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			<title>ハーブの名歌</title>
			<description>フランスに住みたい私の、日常を通信。また、昭和・平成の大衆歌謡から、２０００曲を選んでいます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/vrixf</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>ハーブの名歌</title>
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			<description>フランスに住みたい私の、日常を通信。また、昭和・平成の大衆歌謡から、２０００曲を選んでいます。</description>
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			<title>華の平成名歌２００　第　：枯れ葉の街　朝倉　由美子</title>
			<description>　慕情をもって、人を待ち続ける、というのは苦く、そしてそれ以上に甘いもの、なのかも知れない。この曲は、その世界を歌い上げている。ゆったりとした、曲調。季節は、物悲しい秋。&lt;br /&gt;
（詞・曲　吉田　信　２０１６）&lt;br /&gt;
枯れ葉ちる　秋の日は　吹く風も冷たく　空を駆ける　雁の群れは　なぜーー夢が散る　私が散っても　いつまでもいつまでも　あの人を忘れない&lt;br /&gt;
（収集プロフィール）&lt;br /&gt;
朝倉　由美子（あさくら　ゆみこ、１９XX～　）&lt;br /&gt;
兵庫県神戸市出身の歌手。&lt;br /&gt;
略歴&lt;br /&gt;
作曲家の鈴木淳氏に師事。&lt;br /&gt;
平成18年　東京都荒川区で歌謡教室を開始。即効レッスンが好評&lt;br /&gt;
徳間ジャパン所属、朝倉音楽教室長、カラオケ優美 ンオーナー。&lt;br /&gt;
好きなこと：歌を聴く・歌うこと・人を喜ばすこと&lt;br /&gt;
性格：勝ち気、でも涙もろい&lt;br /&gt;
＊約3年ぶりの新曲。前作の流れを汲んだ「ラブバラード」。&lt;br /&gt;
朝倉由美子の艶やかで伸びのある歌声が冴える歌謡曲。&lt;br /&gt;
1. 枯れ葉の街 （作詞：吉田信／作曲：吉田信・井上真之介／編曲：伊戸のりお）&lt;br /&gt;
2. 行っちまいな！ （作詞：下地亜記子／作曲：近江孝彦／編曲：伊戸のりお）&lt;br /&gt;
シングル&lt;br /&gt;
武蔵野恋歌（ビクター）&lt;br /&gt;
愛の時間&lt;br /&gt;
愛は誰のために</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/vrixf/47203736.html</link>
			<pubDate>Sun, 06 Nov 2016 00:25:47 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>華の平成名歌２００　第　：TBみやさと　奏</title>
			<description>　この曲は、従来の演歌より、かなりJポップより。それが、みやさとの声質に合っている。静かな情念の流れ、淡い時の流れ、といったものが、低く美しいフラメンコ風のメロディーに包まれている。このため、ド演歌好きの方には、フィットが難しいかも知れない。私は、とてもいい曲だと思うが。&lt;br /&gt;
（２０１５）&lt;br /&gt;
　飲めないお酒　かたむけて　夜が更けていく　ひとりの夜の　むなしさは　捨ててーーーみんな夢　夢なのね　あの人　ながれ星&lt;br /&gt;
（収集プロフィール）&lt;br /&gt;
みやさと 奏（みやさと かな、1992年（平成4年）10月～　 ）は、岩手県宮古市出身の歌手である。レコード会社は徳間ジャパン。&lt;br /&gt;
略歴&lt;br /&gt;
3人兄妹の末っ子（兄が2人いる）として出生。小学6年の時、地元のカラオケ番組に出演したのを機に歌手を目指すようになり、中学から高校までレッスンを受ける。&lt;br /&gt;
2009年、「みちのく歌謡祭」でグランプリを獲得。その時に作曲家の叶弦大と出会う。2010年、「日本カラオケスタジオ大賞」に岩手県代表として出場し、全国大会でグランプリを獲得[3]。2012年5月2日に『風港』でメジャーデビューした。&lt;br /&gt;
芸名の「みやさと」は、“宮古がふるさと”を略して付けられたという。&lt;br /&gt;
＊新曲「ながれ星」は、去っていった恋人を“ながれ星”に例え、 恋の終わりを切なく、そして儚く唄った作品。みやさと奏本来のスケール感ある 伸びやかな歌声が胸に沁みます。&lt;br /&gt;
シングル&lt;br /&gt;
1st『風港』（2012年5月）&lt;br /&gt;
#	タイトル	作詞	作曲	編曲&lt;br /&gt;
1.	「風港」	水木れいじ	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
2.	「約束します」	紙中礼子	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
3.	「風港」(オリジナル・カラオケ)	 	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
4.	「約束します」(オリジナル・カラオケ)	 	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
5.	「風港」(エコサイズ・カラオケ)	 	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
6.	「約束します」(エコサイズ・カラオケ)	 	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
2nd『かもめ町一丁目』（2013年6月）&lt;br /&gt;
#	タイトル	作詞	作曲	編曲&lt;br /&gt;
1.	「かもめ町一丁目」	岡田冨美子	叶弦大	丸山雅仁&lt;br /&gt;
2.	「運命の海峡」	田久保真見	叶弦大	丸山雅仁&lt;br /&gt;
3.	「かもめ町一丁目」(オリジナル・カラオケ)	 	叶弦大	丸山雅仁&lt;br /&gt;
4.	「運命の海峡」(オリジナル・カラオケ)叶弦大	丸山雅仁&lt;br /&gt;
3rd『逢いたくて金沢』（2014年7月）&lt;br /&gt;
#	タイトル	作詞	作曲	編曲&lt;br /&gt;
1.	「逢いたくて金沢」	田久保真見	叶弦大	丸山雅仁&lt;br /&gt;
2.	「海猫のら」	田久保真見	叶弦大	丸山雅仁&lt;br /&gt;
3.	「逢いたくて金沢」(オリジナル・カラオケ)	 	叶弦大	丸山雅仁&lt;br /&gt;
4.	「海猫のら」(オリジナル・カラオケ)	 	叶弦大	丸山雅仁&lt;br /&gt;
4th『ながれ星』（2015年9月）&lt;br /&gt;
#	タイトル	作詞	作曲	編曲&lt;br /&gt;
1.	「ながれ星」	宮川つとむ	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
2.	「情なし」	こはまかずえ	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
3.	「ながれ星」(オリジナル・カラオケ)	 	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
4.	「情なし」(オリジナル・カラオケ)	 	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
5.	「ながれ星」(2コーラスカラオケ)	 	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
6.	「情なし」(2コーラスカラオケ)	 	叶弦大	若草恵&lt;br /&gt;
受賞歴&lt;br /&gt;
2012年：歌唱曲『風港』&lt;br /&gt;
第45回日本有線大賞・有線放送協会賞&lt;br /&gt;
日本作曲家協会音楽祭・奨励賞(２年連続)&lt;br /&gt;
第45回日本作詞大賞・入選</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/vrixf/47200733.html</link>
			<pubDate>Thu, 03 Nov 2016 22:33:22 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>華の昭和名歌３００　第　：TB玉川スミ</title>
			<description>　私が１０代の頃から、ときどきテレビでお見かけした方である。元気のよい、べらんめえ口調の、根っからの芸人という感じの方。特に知識はなくとも、あらゆる大衆芸能に通じていらっしゃるのは、すぐに分かった。今回、その略歴を読んで、改めてすごい苦労（まさに艱難辛苦。ときにそれ以上。）を乗り越えて来た方なんだな、と驚嘆した。昭和中盤以降の生まれの人には、とても乗り越えられないであろう来歴。スミ氏の芸は、幸いなことに、音源や映像が、多く残されている。跡を継ぐ者たちに、大きな財産となるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（収集プロフィール）&lt;br /&gt;
玉川 スミ（たまがわ すみ、1920年7月17日 - 2012年9月25日）&lt;br /&gt;
女流俗曲師（音曲師、三味線漫談家）。落語芸術協会所属、同団体参与。本名：中川スミ。&lt;br /&gt;
人物&lt;br /&gt;
落語芸術協会　より&lt;br /&gt;
大正9年7月 福島県郡山で生まれる。父虎太郎は明治大正にかけて一世を風靡した浪曲師、桃中軒雲右工門の高弟の一人で、桃中軒雲工と名乗る。母ハルは郡山の呉服屋の娘。 &lt;br /&gt;
大正11年 女流歌舞伎「市川牡丹一座」の支配人国友政芳が二人目の親、太夫元の地紙賢三郎が三人目の親となる。「ハツノ」から「澄子」へ改名。大阪興行に同行、芸名「中村文丸」と名乗る。オーストラリア、アラスカに海外公演 &lt;br /&gt;
大正12年 神田「三崎座」に出演中、曽我廼家五九郎劇団からの依頼で浅草「万世座」に特別出演し、喜劇界で初めての子役を演じる。北海道「旭川劇場」で１ヶ月の公演。&lt;br /&gt;
昭和2年 芸名を「地紙家澄子」と改名 「お初地蔵劇団」として「お初地蔵」を演じる&lt;br /&gt;
昭和5年 民謡の成田雲竹一座に買われる（当時雲竹の相方三味線が現在の高橋竹山）&lt;br /&gt;
昭和7年 青森の民謡一座「津軽家すわ子一座」に買われる 桂喜代楽から漫才のイロハを教わる 三代目春風亭柳好から「桂小豆」の芸名を許される &lt;br /&gt;
昭和11年 「花奴レビュー団」で「丘乃すみれ」という芸名で歌手として舞台に立つ　大朝家シゲオとコンビを組み漫才に転向 &lt;br /&gt;
昭和12年 「シゲオ・小豆」の「時局剣劇漫才」が大阪の「天王寺館」で大受けする 中川虎松の娘「中川スミ大正十年三月三日生まれ」として入籍&lt;br /&gt;
浅草「大東京」で一ヶ月の公演、ソ連国境へ慰問巡業。帰国後、名人会との合同巡業。&lt;br /&gt;
昭和13年 叔父にあたる浪曲師、東家楽蒸の勧めで吉田奈良千代に入門 女楽蒸として浪曲師となる&lt;br /&gt;
昭和16年 新興芸能部へ移籍 北支慰問に出発&lt;br /&gt;
昭和23年 浪曲の京山華千代に引き取られる&lt;br /&gt;
昭和27年 大江しげるとコンビを組み四年ぶりに有楽町ビデオホールの舞台に立つ玉川一郎先生の勧めで芸名を「玉川一恵」とする&lt;br /&gt;
昭和32年 大阪コトブキ芸能社の依頼で三吉と女同士のコンビを組みハワイ巡業&lt;br /&gt;
昭和33年 三味線漫談を一人で始める&lt;br /&gt;
昭和35年 芸名を現在の「玉川スミ」と改名&lt;br /&gt;
昭和48年 三船敏郎の「鬼平犯科帳」「忠臣蔵」（テレビドラマ）渡哲也の「日の当たる坂道」（映画）などに出演。&lt;br /&gt;
昭和52年 高橋英樹の「桃太郎侍」（テレビドラマ）にレギュラー出演&lt;br /&gt;
昭和53年 東芝レコードから「玉川スミ音盤独艶会」「都々逸教室」を発売&lt;br /&gt;
昭和54年 テイチクレコードから「ご同輩数え歌」「どんどん節」を発売&lt;br /&gt;
昭和55年 「浅草国際劇場」で歌手として舞台に立つ&lt;br /&gt;
昭和57年10月 「浅草公会堂」で「玉川スミ・リサイタル・チャリティショー」開催&lt;br /&gt;
平成3年3月 宮崎県延岡市の今山大師で得度する 法名「澄光尼」&lt;br /&gt;
平成3年10月 「浅草演芸ホール」で「玉川スミ芸能生活七十周年記念公演」開催&lt;br /&gt;
平成13年11月 「国立演芸場」で「玉川スミ芸能生活八十周年記念公演」開催&lt;br /&gt;
受賞&lt;br /&gt;
昭和46年　自らの創作「松づくし」で芸術祭優秀賞受賞&lt;br /&gt;
平成3年　勲五等宝冠章授賞&lt;br /&gt;
平成14年3月 春松屋芸能、特別賞受賞&lt;br /&gt;
コメント&lt;br /&gt;
幼くして浪曲一座の舞台に立ち、以来寄席色物芸人として多くのジャンルの芸を習得、その集成が2001年国立演芸劇場上席ににおいて「芸能生活八十周年」を謳い、獅子舞、浪曲、即席漫才、松づくしを披露。本芸の三味線漫談とともに長年培ってきた幅広い芸を演じた。大正・昭和・平成の三代にわたる活躍は貴重な軌跡ということができる。&lt;br /&gt;
＊荒川ゆうネット　より&lt;br /&gt;
玉川スミさんは大正９（1920）年７月17日生まれで、東日暮里にお住まいの現役三味線漫談家です。&lt;br /&gt;
生後たったの一週間で両親の離婚により母親と生き別れ、男手ひとつで育てられた玉川さんは、父の浪曲を子守歌に育つ中で歌を覚えた天才少女と呼ばれ、その噂を聞きつけた女流歌舞伎の一座に３才で売られて以来、波乱万丈ともいえる芸人人生がスタートしました。&lt;br /&gt;
その芸は浪曲、民謡、舞踊、漫才…など多岐に渡り、 昭和35（1960）年、長谷川伸の弟子にもなるユーモア作家玉川一郎から「玉川スミ」と名をもらい、「都々逸」や「さのさ」などを折り込んだ一人舞台の三味線漫談という独自のスタイルを確立しました。活動場所は寄席はもとより、舞台・テレビ・ラジオ・映画など幅広く、歯に物きせぬ小気味の良い活説には多くのファンがいます。&lt;br /&gt;
昭和46（1972）年に「松づくし」（一本歯の高下駄を履きピラミッド型に積み上げた桝の上で片足でバランスを取りながら、120本の扇子で松を形づくる創作演技）で「芸術祭優秀賞」を受賞、平成3（1991）年には芸能界で第一号の勲五等宝冠章授賞、平成14（2002）年には春松尾芸能、特別賞受賞と受賞歴多数。現在も芸術協会に属し寄席の出番を欠かしません。&lt;br /&gt;
背筋をピンと伸ばし、着物姿も艶やかに舞台に立つその姿は、とても87歳とは思えません。来年は、88歳米寿を迎えるとともに、芸能生活85周年という記念すべき年を迎えられます。 大正・昭和・平成の長い芸能生活は、寄席の歴史を知る貴重な存在です。&lt;br /&gt;
＊本文は取材を中心に著作「泣いて笑ってつっぱって」をもとにまとめています。&lt;br /&gt;
３歳から芸の道を歩み始められたそうですね。&lt;br /&gt;
　 子どもが売り買いされるなんて、今の人たちには考えられないことでしょうね。私は戸籍ごと売られたり買われたりして14歳までに13回親が変わりました。&lt;br /&gt;
　 最初は３歳の時に、実の親から女流歌舞伎一座の支配人へ27円で買われました。当時の27円といえば、二階建ての総檜造りの家を建てられる価値がありました。&lt;br /&gt;
その日のうちに今度は30円で一座の太夫元である地紙家賢三郎氏に買われ、今日に至る私の流転人生が始まりました。当時の東北は今では考えられないほど生活が貧しく子売りも苦渋の選択だったと思います。まさにテレビドラマ「おしん」の世界があったのです。&lt;br /&gt;
　 地紙の父母は人間のできた人で、血の繋がっていない子どもたちを我が子のように大きく深い愛情で育ててくれました。芸事はもちろん、礼儀作法、家事全般にいたるまで、将来一人になっても困らぬようにと躾けたのです。&lt;br /&gt;
　 地紙の父母に限らず、13人もの「親」がいました。様々な親との出会いと別れが、私の芸域を広げてくれました。身寄りのない私が、自力で看板を築くことが出来たのも13人の親のおかげと思い、地紙の父にゆかりがある身延山近くの妙久寺に供養塔を建て、自然石の観音様の姿石を百体祀り感謝の手を合わせています。&lt;br /&gt;
波瀾万丈の半生、思い出を聞かせてください。&lt;br /&gt;
　 最初の女流歌舞伎では、旅から旅への一座ですから、北は北海道から南は九州まで、お客さんがいると聞けば樺太や、オーストラリアやアラスカまで巡業に行きました。&lt;br /&gt;
　 地紙の父が亡くなってからは、一座も解散。残された義母と私で不況時代を生きて行かなくてはいけません。私は小樽の劇場の支配人の世話で、芸名を「地紙家澄子」と改め、わずか７歳で「お初地蔵劇団」の座長となりました。わずかな団員の小さな劇団ですが、日本初のバラバラ殺人事件を題材にしたこの興業は成功をし日夜大入りでした。&lt;br /&gt;
　 ところが、劇団員が博打に手を出し、衣裳から道具まで全部質屋に預ける品物になってしまい芝居ができなくなってしまったのです。&lt;br /&gt;
　 私は、自分の羽織を持って質屋へ行き50銭貸してもらいました。そのお金は、米、炭、ネギ、味噌、団員の風呂代に消えました。翌日はまた一文無しです。&lt;br /&gt;
　 「私を買って」と、下駄屋、せんべい屋、チンドン屋、挙げ句の果てにはサーカスのブランコの跳び乗りまでやって稼ぎました。散髪屋では朝から晩まで何十枚ものタオルを洗って日銭を稼いだんです。&lt;br /&gt;
あの頃は、そうやって子どもでも仕事をしたし、仕事をさせてくれる世の中でした。今のこの豊かな日本じゃにわかには信じられないでしょうけれど、これはぜんぶ本当の話なんですよ。&lt;br /&gt;
　 見かねて助け舟を出してくれる人、人の稼ぎを持っていってしまう人、子どもの頃から人生の悲喜交々をさんざん味わってきましたね。&lt;br /&gt;
出逢いと別れを重ねながら芸の道を歩んでこられたのですね。&lt;br /&gt;
初恋の頃の玉川さん&lt;br /&gt;
　 芸能生活では良いご縁をいただいたのですが、私生活は残念ながらあんまり恵まれていたとはいえません。思い返せば13歳の時に大湊で海軍士官さんとの間に芽生えた恋は、純真純愛でしたが、彼の家の事情で突然別れを告げられた時は、巡業先の樺太で自殺しようと海に飛び込んだりもしました。せつない思い出のひとこまです。&lt;br /&gt;
　 今でもお化粧をしようと鏡の前にたつと、実父とこの士官さんの面影が胸によぎるんです。不思議なものですね。&lt;br /&gt;
浅草演芸ホールでの舞台&lt;br /&gt;
　 青森県の民謡一座「津軽家すわ子一座」にいたときは、民謡ばかりでは飽きたらず桂喜代楽さんから漫才のイロハを教わりました。それが縁で三代目春風亭柳好師匠から「桂小豆」の名を許されました。&lt;br /&gt;
　 「花奴レビュー団」では「丘乃すみれ」の名でレビュー歌手をしたり、「シゲオ・小豆」のコンビ漫才を組んだり、その後「東家女楽燕」の名で浪曲師になったりなど様々な経験をしましたが、昭和33年に一人で演じる三味線漫談を始め、昭和35年から今の「玉川スミ」を名乗り始めました。&lt;br /&gt;
　 見様見真似で身に付けてきた芸の道ですが、そこにいつも素晴らしい先達がいてくださって、本当に恵まれました。決して楽な道ではありませんでしたが「芸は身を助ける」というのは本当だと思います。&lt;br /&gt;
勲五等宝冠章授賞の頃&lt;br /&gt;
　 実は私、子どもの頃から霊感が強くて、不思議な体験をいろいろとしてきました。どうも見えない方々に頼られるらしくて（笑）。そのような経験が信心深くもさせたのでしょうが、弘法大師様の、人のために尽くされた人生を知った時に「そこまでさせるものって何なんだろう」と関心を抱いたのです。弘法大師様は６歳で得度されましたが、少しでもこの方に近づきたいという思いで平成３年３月３日に宮崎県延岡市の今山大師で得度しました。法名は「澄光尼」といいます。同年に「勲五等宝冠賞」というたいへんな名誉もいただきました。神仏のご縁にありがたい気持ちでいっぱいです。&lt;br /&gt;
荒川区には長くお住まいですか？&lt;br /&gt;
　 様々な所に暮らしましたが、荒川区に越してからはもう15年になります。ここが終の住処になるでしょうね。荒川区で死に水とるからよろしくね（笑）。&lt;br /&gt;
　寄席がある上野や浅草にも近いし便利ですね。昔から日暮里のこの辺りは地の利が良いこともあって芸人が多く住んでいたんですよ。大正年間・昭和戦前までの上野・浅草は今の比じゃないくらい芝居小屋や寄席が並んで大変賑やかで活気がありましたからね。お呼びがかかったときにパッと行ける距離が重宝したのね。&lt;br /&gt;
　荒川区とのご縁といえば、荒川警察署の隣りの地蔵堀の石地蔵様は今では立派にお祀りされているけど、私が目にしたときは哀れなご様子で、10年くらい御世話させていただきました。今でも、毎月一度は、欠かさずにお参りに行っていますよ。荒川警察署は、私といろいろご縁も深く今でも「全国交通安全週間」などいろいろな催しでお付き合いさせていただいています。荒川警察署は、私の身元引受人ですから悪いことはできませんよ（笑）。また、荒川区から表彰されたりしましたね。これからも荒川区のためにできることはさせていただきます。&lt;br /&gt;
浅草演芸ホールにて&lt;br /&gt;
　 芸事は実に奥の深いものです。今でも舞台に立つ前は、緊張で足が震えます。そこにいらっしゃるお客様お一人おひとりが大事なんです。その場にあった工夫と味付け。それが勉強であり、その積み重ねが芸を磨いてくれるんだと思います。&lt;br /&gt;
　 来年は数え年88歳になるのと同時に芸能生活85周年を迎えます。その記念舞台を元気にやり遂げたい。その目標に向けて毎日舞台に立っています。&lt;br /&gt;
　 すべての芸の勝負は舞台だ、という気構えしか芸人を支えるものはないようです。だから芸人は、この世界から足を洗うまで勉強しなければいけないということでしょう。お客さんに老醜を感じさせないよう若さも保たなければならないし、考えてみれば因果な商売です。&lt;br /&gt;
生きている間は勉強、勉強、死ぬまで勉強と思っています。これはなにも芸の世界だけのことではないでしょう。とにかく、人間、死ぬまで何かしら勉強し続けなければならないようです。私の舞台でのセリフではありませんが「休むのは、死んでからゆっくり」ということで……。&lt;br /&gt;
そうそうそれから「言うこと聞かなきゃブツよー！」。&lt;br /&gt;
「功徳のおスミ」とお呼びしたい、ほんとに苦労された師匠です。お姉（ねえ）さんというより「姉（あね）さん」。気が短くて威勢がいい。話せばずばっと真理をついてくる。昔の江戸のオカミさんっていうのは、きっとこんな女性だったんじゃないでしょうかね。&lt;br /&gt;
　まったく年をとられません。いや逆に若くなってる（笑）。いくつになっても色気があるんですよね。芸能界の重鎮でありながら表に出ない謙虚さ。芸能界の宝、人間国宝になってもいい方だと思います。どなたかに師匠のドキュメンタリーを撮っていただきたいですね。&lt;br /&gt;
＊初舞台は3歳のときで、14歳までに13回親が変わっている。その後、女歌舞伎、新派、喜劇、民謡、女道楽、漫才、都々逸、松づくし等あらゆる寄席芸を習得してきた。漫才では「桂小豆」の名で「大朝家シゲオ」（後の「宮アオバ・シゲオ」の「宮シゲオ」）や、大江茂（妻は大江笙子）とコンビを組む。&lt;br /&gt;
1971年文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。1991年勲五等宝冠章受章、2002年松尾芸能賞･特別賞受賞。その後は定席の寄席を中心に高座を勤め、晩年は人のオーラが見えると発言していた（痛快!明石家電視台でのナイツにて）。&lt;br /&gt;
桂米助は「寄席の世界のシーラカンス」（2007年5月15日放送のNHKラジオ第一「真打ち競演」の「最後の審判」のマクラ冒頭（桂米助の前に彼女が出ていた流れで））、瀧川鯉昇は「我々の業界の最長老」（「瀧川鯉昇1」収録の「ちりとてちん」のマクラ）と言っている。&lt;br /&gt;
笑点では、内海桂子、あした順子とともに、高齢女性のネタをする際に名前を出されることがある（小遊三は、チーム対抗戦の際に自分たち（好楽・木久扇）の合コン相手として、3人の名前を挙げ、歌丸から「合コンじゃなくて拷問」とネタにされていた。六代目圓楽からは、「玉川スミ→内海桂子→順子・ひろし→歌丸」のカウントダウンとネタにされたこともあった）。ちなみに、笑点の正月特番の中で行われた大喜利で、内海桂子やあした順子と共演したこともある。&lt;br /&gt;
2012年9月25日、心不全のため92歳で死去。&lt;br /&gt;
出演番組&lt;br /&gt;
桃太郎侍&lt;br /&gt;
ライオンのいただきます&lt;br /&gt;
おはよう笑点&lt;br /&gt;
大忠臣蔵&lt;br /&gt;
浅草お茶の間寄席&lt;br /&gt;
真打ち競演&lt;br /&gt;
ちんどんどん&lt;br /&gt;
金曜バラエティー など多数&lt;br /&gt;
著書&lt;br /&gt;
ちょっと泣かせて下さい　三味線漫談家玉川スミ 東映企画プロモーション 1983年&lt;br /&gt;
泣いて笑って突っぱって 北泉社 1985年&lt;br /&gt;
こけつまろびつ人生　ひとりの女として舞台一笑の熱い時。 善文社 1995年&lt;br /&gt;
世紀末にドドイツを くまざき社 1999年</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/vrixf/47197783.html</link>
			<pubDate>Tue, 01 Nov 2016 21:58:23 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>華の平成名歌２００　第　：TBひとり歩き　越前　二郎</title>
			<description>　長い間、活動されているのに、私がその存在を知ったのは、ごく最近である。５、６曲聴いてみた。哀愁のある歌声が、演歌の歌唱にぴったり。そして、「男同士の日本海」のような、太く力強い歌唱もなかなか。これといった決め味が、やや乏しいだろうか。幅広く歌いこなす力量は、キャリア十分。&lt;br /&gt;
（詞　木下　龍太郎　曲　蔦　将包　　）&lt;br /&gt;
あなたの心が 移ったことは 女の勘で 気付いてた つくり笑いで 別れて来たが 胸はずぶ濡れ なみだ雨ーーー &lt;br /&gt;
（収集プロフィール）&lt;br /&gt;
越前　二郎（えちぜん　じろう、１９XX～　）&lt;br /&gt;
＊作曲家、船村徹氏に師事し、「越前恋唄」、「母恋グラス」（星野哲郎・船村徹）作品をいただき、昭和63年2月にデビュー。芸名を船村徹が命名し北島三郎、鳥羽一郎の間の二郎をいただき全国の舞台に活躍中。&lt;br /&gt;
略歴&lt;br /&gt;
１９８５年&lt;br /&gt;
12月	全国ノンプロ歌謡大賞　入賞&lt;br /&gt;
西日本カラオケ王座決定戦　北島三郎賞&lt;br /&gt;
第3回 さつき祭カラオケ大会（FBC）　優勝&lt;br /&gt;
&amp;#039;85 ビクター全国縦断カラオケ選抜　優秀歌唱賞&lt;br /&gt;
タイカン・VHDカラオケ大賞「グランプリ大会」　グランプリ&lt;br /&gt;
敦賀まつりカラオケ大会（FBC）　優勝&lt;br /&gt;
日ベルコン　カップルカラオケ大会　準優勝&lt;br /&gt;
第3回 クラリオン日本アマチュア歌謡祭　優秀歌唱賞&lt;br /&gt;
第1回 全多摩歌謡祭　最優秀歌唱賞　グランプリ&lt;br /&gt;
テイチクレコード「北国恋歌」全国カラオケ大会」　3位	&lt;br /&gt;
１９８７年&lt;br /&gt;
9月	第1回 福井県カラオケ歌謡グランプリ選手権大会　グランプリ大賞&lt;br /&gt;
第1回 ビックカラオケ・ザ・チャンピオン　準優勝&lt;br /&gt;
名水まつりカラオケ大会（FBC・福井放送）　優勝&lt;br /&gt;
&amp;#039;87 福井県カラオケ選手権大会　優勝&lt;br /&gt;
敦賀まつりカラオケ大会（FBC・福井放送）　優勝	&lt;br /&gt;
 1988年　［昭和63年］&lt;br /&gt;
2月21日	テイチクレコードより芸名越前二郎でデビュー&lt;br /&gt;
作詞家・星野哲郎／作曲家・船村徹両先生の曲で「越前恋唄」「母恋グラス」を発売。&lt;br /&gt;
作曲家・船村徹先生の門下生となる。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/vrixf/47188302.html</link>
			<pubDate>Wed, 26 Oct 2016 00:57:36 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>華の平成名歌２００　第　：TB大阪泣かせ雨　男石　宣隆</title>
			<description>　最近、存在を知った方である。ぱっと見、ヤワな２枚目、といった感じだが、迫力のある骨太（演歌とは、異なるが）の歌唱だ。本来、ポップス系の方のようだが、本格演歌で全国版デビューしたのだという。このため、歌唱はもとより、ドロドロの情念や、悶え、未練恋々は少ない。安心して聴ける、定番の大阪系演歌。なかなかの、佳曲。そして、この方もおじさん歌手の、再生プロジェクトの流れに、当てはまるようだ。曲によっては、大化けするかも知れない。歌唱力は、総合的に上の中。&lt;br /&gt;
（作詞：仁井谷俊也　作曲；四方章人　２０１６）&lt;br /&gt;
　こんなに　好きにさせといて　夜の新地に　消えたひと　傘のしずくをーーーどうかあの人連れてきて　大阪泣かせ雨&lt;br /&gt;
（収集プロフィール）&lt;br /&gt;
男石　宣隆（おいし　のぶたか、１９７４～　）神戸市有馬出身の歌手。&lt;br /&gt;
＊M.n.jpより&lt;br /&gt;
中高年の女性から人気の高い男石宣隆が２０１６年９月２１日にテイチクから出したメジャー第１弾の「大阪泣かせ雨」（作詞・仁井谷俊也、作曲・四方章人、編曲・伊戸のりお）の発売を記念したパーティーが９月２７日、大阪市都島区の太閤園で開かれ、その新曲が披露された。全国から集まった２５０人を超えるファンが熱い声援をかけるなか、作曲家の四方章人氏や元大関出島の大鳴門親方も応援に駆け付けて「演歌を元気にしてくれる逸在」などとエールを送っていた。&lt;br /&gt;
　「大阪泣かせ雨」は、男石宣隆の声の魅力でもある澄み切った高音を生かして、恋しい男性を想う歌。カップリングの「おんな宿」も切ない別れを歌った同じ女歌。&lt;br /&gt;
　彼は関西のＣＤショップの組合が主催するカラオケコンテスト、関西歌謡大賞（現・にっぽんうたまつり）のグランプリを受賞し、２０１２年に自ら作詞作曲した「貴船川恋歌」（販売・テイチク）でＣＤデビューしている。今回の「大阪泣かせ雨」はメジャー第１作としてテイチクから出した。&lt;br /&gt;
　「大阪泣かせ雨」に先駆けて、かつて台湾へ出かけて歌った際にファンと「次ぎは台湾の楽曲を作ります」と約束して、今年４月に自らが台湾語で作詞・作曲して作ったのが「台湾暮色」。&lt;br /&gt;
　この作品やデビュー曲の「貴船川恋歌」でも分かるように、今まで彼は演歌のシンガーソングライターとして活動してきた。ところがテイチクの近藤芳樹ディレクターからは「紅白に出場出来たらカップリングの１曲程度は書いてもいい。それまでは曲作りは封印する」と、歌うことへの専念を言い渡されている。&lt;br /&gt;
「大阪泣かせ雨」を一生歌い続ける歌にするという男石宣隆&lt;br /&gt;
　かつてポップスを歌っていたという彼は「演歌に転向するのに悩み苦しんだ」という。今回の新曲を出すのに際しても「練習してもうまく歌えずに、どうしていいのか悩み、ディレクターや四方先生に相談しました」と明かしたほど。&lt;br /&gt;
　この日は、そうした演歌を歌う以前の「さよなら神戸」や「四月の雪」「島人（しまんちゅう）の宝」といった自作楽曲も披露した。&lt;br /&gt;
　シンガーソングライター時代には全国のカラオケ喫茶店などへのキャンペーンツアーも行っている。そこでは女性を中心にしたたくさんのファンを作っており、今回のメジャーデビューを支える原動力となっている。パーティーに参加していた最近ファンになったという女性は「福山雅治と速水もこみちを足して２で割ったようなイケメンぶりはもちろんのことですが、高音で誰よりも情感たっぷりに歌うところが大好きです」と話していた。&lt;br /&gt;
■誰からも好かれる性格&lt;br /&gt;
　パーティーにはファンに交じって男石のメジャーデビューに尽力した人たちが数多く顔を揃えていた。そのひとりが元テイチクエンタテインメントのプロデューサー、中西雄一氏。今回の新曲までには実力が伴っていないと、メジャー入りにノーを言い続けてきたが「歌が素晴らしく良くなったことと、男女を問わず彼の人に好かれる性格の良さがいい」と、発売を後押しした。&lt;br /&gt;
　作曲家の四方章人氏はまた「甘い声と輝いている目がいい。演歌を元気にしてくれるものと信じています」と激励。ディレクターの近藤芳樹氏は「彼とこの歌を育てていくのはファンの皆さんです。一緒に大きなステーシに押し上げてやって下さい」と呼びかけた。&lt;br /&gt;
＊ルミネの日記より&lt;br /&gt;
ファッションも若々しくパツパツのスーツ姿！お顔も小顔！透明感のあるぬけるような高音が素晴らしい！</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/vrixf/47180929.html</link>
			<pubDate>Thu, 20 Oct 2016 23:56:12 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>華の昭和名歌３００　第　：懐かしいのぞきからくり（不如帰）　大江　しげる</title>
			<description>　残された映像がすくなく、入手できた資料は少し。演歌師らしい、太く、威勢のいい声。浪曲調の語り、も上手そうだ。&lt;br /&gt;
　三府の一の東京で（ああどっこい）/波に漂うますらおが/はかなき恋ににさまよいし/父は陸軍中将で/片岡子爵の長女にて（ああどっこい/桜の花の開きかけ/人もうらやむ器量よし/その名も片岡浪子嬢/（ああちょいと）海軍中尉男爵の/川島武男の妻となる/新婚旅行をいたされて/伊香保の山にワラビ狩り（ああどっこい）/遊びつかれてもろともに/我が家をさして帰らるる/（ああちょいと）武男は軍籍あるゆえに/やがて征くべき時は来ぬ/逗子をさしてぞ急がるる/浜辺の波のおだやかで（ああどっこい）/武男がボートに移るとき/浪子は白いハンカチを（ああどっこい）/打ち振りながら/「ねえ、あなた早く帰って頂戴」と/仰げば松にかかりたる/片割れ月の影さびし/実にまあ哀れな不如帰」 &lt;br /&gt;
（収集プロフィール）&lt;br /&gt;
大江　しげる（おおえ　しげる、１９XX～？？）元東京演芸協会所属の、演歌師。&lt;br /&gt;
＊昭和の初期まで縁日などで親しまれた大道芸「のぞきからくり」、のぞき穴をのぞくと押絵と凸レンズが作り出す立体的な世界が広がっている。「のぞきからくり」は、映画やテレビの普及によって完全に消えてしまい現在は博物館でしか見ることができない。&lt;br /&gt;
のぞきからくり「不如帰」（ホトトギス）実演：昭和ロマンを楽しむ会&lt;br /&gt;
「不如帰」は徳冨蘆花（とくとみろか）の不朽の名作で1898年（明治31）から1899年まで「国民新聞」に連載された。明治時代のベストセラー小説。&lt;br /&gt;
「人間はなぜ死ぬのでしょう　死んでも私はあなたの妻ですわ、未来の後までも」&lt;br /&gt;
「八千八声　ないて血を吐くほととぎす」&lt;br /&gt;
落語の「天王寺詣り」に天王寺の境内でやっているぞのきからくり「不如帰」の口上が入っている。同じ不如帰でも各地によってさまざまな文句とからくり節があった。&lt;br /&gt;
あらすじ：片岡陸軍中将の娘浪子（なみこ）は、海軍少尉川島武男（たけお）と結婚したが、結核にかかり、家系の断絶を恐れる姑によって武男の留守中に離縁される。二人の愛情はとだえなかったが、救われるすべのないまま、浪子は、もう女になんぞ生まれはしないと嘆いて死ぬ。&lt;br /&gt;
＊懐かしいのぞきからくり（不如帰）　大江しげる談&lt;br /&gt;
大江しげるは東京演芸協会に所属していた芸人で昭和の末期まで活動していた時事演歌の演歌師であった。寄席芸人で「のんき節」の替歌が得意だった。&lt;br /&gt;
子供の頃、縁日で一番楽しんだもの、「のぞきからくり」の思い出と「不如帰」の一節を語っている。外題は事件ものが多かった。大人が五銭、子供が三銭だったそうである（昭和初期）。&lt;br /&gt;
大江しげるは昭和27年から玉川スミとコンビを組んだこともある。&lt;br /&gt;
大江しげる（演歌師、漫才師）&lt;br /&gt;
＊帝大生ゆめじの大道芸日記より&lt;br /&gt;
昭和の末期まで活動していた時事演歌の演歌師、寄席芸人で「のんき節」替歌が得意だった。昭和27年から玉川スミとコンビを組んだこともある。また、三遊亭小円朝の母方の祖父が大江しげるとのことである。&lt;br /&gt;
もちろん、書生節の「ああ踏切番」なんかも歌っていた。桜井さんたちと比較するとバイオリンは上手ではなかった。歌の間に効果的に音を入れるという”鳴り物入り”であった。&lt;br /&gt;
下ネタから政治ネタまでいろいろなのんき節を歌っていたが、政権党にも野党にも厳しく皮肉っていた。 今考えると、社会党の末路を予言していた。&lt;br /&gt;
社会党にはじめて　女の委員長　土井さんに期待が集まります&lt;br /&gt;
たか子さんは未だに独身ですが　立派な党員生めますか&lt;br /&gt;
ハハ　のんきだね&lt;br /&gt;
歌　街頭版」（大江しげる編、添田知道監修）より船村徹さんの寄稿&lt;br /&gt;
「命ある限り演歌を」　　船村　徹&lt;br /&gt;
　いや驚きですね、70歳を超えたご高齢で、未だに”演歌”を歌い続ける大江先輩の存在はーーー。あえて先輩と言わして頂いたのは、私自身が、それこそ大江さんの先輩筋にあたる、のんき節の故石田一松先生（元衆議院議員）のヒキで、音楽学校在学中に銀座で演歌師（バイ）をさせてもらっていたからなんです。&lt;br /&gt;
　時の権力の横暴に抗し、演歌を持って糾弾するのではなく、歌に託して大衆の喚起を促したのが、”演歌”の起源ですが、大江さんは今もその精神（こころ）をうしなっていないーーどころか、折にふれ時に応じて風刺小唄”のんき節”を創作し、歌い続けていらっしゃる。この反骨は今どき大変貴重なものだ、と尊敬している私も一人です。&lt;br /&gt;
　”無形文化財”とも言うべきこの大江先輩の存在を、同好の志のお力で長く後世に伝えて頂ければ、後輩の一人としてこんな嬉しいことはありません。&lt;br /&gt;
＊三遊亭小圓朝(小円朝)談話　&lt;br /&gt;
親父（三代目三遊亭円之助）が土日になると後楽園に野球を見に連れてってくれるんです。ーー中略ーー&lt;br /&gt;
　ご承知の通り父は噺家ですが、母も芸人の家庭なんです。祖父母が「大江しげる・笙子」という漫才をやっていました。漫才をやめてからも祖母はお囃子をやっていたんです。だからそういう家族なんですね。親戚が集まるとにぎやかで、噺家のあたしが黙っちゃう。&lt;br /&gt;
＊「石動三六日記　寄席編」より&lt;br /&gt;
おそらく１９７６年だと思うんですけどね。初めて浅草の松竹演芸場に行きました。多分、当時は落語より色物の方が面白かったんでしょう。で、色物専門のこの寄席に来たわけですが、このときの上席は漫談家を中心にした東京演芸協会というグループの特別興行（今でも東洋館の中席がそうですが）。手元にあるチラシによると、出演者はアダチ龍光（奇術）・黒田幸子とその一行（民謡）・筑波僑一郎と剣竜会（殺陣）・悠玄亭玉介（花街うらばなし）・大江しげる（時事演歌）・三遊亭歌夫（漫談）・鏡味小仙社中（太神楽曲芸）・サムライ日本（殺陣とお笑い）・林家一楽（紙切り）・松旭斎小天華（奇術）、これに桜井長一郎・宮尾たか志・牧伸二・小野栄一・早野凡平・佐々木つとむという当時の売れっ子が交互出演。パッとしないメンバーでしたね。&lt;br /&gt;
大江しげるという老芸人だね。明治時代の書生姿、袴に高下駄でバイオリン弾きながらの時事演歌。「のんき節」を唄ってました。&lt;br /&gt;
＊3LPBOX/　添田知道・大江しげる「歌でつづる鉄道百年」&lt;br /&gt;
株式会社　イメージファクトリィ　効果音&lt;br /&gt;
★　NO-706「メインストリートのならず者・大道芸NO-2」 (0323)&lt;br /&gt;
14.物産アメ売り。明治～昭和初期 (0323)&lt;br /&gt;
15.バイオリン演歌、大江しげる。パイノパイノパイ (0323)&lt;br /&gt;
16.バイオリン演歌、大江しげる。船頭小唄 (0323)&lt;br /&gt;
17.バイオリン演歌、大江しげる。郭の歌 (0323)&lt;br /&gt;
＊漫才師 大江茂(しげる）：前芸名：砂川捨夫、後に凸凹ボップ・ホープのボップ&lt;br /&gt;
＊玉川 スミ:昭和27年 大江しげるとコンビを組み四年ぶりに有楽町ビデオホールの舞台に立つ玉川一郎先生の勧めで芸名を「玉川一恵」とする&lt;br /&gt;
＊世相に流れゆく演歌師　演歌四十年の“小松ッちゃん”（新宿）&lt;br /&gt;
東京は日本ではないと外人にいわれるたびに私は、いや東京こそはまぎれもなく日本なのであると答えることにしている。都には国のすべての要素が集結する。&lt;br /&gt;
＊大江しげるさんはずいぶん前になくなりました。&lt;br /&gt;
あまり音源が残ってないのが残念ですね。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/vrixf/47155783.html</link>
			<pubDate>Tue, 04 Oct 2016 01:39:45 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>華の平成名歌２００　第　：TB浜撫子　みやま　健二</title>
			<description>　この３、４年、まるでおじさん歌手の、再生プロジェクトが始まったような流れが。加納ひろし、千葉一夫、渡辺　要、半田浩二、山崎ていじ、野上こうじ、坂井一郎、そしてこの歌手も、その一人。どれも、さすがにいい歌を引っさげている。この曲は、木下先生の、遺作のなかのひとつの詞に、曲を付けたものとか。哀愁と、柔らかな思慕、男の気儘さ、薄紅の浜撫子の花、などが渾然となって、人生の深みを感じさせる。この歌手は、関西から西が活動のメインで、全国的なデビューは、この曲が初めてという。どうりで、私はこの方を、ほとんど知らなかった。歌唱力は、上の下だが、所々に、ふと人生の深みを感じさせる声音があって、そこが魅力といえるだろう。&lt;br /&gt;
（詞　木下　龍太郎　曲　檜原　さとし　２０１６）&lt;br /&gt;
どこへ行こうと　後追いかける　風のうわさは　影法師　当てにならない　帰りを待ってーーー浜撫子に　おまえに託した　言伝てよ&lt;br /&gt;
（収集プロフィール）&lt;br /&gt;
みやま　健二（みやま　けんじ、１９５６～　）京都府出身の歌手。&lt;br /&gt;
＊決起大会でみやま健二は今までの美山から芸名を変更したことについて「デビュー曲の『俺のみち』から代表曲の『泪橋』など、今まで美樹克彦先生に作曲などをお世話になり、先生の名前・美樹からひと文字もらって美山としていましたが、さらなるステップアップをねらって改名しました」と、新曲にかける想いの強さを語った。&lt;br /&gt;
　「浜撫子」はすでに「Music news jp」でも報じている通りに、健気な女心を気遣う男の気持ちを優しい声で歌ったアップテンポな演歌。作詞は木下龍太郎、作曲が檜原さとし、編曲は伊戸のりお。&lt;br /&gt;
　カップリングには０７年に徳間ジャパンから出している「泪橋」を新たに吹き込んでいる。&lt;br /&gt;
みやまは子どもの頃から父親に倣って剣道を始め、今は４段の資格を持つことが示す通りに、曲がったことが大嫌いな性格。そんな男気を前面に出して歌ったのが、デビュー曲の「俺のみち」であり「泪橋」だった。&lt;br /&gt;
　ところが最近は「ふたりの明日」（ウェブクウ）にも見られるように、このところ男の優しさをにじませた内容へシフトしつつあった。新曲「浜撫子」に至ってはさらに、その優しさを強めており、最近増えている女性ファンの獲得を狙っているかのようである。&lt;br /&gt;
　みやまは６０歳。京都府亀岡市出身。若くして歌手を志望するが、剛直な性格の父親から猛反対に遭って断念。家業の建設業を手伝った後に自ら設備業を始める。事業は軌道に乗ったが、父母が亡くなった翌年に知人の勧めもあって、ようやく４５歳でＣＤデビュー。事業は息子に譲った。&lt;br /&gt;
　歌手業のかたわら京都・祇園でラウンジ経営も始めた。店は繁盛していたが、歌手活動が手薄になってしまうことから、あっさりと手を引いてしまった。&lt;br /&gt;
　一昨年には「俺のいい女」「ふたりの明日」を出し、活動拠点を京都から大阪に移している。みやまは「京都だけで活動していたのでは、今回のような素晴らしい新曲には結びっかなったと思います」と、還暦メジャーデビューを喜びをかみしめていた。&lt;br /&gt;
　この日、同席した徳間ジャパンの福西哲也大阪オフィス長は「かつて『泪橋』も徳間から出しており、お帰りなさいといった表現が良いのかもしれません。新曲『浜撫子』をぜひヒットさせたい」と話していた。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/vrixf/47127579.html</link>
			<pubDate>Tue, 13 Sep 2016 23:59:21 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>華の昭和名歌３００　第　：水兵ぶし　塩原　秩峰・美ち奴</title>
			<description>　何曲か、聴いてみた。この曲は、現在の歌謡曲に、かなり通じるものがある。プロトタイプの、ひとつと言っていい。秩峰の声は癖の無い渋い声で、言葉も聴きとりやすく、分かりやすい。音程も、他の演歌師に比べてとてもしっかりしている。つまり、現在の歌謡曲も、難なく歌いこなしたろう。&lt;br /&gt;
　日本　島国　めぐりは海よーーー血潮は踊る　海兵さん　明けても暮れても　水兵さん　おや海軍さん　&lt;br /&gt;
（収集プロフィール）&lt;br /&gt;
塩原 秩峰（しおはら ちつみね、1880年（明治13年）8月19日 - 1937年（昭和12年）3月24日）&lt;br /&gt;
大正時代から昭和初期に活躍した日本の演歌師、歌手。栃木県那須塩原市出身。&lt;br /&gt;
経歴&lt;br /&gt;
初期の京都オリエントで書生節を多数吹き込み、「レコード流行歌」の普及に大きな功績を持った鳥取春陽に次ぐ、人気演歌師である。やや低めの歌声が特徴。代表曲には『平和節(ジョーヂァソング)』、『金色夜叉』、『春爛漫の花の色』などがある。京都オリエントがニッポノホン大阪支社レーベルになってからは新録音発売は途切れたが、1934年（昭和9年）、大阪ニットーで吹き込んだ『兵隊ぶし』で再びヒットを放つ。片面は美ち奴とデュエットの『水兵ぶし』で、塩原はこの2曲を最後に引退する。1937年（昭和12年）3月24日、敗血症のため56歳の若さで亡くなった。&lt;br /&gt;
＊森山加代子（1961年発売。シングル「パイのパイのパイ」。同年公開の映画『アワモリ君売出す』劇中歌）大正7年（1918年）発表。&lt;br /&gt;
元々のメロディーは、ヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された「ジョージア行進曲」（Marching Through Georgia）で、アメリカ南北戦争時のウィリアム・シャーマン将軍の海への進軍の様子を描いた行進曲である。添田によって作詞される以前から、明治25年(1892年)に「ますらたけを」の題で国文学者・東宮鉄真呂の作詞による軍歌が販売されたり、救世軍が街宣活動で演奏するなど広く親しまれていた。これに添田が改めて歌詞をつけたものが「パイノパイノパイ」である。資料によっては作曲者も添田知道（添田さつき）や神長瞭月とされていることがあるが正確ではない。日本では原曲よりも「パイノパイノパイ」での知名度が高いため、ブラスバンドがジョージア行進曲を演奏したところ、卑俗な歌を演奏するとはいかがなものかと苦情が来たというエピソードもある。&lt;br /&gt;
売文社に勤めていた添田がある日「のんき節」の掲載許可を貰いに父・添田唖蝉坊の元を訪ねると気まぐれに、演歌を一つ作ってみないかと言われた。当時流行りつつあった洋食屋のメニューを羅列したような仮歌であったが、唖蝉坊がメロディーを口ずさむと、幼少期に神奈川県大磯の実家に預けられていた時に遊び仲間から「ますらたけを」のメロディーで囃し立てられた記憶が急に蘇り、小説家志望で歌は嫌いでなかったこともあり、作詞経験はないがつい釣り込まれてしまった。その席上、唖蝉坊にはどうせ浮世は出鱈目だという人生感があり、口癖になっていてその場でも出た。そうして「デタラメ」が「ラメ」となり「ラメチャン」となって囃子言葉はスラスラと決まり、全体は宿直の一晩で書き上げた。このとき添田知道はわずか19歳だった。&lt;br /&gt;
明治中頃の丸の内は三菱ヶ原と呼ばれる草の生い茂る原野であったが、明治27年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工したのを皮切りに、東京府庁舎、東京駅の建造が始まり、原野からわずか20数年で急速に近代化を遂げた東京の名所・古跡・風俗が歌い込まれているのが特徴である。「パイノパイノパイ」の大流行につれて新たな歌詞が求められ、京阪神・中京・吉原の風俗、更に第一次世界大戦の戦後処理のためパリ講和会議に全権として参加した元老・西園寺公望が愛妾や灘萬の店主を伴ったことが大新聞に取り上げられたこと、会議の結果としてドイツが所有していた山東省の権益や南洋諸島の委任統治権を得た戦勝気分を背景として添田が改詩したものが「平和節」の名で大正8年に発表された。&lt;br /&gt;
代表曲&lt;br /&gt;
『春爛漫の花の色』 作詞 矢野勘治、作曲 豊原雄太郎 1916年（大正5年）&lt;br /&gt;
『嗚呼玉杯に花受けて』 作詞 矢野勘治、作曲 楠正一 1916年（大正5年）&lt;br /&gt;
『夜半の追憶(男三郎の歌)』 作詞 武島羽衣、作曲 田中穂積 1917年（大正6年）&lt;br /&gt;
『平和節(ジョーヂァソング)』 作詞 添田さつき、作曲 ヘンリー・ワーク &lt;br /&gt;
1917年（大正6年）&lt;br /&gt;
『金色夜叉』 作詞 宮島郁芳、作曲 後藤紫雲 1918年（大正7年）&lt;br /&gt;
『白菊』 作詞・作曲 神長瞭月 ※商船学校寮歌、山本久光との歌唱 &lt;br /&gt;
1918年（大正7年）&lt;br /&gt;
『水兵ぶし』 作詞 伊藤松雄、作曲 清美生二 ※美ち奴とのデュエット 1934年（昭和9年）&lt;br /&gt;
『兵隊ぶし』 作詞 伊藤松雄、作曲 水谷ひろし 1934年（昭和9年）&lt;br /&gt;
脚注[編集]&lt;br /&gt;
^ 1934年、書生節は「流行青年歌」「流行青年節」と表記されている。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/vrixf/47096515.html</link>
			<pubDate>Wed, 24 Aug 2016 02:44:07 +0900</pubDate>
			<category>カラオケ</category>
		</item>
		<item>
			<title>華の平成名歌２００　第　：演歌・歌謡曲系　女性歌手ランキング　２０１６</title>
			<description>＊名曲の数や、歌唱力、活動状況等を総合しました。&lt;br /&gt;
１位　石川　さゆり&lt;br /&gt;
２位　坂本　冬美&lt;br /&gt;
２位　香西　かおり&lt;br /&gt;
４位　川中　美幸&lt;br /&gt;
５位　水森　かおり&lt;br /&gt;
６位　天童　よしみ&lt;br /&gt;
７位　藤　あや子&lt;br /&gt;
８位　伍代　夏子　&lt;br /&gt;
９位　長山　洋子&lt;br /&gt;
１０位　門倉　ゆき&lt;br /&gt;
１１位　あさみ　ちゆき&lt;br /&gt;
１１位　原田　悠里&lt;br /&gt;
１１位　三船　和子&lt;br /&gt;
１１位真木　柚布子&lt;br /&gt;
１１位神野　美加&lt;br /&gt;
１１位扇　ひろ子&lt;br /&gt;
１１位石原　詢子&lt;br /&gt;
１１位長保　有紀&lt;br /&gt;
１１位水田　竜子&lt;br /&gt;
１１位市川　由紀乃&lt;br /&gt;
１１位岡　ゆうこ&lt;br /&gt;
１１位林　あさ美&lt;br /&gt;
１１位小桜　舞子&lt;br /&gt;
１１位　小野　由起子&lt;br /&gt;
１１位　服部　浩子&lt;br /&gt;
１１位　金田　たつえ&lt;br /&gt;
１１位　音羽　しのぶ&lt;br /&gt;
１１位　城之内　早苗&lt;br /&gt;
＊都はるみ・水前寺清子・小林幸子・八代亜紀・森昌子・大月みやこ、は別格としました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/vrixf/47073913.html</link>
			<pubDate>Sun, 07 Aug 2016 23:53:29 +0900</pubDate>
			<category>カラオケ</category>
		</item>
		<item>
			<title>華の平成名歌　第　：TB秋恋歌　香西　かおり</title>
			<description>　全体に、しみじみとした、回顧と未練の物語。ここは香西の、最強分野の曲。この傾向の歌を歌わせたら、かなう者はいないだろう。それをよく知った先生方の、産み出した佳曲。言葉も美しく、深く人生を感じさせる。&lt;br /&gt;
（詞　原　文彦　曲　叶　弦大　２０１６）&lt;br /&gt;
　盆もそろそろ　１０日を過ぎて　女ごころに　秋の風ーーー窓の硝子に　夕月ひとつ　好きと伝えて　この想い&lt;br /&gt;
（収集プロフィール）&lt;br /&gt;
香西 かおり（こうざい かおり、1963年8月～　）大阪府出身の歌手。大阪市港区出身、在住。大阪市立東商業高等学校卒業。2015年現在の所属事務所はプロダクションオーロラ、レコード会社はユニバーサル（Prime Musicレーベル）。&lt;br /&gt;
略歴&lt;br /&gt;
幼い頃から民謡で各種の賞を受賞し、「香西香」名義で民謡のレコードも発売している。&lt;br /&gt;
1982年、太陽神戸銀行（現・三井住友銀行）に入行。しかし、歌への想いが募り退行。&lt;br /&gt;
歌手になるため上京し、1988年に演歌歌手として「雨酒場」でデビュー。同曲で同年末の第30回日本レコード大賞など各新人賞を獲得し、翌1989年～1990年にかけてロングセラーとなった。&lt;br /&gt;
1991年、「流恋草」の大ヒットで第24回日本有線大賞などを受賞し、同年末の第42回NHK紅白歌合戦へ初出場を果たす。&lt;br /&gt;
1993年、「無言坂」が初めてオリコンチャートで週間10位を記録、同曲で同年末の第35回日本レコード大賞を受賞。&lt;br /&gt;
演歌歌手としての認知度が高いが、ほかポップスから民謡、歌謡曲までと幅広くこなす。またポップス歌謡をシングルとして発売する時は、着物姿でなく洋服姿でジャケット写真を撮り、香西本人の作詞による発表のものが多い。&lt;br /&gt;
2000年、「浮寝草」で同年末の第42回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞。&lt;br /&gt;
2003年、宗教家の松井昌雄とのデュエット曲を発表。&lt;br /&gt;
2012年、デビュー25周年記念曲「酒のやど」がロングヒット、同年末の第54回日本レコード大賞・優秀作品賞などを獲得。さらに第63回NHK紅白歌合戦へ5年ぶりのカムバック出場となった。&lt;br /&gt;
2014年、第56回日本レコード大賞・日本作曲家協会奨励賞を受賞。&lt;br /&gt;
私生活では2000年4月、ミュージシャンの男性と結婚するが、2002年2月に離婚している。&lt;br /&gt;
シングル&lt;br /&gt;
香西香名義&lt;br /&gt;
秋田長持唄／淡海節（1981年12月2日、CBSソニー、07SG-37）&lt;br /&gt;
祖谷の粉ひき唄／高槻の水かえ歌（1984年9月21日、CBSソニー、07SG-42）&lt;br /&gt;
香西かおり名義&lt;br /&gt;
雨酒場（作詞：星村龍一／作曲：聖川湧／編曲：馬場良 1988年5月25日）&lt;br /&gt;
第30回日本レコード大賞新人賞受賞&lt;br /&gt;
恋舟（作詞：星村龍一／作曲：聖川湧／編曲：馬場良 1990年5月25日）&lt;br /&gt;
流恋草（作詞：星村龍一／作曲：聖川湧／編曲：馬場良 1991年3月25日）&lt;br /&gt;
日本有線大賞受賞&lt;br /&gt;
第33回日本レコード大賞ゴールド・ディスク賞（歌謡曲・演歌部門）受賞&lt;br /&gt;
花挽歌（作詞：市川睦月／作曲：三木たかし／編曲：川村栄二 1992年7月25日）&lt;br /&gt;
恋紅葉（作詞：星村龍一／作曲：聖川湧／編曲：馬場良 1992年7月25日）&lt;br /&gt;
無言坂（作詞: 市川睦月／作曲: 玉置浩二／編曲: 川村栄二 1993年3月17日）&lt;br /&gt;
第35回日本レコード大賞受賞&lt;br /&gt;
恋慕川（作詞：高橋直人／作曲：あらい玉英／編曲：馬場良 1994年2月23日）&lt;br /&gt;
越前恋歌（作詞：秋浩二／作曲：伊藤雪彦／編曲：馬場良 1994年12月19日）&lt;br /&gt;
ごむたいな（作詞：秋元康／作曲：後藤次利／編曲：川村栄二 1995年8月23日）&lt;br /&gt;
宇治川哀歌（作詞：秋浩二／作曲：杉本真人／編曲：前田俊明 1996年4月22日）&lt;br /&gt;
すき（作詞：香西かおり／作曲：玉置浩二／編曲：若草恵 1997年2月26日）&lt;br /&gt;
本人作詞、作曲は「無言坂」と同じく玉置浩二&lt;br /&gt;
雨降橋（作詞：星村龍一／作曲：聖川湧／編曲：馬場良 1997年7月24日）&lt;br /&gt;
人形（作詞：荒木とよひさ／作曲：浜圭介／編曲：川村栄二 1997年9月26日）&lt;br /&gt;
母から母へ（作詞：たきのえいじ・山田孝雄／作曲：三木たかし・四方章人／編曲：若草恵 1998年3月11日）&lt;br /&gt;
浮雲（作詞：悠木圭子／作曲：鈴木淳／編曲：前田俊明 1998年9月2日）&lt;br /&gt;
望郷十年（作詞：星村龍一／作曲：聖川湧／編曲：馬場良 1999年6月2日）&lt;br /&gt;
恋草紙（作詞：荒木とよひさ／作曲：幸耕平／編曲：今泉敏郎 2000年2月2日）&lt;br /&gt;
浮寝草（作詞：石本美由起／作曲：船村徹／編曲：蔦将包 2000年8月2日）&lt;br /&gt;
第42回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞&lt;br /&gt;
楽しい人が好き（作詞・作曲：中山大三郎／編曲：竜崎孝路 2001年4月25日）&lt;br /&gt;
あなたへ（作詞：香西かおり／作曲：村下孝蔵／編曲：若草恵 2002年2月6日）&lt;br /&gt;
村下孝蔵の遺作&lt;br /&gt;
氷雪の海（作詞：たかたかし／作曲：弦哲也／編曲：前田俊明 2002年6月26日）&lt;br /&gt;
潮岬情話（作詞：たかたかし／作曲：弦哲也／編曲：前田俊明 2003年2月19日）&lt;br /&gt;
人生やじろべえ（作詞：吉岡治／作曲：弦哲也／編曲：南郷達也 2004年3月10日）&lt;br /&gt;
白い雪（作詞・作曲：松山千春／編曲：藤原いくろう 2004年10月27日）&lt;br /&gt;
松山千春提供曲&lt;br /&gt;
居酒屋「敦賀」（作詞：星村龍一／作曲：聖川湧／編曲：佐伯亮 2005年4月27日）&lt;br /&gt;
最北航路（作詞：池田充男／作曲：あらい玉英／編曲：佐伯亮 2006年3月22日）&lt;br /&gt;
き・ず・な（作詞：なかにし礼／作曲：筒美京平／編曲：船山基紀 2007年3月21日）&lt;br /&gt;
秋田ポンポン節（作詞：たきのえいじ／作曲：浜圭介／編曲：川村栄二 2007年8月22日）&lt;br /&gt;
風恋歌（作詞：里村龍一／作曲：叶弦大／編曲：南郷達也 2008年3月26日）&lt;br /&gt;
大阪テ・キエロ～あなたゆえに～（作詞：朝比奈京子／作曲：杉本眞人／編曲：若草恵 2009年1月21日）&lt;br /&gt;
女の帰郷（作詞：市川森一／作曲：聖川湧／編曲：石倉重信 2009年9月23日）&lt;br /&gt;
春陽炎（作詞：いではく／作曲：鈴木淳／編曲：前田俊明 2010年5月5日）&lt;br /&gt;
TOKIO千一夜（作詞：ちあき哲也／作曲：鈴木キサブロー／編曲：矢野立美 2011年4月6日）&lt;br /&gt;
糸車、からり（作詞・作曲：祇園精舎 守／編曲：伊戸のりお 2012年2月8日）&lt;br /&gt;
酒のやど（作詞：池田充男／作曲：森山慎也／編曲：上杉洋史 2012年5月9日）&lt;br /&gt;
第54回日本レコード大賞優秀作品賞受賞&lt;br /&gt;
第45回日本有線大賞有線音楽優秀賞受賞&lt;br /&gt;
夕化粧（作詞：香西かおり／作曲：マシコタツロウ／編曲：島 健 2013年4月24日）&lt;br /&gt;
酒の河（作詞：たきのえいじ／作曲：あらい玉英／編曲：上杉洋史 2013年6月26日）&lt;br /&gt;
明日の夫婦酒　吉幾三とデュエット（作詞・作曲：吉 幾三／編曲：丸山雅仁 2014年3月19日）&lt;br /&gt;
一夜宿（作詞・作曲：吉幾三／編曲：上杉洋史 2014年5月21日）&lt;br /&gt;
とまり木夢灯り（作詞・作曲：レーモンド松屋／編曲：上杉洋史 2015年4月29日）&lt;br /&gt;
秋恋歌（作詞：原文彦／作曲：叶弦大／編曲：前田俊明 2016年4月27日）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/vrixf/47070993.html</link>
			<pubDate>Fri, 05 Aug 2016 22:15:07 +0900</pubDate>
			<category>カラオケ</category>
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