昨日は岩盤浴で汗を流したので、足が軽かった。普段の生活でも杖を使うことは滅多にないのだけれど、外出先で調子が悪くなったり階段があったりすると困るので、折りたたんで持ち歩いているの。坂道でバランスを取ったり階段の上り下りなど、杖一本でとても楽にこなせるから。
でも、事故か病気などで使い始めた方はともかく、加齢のために下半身が弱ってきた方は、杖を使うことを考えないみたい。 今の時代は 100円均一のお店でも、売っているんですよ。 転ばぬ先の杖というでしょう。もっと活用する人が増えたらいいな。
足腰痛いのに我慢していることないですよ。世の中まだまだバリアフリーではないし、エレベーター完備でもないのですから。頑張る力になってくれますよ。
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マタイによる書 13章
種まき人のたとえ
イエスが大群衆に語られた。
「ご覧なさい、種まき人が種をまきに出かけました。彼がまいていると、幾つかの種は道路のわきに落ち、鳥が来てそれを食べてしまいました。
ほかの種は土のあまりない岩地に落ち、土が深くないのですぐに生え出ました。 しかし太陽が昇るとそれは焼かれ、根がないので枯れてしまいました。
また、ほかの種はいばらの間に落ち、いばらが伸びて来てそれをふさぎました。
さらにほかの種はりっぱな土の上に落ちて実を生じるようになり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍[の実をならせました。 耳のある人は聴きなさい」。
そこで弟子たちが寄って来て訪ねた。
「例えを使って彼らにお話しになるのはどうしてですか。」
イエスは答えて言われた。
「わたしが例えを使って彼らに話すのはこのためです。すなわち、彼らは見ていてもむだに見、聞いていてもむだに聞き、その意味を悟ることもないからです。
イザヤの預言は彼らに成就しています。それはこう述べています。
『あなた方は聞くには聞くが、決してその意味を悟らず、見るには見るが、決して見えないであろう。この民の心は受け入れる力がなくなり、彼らは耳で聞いたが反応がなく、その目を閉じてしまったからである。これは、彼らが自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心でその意味を悟って立ち返り、わたしが彼らをいやす、ということが決してないためである』。
しかし、あなた方の目は見るゆえに、またあなた方の耳は聞くゆえに幸いです。 あなた方に真実に言いますが、多くの預言者や義人たちは、あなた方が見ているものを見たいと願いながらそれを見ず、あなた方が聞いている事柄を聞きたいと願いながらそれを聞かなかったのです。
では,あなた方は種をまいた人の例えを聴きなさい。
人が王国の言葉を聞きながらその意味を悟らない場合、邪悪な者がやって来て、その心にまかれたものをさらって行きます。これが道路のわきにまかれたものです。
岩地にまかれたもの、これはみ言葉を聞き、喜んですぐにそれを受け入れる人のことです。 けれども、自分に根がなく、一時は続きますが、み言葉のために患難や迫害が生じると、すぐにつまずいてしまいます。
いばらの間にまかれたもの、これはみ言葉を聞きますが、この事物の体制の思い煩いや富の欺きの力がみ言葉をふさぐ人のことであり、その人は実らなくなります。
りっぱな土の上にまかれたもの、これはみ言葉を聞いて、その意味を悟る人のことです。その人はほんとうに実を結び、ある者は百倍、ある者は六十倍、ある者は三十倍を生み出すのです。」
雑草と小麦のたとえ
イエスは彼らに別の例えを示してこう言われた。
「天の王国は自分の畑にりっぱな種をまいた人のようになりました。
しかし眠っている間にその人の敵がやって来て、小麦の間に雑草をまき足して去りました。葉が生え出て実を生み出すと、その際に雑草も現われました。
それで、その家あるじの奴隷たちがやって来て言いました,『ご主人様、畑にはりっぱな種をおまきになったのではありませんでしたか。それなのに、どうしてそこに雑草が生えてくるのでしょうか。』
彼は言いました。『敵である人がそれをしたのだ。』
彼らは言いました。『では、わたしどもが行ってそれを集めることをお望みですか。』
彼は言いました。『いや。雑草を集めるさい、小麦も一緒に根こぎにすることがあってはいけない。収穫まで両方とも一緒に成長させておきなさい。収穫の季節になったら、わたしは刈り取る者たちに、まず雑草を集め、焼いてしまうためにそれを縛って束にし、それから、小麦をわたしの倉に集めることに掛かりなさい、と言おう』。」
弟子たちは「畑の雑草の例えをわたしたちに説明してください」と言った。
イエスは応じて言われた。
「りっぱな種をまく者は人の子です。畑は世界です。りっぱな種、それは王国の子たちです。それに対し、雑草は邪悪な者の子たちであり、それをまいた敵は悪魔です。収穫は事物の体制の終結であり、刈り取る者はみ使いたちです。
それゆえ、雑草が集められて火で焼かれるのと同じように、事物の体制の終結のときにもそのようになります。
人の子は自分の使いたちを遣わし、彼らは、すべてつまずきのもとになるものや不法を行なっている者を自分の王国から集め出し、それを火の燃える炉の中に投げ込みます。
そこで彼らは泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう。その時、義人たちはその父の王国で太陽のように明るく輝くのです。耳のある人は聴きなさい。
また、天の王国は、海に下ろされてあらゆる種類の魚を寄せ集める引き網のようです。 それがいっぱいになったとき、人々は浜辺にたぐり上げ、腰を下ろして、良いものを器に集め、ふさわしくないものは投げ捨てました。
事物の体制の終結のときにもそのようになるでしょう。み使いたちは出かけて行って、義人の中から邪悪な者をより分け、彼らを火の燃える炉にほうり込むのです。そこで彼らは泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう。」
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