悪霊横丁de聖書乱読

沖縄在住、,仕事とお絵かきソフトがほしい,体重75キロ。

思わず独り言

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ようこそ、いらっしゃいませ。

半世紀生きてきたのかとわが身を振り返るに、「いいから、お前の人生など振り返らずとも、これからが勝負じゃないか。」との声がする。まだまだハナタレのワガママ未熟者です。死にたくないので生きていくのみです。できれば地球ごとデッカイスプーンで救ってください。ヨロシクね〜。

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賜物と祝福

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もしも私が作家にされるのなら、この世がどこに向かって進んでいるのかを見極める力のある読者に、「この作家は少し面白いよ。」と言われる書き手になりたい。これは、私の最大のうぬぼれ。なれるかどうかも分からないのに、まるでなれるかのように、なりたいと言うなんて。
そう、私はへそ曲がりなので、人が思うような優秀な生き方はできなかったのです。ただ、「この作家は、少し面白いよ。」と言ってもらえるような作品を、生み出せれば・・・
神からの賜物に気づいたら、親でも教師でも、それを伸ばしてくれる方は、神からの助け手です。神の祝福がありますように。

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マタイによる書 14章 サロメ

 ヘロデは,自分の兄弟フィリポの妻ヘロデアのことでヨハネを捕らえて縛り、獄に入れた。それはヨハネが、「あなたが彼女を有しているのは正しくない」と彼に言っていたためであった。

ヘロデは、彼を殺してしまいたいと思いながらも、群衆を恐れた。人々は彼を預言者とみなしていたからであった。

 ところが、ヘロデの誕生日が祝われていた時、ヘロデアの娘サロメがその席で踊りを見せてヘロデをたいそう喜ばせた。それで彼は、何でもサロメの求めるものを与えると誓って約束した。 そこでサロメは母の指図のもとに、「バプテストのヨハネの首を大皿に載せて、ここでわたしにお与えください」と言った。

  王は憂えたが、自分の誓い、および一緒に横になっている者たちの手前もあって,それを与えるようにと命令した。そして、獄の中でヨハネの首を切らせた。

 それから、彼の首は大皿に載せて運び込まれ、サロメに与えられた。彼女はそれを自分の母のところに持って行った。

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 昨日は岩盤浴で汗を流したので、足が軽かった。普段の生活でも杖を使うことは滅多にないのだけれど、外出先で調子が悪くなったり階段があったりすると困るので、折りたたんで持ち歩いているの。坂道でバランスを取ったり階段の上り下りなど、杖一本でとても楽にこなせるから。

イメージ 2 でも、事故か病気などで使い始めた方はともかく、加齢のために下半身が弱ってきた方は、杖を使うことを考えないみたい。 今の時代は100円均一のお店でも、売っているんですよ。転ばぬ先の杖というでしょう。もっと活用する人が増えたらいいな。

 足腰痛いのに我慢していることないですよ。世の中まだまだバリアフリーではないし、エレベーター完備でもないのですから。頑張る力になってくれますよ。
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マタイによる書 13章 


種まき人のたとえ

 イエスが大群衆に語られた。
「ご覧なさい、種まき人が種をまきに出かけました。彼がまいていると、幾つかの種は道路のわきに落ち、鳥が来てそれを食べてしまいました。
ほかの種は土のあまりない岩地に落ち、土が深くないのですぐに生え出ました。 しかし太陽が昇るとそれは焼かれ、根がないので枯れてしまいました。
また、ほかの種はいばらの間に落ち、いばらが伸びて来てそれをふさぎました。
 さらにほかの種はりっぱな土の上に落ちて実を生じるようになり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍[の実をならせました。 耳のある人は聴きなさい」。

 そこで弟子たちが寄って来て訪ねた。
「例えを使って彼らにお話しになるのはどうしてですか。」

 イエスは答えて言われた。
「わたしが例えを使って彼らに話すのはこのためです。すなわち、彼らは見ていてもむだに見、聞いていてもむだに聞き、その意味を悟ることもないからです。
イザヤの預言は彼らに成就しています。それはこう述べています。
『あなた方は聞くには聞くが、決してその意味を悟らず、見るには見るが、決して見えないであろう。この民の心は受け入れる力がなくなり、彼らは耳で聞いたが反応がなく、その目を閉じてしまったからである。これは、彼らが自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心でその意味を悟って立ち返り、わたしが彼らをいやす、ということが決してないためである』。
 しかし、あなた方の目は見るゆえに、またあなた方の耳は聞くゆえに幸いです。 あなた方に真実に言いますが、多くの預言者や義人たちは、あなた方が見ているものを見たいと願いながらそれを見ず、あなた方が聞いている事柄を聞きたいと願いながらそれを聞かなかったのです。

では,あなた方は種をまいた人の例えを聴きなさい。
人が王国の言葉を聞きながらその意味を悟らない場合、邪悪な者がやって来て、その心にまかれたものをさらって行きます。これが道路のわきにまかれたものです。
 岩地にまかれたもの、これはみ言葉を聞き、喜んですぐにそれを受け入れる人のことです。 けれども、自分に根がなく、一時は続きますが、み言葉のために患難や迫害が生じると、すぐにつまずいてしまいます。
 いばらの間にまかれたもの、これはみ言葉を聞きますが、この事物の体制の思い煩いや富の欺きの力がみ言葉をふさぐ人のことであり、その人は実らなくなります。
りっぱな土の上にまかれたもの、これはみ言葉を聞いて、その意味を悟る人のことです。その人はほんとうに実を結び、ある者は百倍、ある者は六十倍、ある者は三十倍を生み出すのです。」


雑草と小麦のたとえ

 イエスは彼らに別の例えを示してこう言われた。
「天の王国は自分の畑にりっぱな種をまいた人のようになりました。
しかし眠っている間にその人の敵がやって来て、小麦の間に雑草をまき足して去りました。葉が生え出て実を生み出すと、その際に雑草も現われました。

 それで、その家あるじの奴隷たちがやって来て言いました,『ご主人様、畑にはりっぱな種をおまきになったのではありませんでしたか。それなのに、どうしてそこに雑草が生えてくるのでしょうか。』

 彼は言いました。『敵である人がそれをしたのだ。』

 彼らは言いました。『では、わたしどもが行ってそれを集めることをお望みですか。』

彼は言いました。『いや。雑草を集めるさい、小麦も一緒に根こぎにすることがあってはいけない。収穫まで両方とも一緒に成長させておきなさい。収穫の季節になったら、わたしは刈り取る者たちに、まず雑草を集め、焼いてしまうためにそれを縛って束にし、それから、小麦をわたしの倉に集めることに掛かりなさい、と言おう』。」

 弟子たちは「畑の雑草の例えをわたしたちに説明してください」と言った。

 イエスは応じて言われた。
「りっぱな種をまく者は人の子です。畑は世界です。りっぱな種、それは王国の子たちです。それに対し、雑草は邪悪な者の子たちであり、それをまいた敵は悪魔です。収穫は事物の体制の終結であり、刈り取る者はみ使いたちです。

 それゆえ、雑草が集められて火で焼かれるのと同じように、事物の体制の終結のときにもそのようになります。
 人の子は自分の使いたちを遣わし、彼らは、すべてつまずきのもとになるものや不法を行なっている者を自分の王国から集め出し、それを火の燃える炉の中に投げ込みます。
 そこで彼らは泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう。その時、義人たちはその父の王国で太陽のように明るく輝くのです。耳のある人は聴きなさい。

 また、天の王国は、海に下ろされてあらゆる種類の魚を寄せ集める引き網のようです。 それがいっぱいになったとき、人々は浜辺にたぐり上げ、腰を下ろして、良いものを器に集め、ふさわしくないものは投げ捨てました。
事物の体制の終結のときにもそのようになるでしょう。み使いたちは出かけて行って、義人の中から邪悪な者をより分け、彼らを火の燃える炉にほうり込むのです。そこで彼らは泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう。」
イメージ 1行ってきました、生まれて初めてのカルチャーセンター。52歳でも学ぶことはムダじゃないと信じて。
 学ぶといえば、パソコン教室に通うつもりで授業料を払い、自転車事故事故で一度も通えなくなったことがあったんです。だからパソコンは独学の自己流メクラメッポウ派。独学=中国語。ちっとも話せません。独学流なんちゃって派ぐうたら組。 職業訓練所のはた織に通ったこともあったっけ。細かいことが苦手な不器用者という、私自身に対する新たな認識が生まれた訓練でした。

でも、カルチャーセンターでは落ちこぼれないようにしなくちゃね。
自己紹介すると聞いて緊張しましたが、前もってエホバに祈っていたので、なんとか無事にクリア・・・どころじゃなく、朗々と自己紹介できました。恐るべし、エホバのちから。

今さらながらに思うのは、パソコン教室以外のすべての場面で、何故エホバに祈って頑張らせてもらわなかったのか、ということ。無理ないんですけどね。もともとは神を知らない者でしたので。知らなければ祈ることもできないと聖書にも書かれているし。そりゃそうだ。
52歳からの学び。エホバに祈りつつ、祈りつつ。

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マタイによる書 12章

 イエスは言われた。
「『わたしは憐れみを望み、犠牲を[望ま]ない』ということの意味を理解していたなら、あなた方は罪科のない者たちを罪に定めたりはしなかったでしょう。人の子は安息日の主なのです」。



「このようなわけであなた方に言いますが、人はあらゆる種類の罪や冒とくを許されますが、霊に対する冒とくは許されません。たとえば、人の子に逆らう言葉を語るのがだれであっても、その者は許されるでしょう。しかし、聖霊に言い逆らうのがだれであっても、その者は許されないのです。この事物の体制においても、また来たるべき体制においてもです。

「あなた方は木をりっぱにしてその実もりっぱにするか、あるいは木を腐らせてその実も腐らせるかのいずれかにしなさい。木はその実によって知られるのです。
まむしらの子孫よ、あなた方は邪悪な者であるのに、どうして良い事柄を語れるでしょうか。心に満ちあふれているものの中から口は語るからです。善良な人は自分の良い宝の中から良いものを出し、邪悪な人は自分の邪悪な宝の中から邪悪なものを出します。 あなた方に言いますが、人が語るすべての無益なことば、それについて人は裁きの日に言い開きをすることになります。あなたは自分の言葉によって義と宣せられ、また自分の言葉によって有罪とされるのです。」

久々の集会参加

イメージ 1知っている顔が相変わらず輝いているのを見て、とっても嬉しかった。私が引っ越す前に交わっていたエホバの証人の、海の近くの王国会館に久々に参加した時のこと。集会参加は、2年ぶりくらいかも。
でもね、その会衆は成員の移動が激しくて、今や知り合いが3分の1くらいしかいませんでした。ということは、逆にどこに行っても私の知り合いがいるということになるかも。そしたら、世界的な家族という感覚を学べるかも。

集会参加は、聖書をまともに読むこともなくなっていた私にしては、すごい変化なの。ブログで聖書記事を扱うようになったために訪れた変化。私を陥れようとする集団ストーカーに負けないためにも、まず、聖書を読まなきゃね。

フィリポは並んで走り,彼が預言者イザヤ[の書]を声を出して読んでいるのを聞いて,こう言った。「あなたは自分の読んでいる事柄がほんとうに分かりますか」。彼は言った,「だれかが手引きしてくれなければ,いったいどうして[分かる]でしょうか」。使途8:30 ,31
これはイエスの使途フィリポが旅の途中で出会ったエチオピアの宦官(かんがん)とのやり取りです。宦官の答えは、エチオピアの女王に仕えていた偉い立場の人とは思えないほど、謙遜よね。

私も自分で読んで正しい理解を得るのは難しいので、やっぱり集会で学ぶ必要があるってことよね。

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マタイによる書 11章 

イエスのくびき


「天地の主なる父よ、わたしはあなたを公に賛美します。あなたはこれらのことを賢くて知能のたけた者たちから隠し、それをみどりごたちに啓示されたからです。
 そうです、父よ、このようにするのは、あなたのよみされるところとなったのです。 すべてのものは父によってわたしに渡されており、父をほかにすればだれも子を十分には知らず、また、子と子がすすんで啓示する者をほかにすれば、だれも父を十分には知りません。
 すべて、労苦し、荷を負っている人よ、わたしのところに来なさい。そうすれば、わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で、心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきは心地よく、わたしの荷は軽いのです。」

エホバの栄光

イメージ 1落ちこぼれの私、集会や伝道に出なくなって満2年と2ヶ月。
最近のある日のこと、聖書のたくさんの素晴らしいことばを忘れていることに気がついた。それでも、自分はもう伝道しないから・・・エホバの証人をやめるのだから・・・と言い訳をして集会に参加することに背を向けた。私は頑固で可愛くない。
しかし、ふと、自分がバプテスマを受けたのは何年前だっただろうかと考えて、ちょっぴり健忘症が入っているのか思い出せずに、携帯を手にする。懐かしい声は、私に聖書を教えてくれたエホバの証人の大好きな姉妹。姉妹と話しているうちに、私はなんと、自分のほうから『姉妹、新しい本で私と研究してみない?』と言ってしまったのだ。もう一度教えてくれと言ったつもり。


エホバ神は私を救うため。私も救われるため。

 
研究用の書籍を手にとって、予習のために目を通す。なんだかとても沢山の調整を迫られているという感想。国語の勉強のような学習ではなく、心に残る学習、生活に適応できる聖書研究になるようにと願う。


そして、私は自分が自分のために聖書研究を望んでいたのだと知った。



今日、研究再開の初日。行ってきました。困難だと思えた調整すべき点がいきなり二つも、簡単にクリアできそうだ。


エホバに栄光あれ。


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マタイによる書 10章

十二使徒の名前


十二使徒の名は次のとおりである。
ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ。
ゼベダイの子、ヤコブとその兄弟ヨハネ。
フィリポとバルトロマイ。
トマスと収税人マタイ。
アルパヨの子、ヤコブとタダイ。
カナナイ人シモンとユダ・イスカリオテである。
このユダは後にイエスを裏切った。



幾つかのイエスの励まし


話すべきことはその時あなた方に与えられるからです。
話すのは単にあなた方ではなく,あなた方の父の霊が,あなた方によって話すのです。


彼らを恐れてはなりません。
覆われているもので,覆いを外されないものはなく,知られないで終わる秘密はないからです。
わたしが闇の中で告げることを,光の中で言いなさい。また,ささやかれて聞くことを,屋上から宣べ伝えなさい。そして,体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れてはなりません。むしろ,魂も体も共にゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。


すずめ二羽はわずかな価の硬貨ひとつで売っているではありませんか。それでも,あなた方の父の知ることなくしては,その一羽も地面に落ちません。ところが,あなた方の頭の毛までがすべて数えられているのです。 それゆえ,恐れることはありません。あなた方はたくさんのすずめより価値があるのです。


人の前でわたしとの結びつきを告白する者はみな、わたしも天におられるわたしの父の前でその者との結びつきを告白します。しかし、だれでも人の前でわたしのことを否認する者は、わたしも天におられるわたしの父の前でその者のことを否認します。


あなた方を迎える者はわたしをも迎えるのであり、わたしを迎える者は、わたしを遣わした方をも迎えるのです。 預言者であるということで預言者を迎える者は預言者の報いを得、義人であるということで義人を迎える者は義人の報いを得るでしょう。そして、弟子であるということでこれら小さな者の一人にほんの一杯の冷たい飲み水を与える者がだれであっても、あなた方に真実に言いますが、その者は自分の報いを決して失わないでしょう。

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