおり(こうざい かおり、1963年8月〜 )大阪府出身の歌手。大阪市港区出身、在住。大阪市立東商業高等学校卒業。2015年現在の所属事務所はプロダクションオーロラ、レコード会社はユニバーサル(Prime Musicレーベル)。
略歴
幼い頃から民謡で各種の賞を受賞し、「香西香」名義で民謡のレコードも発売している。
1982年、太陽神戸銀行(現・三井住友銀行)に入行。しかし、歌への想いが募り退行。
歌手になるため上京し、1988年に演歌歌手として「雨酒場」でデビュー。同曲で同年末の第30回日本レコード大賞など各新人賞を獲得し、翌1989年〜1990年にかけてロングセラーとなった。
1991年、「流恋草」の大ヒットで第24回日本有線大賞などを受賞し、同年末の第42回NHK紅白歌合戦へ初出場を果たす。
1993年、「無言坂」が初めてオリコンチャートで週間10位を記録、同曲で同年末の第35回日本レコード大賞を受賞。
演歌歌手としての認知度が高いが、ほかポップスから民謡、歌謡曲までと幅広くこなす。またポップス歌謡をシングルとして発売する時は、着物姿でなく洋服姿でジャケット写真を撮り、香西本人の作詞による発表のものが多い。
2000年、「浮寝草」で同年末の第42回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞。
2003年、宗教家の松井昌雄とのデュエット曲を発表。
2012年、デビュー25周年記念曲「酒のやど」がロングヒット、同年末の第54回日本レコード大賞・優秀作品賞などを獲得。さらに第63回NHK紅白歌合戦へ5年ぶりのカムバック出場となった。
2014年、第56回日本レコード大賞・日本作曲家協会奨励賞を受賞。
私生活では2000年4月、ミュージシャンの男性と結婚するが、2002年2月に離婚している。
シングル
香西香名義
秋田長持唄/淡海節(1981年12月2日、CBSソニー、07SG-37)
祖谷の粉ひき唄/高槻の水かえ歌(1984年9月21日、CBSソニー、07SG-42)
香西かおり名義
雨酒場(作詞:星村龍一/作曲:聖川湧/編曲:馬場良 1988年5月25日)
第30回日本レコード大賞新人賞受賞
恋舟(作詞:星村龍一/作曲:聖川湧/編曲:馬場良 1990年5月25日)
流恋草(作詞:星村龍一/作曲:聖川湧/編曲:馬場良 1991年3月25日)
日本有線大賞受賞
第33回日本レコード大賞ゴールド・ディスク賞(歌謡曲・演歌部門)受賞
花挽歌(作詞:市川睦月/作曲:三木たかし/編曲:川村栄二 1992年7月25日)
恋紅葉(作詞:星村龍一/作曲:聖川湧/編曲:馬場良 1992年7月25日)
無言坂(作詞: 市川睦月/作曲: 玉置浩二/編曲: 川村栄二 1993年3月17日)
第35回日本レコード大賞受賞
恋慕川(作詞:高橋直人/作曲:あらい玉英/編曲:馬場良 1994年2月23日)
越前恋歌(作詞:秋浩二/作曲:伊藤雪彦/編曲:馬場良 1994年12月19日)
ごむたいな(作詞:秋元康/作曲:後藤次利/編曲:川村栄二 1995年8月23日)
宇治川哀歌(作詞:秋浩二/作曲:杉本真人/編曲:前田俊明 1996年4月22日)
すき(作詞:香西かおり/作曲:玉置浩二/編曲:若草恵 1997年2月26日)
本人作詞、作曲は「無言坂」と同じく玉置浩二
雨降橋(作詞:星村龍一/作曲:聖川湧/編曲:馬場良 1997年7月24日)
人形(作詞:荒木とよひさ/作曲:浜圭介/編曲:川村栄二 1997年9月26日)
母から母へ(作詞:たきのえいじ・山田孝雄/作曲:三木たかし・四方章人/編曲:若草恵 1998年3月11日)
浮雲(作詞:悠木圭子/作曲:鈴木淳/編曲:前田俊明 1998年9月2日)
望郷十年(作詞:星村龍一/作曲:聖川湧/編曲:馬場良 1999年6月2日)
恋草紙(作詞:荒木とよひさ/作曲:幸耕平/編曲:今泉敏郎 2000年2月2日)
浮寝草(作詞:石本美由起/作曲:船村徹/編曲:蔦将包 2000年8月2日)
第42回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞
楽しい人が好き(作詞・作曲:中山大三郎/編曲:竜崎孝路 2001年4月25日)
あなたへ(作詞:香西かおり/作曲:村下孝蔵/編曲:若草恵 2002年2月6日)
村下孝蔵の遺作
氷雪の海(作詞:たかたかし/作曲:弦哲也/編曲:前田俊明 2002年6月26日)
潮岬情話(作詞:たかたかし/作曲:弦哲也/編曲:前田俊明 2003年2月19日)
人生やじろべえ(作詞:吉岡治/作曲:弦哲也/編曲:南郷達也 2004年3月10日)
白い雪(作詞・作曲:松山千春/編曲:藤原いくろう 2004年10月27日)
松山千春提供曲
居酒屋「敦賀」(作詞:星村龍一/作曲:聖川湧/編曲:佐伯亮 2005年4月27日)
最北航路(作詞:池田充男/作曲:あらい玉英/編曲:佐伯亮 2006年3月22日)
き・ず・な(作詞:なかにし礼/作曲:筒美京平/編曲:船山基紀 2007年3月21日)
秋田ポンポン節(作詞:たきのえいじ/作曲:浜圭介/編曲:川村栄二 2007年8月22日)
風恋歌(作詞:里村龍一/作曲:叶弦大/編曲:南郷達也 2008年3月26日)
大阪テ・キエロ〜あなたゆえに〜(作詞:朝比奈京子/作曲:杉本眞人/編曲:若草恵 2009年1月21日)
女の帰郷(作詞:市川森一/作曲:聖川湧/編曲:石倉重信 2009年9月23日)
春陽炎(作詞:いではく/作曲:鈴木淳/編曲:前田俊明 2010年5月5日)
TOKIO千一夜(作詞:ちあき哲也/作曲:鈴木キサブロー/編曲:矢野立美 2011年4月6日)
糸車、からり(作詞・作曲:祇園精舎 守/編曲:伊戸のりお 2012年2月8日)
酒のやど(作詞:池田充男/作曲:森山慎也/編曲:上杉洋史 2012年5月9日)
第54回日本レコード大賞優秀作品賞受賞
第45回日本有線大賞有線音楽優秀賞受賞
夕化粧(作詞:香西かおり/作曲:マシコタツロウ/編曲:島 健 2013年4月24日)
酒の河(作詞:たきのえいじ/作曲:あらい玉英/編曲:上杉洋史 2013年6月26日)
明日の夫婦酒 吉幾三とデュエット(作詞・作曲:吉 幾三/編曲:丸山雅仁 2014年3月19日)
一夜宿(作詞・作曲:吉幾三/編曲:上杉洋史 2014年5月21日)
とまり木夢灯り(作詞・作曲:レーモンド松屋/編曲:上杉洋史 2015年4月29日)
秋恋歌(作詞:原文彦/作曲:叶弦大/編曲:前田俊明 2016年4月27日)


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