ハーブの名歌

華の昭和名歌300・華の平成名歌200

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 まだ駆け出しの方であるが、オリジナル3曲と、カバー14曲(美空ひばり8曲・上原敏、岡晴夫・三橋美智也、各2曲)を、聴いてみた。とてもいい声、というのが第一印象。プロとして、すでに上の下に到達している。高音部は、美空ひばりに近いものがあり、爽やかな聴後感がある。そのため、股旅物を歌っても、やさぐれ感や庶民的感慨に乏しいが。これは、他の歌手で得意な人がたくさんいるから、無理に身に付けなくてもいいだろう。それよりも、美点を伸ばしたほうがいい。加齢とともに、深みが出て来るだろうし。
(2014)
 あずさ号 ドアが開く そこは上諏訪 噂たずねて 降りた街ーーーあきらめだけで 終わるのか 逢いたい もう一度 上諏訪の女よ
(収集プロフィール)
天野 涼(あまの りょう、1980年12月〜 )埼玉県出身の歌手。
趣味は、釣り、水泳、読書。特技は、三味線、長唄、民謡、社交ダンス、剣道二段。
略歴
埼玉大学大学院卒業後、外資系企業で働きながら演歌歌手を志す。
「チバテレビカラオケ大賞21」において第54代グランドチャンピオンに輝く。
その後、作曲家の四方章人に師事。
都内のカラオケスタジオで定期コンサートを開催し好評を得る。
演歌、歌謡曲からポップス、ジャズ、洋楽バラードまで幅広い楽曲を歌う。その自由で確かな歌いまわしと、誠実でありながらどこか飄々とした人柄は、女性ファンだけではなく 男性ファンをも魅了する。
*日テレ24 より
新人歌手の天野涼(33)が22日、都内でデビューコンサートを行った。埼玉大学大学院を卒業後、外資系企業で働きつつ歌の道を目指したという異例の経歴の持ち主で、今月6日に楽曲「上諏訪の女(ひと)」で念願の歌手デビューを果たした。300人の観客からの声援にこたえつつ同曲を熱唱し、「本当に夢心地です。好きな歌を歌って、皆さんの前でいい思いをさせていただいて…幸せ者です」と感無量の表情を見せた。デビュー曲を受け取ったのは3月4日だったと、記憶は鮮明だ。
 「赤坂のホテルの喫茶店で詞とメロディーをいただいて、帰りの地下鉄で反すうしながら鳥肌が立ちました」としみじみと喜びを振り返り、「芸能の世界で男の人生を賭けて勝負に挑みたい。勝負するからには勝ちたいと思います」と活動への意気込みを語った。会場には日本作詞家協会の副会長、久仁京介氏も激励に駆けつけた。
 「彼の声を聞いてみると捨てがたいものがあった。聞いた後に余韻が残る。いい品物ですよ」とジョークを交えて品評し、激励した。
シングル
1st 「上諏訪の女」 (かみすわのひと)2014年8月6日 発売
1.上諏訪の女
 作詩:久仁 京介/作曲:四方 章人/編曲:蔦 将包
2.一緒に暮らそう
 作詩:丘 まり子/作曲:四方 章人/編曲:蔦 将包
2nd 「弁天小僧菊之助」2016年5月20日 発売
1.弁天小僧菊之助
 作詩:久仁 京介/作曲:四方 章人/編曲:南郷 達也
2.伊太郎三度笠
 作詩:久仁 京介/作曲:四方 章人/編曲:南郷 達也

 久しぶりに、この方のステージ動画を見て、驚いた。アクティブに踊りながら、ロック調の激しい歌ぶり。以前、TBで取り上げたときは、確か演歌歌手だったはずだけど。サラリーマン風の七三の髪型。地味な色味の、スーツ。「北運河」など、哀愁漂う静かな曲調。この印象が、ぐるりと回転して、踊りながら激しく歌っている野上。ビートムード歌謡、というそうだ。私の、初めて知る概念。
 だが、この試みは、成功といっていいだろう。加川明「お嬢様ルンバ」、ムーディー長妻「誘われて九十九里」など、おじさんの明るい歌は、上手くいけば一躍知名度をアップする。
(詞 田久保 真見 曲 南乃 星太 2015)
 天使になんて なれないけれど 夜のしずく集めた 黒いサルビア 贈りたいーーーためらう心 ときめく体 追いかけてしまうよ 好きだよ
(収集プロフィール)
野上 こうじ(のがみ こうじ、1962〜 )埼玉県越谷市出身の歌手。
略歴
*越谷市HPより
 子どものころはやんちゃで腕白、スポーツ大好き少年だったという。体操やサッカーに熱中し、将来はスポーツ選手になる夢を持っていたとか。歌手になるとは考えたこともなかったそう。
 そして高校卒業後、自動車メーカーに入社。整備士の資格も取得。修理部門に配属と思いきや、メカに強い営業マンとして販売の部署に配属され、毎日車を売り歩いた。営業成績はまあまあでしたが、ストレスがたまり、大変な日々でした。
「そんな時、歌の魅力にひかれ、またスカウトされたことがきっかけで、歌手の道を目指すことになったんです。突然言い出したことに会社や両親に猛反対されてしまったのですが…。『夢のある、夢を売る仕事』をしたいという自分の信念を貫いて、プロ歌手の方の付き人をしたり、レッスンに通ったり…。どうしてもデビューしたいと無我夢中で練習しましたね」
 そのかいがあって21歳で念願の歌手デビュー。「両親もまわりの人たちもやっと認めてくれました。その時は本当にうれしかった」
 ところがうれしさとは裏腹に、芸能界に入ってからの日々は常に自分との戦いでした。「皆さんの応援があったからこそ、今日の自分があると、本当に感謝の毎日です」と謙虚に話す。「親の代より越谷に住んでいて、故郷を離れたのは修業のため東京に行った2年間だけ。ずっと越谷なんですよ」と素敵な笑顔で話が始まる。 
 「今度リリースした『霧雨』という曲は、今までの私の歌とは全く違う楽曲にしようと、作詞作曲の先生から歌い方までも変えていただいたものなんです。そのためか、積極的に自分の曲をより多くの人に知ってほしい、歌ってほしいと、レコード店、各お店等へと日々あいさつまわりをしてPRに励んでいます」
 時間があると体力トレーニングを兼ねて、家の近くにある元荒川の土手を散歩するそう。すがすがしい空気の中を母校である東中を眺めながら懐かしく思い、歩いているとか。歩き始めてから体調が良くなり体力もついたと実感したという。「越谷に野上こうじという歌手がいるということを多くの人に知ってほしいと思います。地元で歌えるのは最高のことだし、良い出会いが人生を変えていくものだと思います。どこかでお会いすることがあったらどんどん声を掛けてくださいね。これからも皆さんに喜んでいただけるよう頑張ります。」
プロフィール
1962年越谷市生まれ。同市立東中学・県立春日部工業高校卒業。1983年12月25日に歌手デビュー。東京のH&Cミュージックを経て、98年に野上音楽事務所を開設。現在越谷市内に3カ所と野田市、柏市の計5カ所の歌謡教室で歌唱指導をしている。
*マイナビ(週刊女性PRIMEより)
三山ひろしや山内恵介が紅白初出場を果たすなど、若手演歌歌手の活躍が目立つ中で、デビュー33年目の歌手が、ガ然、注目を集めている。
「昨年から演歌ファンの間で話題になっていたんですが、まさか今年一発目のチャートで1位になるとは思いませんでした。USENの人も驚いていましたよ」(音楽関係者)
紅白歌合戦の余韻がさめやらぬ今年1月第1週の有線演歌ランキング。話題の歌手を抑え1位に輝いたのが、『黒いサルビア』を歌う野上こうじだった。
「前作の『紫の薔薇』からビートムード歌謡っぽい楽曲を歌うようになり、今回もそれを踏襲している。前作は今までの演歌調からの変化に驚いた人もいたのかもしれないけど、ここに来て、このスタイルが定着したのでしょう」(前出・音楽関係者)
今回の出来事について、演歌に詳しい芸能レポーターの石川敏男氏はこう分析する。
「じっくりと売り上げが伸びるのが演歌チャートの特徴。そういう意味では今年は大化けする可能性は高く、楽しみな存在ですね」
デビュー33年目となる遅咲きの野上。この快挙について本人に聞いてみた。
「なんで1位なのかホント、不思議ですよ。事務所の人から聞いたときは、“ウソでしょ”って言ってしまいました」
やはり驚きを隠さない。だが、昨年6月にリリースして以来、今もCD売り上げチャートが堅調でスマッシュヒットを飛ばしている。どこに人を惹きつける秘密があるのだろうか。
「歌の中に《僕の魔法であなたを》っていう決めゼリフがあり、そこがいちばん盛り上がるんです。初めて聴いてくださった方は、最初はポカーンとされるのですが、歌が中盤を過ぎるころは、ノリノリで目がハートマークになっているんです」
シブい大人の歌声と甘いマスク。この“野上マジック”に観客は虜になってしまう。そんな野上だが、私生活では3児の“イクメン”パパだ。
「25歳で結婚して、長男が生まれたのが32歳のときで、6歳離れて次男ができた。そうしたら、妻が“次は女の子が欲しい”って言うので、3人目をつくったら、これがまた男の子で(笑い)」
21歳、15歳、10歳の三兄弟は、しっかり父親の背中を見て育っている。
「僕の仕事はだいたい夜でしょ。だから、子どもが小さいころは、けっこう昼間に子育てやっていたのよ。子どもたちをお風呂に入れて、仕事で歌いに行くみたいな感じね。長男がやんちゃして学校に呼ばれて、行くのは僕ですよ。
“先生すみません”って謝ってね。ずっとやんちゃしていた長男は高校になって勉強する気になって、国立大学に入ったもんね。勉強しろとか何も言わなかった。次男も高校受験に合格してくれたしね」
特に次男はギターを弾いたりと音楽好き。同じ歌の道に進んでくれるかもとひそかに期待しているという。
シングル
2008.8.20  北運河/別れるあなたにラブソング(With浅岡ゆうこ)
TJCH-15213 TJSH-40223
2010.6.2
『アカシアの咲く街札幌』
作詞:高柳三千子  作曲:朝月廣臣  編曲:佐野博美
C/W 「ふたりのナイトラブ(Withちなつ)」
作詞:高柳三千子  作曲:朝月千夏  編曲:佐野博美
TJCH-15279 TJSH-40279
2012.9.19                  
『すべてに感謝』
作詞:高柳三千子  作曲:朝月千夏  編曲:伊戸のりお
C/W 「薄野物語」
作詞:喜多条忠  作曲:美樹克彦  編曲:庄司龍
TJCH-15364
ジャケット写真
2014.4.23                  
『紫の薔薇』
作詞:田久保真見  作曲:南乃星太   編曲:田代修二
C/W 「せめて今夜は歌いましょう」
作詞:浅野愛子  作曲:南乃星太   編曲:田代修二

 全体を通して、奏でるガチャガチャした音律。私は、はじめこれが雑音のように聴こえて、この曲の世界に入っていけなかった。10数回、あちこちで聴くうちに、違和感は取れてきたが。斉藤特有の、半音、下にさげるような曲調。そして、勢いのある、歩くようなリズム。さりげない、シフトチェンジのような転調。「ずっと好きだった」に繋がる、彼の曲の個性が、すでに現れているようだ。
(詞・曲 斉藤 和義 1994)
走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでいく 誰にも言えない事は どうすりゃいいの? おしえてーーー急ぐ人にあやつられ 言いたい事は胸の中 寄り道なんかしてたら 置いていかれるよ いつもーーーー  
(収集プロフィール)
斉藤 和義(さいとう かずよし、1966年6月〜 )は、日本のシンガーソングライター。栃木県下都賀郡壬生町出身。
略歴
山梨学院大学を2年で中退。地元に戻っていた21歳の時、友人から「東京で一緒に音楽をやろう!」と誘われたのがキッカケで単身上京。
1992年にTBSのオーディション番組『星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!』へ出演(5週勝ち抜き)した後、1993年に「僕の見たビートルズはTVの中」でデビュー。
デビュー当時のキャッチフレーズは、フォークシンガーを思わせる『四畳半じゃ狭すぎる』というものであった。
1994年、3rdシングル『君の顔が好きだ』が、大阪を拠点とするFM802の3月の邦楽ヘビーローテーションに採用され、これをキッカケに関西圏での知名度が上昇する。
1994年、「歩いて帰ろう」がフジテレビ系子供番組『ポンキッキーズ』で使われた。
1995年に同年代の一般女性と結婚。
デビュー15年目以降
デビューから15年目の2007年から2008年にかけては一気に知名度が高まった。2007年は、リクルート社『ゼクシィ』に作ったテレビCM曲「ウエディング・ソング」が話題になり、UHA味覚糖「e-maのど飴」のテレビCM曲に「愛に来て」が起用された時は本人もCMに出演した[6]。2008年5月からは、武田薬品工業の「アリナミン」CM曲を担当、ブランドCM曲「おつかれさまの国」と「どんなに頑張ってみても」のフレーズの商品CM曲「やぁ 無情」の2曲を提供。「やぁ 無情」は第50回日本レコード大賞優秀作品賞を受賞。6月には所属事務所を「ロード&スカイ」に移籍。8月にリリースのシングルズ・ベスト『歌うたい15』はオリコンチャートで最高4位。
他のミュージシャンとの交流にも精力的で、2009年5月に急逝した忌野清志郎とは特に親交が深く、清志郎を愛する多数のアーティストが結集した映画『忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー 〜感度サイコー!!!〜』にはただ一人、3度全てに出演している。
2010年4月OAの資生堂「IN & ON」CMでは「ずっと好きだった」を提供。
2010年6月3日、結婚して15年になる夫人との間に第一子の男児が誕生した。
2011年4月1日から、東日本大震災へのチャリティーライブ「斉藤和義 on USTREAM 『空に星が綺麗』」(SPEEDSTAR RECORDS公式Ustreamチャンネル)を5週続けて敢行。
2011年6月頃、元BLANKEY JET CITYの中村達也とユニットを組んでMANNISH BOYSを結成。7月24日のJOIN ALIVEを皮切りに、7月31日のフジロックフェスティバルでは「GYPSY AVALON」ステージの「アトミック・カフェ」にユニットで出演[10]、同フェスの斉藤単独の「WHITE STAGE」では斉藤のバンドメンバーとして中村が参加した。
2011年6月22日、SPEEDSTAR RECORDS公式Ustreamチャンネル内に「斉藤和義 on USTREAM」(斉藤和義チャンネル)を開設[12]。第1回の同日は新曲「雨宿り」などを披露。
2012年、デビュー20年目にしてNHK紅白歌合戦に初出場を果たす。出演者決定インタビューで感想を聞かれた際には、「今年は“ガキ使”が見れないなと思いました。頑張ります」というコメントで笑いを誘った。
2013年、LOUDNESSのメンバーが中心となって行われたがん疾患啓発チャリティーライブ「Rock Beats Cancer FES 2013 Vol.1」に出演。
2013年、デビュー20周年にして、さいたまスーパーアリーナで斉藤史上最多収容人数の1万8000人を記録。
2014年5月、国立競技場finalイベント「japan night」に音楽日本代表として豪華アーティストと共に参加。
2014年5月24日、新木場・若洲公園にてTOKYO METROPOLITAN ROCK FESTIVAL 2014、通称メトロック2014に出演。
2014年8月31日、山中湖で開催された「sweet love shower2014」に初参加
2014年、9月に中村達也とのロック・ユニットMANNISH BOYSの2ndアルバム『Mu? Mu? Mu? MANNISH BOYS!!!』を発売。全国ツアーも開始するが、9月29日の脱原発イベント「NO NUKES 2014」にも参加。この「NO NUKES」には初回の2012年から3年連続出演している。
2014年、サザンオールスターズの「天国オン・ザ・ビーチ」のプロモーションビデオに参加。桑田佳祐とは挨拶を交わしたこともあり、また、桑田が斉藤の「やさしくなりたい」を前年の『昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦』でカバーしており、斉藤かつてラジオの企画で「真夏の果実」をカバーしている。
2015年3月14日、2回目となるビクター主催のロックフェスティバル「ビクター ロック祭り〜2015〜」に出演。
人物
伊坂幸太郎との関係
作家の伊坂幸太郎は会社勤めをしながら小説を書いていた際、通勤中に「幸福な朝食 退屈な夕食」を聴いて退職を決意、執筆活動に専念することにしたと語っている。のちに伊坂の書き下ろし短編小説「アイネクライネ」をもとに、斉藤が「ベリーベリーストロング 〜アイネクライネ〜」を作詞作曲し、コラボレーション作品が生まれた。「アイネクライネ」は、「ベリー ベリー ストロング 〜アイネクライネ〜」を収録したシングル「君は僕のなにを好きになったんだろう」に初回盤特典として封入されたが、このシングルのジャケットは漫画家の佐藤秀峰が描いている。佐藤も斉藤のファンであると公言している。
伊坂の短編小説「フィッシュストーリー」が中村義洋監督作品として映画化(2008年3月公開)された際は、劇中のパンクバンド「逆鱗」の曲として「FISH STORY」を、エンディング・テーマ曲として「Summer Days」を提供した。
「ゴールデンスランバー」(2010年1月公開。中村義洋監督)でも、音楽を担当。原作タイトルの由来となったビートルズの同名曲「Golden Slumbers」をカバーし、オープニングテーマ・劇中歌として使用された。また、エンディングテーマとして「幸福な朝食 退屈な夕食」(映画化に際し新録されている)が使用されている。
短編集『フィッシュストーリー』に収録の一編「ポテチ」が、同じく中村義洋監督で2012年春に公開予定となり、音楽を担当することになった。
シングル
発売日 タイトル 規格 規格品番 最高位
1st 1993年8月25日 僕の見たビートルズはTVの中 8cmCD FHDF-1309 -
2nd 1993年11月26日 Rain Rain Rain 8cmCD FHDF-1341 -
3rd 1994年2月2日 君の顔が好きだ 8cmCD FHDF-1353 -
4th 1994年6月1日 歩いて帰ろう 8cmCD FHDF-1395 60位
5th 1994年9月24日 彼女 8cmCD FHDF-1411 -
6th 1994年11月23日 d??j?? vu 8cmCD FHDF-1428 67位
7th 1995年3月1日 ポストにマヨネーズ 8cmCD FHDF-1444 -
8th 1995年6月25日 通りに立てば 8cmCD FHDF-1488 -
9th 1995年10月4日 大丈夫 8cmCD FHDF-1506 48位
10th 1996年1月1日 空に星が綺麗 8cmCD FHDF-1534 78位
11th 1996年2月1日 砂漠に赤い花 8cmCD FHDF-1531 90位
12th 1996年8月21日 Baby,I LOVE YOU 8cmCD FHDF-1568 87位
13th 1997年1月22日 郷愁 8cmCD FHDF-1607 47位
14th 1997年4月9日 幸福な朝食 退屈な夕食 8cmCD FHDF-1627 -
15th 1997年11月21日 歌うたいのバラッド 8cmCD FHDF-1660 91位
16th 1998年2月1日 Hey! Mr.Angryman 8cmCD FHDF-1674 -
17th 1998年12月2日 ソファ 12cmCD FHCF-2449 34位
18th 2000年2月23日 アゲハ 12cmCD VICL-35108 44位
19th 2001年7月25日 劇的な瞬間 12cmCD VICL-35282 40位
20th 2001年10月24日ロケット 12cmCD VICL-35321 49位
21st 2001年12月5日 月の向こう側 12cmCD VICL-35338 50位
22nd 2002年11月20日 やわらかな日 12cmCD VICL-35446 43位
23rd 2003年3月5日 喜びの唄 12cmCD VICL-35475 72位
24th 2004年3月24日 ぼくらのルール 12cmCD VICL-35624 82位
25th 2004年8月25日 真夜中のプール CD+DVD
12cmCD VICL-35705(初回限定盤)
VICL-35706(通常盤) 42位
26th 2004年11月17日 約束の十二月/誰かの冬の歌 12cmCD VICL-35739 48位
27th 2005年1月29日 世界を白くぬれ![注 1] 12cmCD KGSR-1003
28th 2005年10月19日 FLY〜愛の続きはボンジュール!〜 CD+DVD
12cmCD VICL-35891(初回限定盤)
VICL-35892(通常盤) 37位
29th 2006年5月24日 ハミングバード 12cmCD VICL-36060 55位
30th 2006年10月20日 破れた傘にくちづけを 12cmCD HRCN-311002
31st 2007年1月24日 ウエディング・ソング 12cmCD VICL-36205 16位
32nd 2007年6月20日 君は僕のなにを好きになったんだろう
ベリー ベリー ストロング〜アイネクライネ〜 CD+DVD
12cmCD VIZL-241(初回限定盤)
VICL-36310(通常盤) 20位
33rd 2007年9月5日 虹 CD+DVD
12cmCD VIZL-254(初回限定盤)
VICL-36334(通常盤) 44位
34th 2008年9月17日 やぁ 無情 12cmCD VICL-36459 10位
35th 2008年12月3日 おつかれさまの国 12cmCD
12cmCD VICL-36479(初回限定盤)
VICL-36480(通常盤) 13位
36th 2009年5月6日 ドント・ウォーリー・ビー・ハッピー 12cmCD
12cmCD VICL-36497(初回限定盤)
VICL-36499(通常盤) 19位
37th 2009年8月5日 COME ON! 12cmCD VICL-36520 16位
38th 2010年4月21日 ずっと好きだった 12cmCD
12cmCD VICL-36577(初回限定盤)
VICL-36576(通常盤) 8位
39th 2011年11月2日 やさしくなりたい 12cmCD VICL-37410 6位
40th 2012年5月2日 月光 12cmCD
12cmCD VICL-36801(初回限定盤)
VICL-36802(通常盤) 10位
41st 2013年4月17日 ワンモアタイム 12cmCD VICL-36820 9位
42nd 2013年9月18日 Always 12cmCD+缶バッジ+トートバッグ
12cmCD VIZL-720(初回限定盤)
VICL-36920(通常盤) 10位
43rd 2013年10月16日 かげろう 12cmCD VICL-820(初回限定盤) 12位
44th 2015年9月2日 攻めていこーぜ!/傷口 12cmCD+ピック
12cmCD VIZL-990(初回限定盤)
VICL-37800(通常盤) 16位
45th 2016年6月8日 マディウォーター 12cmCD×2
12cmCD VIZL-1049(初回限定盤)
VICL-37349(通常盤) TBA
企画
五秒の再会 - 斉藤和義と玲葉奈(2002年3月20日発売)
キヨシローに憧れて - Golden Circle feat.斉藤和義(寺岡呼人・ゆず・斉藤和義)
オリオン通り - 斉藤和義と浜崎貴司※宇都宮限定発売(2004年8月7日発売)
配信限定
発売日 タイトル 規格 規格品番 最高位
1st 2011年6月22日 雨宿り 着うたフル(R)
iTunes/PC
2nd 2014年12月10日 Endless レコチョク
iTunes/PC
mora
3rd ワンダーランド

 自己と、その周辺の、日常的な世界を詠った曲。「灯りが欲しい」と同系といえるが、こちらは何となくそれとない救いと、ほのかな明るさのある所がいい。大きな世界や、叙情的な恋、果てしない旅情を詠うことの多い、五木にしては珍しい歌。ただ、誰でも経験するような、しみじみとした哀切の風情がいい。
(作詩 たかたかし 作曲 弦 哲也 昭和56) 
1 惚れていたんだ おまえにだけは
  ぐちになるから 言葉にゃださぬ
  風がしみるよ 心がさむい
  ーーー
2 わかるもんかよ やさしさだけじゃ
  ーーー
  ちょいと人生 かくれんぼ
  意地をとおして ひとりぼっち
3 時がうつれば 世間も変わる
  変わりようない おいらの心
  ーーー
  泣いて笑って 生きてゆく
(収集プロフィール)
五木 ひろし(いつき ひろし、1948年3月〜 ) 日本の演歌歌手、作曲家、俳優。身長173cm、2007年、紫綬褒章を受章した。京都府生まれ、福井県三方郡美浜町出身。
生い立ち
父親は鉱山技師で鉱脈を追って家族で各地を転々とし京都府で生まれる。幼稚園から小学校2年生までの3年間、三重県鳥羽市で暮らした。鳥羽市立加茂小学校に在籍していた頃から歌手になりたいと思っていたという。その後福井県美浜町に移り、父親は鉱山技師を辞め、建築用石材を扱う会社を興す。元・阪神の川藤幸三は美浜駅を挟んで同じ町内の出身。1963年3月、中学を卒業した翌日、長姉を頼り単身京都へ移り、関西音楽学院に入学。一年後の1964年5月、作曲家の上原げんとを紹介され、プロ歌手を目指し上京。上原の内弟子となり、松方弘樹らと共に歌を学ぶ。
1960年代
上京して4ヶ月後の1964年9月、第15回コロムビア全国歌謡コンクールにて優勝、コロムビアの専属歌手となる。「歌うミスター平凡」(雑誌『平凡』主催)に選抜され1965年6月、“松山まさる”を芸名として、コロムビアから「新宿駅から/信濃路の果て」でデビュー。しかし頼みの綱だった上原が同年8月、軽井沢へ向かう車中で心臓発作のため急死、五木はまだ17歳だった。シングルを計6枚発売するもヒットに至らず、1967年に日本グラモフォンへ移籍。この時期は都はるみらスター歌手の前座や、キャバレー回りが主で仕事は大半地方巡業だった。1967年4月、“一条英一”に改名して、ポリドール・レーベルから「俺を泣かせる夜の雨/流れ星(B面は愛田健二)」で再デビュー。シングルを計3枚発売するもヒットに至らず、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の「御三家」には大きく水をあけられ、三田明など10代の歌手にもどんどん追い抜かれた。1968年、プロダクションの倒産とともに契約を解除される。仕事は0になり貯金も尽き、食べる物にも困った。机の引き出しの奥から出てきたフジテレビの食堂の食券を握り締め、東中野のアパートから河田町のフジテレビまで歩いて行ったこともある。同じアパートに住んでいたホステスから弾き語りを勧められ、銀座の高級クラブ『クニ』で歌い始め1969年、ここで作曲家の遠藤実を紹介され、ミノルフォンと契約。12月、“三谷謙”に再び改名して、「雨のヨコハマ/東京 長崎 札幌」で再デビューを果たすもヒットに至らず。
デビューしてから約5年間の間に2度も芸名を変更するなど不遇の時代を過ごす。
1970年代
1970年、故郷福井の放送局福井放送のプロデューサーの勧めで、よみうりテレビ制作のオーディション番組『全日本歌謡選手権』に、歌手生命のすべてを賭けてミノルフォン専属のプロ歌手“三谷謙”として出場。当時銀座のクラブでの弾き語りが、サラリーマンの初任給3万円の時代に月収50万円もあり、もし落ちたらプロ歌手として失格の烙印を押され、弾き語りの仕事にも響く、この生活を捨ててまで危険な挑戦をすべきかで悩んだ。第1週挑戦時には、「これで駄目なら、ふるさとの福井に帰って農業をやる」と覚悟のほどを語っているが、最終的には10週連続で勝ち残り、グランドチャンピオンに輝く。これにより、レコード歌手として再デビューできる権利を獲得。同番組2週目の審査員だった作詞家の山口洋子が徳間音工の徳間康快を紹介してくれ、この関係ではキックボクシング・ジムであった野口プロモーション(社長:野口修)と契約を結び、同プロモーションの芸能人第1号となる。山口と作曲家の平尾昌晃に師事。プロデューサーには山口が就任。
1971年3月、新しい芸名を“五木ひろし”として、ミノルフォンから再デビューを果たす。苗字の「五木」は山口洋子が五木寛之から頂戴した。また、「いいツキをひろおう」という意も入っている。再デビュー・シングルの「よこはま・たそがれ」で山口は単語の羅列ながらも女ごころを表現した詞を書き、平尾昌晃がそれにモダンでソフトな演歌調の曲を付けた。平尾にとって初めての演歌作品でもあった。マイクを左手で持ち、右手は拳を握り締め、腰をシェイクさせてリズムを採る独特の歌唱スタイルは、同じ野口プロモーションに所属していたキックボクサー・沢村忠の“ファイティング・スタイル”からヒントを得たもので、物真似をされるほどに五木の代名詞として定着してゆく。五木は「“拳”は演歌の“コブシ(小節)”をかけている」と語っている。「よこはま・たそがれ」はオリコン・シングル・チャートで、最高位1位、登場週数46週、65万枚に迫る売上げを記録(以下、文中のチャート・データはすべてオリコン・シングル・チャートに基づく)。第2弾シングルのマドロス演歌「長崎から船に乗って」も最高位4位、登場週数28週、45万枚に迫る売上げを記録。この年、第4回日本レコードセールス大賞男性新人賞を受賞。また「よこはま・たそがれ」では第4回新宿音楽祭金賞、第2回日本歌謡大賞放送音楽賞(初受賞)、第13回日本レコード大賞歌唱賞(初受賞)を受賞し、念願であったNHK紅白歌合戦(第22回)への初出場も果たす。以降、2014年現在まで連続出場を継続中。
1972年、第3弾シングル「かもめ町みなと町」は前作同様にマドロス演歌ながらも、敢えて筒美京平を作曲に迎え、最高位11位、登場週数18週、15万枚を超える売上げを記録。第4弾シングルとして藤本卓也を作曲に迎えた「待っている女」は、ポップス演歌とプロモーションされ、最高位6位、登場週数22週、25万枚を超える売上げを記録。この曲で第3回日本歌謡大賞放送音楽賞を2年連続2回目の受賞。ポップス演歌第2弾となる「夜汽車の女」は、前作の続編的性格を持ち、スマッシュ・ヒットに終わる。この曲で第14回日本レコード大賞歌唱賞を2年連続2回目の受賞。藤田まさとを作詞に迎えた股旅演歌「旅鴉」は、テレビ時代劇ドラマ『長谷川伸シリーズ』主題歌として発売になったもので、テレビ歌謡番組などでは積極的に披露してはいないにも拘らず、最高位19位、登場週数32週、15万枚を超える売上げを記録。2作続いたポップス演歌から脱却し、年の暮れに発売になった「あなたの灯」は五木の持ち味が最大限に活かされたリズム演歌であり、翌1973年にかけて最高位5位、登場週数26週、30万枚を超える売上げを記録。ファンの裾野を拡げ、その後の方向性を決定づけた作品となる。
1973年には短い周期で「霧の出船」、「ふるさと」、「夜空」と立て続けに新曲が投入されたが、そのすべての作品をヒットさせるなど1年間を通じて活躍。「霧の出船」は最高位13位、登場週数23週、25万枚に迫る売上げを、「ふるさと」は最高位11位、登場週数43週、40万枚に迫る売上げを、「夜空」は最高位4位、登場週数31週、45万枚に迫る売上げをそれぞれ記録。叙情演歌の「ふるさと」はサビの部分を女性コーラスだけでレコードに吹き込んでいたが、テレビやステージなどでは五木が女性コーラスを従えて歌い、これを改善している。「狼のバラード」はテレビドラマの主題歌として発売になったものであり、テレビ歌謡番組などでは積極的に披露してはいない。ただし、そのB面に収録された「道」は、主力であったポップス演歌の「夜空」と並行してテレビ歌謡番組でも時折披露している。ほぼ毎日放送されていた歌謡番組は大半が生放送であったため、連日各放送局を掛け持ちで出演するなど多忙を極める。その都度、特徴的な“細い目”を司会者などから再三茶化されるが、それを軽妙に切り返して笑いを誘うなど、コミカルな部分をも持ち合わせていた。物真似番組にも数多く出演し、チャンピオンに度々選抜される。「ふるさと」で第4回日本歌謡大賞放送音楽賞を3年連続3回目の受賞、「夜空」で第15回日本レコード大賞を初受賞。以後毎年のように頂点をうかがえる位置につけるなど“賞レースの常連”となる。
1974年、「夜空」で第11回ゴールデン・アロー賞音楽賞を受賞。バラード演歌「別れの鐘の音」は、最高位15位、登場週数18週、15万枚を超える売上げを記録。この曲で第3回東京音楽祭国内大会ゴールデン・カナリー賞(初受賞)、世界大会外国審査員団賞(演歌系歌手としては初出場・初受賞)、第1回FNS歌謡祭'74音楽大賞上期最優秀視聴者賞(初受賞)を受賞。テレビやステージでは壮大感をより強調するため、サビの部分だけレコードに吹き込んだ時の歌い方をせずにロング・トーンで締めている。ステージでは締めくくりの曲としてたびたび使われている。五木はデビュー当初から古賀政男の「古賀メロディーを自分の持ち歌にしたい」と熱望していた。古賀がコロムビア専属作曲家であるという“レコード会社間の壁”に阻まれていたが、この年「浜昼顔」でようやく五木の熱意が実った。この曲は1936年7月ごろに藤山一郎に提供した「さらば青春」にリメイクを施し、1955年12月、青木光一に「都に花の散る夜は」として提供したものに再度リメイクを施し、詩人の寺山修司が題と詞を付け直したものである。前述の「旅鴉」を除き、山口洋子以外のゲスト作詞家を迎え入れたのは自身ではこれが初めて。最高位5位、登場週数29週、40万枚に迫る売上げを記録。この曲で第5回日本歌謡大賞放送音楽賞を4年連続4回目の受賞。
「みれん」は最高位6位、登場週数22週、35万枚を超える売上げを記録。この曲で第2回FNS歌謡祭'74音楽大賞下期最優秀視聴者賞(2期連続2回目)、第2回FNS歌謡祭'74音楽大賞年間最優秀グランプリ(初受賞)、第16回日本レコード大賞最優秀歌唱賞(初受賞)を受賞。第7回日本レコードセールス大賞LPゴールデン賞を受賞。日本レコード大賞と日本歌謡大賞とでその年の受賞曲が割れるという、同等規模のヒット曲を連発する歌手に特有の現象が1972年から3年連続して発生し、五木と関係者らを苦悩させる。
1975年、師匠である平尾昌晃から巣立ち、本格的に外部の作曲家の作品を歌い始める。森田公一を作曲に迎えたポップス演歌「哀恋記」は、最高位10位、登場週数16週、15万枚を超える売上げを記録。この曲で第3回FNS歌謡祭'75音楽大賞上期最優秀視聴者賞を3期連続3回目の受賞。 代表作となった「千曲川」(後述)に次ぐ、猪俣公章の作曲による第2弾「ふたりの旅路」は、“五木ひろしが初めて取り組む本格演歌”と宣伝され、そのレコードにはジャケット(裏面に歌詞がある)のほか、山口洋子と猪俣の挨拶文を収めた小カードが追加挿入されるほどの力の入れようであった。最高位14位、登場週数22週、20万枚を超える売上げを記録。第1回日本演歌大賞を初受賞。
1976年、猪俣公章の作曲による第三弾「愛の始発」は、最高位10位、登場週数21週、25万枚を超える売上げを記録。この年の勝負作として投入した「北酒場」は、森進一「襟裳岬」のヒットに触発された形で“フォークの神様”と評価されていた岡林信康を作曲に迎え、五木が初めて取り組んだフォーク作品で、最高位13位、登場週数17週、15万枚を超える程度の売上げを記録する。「味の素」バラエティギフトのCMに出演。その契約金は当時、歴代最高額と云われている。「旅人」はCMソングとして発売されたものであり、ヒットさせることを目指した作品ではないため、テレビ歌謡番組等では積極的に披露してはいない。原点へ立ち返るとして、久々に平尾昌晃を作曲に起用した「どこへ帰る」は最高位16位、登場週数19週、15万枚を超える売上げを記録。ラスベガス公演をラスベガス・ヒルトンに於いて興行。「どこへ帰る」で第2回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭ゴールデングランプリを初受賞。第27回NHK紅白歌合戦では「愛の始発」で2年連続2回目となる白組トリを務める。
1977年、心情演歌「風の子守唄」を最後に、師匠である山口洋子から巣立ち、本格的に外部の作詞家の作品を歌い始める。その第一弾「灯りが欲しい」はこの年の勝負作と位置づけ、藤田まさとを作詞に迎える。これまで一貫して女ごころを歌ってきたのを一転、初めて男ごころを取り上げ、最高位14位、登場週数23週、20万枚を超える売上げを記録。第28回NHK紅白歌合戦では「灯りが欲しい」で3年連続3回目となる白組トリ、初めての大トリを務める。
1978年、ポップス演歌「潮どき」は、最高位17位、登場週数14週、10万枚を超える売上げを、「あしたも小雨」は、最高位16位、登場週数15週、15万枚に迫る売上げをそれぞれ記録。「熱愛」は本間千代子(表記:あたらしかずよ)を作詞に迎えた意欲作であり、且つこの年の勝負作であった割りには振るわず。「熱愛」で第20回日本レコード大賞古賀政男記念賞を受賞。尚、美空ひばりは受賞を辞退している。
1979年、独立を果たす。独立後第一弾「おまえとふたり」は、古賀政男の弟子でギタリストの木村好夫を作曲に迎える。不安を抱きながらの再出発となるが、折りからのカラオケブームに乗り、最高位3位、登場週数41週、90万枚を超える売上げを記録。最終的にはミリオン・セラーに至り、自身では最大のヒット曲となる。「おまえとふたり」で第21回日本レコード大賞金賞を初受賞。第30回NHK紅白歌合戦では「おまえとふたり」で4回目となる白組トリを務める。
1980年代
1980年、前年からの大ヒット作「おまえとふたり」に引き続き、「倖せさがして」が最高位4位、登場週数28週、50万枚に迫る売上げを、「ふたりの夜明け」が最高位10位、登場週数30週、35万枚を超える売上げをそれぞれ記録。 一年間を通じて活躍。第6回日本演歌大賞を2回目の受賞。第1回古賀政男記念音楽大賞優秀賞を受賞。第9回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀グランプリを2回目の受賞。第6回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭ゴールデングランプリを2回目の受賞。第11回日本歌謡大賞放送音楽賞を6回目の受賞。第22回日本レコード大賞金賞を2年連続2回目の受賞。第13回日本レコードセールス大賞シングルゴールデン賞を受賞。第31回NHK紅白歌合戦では「ふたりの夜明け」で2年連続5回目となる白組トリを務める。
1981年、「港・ひとり唄」は最高位21位、登場週数22週、20万枚に迫る売上げを記録。出身地である福井県の一市民・絽端久倫が作った詩に、新鋭の弦哲也を起用して曲を付けた企画もの旅情演歌「越前有情」が一定の評価を得たことから、この年の勝負作にも作曲を弦哲也で臨むことに踏み切る。 こうして誕生した「人生かくれんぼ」は最高位18位、登場週数33週、30万枚に迫る売上げを記録。後年、「越前有情」の歌碑が越前海岸国定公園の景勝地・呼鳥門の北側に建立される。「港・ひとり唄」で第10回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。「人生かくれんぼ」で第12回日本歌謡大賞放送音楽賞を2年連続7回目の受賞。第23回日本レコード大賞金賞を3年連続3回目の受賞。
1982年、「愛しつづけるボレロ」は最高位19位、登場週数19週、10万枚を超える売上げを記録。第1回メガロポリス歌謡祭演歌大賞を初受賞。「契り」は映画(東映系)「大日本帝国」の主題歌として自身では初めての映画タイアップ作品である。其の他、改名後では初めて自らが作曲を手懸けたシングル曲であること、非・演歌であること、売れっ子作詞家の阿久悠と初めてタッグを組み、最高位20位、登場週数30週、20万枚を超える売上げを記録。「居酒屋」は元々、五木のLPにソロで収録されていた曲であるが、同じミノルフォンに所属していた木の実ナナがそのカバー・シングルをデュエット企画で発売するにあたり、デュエット相手として五木が指名されたという経緯がある。 自身では初めてのデュエット・シングルであり、最高位29位、登場週数48週、20万枚に迫る売上げを記録。 現在でも、カラオケでは男女デュエット・ソングの定番として人気が高い。非公式シングルとして発表になった「恋の大阪」は、1998年11月、八島義郎がセルフカバーしている。第8回日本演歌大賞演歌スター賞を受賞。「夢海峡」で第3回古賀政男記念音楽大賞優秀賞を受賞。「契り」で第15回日本作詩大賞を阿久悠(歌:五木ひろし)が受賞。「契り」で第11回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀歌唱賞を受賞「契り」で第8回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭ゴールデングランプリを3回目の受賞(歴代単独第1位)。「契り」で第13回日本歌謡大賞放送音楽賞を3年連続8回目の受賞。「契り」で第24回日本レコード大賞金賞を4年連続4回目の受賞。
1983年、「あなた」は自ら作曲を手懸け、最高位26位、登場週数21週、15万枚に迫る売上げを記録。谷崎潤一郎が著作した同名小説に材を得た文芸艶歌(つやうた)「細雪」は最高位9位、登場週数33週、45万枚に迫る売上げを記録。五木は後年、「艶歌は特に歌唱が難しい」と語っている。「細雪」で第12回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。「細雪」で第14回日本歌謡大賞優秀放送音楽賞を4年連続9回目の受賞。尚、優秀放送音楽賞は放送音楽賞が改称されたものである。「細雪」で第25回日本レコード大賞特別金賞を5年連続5回目の受賞。尚、この年のみ制定された特別金賞は、金賞と同格として取り扱われる。
1984年、4月、前述の「浜昼顔」と同様に、五木の熱意が実り、石本美由起がコロムビア専属作詞家であるという“レコード会社間の壁”を乗り越えて、旅情艶歌「長良川艶歌」が誕生。長良川の風物詩である鵜飼いを取り入れるなど、石本美由起が作詞家としての信条であるという“喚起力のある言葉”と“音感的に綺麗な言葉”が存分に活かされた作品に仕上がる。8月、大作映画(東宝系)「おはん」(原作:宇野千代/監督:市川昆/出演:吉永小百合、石坂浩二、大原麗子、ミヤコ蝶々、他)の封切りに合わせ、同映画主題歌としてタイアップした艶歌「おはん」は、両A面扱いとしてヒット中の「長良川艶歌」のカップリングに収められ、装いも新たに再発売になる。「長良川艶歌/おはん」は最高位10位、登場週数47週、65万枚を超える売上げを記録。後年、「長良川艶歌」の歌碑が長良川畔の川灯台脇に建立される。「ふたりのラブソング」は都はるみとのデュエット企画のために五木が自ら作曲を手懸けており、“大物歌手同士のコンビ”などと話題を集める。第10回日本演歌大賞演歌名誉歌手賞を受賞。「長良川艶歌」で第13回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀グランプリを3回目の受賞(歴代単独第1位)。第15回日本歌謡大賞を受賞。第26回日本レコード大賞を2回目の受賞(歴代第3位)。
1985年、「そして…めぐり逢い」は最高位12位、登場週数38週、25万枚を超える売上げを記録。第4回メガロポリス歌謡祭演歌大賞を2回目の受賞。「第11回日本演歌大賞を3回目の受賞。第14回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。第16回日本歌謡大賞優秀放送音楽賞を6年連続11回目の受賞(通算では歴代単独第1位、連続では沢田研二と並び歴代第1位)。第16回日本歌謡大賞最優秀放送音楽賞を受賞。第27回日本レコード大賞金賞を7年連続7回目の受賞。
1986年、大阪を舞台とした浪花演歌「浪花盃」は最高位23位、登場週数36週、20万枚を超える売上げを記録。第12回日本テレビ音楽祭優秀賞受賞。「第15回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。第28回日本レコード大賞金賞を8年連続8回目の受賞。ポップス「当日・消印・有効」は、テレビドラマ(テレビ朝日系)「私鉄沿線97分署」第3期主題歌として発売になったが、その目的(ドラマでは五木が歌っていることは伏せて、誰が歌っているかを当てる懸賞クイズにしていた)のためだけにグループ・サウンズのスリーピースバンドと組んで、ユニット“ブービーズ”を結成したことで話題を集める。レコード・ジャケットは、メンバー全員の両目の部分だけピックアップした写真がデザインされている。生演奏で一度だけ、テレビ歌謡番組(フジテレビ系)「夜のヒットスタジオ」で披露している。
1987年、アメリカ合衆国ニューヨーク公演をリンカーン・センターに於いて興行。大作バラード「追憶」は最高位12位、登場週数45週、30万枚を超える売上げを記録。「追憶」で第6回メガロポリス歌謡祭演歌大賞(男性部門)を3回目の受賞。第13回日本演歌大賞演歌スター賞を受賞。第8回古賀政男記念音楽大賞を受賞。
1988年、「港の五番町」は、ムード歌謡を主に歌っていたコーラス・グループの原みつるとシャネル・ファイブが1972年9月に発売した作品であるが、これを復刻し(当時は“発掘”とプロモーションされた)、自身では初めてのカバー・シングルとして発売したところ、最高位12位、登場週数26週、20万枚に迫る売上げを記録。「港の五番町」で第14回日本演歌大賞演歌スター賞を受賞。第21回日本作詩大賞を阿久悠(歌:五木ひろし)が受賞。第17回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。第30回日本レコード大賞金賞を10年連続10回目の受賞(通算・連続ともに歴代単独第1位)。第30回日本レコード大賞特別賞を初受賞(受賞理由(原文をそのまま掲載):昭和54年、「おまえとふたり」によって第21回日本レコード大賞「金賞」を受賞以来、「ふたりの夜明け」「人生かくれんぼ」「契り」「細雪」「長良川艶歌」「そして…めぐり逢い」「浪花盃」「追憶」そして本年度第30回の「港の五番町」と連続10回「金賞」を受賞するという偉業をなし遂げた。これは、優れた作品と、それをより生かす卓越した歌唱力との相乗効果の見事な結実であるとともに、その歌唱が10年間、大衆の大きな支持を獲得し続けたことを物語っている。)。
1989年、「面影の郷」は最高位29位、登場週数21週、10万枚に迫る売上げを記録。5月、女優の和由布子と結婚。披露宴の規模は5億円と云われ、当時芸能界最高額。当時40歳。「面影の郷」で第8回メガロポリス歌謡祭演歌大賞(男性部門)を4回目の受賞(歴代単独第1位)。結婚とこれまでの数々の受賞実績等を踏まえ、歌手としては一定の成果を収めることができたと判断。従前とは一線を画し、今後の活動方針について以下の趣旨を決意表明。
今後はより熟成された作品を新曲として発表し、発売周期(サイクル)には拘らずにじっくり歌い込んでゆき、従来どおり“現役歌手”として自身のオリジナル・ヒットを生み出し続けるということを前提に、今後は音楽文化の継承、後進の指導と育成、地域社会への貢献などにも目を向ける。
フォークシンガーの永井龍雲を作曲に迎えた「暖簾」を発売後は、約一年間次の新曲を発売せずこの曲に専念し、最高位26位、登場週数20週、10万枚に迫る売上げを記録。演歌以外の様々なジャンルの音楽家にも出会い、歌の幅が拡がってゆく。6月、「美浜・五木マラソン大会」を出身地の福井県三方郡美浜町で初めて開催。「美浜・五木ひろしマラソン大会」に改称され、以降も現在まで連続開催(年1回不定日)を継続中。
1990年代
1990年、船村徹を作曲に迎えた「心」は、北島三郎ばりの“正統派演歌”であり、最高位17位、登場週数26週、15万枚を超える売上げを記録。
1991年、「財団法人 国際親善協会」の設立をプロデュース。20周年ゴールド・シングルとして発売になった「おしどり」は長年連れ添う夫婦愛を描いた夫婦演歌であり、翌1992年(平成4年)にかけて最高位15位、登場週数42週、35万枚を超える売上げを記録。第33回日本レコード大賞特別賞を“「財団法人 国際親善協会」及びそのプロデューサー五木ひろし”として2回目の受賞。
1993年、「べにばな」は最高位19位、登場週数29週、30万枚に迫る売上げを記録。
1994年、浪花演歌「浪花物語」は中村美律子とのデュエット企画であり、ふたりの台詞が織り込まれる。「汽笛」は最高位24位、登場週数28週、25万枚を超える売上げを記録。第45回NHK紅白歌合戦では「汽笛」で7回目となる白組トリを務める。
1995年、自ら作曲を手懸けた「パパと遊ぼう」は、初めて童謡に挑戦した。「酒 尽々」は最高位22位、登場週数24週、20万枚に迫る売上げを記録。『五木ひろしベストコレクション'94 女ひとり』で第9回日本ゴールドディスク大賞アルバム賞演歌・男性部門を受賞。
1996年、再び永井龍雲を作曲に迎えた「女の酒場」は最高位33位、登場週数36週、10万枚を超える売上げを記録。『五木ひろし全曲集―酒 尽々』で第10回日本ゴールドディスク大賞アルバム賞演歌・男性部門を受賞。
1997年、第48回NHK紅白歌合戦では「千曲川」で8回目となる白組トリ、3回目となる大トリを務める。紅白歌合戦で出場した年より前に発売された曲を歌ったこと、再度同じ曲を歌ったことはいずれも、自身では初めてのことであるが、これは翌1998年の長野オリンピックへ向けての“賛歌”として、同地を舞台としたこの曲に白羽の矢が立てられたためである。
1998年、「千日草」は最高位42位、登場週数21週、10万枚に迫る売上げを記録。「酒 ひとり」は最高位31位、登場週数22週、10万枚を超える売上げを記録。第40回日本レコード大賞美空ひばりメモリアル選奨を受賞(受賞理由:三十年余に亘り第一線の地位を確保してきた業績に対して)。第49回NHK紅白歌合戦では「酒ひとり」で2年連続9回目となる白組トリを務める。
1999年、「再り会い」は最高位31位、登場週数21週、10万枚に迫る売上げを記録。
2000年代
2000年、「山河」は小椋佳、堀内孝雄コンビにより中国を舞台とした大作に仕上がり、ミレニアム・シングルと銘打って発売になる。 中国楽器を採用し、スタンド・マイクを用いて歌唱した。前田有紀がハロー!プロジェクトに正式メンバーとして加入するなど、後進の育成にも尽力。ハロー!プロジェクトが堀内孝雄やつんく♂らと同じアップフロントエージェンシー(当時。現在は「アップフロントプロモーション」)に所属していたことから、以後、彼等との関係が深まる。第51回NHK紅白b歌合戦では「山河」で10回目となる白組トリ、4回目となる大トリを務める。 その他、KIRINの商品[FIRE]でCM出演し、スティービー・ワンダーの同CM曲TO FEEL THE FIREの日本語版を歌っている。
2001年「おふくろの子守唄」は“母”をテーマに掲げた曲であり、つんく♂がプロデュースしたが、母の急死以後は喪に服するとしてこの曲の歌唱を封印。「逢いたかったぜ」はコロムビア時代の恩師である上原げんとが作曲、岡晴夫が歌い、1955年7月に発売になった同名ヒット曲をカバーしたものである。
2002年、自身のレコード会社「ファイブス・エンタテインメント」の設立を果たし、長年所属してきた徳間ジャパン・コミュニケーションズから移籍。メジャー・ディスリビューションはキングレコードが担当。ファイブス・エンタテインメント移籍シングル第一弾「傘ん中」は最高位21位、登場回数28回、10万枚に迫る売上げを記録。「愛のメリークリスマス」は堀内孝雄やハロー!プロジェクト(モーニング娘。など)とのデュエット企画であり、自身では初めてのクリスマスものである。「傘ん中」で第35回日本作詩大賞を阿久悠(歌:五木ひろし)が受賞。「愛のメリークリスマス」で第44回日本レコード大賞企画賞を受賞。第53回NHK紅白歌合戦では「おふくろの子守唄」で11回目となる白組トリ、5回目となる大トリを務める。「おふくろの子守唄」を歌唱することは封印していたが、このNHK紅白歌合戦で封印を解き、涙ながらに熱唱した。
2003年、「逢えて…横浜」は再デビュー曲「よこはま・たそがれ」以来となる横浜を題材にしたシティー・ポップスであり、最高位21位、登場回数37回、10万枚に迫る売上げを記録。9月、構成と演出を自らが手懸けた「ライブコンサート」を日生劇場で興行。
2004年、3月、第54回芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を文化庁より受賞(受賞理由(原文をそのまま掲載):自身の構成、演出による「五木ひろしライブコンサート」(日生劇場、9月)において日本の歌謡界に多大な業績を残した古賀政男作品に取り組み、創唱者に敬意を表す一方、自身の個性や持ち味を発揮し存在を強く印象付けた。大衆歌謡を原点に、伝統の継承と現代性を追求し実践。常に意欲的であり、精力的な活動を続けている。)。「アカシア挽歌/雪燃えて」は芸能生活40周年記念シングルとして両A面扱いで発売になり、最高位16位、登場回数35回、10万枚に迫る売上げを記録。芸能生活40周年記念アルバム『おんなの絵本』は、演歌界を代表する十六人の作家陣が豪華にちりばめられている。第46回日本レコード大賞ベスト・アルバム賞を受賞。授賞式では「冬の盆」と「アカシア挽歌」を披露。第55回NHK紅白歌合戦では「雪燃えて」で12回目となる白組トリを務める。
2005年、「ふりむけば日本海」は芸名を頂戴した五木寛之と初めてコラボレーションした。最高位14位、登場回数52回、10万枚に迫る売上げを記録。CDの売上げが不振に喘いでいる演歌・歌謡界の中にあって、コンスタントに10万枚程度の売上げ実績を収める。5月、チャリティー・コンサートを熊本県南阿蘇村の野外劇場アスペクタで興行。構成と演出を自らが手懸けた「美しき日々コンサート」を日本各地で興行。地球の緑を次世代に継承するためのプロジェクト「Green Earth21」構想を計画し、実行委員長に就任。
2006年、京都の高瀬川を舞台に、自ら作曲を手懸けた艶歌「高瀬舟」は、最高位9位、登場回数44回、10万枚に迫る売上げを記録。 TOP10入りは「長良川艶歌/おはん」(1984/9/17付、最高位10位)以来、自身では21年7か月ぶり通算16作目で、初登場での達成は自身ではこれが初めて。 これまでの自身の最高順位は1976/2/19付「愛の始発」の15位で、歌手生活42年目で最高のスタートとなる。また、この21年7か月ぶりのTOP10入りという記録は「アーティスト別シングルTOP10入りインターバル記録」でカーペンターズの22年1か月ぶりに次いで歴代第2位。「アーティスト別シングルTOP10入りインターバル記録・邦楽アーティスト部門」では美空ひばりの「みだれ髪」の19年10か月を上回る歴代第1位の記録で、18年4か月ぶりに邦楽記録更新。「アーティスト別シングルTOP10入り高齢記録・邦楽アーティスト部門」では58歳で、小田和正に次いで歴代第2位。「高瀬舟」で第48回日本レコード大賞作曲賞を受賞。作曲家としても評価を得る。
2007年、2月、N響(NHK交響楽団)ポップスとのジョイント・コンサートを興行。流行歌手としてはこれが初めて。自身にとって永年の夢であった“演歌とクラシックの共演”を果たした。 3月、国立劇場公演を興行。歌手としてはこれが初めて。「ゆめかぜ」は最高位18位、登場回数37回を記録。 10月、 飛騨・美濃観光大使を委嘱。11月、紫綬褒章を受章。流行歌手としては島倉千代子以来のことである。第58回NHK紅白歌合戦では「契り」で13回目となる白組トリ、6回目となる大トリを務める。尚、「契り」は二度目の歌唱となるが、それは作詞家・阿久悠の追悼企画のためである。
2008年、アップフロントエージェンシー(当時)へ芸能プロダクション(マネジメント契約)を移籍。ラヴ・ソング「この愛に死んでも」は最高位24位、登場回数22回を記録。4か月連続で5枚のシングルを発表。その第一弾「橋場の渡し」は、“大江戸ロマン”をテーマに隅田川最古の渡しを描いたものであり、最高位19位を記録。「テネシーワルツ」はパティ・ペイジ(1950年米国)と江利チエミ(1952年1月発売)をカバーしたジャズ・ソング(アメリカン・ポップス)であり、自身では初めての外国作品であるとともに、初めて2か国語(英語/日本語)で交互に歌ったシングルとなる。「雪が降る」はアダモが自作自演(1963年)したシャンソンをカバー。
2010年代
2012年、愛媛県松山市の繁華街・二番町を舞台にした「夜明けのブルース」をリリース、松山うたこころ大使を委嘱。
エピソード
「千曲川」
1975年の勝負作として投入された旅情演歌「千曲川」はもともと猪俣公章が春日はるみ(新人時代の川中美幸)の不振を打開するために用意した作品で、星野哲郎によってタイトル(「笛吹川夜曲」)も詞も既にでき上がっており、LPに収録された。 しかし、かねてより五木の“NHK紅白歌合戦での初トリと2回目の日本レコード大賞獲り”を願っていた山口洋子は、この三拍子のメロディーの美しさに惚れ、猪俣からこれを譲り受ける。 信濃川と名前を変え滔滔(とうとう)と日本海に注ぐ“日本一の大河”千曲川を詠った明治の文豪・島崎藤村の「千曲川旅情の歌」に感銘を受けた山口は、これを「千曲川」に改題し、敢えて現地には赴かずに東京に居ながら現地の情景を憧憬にも似た想いで詞を練ったという。その際、演歌にありがちな愛や色恋や情の部分を廃した。 これらが功を奏し、最高位6位、登場週数42週、45万枚を超える売上げを記録、五木の代表作のひとつとなる。
五木はこの曲について「音域が意外に広く、迂闊には歌えない難しい曲」と語っている。 山口は晩年「(自身の作品の中で)今でも“千曲川”が一番好きです」と述懐している。 後年、この歌碑が長野県戸倉上山田温泉・萬葉公園内の千曲川を臨むことのできる位置に建立される。
夜のヒットスタジオでのエピソード
フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」の初出演は1971年6月21日放送。出世作となる「よこはま・たそがれ」での初登場であった。以後、番組晩期の1990年1月10日放送まで、長らく準レギュラー格としてコンスタントに出演回数を積み重ね、歴代1位となる222回出演という驚異的な記録を残した。「ミスター夜ヒット」の代表格として、番組にも数多くの名シーンを残した。
人気コーナー「ご対面」でかつて公私共に世話になった2人の恩人とヒット歌手の仲間入りを果たした後で初めて対面し、感激のあまり号泣。「浜昼顔」をこの恩師2人が手前で座り見守るなか熱唱した(1974年8月19日放送)。
1回目のマンスリー担当時、1983年のヒット曲「細雪」を大量の紙吹雪が舞う中で、朝丘雪路の舞踊にあわせ披露した(1985年10月23日放送)。
2回目のマンスリー担当時、覆面バンド「ブービーズ」の一員として番組に登場し「当日・消印・有効」などを演奏。このほか「長良川艶歌」の際には、琴や三味線にも挑戦するなど、多芸ぶりをアピールした(1986年10月15日放送)。
その他
美空ひばりに大変可愛がられ、「五木ひろしが男で(“男に生まれてきて”という意)良かった!」と言わしめる程に評価していた。
演歌のみに留まらず、歌謡曲、バラード、R&B、ポップス、フォーク、ニューミュージック、クラシカル、ジャズ、シャンソン、カンツォーネ、ロック、ラテン、民謡、童謡などあらゆるジャンルの作品を歌いこなしてきた。
今日まで滞ることなくコンスタントにオリジナル・ヒットを生み出し続けてきた。還暦を迎えているが、改名前の不遇時代を除き、極端にスランプと思われる時期は見当たらない。
2008年3月13日(還暦を迎える前日)、五木は思い出深い曲として自身の年代毎に、20代では「夜空」、30代では「おまえとふたり」、40代では「暖簾」、50代では「ふりむけば日本海」を挙げた。
古賀メロディーをはじめ、歌い継がれてきた数々の楽曲を《次代に受け継ぐ》という大きな使命も担い、それを果たしてきた。
海外公演やオーケストラとの共演など新しい試みにも果敢に挑戦、《後進への指標》ともなるべく率先垂範をしてきた。
シングル(2004まで略)
2005年(平成17年)
ふりむけば日本海(作詞:五木寛之、作曲:五木ひろし、編曲:川村栄二)3月13日発売
ファインプレーを君と一緒に〜GO!GO!ジャイアンツ〜(“五木ひろし with チームジャビッツ21 feat.徳光和夫”名義、作詞:大本卓/補作詞:荒木とよひさ、作曲:船村徹、編曲:蔦将包) 3月23日発売
ふたりで竜馬をやろうじゃないか(“堀内孝雄 with 五木ひろし”名義、作詞:荒木とよひさ、作曲:杉本真人、編曲:川村栄二)4月20日発売
2006年(平成18年)
高瀬舟(作詞:水木れいじ、作曲:五木ひろし、編曲:池多孝春)4月19日発売
献身(作詞:阿久悠、作曲:五木ひろし、編曲:川村栄二)12月6日発売
2007年(平成19年)
ゆめかぜ(作詞:石坂まさを、作曲:弦哲也、編曲:前田俊明)5月9日発売
2008年(平成20年)
この愛に死んでも(作詞:荒木とよひさ、作曲:五木ひろし、編曲:川村栄二)2月6日発売
ふるさと 〜'08バージョン〜(作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃、編曲:小堀ひとみ)3月5日発売
橋場の渡し(作詞:喜多条忠、作曲:弦哲也、編曲:前田俊明)8月27日発売
テネシーワルツ(日本語詞:和田寿三、作詞:Pee Wee King/Redd Stewart、作曲:Pee Wee、編曲:服部克久)9月24日発売 ※江利チエミが歌ったもののカバー。
江戸の手毬唄(作詞:吉岡治、作曲:宇崎竜童、編曲:南郷達也)10月22日発売
凍て鶴(作詞:喜多条忠、作曲:三木たかし、編曲:南郷達也)11月19日発売
雪が降る(作詞:安井かずみ、作曲:salvatore Adamo、編曲:服部隆之)11月26日発売 ※越路吹雪が歌ったもののカバー。
2009年(平成21年)
紅い花 (作詞:松原史明 作曲:杉本眞人、編曲:竜崎孝路) 5月13日 ※ちあきなおみの楽曲のカバーであり、1974年のシングルとは同名異曲。
2010年代
2010年(平成22年)
おしろい花 (作詞:たかたかし 作曲:木村好夫、編曲:池多孝春) CW/ おんなの街角 (作詞:水木れいじ 作曲:五木ひろし) 2月3日
おしろい花 (作詞:たかたかし 作曲:木村好夫、編曲:池多孝春) CW/ 雪見酒 (作詞:石本美由起 作曲:岡千秋) 8月25日
2011年(平成23年)
月物語 (作詞:松井五郎 作曲:五木ひろし、編曲:宮下博次) CW/ トワイライト ブルー (作詞:松井五郎 作曲:五木ひろし) 3月23日
街 (作詞:松井五郎 作曲:五木ひろし、編曲:宮下博次) CW/ 花は生き方を迷わない (作詞:中島薫DCA 作曲:五木ひろし) 7月27日
ふたつ星 (作詞:松井五郎 作曲:弦哲也、編曲:前田俊明) CW/ 冬の唄 (作詞:阿久悠 作曲:五木ひろし) 10月26日
2012年(平成24年)
冬の唄 (作詞:阿久悠 作曲:五木ひろし、編曲:前田俊明) CW/ ふたつ星 (作詞:松井五郎 作曲:弦哲也) 1月25日再発売
夜明けのブルース (作詞・作曲:レーモンド松屋、編曲:レーモンド松屋・伊平友樹) CW/ 芙美子 (作詞・作曲:レーモンド松屋) 4月25日
2013年(平成25年)
博多ア・ラ・モード(作詞・作曲:レーモンド松屋、編曲:竜崎孝路) CW/ であい橋(作詞:鮫島琉星 作曲:五木ひろし) 4月24日
博多ア・ラ・モード(作詞・作曲:レーモンド松屋、編曲:竜崎孝路) CW/ 伊豆の国(作詞:荒木とよひさ 作曲:南郷孝) 8月7日
2014年(平成26年)
桜貝(作詞:水木れいじ 作曲:弦哲也、編曲:南郷達也) CW/ 東京ロマンス(作詞・作曲:レーモンド松屋)3月19日
風の子守唄(作詞:山口洋子/作曲:遠藤実/編曲:川村栄二) CW/ 桜貝(作詞:水木れいじ 作曲:弦哲也、編曲:南郷達也)10月29日
2015年(平成27年)
渚の女(作詞:山口洋子、作曲:五木ひろし、編曲:若草恵) CW/ よこはま・たそがれ2015(作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃、編曲:挾間美帆)2月25日発売

 八代の、歌唱の全盛期の頃の、名曲。私は、同名のテレビドラマを、たまにではあったが実際に見ていた。そのドラマ自体は、出来のいい昼メロ、といった感じだったが、この主題歌は、なぜかとても強く耳に残った。八代の歌唱は、最近すこし持ち直してきているが。錆びを効かせたテイストを含ませた、しぶい味わいへの移行は正しいと思う。
*CINRAより
この数年、新たな音楽ジャンルへの挑戦を続けている。2012年にリリースしたジャズアルバム『夜のアルバム』は世界75か国で配信され、ニューヨークのジャズクラブ「Birdland」でのライブも実現させた。マーティ・フリードマン作曲“MU-JO”ではロックにも挑んだ。今回リリースされる『哀歌-aiuta-』はブルースアルバム。寺岡呼人プロデュースの本作は、ブルースの名曲カバーに加え、THE BAWDIES、横山剣、中村中からの楽曲提供を受け、歌手・八代亜紀の心をブルースに注いだ。
人に寄り添い、共に悩み、その声を届ける。八代は、「私は表現者ではなく代弁者」と語る。八代亜紀の音楽には、哀しみの中にある人への眼差しが通底する。だからこそジャンルを越境しようとも、決してジャンルに飲み込まれない温かみを帯びる。終始微笑みながら丁寧に答える姿は、包み込むような優しさに満ちていた。
(作詩 池田充男 作曲 野崎真一 昭和52)
1 寒い夜汽車で 膝を立てながら
  書いたあなたの この手紙
  文字の乱れは 線路のきしみ
  愛の迷いじゃ ないですか
  読めばその先 気になるの
3 北の旅路の 淋しさにゆられ
  終着駅まで ゆくという
  ーーー
  見えたら辛さを わかってほしい
(収集プロフィール)
八代 亜紀(やしろ あき、1950年8月〜 )は、日本の演歌歌手、女優、タレント、画家。熊本県八代市出身。
来歴
幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育つ。そうした影響もあり、八代は歌好きの子供になり、地元の歌唱コンクールなどにも出場していた。
八代が小学5年生の時、たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き、そのハスキーボイスに魅せられる。もともと自身もハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干のコンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するようになる。
中学卒業後、地元熊本のバス会社九州産業交通(現:九州産業交通ホールディングス)のバスガイドとして勤務していたが、15歳で父親の反対を押し切り上京。銀座のクラブ歌手となり、スタンダードやポップスなどを歌った。
1971年、テイチクより「愛は死んでも」でデビュー。読売テレビのオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場、10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンに輝く。1973年の「なみだ恋」が120万枚[4]の大ヒット。その後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」他、女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発。
1979年には新境地を開拓した初の男歌「舟唄」が大ヒットし、翌1980年に発表した「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞。これら2曲は「港町絶唱」と共に、阿久悠と浜圭介そして竜崎孝路のコンビによる「哀憐三部作」とされる。演歌歌手にしては稀な連続ヒットと国民的ヒット曲により、女性演歌歌手として不動の地位を築き、“演歌の女王”と称された。
1982年、センチュリーレコードに移籍し「海猫」「日本海」「恋瀬川」などを発表。
1986年、日本コロムビアに移籍(現在も所属)。1990年発表の「花(ブーケ)束」はポップス調のバラードで、ファン層以外にも受けたことによりロングセラーとなった。
演歌歌手にしては珍しく、全盛期においては出す曲全てが連続ヒットを記録しており、女性演歌歌手の中では総売上枚数がトップである。なおオリコンのシングルチャートにおけるトップ10獲得作品数も通算7作で、2011年6月に水森かおりの8作連続シングルチャートトップ10を更新されるまで女性演歌歌手歴代1位をキープし続けていた。また、アルバムも好セールスを記録しているため、オリコンの総合アルバム・チャートには5作品をトップ10に送り込み、演歌歌手としては氷川きよし、五木ひろし、森進一に次ぐ第4位の記録である。総合アルバムチャート・トップ10獲得連続年数は3年連続(1974年-1976年)で、演歌歌手としては、氷川きよし(7年連続)、五木ひろし(4年連続)に次ぐ第3位の記録(いずれもオリコン調べ、2007年9月現在)。
2012年、日本コロムビアに所属しながらも同社了承の下、小西康陽プロデュースによるジャズアルバム『夜のアルバム』をユニバーサルミュージックジャパンから発売。楽曲は世界75か国で同時配信され、歌手活動42年目にして世界デビューを果たし、マレーシアのiTunes Storeジャズチャートで1位を獲得したのをはじめアジア諸国でも上位を記録(シンガポール2位、台湾4位、香港7位)、またオリコン・アルバムチャートにおいてはデイリーチャートで最高9位、週間チャートで最高20位を記録し、ヒット作となった(オリコン・アルバムチャートTOP20入りは34年ぶり)。同年11月9日、ジャズ歌手としてブルーノート東京のステージに立った。
2013年3月27日にはニューヨークの名門ジャズクラブ・バードランドにてライブを開催し、八代が憧れていたヘレン・メリルをゲストに招き初共演を果たした。同年4月29日、このライブの模様がNHK総合テレビでドキュメンタリー番組『演歌の女王 ジャズを歌う〜八代亜紀・ニューヨークでの挑戦〜』として放送される。同番組が反響を呼んだことから、同年8月21日には当日のライブを収録したアルバム『夢の夜〜ライヴ・イン・ニューヨーク』が発売された[5]。さらに、同年9月7日に開催されたジャズ・フェスティバル「第12回 東京JAZZ」にも出演するなど、現在は演歌のコンサートと並行しジャズライブも積極的に実施している。
2015年10月、寺岡呼人プロデュースによる初のブルース・アルバム『哀歌 -aiuta-』を発表。このアルバムの発売を記念し、同年11月には3年ぶりにブルーノート東京にて『AKI YASHIRO "aiuta" Special Night』を、12月には東京国際フォーラムにて『八代亜紀 "哀歌" クリスマスコンサート』を開催。
多方面での活躍
1973年に「なみだ恋」が大ヒットした後、トラック運転手から“トラック野郎の女神”として絶大な支持を得るようになり、「八代観音」と呼ばれる、八代の顔を模した観音の絵が描かれたトラックが出現した[6]。これがきっかけとなり、1977年には当時大ヒットを飛ばしていた東映映画『トラック野郎・度胸一番星』に女ダンプ運転手「紅弁天」役で出演し、八代の曲「恋歌」が挿入歌として起用された。配給収入も10億9000万円を記録した。
歌手活動だけに留まらず、画家としてもフランスの「ル・サロン」展に5年連続入選、日本の芸能人として初の正会員になるなど活躍している。実は、父親は八代に歌手ではなく画家になってもらいたかったという。
1994年、ペルー共和国のラ・メルセにヤシロアキ工業技術学校を設立。ペルー元大統領アルベルト・フジモリの両親が熊本県出身ということで、以前からフジモリを支援しつつ、ペルーに対するボランティア活動も行っていた。また1999年には、ペルーで開催されたNHK『NHKのど自慢』にゲスト出演している。
ボランティア活動の一環として、1981年より女子刑務所の慰問公演を続けている。2000年、日本全国すべての女子刑務所を訪問した。
2005年から2006年に放送されたABCテレビ『トリハダ 〜感じるボロ〜ン〜』では、バラエティ番組のレギュラー司会を初めて担当した。
2012年には、故郷である熊本県八代市に新設された熊本県立八代清流高等学校の新校歌制作を依頼され、「故郷の若者がふるさとを思い、愛する気持ちを持ってもらえれば」と快諾し、自ら作詞作曲した新校歌を熊本県立八代清流高等学校に贈った[7]。
2013年10月20日、日本のヘヴィメタルフェス『LOUD PARK13』にて鉄色クローンXのライブに飛び入り参加した[8]。
エピソード
厚化粧のイメージがついて回っていた時期があり、ギャグのネタにされたり、また嘉門達夫に「誰も知らない素顔の八代亜紀」と歌われるなどしていたが、彫りの深い顔立ちをしているだけで、実際の化粧は薄い。八代はその後、化粧品のテレビCMにすっぴんで登場し、テレビ画面から嘉門に対して「ざまあ見ろ!」というセリフを発していた。八代本人がフジテレビ『志村けんのオレがナニしたのヨ?』に出演した際は、井上陽水の「リバーサイドホテル」(嘉門が使用した元歌)をこの歌詞で歌ったことがある。ビートたけしもツービートとして、「(八代は)厚化粧で、笑うとヒビが入る」などのギャグを飛ばしていた。
王貞治が現役時代の846号(語呂あわせで“やしろ”)本塁打を打ったバットを、王から贈られた。
「お酒はぬるめの燗がいい」「肴はあぶったイカでいい」という歌詞が冒頭に登場する「舟唄」を歌っている中、本人は「炙ったイカは好きなものの、酒は呑めない」とのこと。
1994年、少年漫画『とっても!ラッキーマン』で「ラッキー・クッキー・八代亜紀」というギャグが使われていたが、この漫画がアニメ化した際にオープニングとエンディングを担当し、「ラッキー・クッキー・八代亜紀」と歌い上げた。
2006年1月6日、タイヨーエレックのパチンコ台「CR 演歌の歌姫 八代亜紀」が稼動。
「舟唄」は多くの歌手にカバーされている。梶原しげるがイングリッシュ演歌としてカバーしたり、2006年にはBOSSコーヒーのCMでトミー・リー・ジョーンズが歌い話題になった。また、八代本人も2001年に発売したアルバム『MOOD』では同曲をラップ調にアレンジして歌っている。
スタイルが抜群であり、2008年にギャルと渋谷で買い物をする番組に出演した際、ギャルたちにタイトな服を勧められると「私は胸が大きいからこの服は着られない」と発言した。
2010年3月1日、リーガロイヤルホテル大阪にて行われた大村崑の金婚式にサプライズゲストとして登場し、来場者を驚かせた。
シングル(2001以降)
82 これからがある 2001.3.17 - 作詞:もず唱平/作曲:伊藤雪彦/編曲:伊戸のりお
83 友の焼酎(さけ) 2002.2.21 - 作詞:いではく/作曲:大谷明裕/編曲:竜崎孝路
84 哀しみよ 隣りで眠れ 2002.10.19 69位 作詞:荒木とよひさ/作曲:徳久広司/編曲:伊戸のりお
NHK『BS歌謡最前線』オリジナル・ソング
85 裸足のシンデレラ 2003.4.2 129位 作詞:悠木圭子/作曲:鈴木淳/編曲:竜崎孝路
打ち込みサウンドに初挑戦
86 新宿なみだ町 2003.7.23 84位 作詞:荒木とよひさ/作曲:鈴木淳/編曲:川村栄二
87 新宿なみだ町/おのれ道 2004.4.21 - 作詞:荒木とよひさ/作曲:鈴木淳/編曲:川村栄二
作詞:渡邊智央/作曲:一色真実/編曲:長谷川智樹
おのれ道:日本テレビ系アニメ『ごくせん』エンディング・テーマ
88 不知火酒 2004.7.21 77位 作詞:荒木とよひさ/作曲:聖川湧/編曲:石倉重信
89 不知火情話 2005.3.23 66位 作詞:荒木とよひさ/作曲:岡千秋/編曲:南郷達也
35周年記念曲、熊本県宇城市に初の歌碑が建立
90 白い花 2005.9.21 - 作詞:YANCY/作曲:YANCY/編曲:YANCY
JR東日本TVCM「会津時間旅行」篇キャンペーン・ソング
35周年記念ミニ・アルバム『VOICE』よりカット
91 骨までしびれるブルースを 2006.1.18 104位 作詞:荒木とよひさ/作曲:水森英夫/編曲:矢野立美
92 女心と秋の空 2006.8.23 109位 作詞:所ジョージ/作曲:所ジョージ/編曲:石倉重信
93 鰻谷 2007.2.21 179位 作詞:河島英五/作曲:河島英五/編曲:河島翔馬・石倉重信
河島英五遺作
94 立ち呑み「小春」 2007.7.18 105位 作詞:もず唱平/作曲:円広志/編曲:前田俊明
95 役者 2008.2.20 100位 作詞:たきのえいじ/作曲:大谷明裕/編曲:竜崎孝路
アルバム『彩月〜いろどりづき〜』よりカット
カップリング「宗谷岬」は松山千春のカバー
96 東京音頭〜Remixed by J.P.〜 2008.5.21 - 作詞:西條八十/作曲:中山晋平/編曲:J.P.
「東京音頭」のジミー・トーヴァンver.のカバー
97 昭和の歌など聴きながら 2008.9.24 88位 作詞:荒木とよひさ/作曲:徳久広司/編曲:石倉重信
98 純情カプチーノ 2009.9.16 54位 作詞:岡田冨美子/作曲:徳久広司/編曲:竜崎孝路
99 一枚のLP盤(レコード) 2010.4.7 61位 作詞:荒木とよひさ/作曲:杉本真人/編曲:宮崎慎二
40周年記念曲
表題曲の他に「昭和の歌など聴きながら」「CRY ME A RIVER」を収録
100 人生の贈りもの 2011.1.19 93位 作詞:吉元由美/作曲:都志見隆/編曲:矢野立美
40周年記念アルバム『人生の贈り物』よりカット
ボーナストラックの「愛を信じたい」と共にNew Vocal Versionとして新録
101 デスティニーラブ 2011.10.19 65位 作詞:石原信一/作曲:徳久広司/編曲:矢野立美
NHKラジオ第1放送『ラジオ深夜便』より
102 この広い宇宙(そら)のかなたで 2012.11.21 - 日本語詞:高嶋渉/作曲:ゲール民謡/編曲:間宮工
田中貴金属工業CM「ゴールド雲海」篇、「プラチナ星空」篇挿入歌
103 追憶の面影橋/五月雨の道 2012.12.5 143位 作詞:喜多條忠/作曲:鈴木淳/編曲:竜崎孝路
作詞:岡田冨美子/作曲:中崎英也/編曲:若草恵
NHKラジオ「ユアソング」テーマ・ソング
104 MU-JO/愛しすぎる女/
残心/赤い街 2013.10.23 106位 作詞:伊藤薫/作曲:マーティ・フリードマン/編曲:若草恵
作詞:吉元由美/作曲:クリヤ・マコト/編曲:クリヤ・マコト
作詞:渡辺淳一/作曲:浜圭介/編曲:竜崎孝路
作詞:さくらももこ/作曲:松雪陽/編曲:小林信吾
以上4曲にボーナストラック「MU-JO〜アコースティックバラード」を収録
105 心をつなぐ10円玉 2014.10.22 83位 作詞:かず翼/作曲:杉本真人/編曲:矢野立美


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