どうなっちゃうの?日本の将来

県から土地の寄附を強要されている。すでに占有されて竹島状態・・・。

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明治のマラソン

“超鉄人” 8時間で94.8キロ走破 観衆10万人が熱狂



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白熱した競走の様子を伝える写真(社史「『毎日』の3世紀」から)

 ◇伝説のランナー 鏡野の村瀬百蔵とは 
 北京五輪開幕まで1カ月半。
 数ある競技の中で“陸上の花”と言えば、やはりマラソンだろう。
  その長距離走で意外な発見をした。
  今をさかのぼること107年前の1901(明治34)年12月15日、大阪の堺大浜旧台場跡で毎日新聞の前身・大阪毎日新聞社(大毎)が、8時間かけて50マイル(80.46キロ)超を走破する「長距離健脚競走」を主催。
  苫田郡鏡野町大野村の桶屋、村瀬百蔵(当時26歳)が優勝した。
  10万人の観客を熱狂させたという“伝説のランナー”の消息を鏡野町に訪ねた。
  【檜山佑二】

 毎日新聞の社史「『毎日』の3世紀」によると、大毎主催の健脚競走には653人が出場を申し込み、健康診断で「競走に耐えうる」候補者34人を選抜、さらに抽選で出場者25人を決定したとあり、レースの過酷さが伝わってくる。
  村瀬百蔵は160センチ、62キロながら、肺活量は4600CCあったという。

 □「孫悟空もかくや」■
 当日の新聞記事によると、「今や、競走開始の8時は近づきぬ……」に始まり、競走は午後から佳境に入り、兵庫の小西と岡山の村瀬が集団を抜け出して優勝は2人の争いに。小西は約7時間後に50マイルを踏破、村瀬が1分遅れて続く。
  2人はその後も「余裕なお綽々(しゃくしゃく)としてますます速度を加えて競走を持続……」というから、まさに“鉄人”である。
 最後の20分間で「満身の死力を尽くし約半周を先き立ちたる小西を追い抜かんと」村瀬がスパート。
  「孫悟空が風を起こし、雲を飛ばして猪八戒を追いまくる光景もかくやとばかり思わしめる……」ような勢いで小西を抜き去って優勝した。「満場の喝さいは天地を揺るがすばかり」であった−−とある。
 百蔵は8時間で56マイル(94・8キロ)を完走。
 父親譲りの健脚家で「何時間歩いても疲れることがなく、岡山〜津山間25里(100キロ)を1日足らずで往復」し、競走には素足にわらじで臨んだという。

 ■本名は「藤田百太郎」□
 村瀬は鏡野町大野村出身。
 村は1952年に合併して鏡野町となったが、見当をつけて「村瀬姓」を探したところ、「それは村瀬ではなく、藤田のはずだ」と聞き、百蔵の甥(おい)にあたるという同町瀬戸在住の藤田睦夫さん(77)に話を聞くことができた。
 睦夫さんによると、村瀬百蔵の本名は藤田百太郎(明治8年生まれ)。
  村瀬の名については「廃藩置県の前、このあたりの戸長が村瀬だったので、(藤田家の遠縁で地元出身の小説家の)片岡鉄平が、ええころ加減に書いたのがそのまま呼び名になったようだ」と言うが、詳細はわからない。
 百太郎の父は広島県出身の徳次郎といい、明治5年に大野村に来て桶屋を営む藤田家の養子に入った。
 4男1女があり、百太郎は長男。
 睦夫さんは四男・房三郎の長男で、百太郎は伯父にあたる。

 □大酒飲み■
 睦夫さんは伯父をこう振り返る。
 「父の話では、百太郎は人力車の車夫で津山線終点の津山口から、できたばかりの恩原湖や鳥取県倉吉まで客を乗せて走った。トンネルも舗装もない人形峠の山道を通しで越えていた」ほどの健脚ぶりだったという。
 現在、百太郎に関するものは何も残っていないが、その生き様は破天荒だ。
「“朝1升、昼1升、夜1升”の計3升を毎日飲む大酒飲み。優勝した時は大評判で、遠くは神戸市の歯医者が、『優勝したら金の入れ歯を入れてやる』と言うて歯を入れてくれたほどだった」

 ■“鉄人伝説”の系譜□
「荷馬車5台分の優勝賞品を処分すれば、当時は田地が1町5反歩ほど買えた。兄弟は『土地を買うて家を建てえ』と言うたが、聞かずに飲んでしもうた。揚げ句に借銭を作り、朝鮮半島に夜逃げした。朝鮮で80いくつで死んだそうだが、墓だけはこちらに建てた」
 波乱万丈の生涯と言えそうだが、あるいは“鉄人”のDNAは縁者に引き継がれているかもしれない。
  睦夫さんは、「百太郎の長男一家が終戦後、鏡野に引き揚げてきたが、その中にはいなかった。長女の嫁ぎ先ではいろいろ大会に出たようだ」と話してくれた。
 それでは、と長女・いとさんの孫、比翼明正さん(74)=鏡野町瀬戸=に聞くと、「親父がマラソン、叔父が短距離走、わしが49年前に東京で行われた『勤労青年の集い・青年祭』の走り高跳びに、岡山県代表で出場したくらいかな」とか。
 直系の子孫は見つからなかったが、百太郎の血統を引く才能が、いずれ陸上界にすい星のように現れるのでは、とひそかに期待している。 

6月25日20時59分配信 毎日新聞





8時間で56マイル(94・8キロ)を完走。
10万人の観客を熱狂させた?

走り抜いた人は、勿論凄いけど〜。

それを見ていた人の方が凄いと思う。
しかも〜、10万人も・・・。


大リーグでは、決着が付くまで試合を続けるが〜〜〜。

最長試合時間

メジャーリーグでは、
ホワイトソックス 7 vs 6 ブリュワーズ(延長25回) 8時間6分 (1984.5.8〜5.9)

だけど〜、
アメリカンリーグは午前1時を過ぎて、新しいイニングに入らないので一時停止し、翌日試合の続きが行われた。

日本のプロ野球では、
最長試合時間の記録は、1992年9月11日の阪神対ヤクルトの6時間26分
(試合終了は翌日午前0時26分)。延長15回3-3の引き分け。

延長戦が12回までに制限されてからは、
2007年6月14日の北海道日本ハム対横浜の5時間53分
(試合終了は23時53分、延長12回の6-6で引き分け)が最長記録。
 試合は札幌ドームで行われたナイターであったが、試合途中で「終電がなくなります」という趣旨のアナウンスが流れた。

9回の試合では
2007年7月11日のソフトバンク−楽天13回戦(北九州)の5時間6分。

軟式野球では、
1983年9月20日天皇賜杯第38回全国軟式野球大会(茨城県)決勝戦、田中病院(宮崎県)‐ライト工業(東京都)で延長45回。試合時間は8時間19分。

高校硬式野球全国大会
1933年8月19日の夏の甲子園準決勝戦の中京商対明石中の延長25回。
試合時間は4時間55分。


8時間かけて50マイル(80.46キロ)超を走破する「長距離健脚競走」
簡単に言えば8時間で何キロ走れるかを競った競走でしょ?

最初から8時間かかるのは判っていて、ずっと見てたの?
最後に向けて観客が集まって来たのだと思うけど・・・。

・・・結果として、10万人の観客が熱狂して見たとしても凄い記録だと思うな〜。











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昔の日本人の方が耐久力はあったらしいですね。
名前はわすれましたが、明治期に日本に来た外人が籠かきの体力に驚嘆し、
「肉を食べさせれば、もっと走れるのでは?」
と試しにステーキを食べさせたところ、
「肉では力がでません。やはり雑穀を食べさせて下さい」と言ったそうです。
傑作

2008/6/26(木) 午後 10:03 tarismanaspect

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tar**mana*pectさん。
マラソンの世界大会などでは「パスタ」や「スパゲティー」の前夜祭があるとか・・・。
「炭水化物」はガソリン。「栄養素」はオイル。「たんぱく質」は本番後。
野球指導員講習では、こんな風に習いました。
レース前の食事は「炭水化物」。
レース後の体力回復には「たんぱく質」だそうです・・・。
だから昔の日本人の食生活は運動に適していた。
体力回復の「たんぱく質」は「大豆」(豆腐・納豆・味噌・醤油)から取っていた。
肉を食べずに耐久力があるのを不思議に思ったアメリカ人が「大豆」を持ち帰り、分析して驚いたとか。
諸外国では「日本食」が見直されていますが、日本では「西洋食」に変わろうとしています。
傑作感謝〜。

2008/6/27(金) 午前 3:00 w19*9t*ka


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