この大火で千利休ら町衆が築いた町が壊滅したとされるが、江戸期の地層からはワインボトルなど多数の舶来品も見つかり、復興の様子がうかがえるとしている。
土蔵跡は、濠(ごう)で囲まれた町の東端から計7棟分(各9〜16平方メートル)が確認された。
豪商の倉庫とみられ、3階建てだった可能性もある。
また、地層(江戸期)からは、中国やベトナム製の陶器、オランダ製のワインボトルの破片なども出土。町の隅々まで蔵を構える裕福な人々が住んでいた実態が初めて裏付けられた。 大火で赤く変色した瓦も多数見つかり、豊臣方に逆らい、約2万軒が焼かれたすさまじさを伝えている。
同センターは「大火後、貿易から商業の街として復興し、大名クラスが試すワインを、闇で入手する豪商もいたのだろう」と分析。
現地説明会は、10日午後1〜3時に4回開催。
角山栄・堺市博物館長は「狭い土地に約10万人と莫大な富が集中する、世界屈指の都市だったと改めて確認された」としている。
南海高野線「堺東駅」から徒歩10分。
【大場弘行】 問い合わせは同センター(072・227・6001)。 最終更新:3月8日9時57分配信 毎日新聞 樫井の戦い 豊臣方は大野治房の一隊に暗峠を越えさせて、4月26日には筒井定慶の守る大和郡山城を落とし、付近の村々に放火。 28日には徳川方の兵站基地であった堺を焼き打ちする。 治房勢は、4月29日には一揆勢と協力しての紀州攻めを試みるが、先鋒の塙団右衛門、淡輪重政らが単独で浅野長晟勢と樫井の戦いを行い討死した。 その後、大野治長らは浅野勢と対峙しつつ5月6日まで堺攻防戦を行う。 この戦いの事かな? 「大坂冬の陣」の頃から戦場に「屋台商売」が出て売上が好調だったとか・・・。 昔の合戦は「関が原」や「川中島」等の野原でやったから農民は弁当持ちで見物していた? 合戦が終ると死体から武具を集めて、売っていたとか? 堺の町でも戦乱の後、素早く復興したような・・・。 現在の「世知辛い世の中」とは比べ物にならない、庶民のしたたかさを感じるな〜。 脳ミソや筋肉疲労には「ぶどう糖」が良いの?ブログで見たとコメントすれば2割引? http://www.plstore.co.jp/budoutou/ http://www.tekityuubaken.com/image/koukoku/animekoukoku1.gif 競馬を知らなくても万馬券をつかむ方法。無料予想配信中!! |
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発掘して新たにわかることも多いんですね…
2007/3/9(金) 午後 8:35
千利休らが暮らしていた街ですね♪この時代から大商人が政治に影響力を持ってきますね。
2007/3/10(土) 午後 9:21 [ pia*o2*67 ]
たかびごんさん。学校で学んだ歴史はどんどん変わっていますね・・・。
2007/3/11(日) 午前 8:37
ぴあのさん。金が権力を持ち始めた時代かな・・・?
2007/3/11(日) 午前 8:41