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防衛庁は2007年度から、同庁の調査研究機関である防衛研究所(東京都目黒区)で、戦史の国際的な比較研究を強化する。 昭和戦争中に連合国を中心とする諸外国が作成した日本関連史料や、連合国が押収した旧日本軍史料のうち、歴史的価値の高い史料を積極的に収集し、国内史料と比較して、戦史研究を多角的に進める。
07年度は、研究所職員を米英露豪などに派遣し、各国の研究機関が保管する該当史料の実態調査に着手する方針だ。
防衛庁が戦史の比較研究に本腰を入れるのは、「戦史研究の世界では、国内外の史料を比較しながら史実を検証する手法が主流となりつつある」(防衛政策課)との判断からだ。
防衛研究所が引き継いでいた大本営の膨大な史料の整理・分類が、昨年度にようやく完了のメドがつき、立ち遅れが指摘されていた戦史の比較研究に重点を移せることになった。
(読売新聞) - 11月26日15時50分更新え〜っ? 今までやってなかったの? 明治の「日本海軍」はやっていたよ? 「日本海海戦」でバルチック艦隊を壊滅させ歴史的な大勝利を収めた東郷元帥も「自分は李瞬臣将軍には遠く及ばない」と言わせしめた人。 「李瞬臣」 彼は豊臣秀吉の「朝鮮征伐」?の時に日本に立ち向かった朝鮮海軍の指揮官。 この人を発見したのは「日本海軍」だったと聞いたか事があるけど? 今でこそ韓国の英雄だけど・・・。 当時は朝鮮国内の内紛で解任されたとか、投獄されたとかで朝鮮史からは消されていた? 「李瞬臣」は「亀甲船」(甲板が全身「やり」に覆われた亀の甲羅の様な船)を駆使して連戦連勝で豊臣軍は太刀打ち出来なかったとか? 当時の海戦は敵の船に体当たりして兵士が乗り移ったから「亀甲船」には出来なかったらしい・・・。 潮流も考え島影に隠れていたりして奇襲戦法も多かった様です。 「日本海海戦」に勝てたのも豊臣軍が散々に打ちのめされた、この時の戦法を徹底的に研究し参考にしたからではないの? 「大本営の膨大な史料の整理・分類」に60年近くもかかっちゃったの? 平行して出来なかったのかなぁ? 歴史上「大切なレア物」を探せるのは「自衛隊」の様な暇な組織じゃないと出来ないよ〜。 |
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昔は観戦士官制度が厳密に守られていましたからね。日露戦争くらいが最後かも。歴史的事実は一つですけど見方はそれぞれ・・・orz
2006/11/27(月) 午後 0:34 [ c1491jp ]
お早う御座います。あれほどの犠牲と被害を被った今度の戦争の、国外の資料を今から調査するとは、アメリカ等随分前から公開していたようだが・・・・外地に放ったらかしのままにしてある遺骨にも、手が廻らないのだから無理も無いか・・・。
2006/11/28(火) 午前 8:23
c1491jpさん。「歴史の真実」は難しい・・・。最近は事実を隠蔽する事や「ウソ」をでっち上げる事も有る様で、しっかり調べないと騙される?
2006/11/28(火) 午前 11:59
くにさん。やる気があれば出来たと思いますよ。費用だって公務員が組織ぐるみで裏金等で隠さなければ十分にあったはずですから・・・。
2006/11/28(火) 午後 0:06
「過去に学ばない者は愚か者の証」ですね、同じ間違いを繰り返しますものね!「彦」がお世話になりました。またお邪魔すると思います、宜しくお願い致します。「カミちゃん」より
2006/11/29(水) 午前 0:10 [ - ]
カミちゃんお帰りなさ〜い。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」。彦さんに宜しく〜。自分ではブログを立ち上げない様だから、たまには遊びに来るように言ってくださいね〜。
2006/11/29(水) 午前 8:49
李瞬臣は字が間違っています。「舜」が正しいのです。彼は秀吉軍の最初の侵略の時は海軍の最高司令官でした。その時の武功があまりにも多かったので、文系の大臣から嫉まれ追放されてしまうのです。秀吉軍の二度目の侵略の時は、一般市民としてゲリラを組織し、劣悪な条件の中で各種の奇襲戦法をを編み出したのです。ついには戦死するのですが、死ぬ間際にゲリラ軍の士気が下がるから戦士を公表するな、と息子に命じたそうです。
2006/12/29(金) 午前 6:28 [ j.s.leigh ]
二度目の侵略が終わった後、国王は彼の名誉を回復しました。彼は今、救国の一級の英雄です。
2006/12/29(金) 午前 6:34 [ j.s.leigh ]
ご指摘有難うございます。「瞬」と「舜」。双方の書き方が有り迷っている所でした・・・。
2006/12/29(金) 午前 10:34