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手慰みに描いたもの。 |
思わず独り言
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ようこそ、いらっしゃいませ。
半世紀生きてきたのかとわが身を振り返るに、「いいから、お前の人生など振り返らずとも、これからが勝負じゃないか。」との声がする。まだまだハナタレのワガママ未熟者です。死にたくないので生きていくのみです。できれば地球ごとデッカイスプーンで救ってください。ヨロシクね〜。|
暫くの更新できなかったのですが、これからもなかなか更新できそうにありません。 時間をみつけてなんとか更新したいと思います。 みなさんも、お体にはくれぐれもお気をつけて頑張ってくださいね。
ここのイラストはいつか描きます。
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日本は長いから、雪の降っているところもあるのね。 ところで、昨日だったか一昨日だったか、台所のまどから見える空に不思議な物体が浮かんでいるのが見えたの。 一本の光る長い線が、斜めになって高い方へとゆっくり飛んでいきました。 パレットクモジくらいの長さはあったので、ジャンボジェットかなあとも思うのですが、光の紐のようにしか見えないのです。ここら辺は飛行機が飛ぶ姿は良く見えるので、ジャンボならもっとはっきり姿が見えるはず。傾き方もコースもだいぶ違っていました。 暫く呆然と見ていましたが、雲に隠れそうになったので、はっと気が付いて写メールで証拠を撮ろうと携帯を掴み・・・ ベランダに出たらもう見えなくなっていました。 最近はあんな飛行機もあるの??? 最近、飲み屋さんで失敗しました。 神を信じられないと言った若い男の人を本気で怒鳴ってしまったのです。 ああ・・・理性は何処? 優しく、「何故、信じる事が出来ないの?」と訊くべきだったと後悔。 御免ね・・・。 マタイによる書 18章 弟子たちがイエスの近くに来て,「天の王国ではいったいだれが一番偉いのですか」と訪ねると、イエス、幼子を一人、彼らの真ん中に立たせて答えた。 「あなた方に真実に言いますが、身を転じて幼子のようにならなければ、あなた方は決して天の王国に入れません。 それゆえ、だれでもこの幼子のように謙遜になる者が、天の王国において最も偉大な者なのです。
そして、だれでも、わたしの名によってこのような幼子一人を迎える者は、わたしをも迎えるのです。
しかし、わたしに信仰を置くこれら小さな者の一人をつまずかせるのがだれであっても、その者にとっては、ろばの回すような臼石を首にかけられて、広い大海に沈められるほうが益になります。....ひええええ〜〜〜〜〜!!!! 誰も私をつまづかさないでね。私も努力するからさあ〜・・・ イラストは、パソコン内臓のペイントツールで遊んでみたものです。
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ううう・・・・早く家を出るのも、問題な私でした。 ・・・・・・・・・ マタイによる書 16章の二つのエピソード イエスは弟子たちに言われた。 「だれでもわたしに付いて来たいと思うなら、その人は自分を捨て、自分の苦しみの杭を取り上げて、絶えずわたしのあとに従いなさい。 だれでも自分の魂を救おうと思う者はそれを失うからです。 しかし、だれでもわたしのために自分の魂を失う者はそれを見いだすのです。というのは、全世界をかち得ても、それによって自分の魂を失うなら、その人にとって何の益になるでしょうか。また,人は自分の魂と引き換えに何を与えるのでしょうか。人の子は、自分の使いたちを伴って父の栄光のうちに到来することに定まっており、その時、各々にその振る舞いに応じて返報するのです。 ある日、イエスはペテロとヤコブおよびその兄弟ヨハネを伴い、彼らだけを高大な山の中に連れて来られた。そして彼らの前で変ぼうされ、その顔は太陽のように輝き、その外衣は光のようにまばゆくなった。
そして、モーセとエリヤが彼らに現われ、イエスと語り合っていた。ペテロはそれにこたえてイエスに言った。 「主よ、わたしたちがここにいるのは良いことです。お望みでしたら、わたしはここに三つの天幕を立てます。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのためです。」 彼がまだ話しているうちに明るい雲が彼らを影で覆った。そして、その雲の中から声があって、「これはわたしの子。わたしの愛する者である。わたしはこの者を是認した。この者に聴き従いなさい」と言った。 これを聞くと弟子たちはうつ伏して非常に恐れた。 |

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ヤモリの子、やっと鳴けたか、声上げて とっても小さな、本当に小さなヤモリの子が、時々私の足の近くを、チョロリチョロリ、と這って、じっとしている日々が続き・・・ 暫く姿を見ない日は、どうしたのかと、たま〜に思い出す。 そんな暮らしを笑えば笑え。 ただ、お願いだから、私の足元をうろちょろするのはやめてくれ。 私は踏んだきるつもりはないのだからと、短く祈る気持ちも覚えた。 お願いだよ、小さき命よ。ずぼらな私に近づくな。気づかずに踏んでしまいたくはないのだから。 ・・・・・・・・・・・・ マタイによる書 15章のエピソード エルサレムからパリサイ人と書士たちがイエスのところに来て質問した。 「あなたの弟子が昔の人々からの伝統を踏み越えているのはどうしてですか。たとえば、食事をしようとするときに、彼らは手を洗いません。」 イエスは答えて言われた。 「あなた方も自分たちの伝統のゆえに神のおきてを踏み越えているのはどうしてですか。・・・(中略)・・・あなた方は,自分たちの伝統のゆえに神の言葉を無にしています。 偽善者よ、イザヤはあなた方について適切に預言して言いました。『この民は唇でわたしを敬うが,その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである。人間の命令を教理として教えるからである』。」
そうして群衆を近くに呼んでこう言われた。
「聴いてその意味を悟りなさい。 口の中に入るものが人を汚すのではありません。口から出るものが人を汚すのです」。 その時、弟子たちがやって来て、「あなたの言われたことを聞いてパリサイ人たちがつまずいたのをご存じですか」と言った。 イエスは答えて言われた。 「わたしの天の父がお植えになったのでない植物はみな根こぎにされます。 彼らのことはほっておきなさい。彼らは盲目の案内人なのです。盲人が盲人を案内するなら、二人とも穴に落ち込むのです。」 ペテロはそれにこたえて言った。 「その例えをわたしたちに分かりやすくしてください。」 するとイエスは言われた。
「あなた方もまだ理解していないのですか。 口の中に入るものはみな腸に進んで行き、下水に排出されることに気づいていないのですか。
しかし、口から出るものは心から出て来るのであり、それが人を汚します。 たとえば、心から、邪悪な推論、殺人、姦淫、淫行、盗み、偽証、冒とくが出て来ます。これらは人を汚すものです。
しかし、洗ってない手で食事を取ることは人を汚しません」。 |

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