第二次世界大戦後のソ連(当時)によるシベリア抑留の体験者を対象にこのほど全国的なアンケートが実施され、抑留の過酷な実態や体験者の日露両政府への不信感が浮き彫りになった。 体験者の推定平均年齢は87歳と高く、調査は事実上今回が最後となる。 調査したのは、全国抑留者補償協議会(全抑協)など六つの抑留体験者らの団体が構成する「シベリア立法推進会議」。 今年4月以降、約1500人にアンケート用紙を送ったところ、中国や台湾、韓国などからも回答が寄せられ、予想を大きく上回る231人の「声」が集まった。 そこには「戦友が死亡した時、穴を掘ってその中に入れた」「作業監督がむちを振りながら督促、過労のため多数の方が死亡し、地獄の世であった」などと、むごたらしい抑留生活が記されていた。 「日本政府にどんな気持ちを持つか」との質問には 「60何年見捨てられた」 「真面目(まじめ)に第二次大戦の後始末をする気持ちがあるのか」といった回答が見られた。 「人権、人道を持ち合わせていない」 「嘘(うそ)でかためた国」などと、ロシアに不信感をうかがわせる回答も目立った。 体験者は未払い賃金の支払いや謝罪を日本政府に求めてきたが、1956年の日ソ共同宣言で両国が賠償請求権を放棄したため政府は拒否し続けている。 アンケート結果は「ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会」の会報で、7月下旬に発行予定の「オーロラ」に掲載する。 問い合わせは推進会議世話人の有光健さん(03・3237・0217)へ。 【栗原俊雄】 ノンフィクション作家・保阪正康さんの話 帰国から半世紀以上たった今も体験者が苦しんでいることが分かる。 今後これだけの規模の調査を行うことは恐らく不可能で、貴重な資料だ。 ◇シベリア抑留 1945年8月、旧ソ連が旧満州(現中国東北部)などにいた日本兵ら約60万人を旧ソ連やモンゴルなどの収容所に連行し、最長11年間抑留した。 飢えと寒さ、重労働のため6万人が亡くなったとされる。 体験者で現在生存しているのは推定9万人。 6月29日13時25分配信 毎日新聞 終戦後、満州では停戦会談によって在留民間人保護について、一応の成立を見たがソ連軍はその通りにしなかった。 日本軍の崩壊した後の民間人は何の保護も得られず多くの被害が出た。 関東軍首脳を手始めに日本軍将兵、在満州民間人・満蒙開拓移民団の男性が続々とハバロフスクに集められた。 ソ連は捕虜を1000名程度の作業大隊に編成した後、貨車に詰め込んだ。 行き先は告げられなかったが、日没の方向から西へ向かっていることが分かり、絶望したことが伝えられる。 抑留された捕虜の総数は、作業大隊が570あったため、当初は57万名が連行されたと考えられたが、65万人というのが定説である。 一説には200万人以上とも言われる。 ソ連と親しい関係にあった「社会党」の国会議員による視察団が収容所を視察した。 視察はすべてソ連側が準備したもので「ソ連は抑留者を人道的に扱っている」と宣伝するためのもの。 抑留者の生活の様子を視察し、ともに食事を取った戸叶里子衆議院議員は思わず「こんな不味いものを食べているのですか」と漏らしたという。 「社会党視察団」は、過酷な状況で強制労働をさせられていた日本人抑留者から託された手紙を握りつぶし、帰国後「とても良い環境で労働しており、食料も行き渡っている」と国会で嘘の説明を行った。 抑留者の帰国後、虚偽の発言であったことが発覚した。 1945年7月1日、瀬島龍三は関東軍参謀として赴任した。 同年8月15日、日本軍降伏。 同年9月5日、関東軍司令官の山田乙三や秦総参謀長らとともに捕虜となった。 しかしソ連との停戦交渉時、瀬島が同行した日本側とソ連側との間で捕虜抑留についての密約 (日本側が捕虜の抑留と使役を自ら申し出た)が結ばれたとの疑惑が・・・。 「斎藤六郎」(全国抑留者補償協議会会長)、保阪正康らにより主張されている。 ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコは、 「シベリア抑留中の瀬島龍三が日本人抑留者を前にして『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と拳を突き上げながら絶叫していた」 と証言。 「瀬島氏はソ連のスパイではないのか」との問いに「それはトップシークレット」と回答している。 昭和天皇は「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵たちを咎めるわけにはいかない。しかし許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし戦争責任の回避を行っている者である。瀬島のような者がそれだ」と発言した。
参考資料 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 これを読むと戦前戦後に渡って日本と日本人を食い物して成長した「瀬島龍三」が少しは判るかも〜。 |
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w19*9t*ka さん,今日は。
私の親戚もシベリア抑留の目に遭っています。
あの国はどうして、あんなに欺瞞が大手を振って通用するのでしょうか?
民族自体がそうなのだろうか?
文学やロシア民謡は大好きなのだが。
2009/6/30(火) 午前 10:17
sw5491さん。
死んだ親父から「戦争の話」を聞くのを忘れた。
学校で教えられた内容と親父の体験談が違っていた。
親父の話に反発していたから、もう話をしたく無くなったのかも・・・。
自分で歴史を学ぶようになって、学校の歴史教育はウソだと言うのが判った。
特に「戦前・戦中・戦後史」はひどい。
今では、親父の話をもっと聞いておけば良かったと後悔しています・・・。
宜しければ、体験談をお聞かせください。
2009/7/1(水) 午前 2:35
自虐的に嘘で固めた歴史。真実を知る機会を奪うのは大いなる犯罪で有ります。
2009/7/4(土) 午後 4:11 [ 琵琶湖研究室 ]
環境的「琵琶湖研究室」さん。
学校で幕末以降は簡単にしか教えない。
「立派な人」は動乱期に死んでいる。
明治、戦後と「仲間を食った」人間が過去を捏造し「綺麗ごと」で生きた来た。
「沈黙のファイル」を読むと良く判る・・・。
2009/7/5(日) 午前 3:44
大阪読売新聞7月4日(土)夕刊3版の10ページ、野口芳宏先生の国語教室、今週の問題、文章が始まります。いきなり
「私が生まれた頃は、日本が領土欲しさから中国に攻め込んで、その戦争が、だんだん大きくなっていました。」と始まります。
内容は戦争に従軍した兵士が中国で凧あげをした話なのです。無理やり戦争の話を持ち出して国語の抽象的な表現と具体的な表現を組み合わせて読みとることが「狙い」だそうです。原作は長崎源之助「父ちゃんの凧」、「小学校国語五年下」学校図書とありました。5年生から頭の中に戦争の話をすり込むのが現在の教育現場であり、マスコミの意識なのですね。
2009/7/5(日) 午後 0:02 [ 琵琶湖研究室 ]
環境的「琵琶湖研究室」さん。
大阪読売新聞は読んでいませんが、役人や教師は歴史を知りません。
その職業に就く為に無用の知識だからです。
自ら学ぶ事をしない人達ですから・・・。
ましてや「第2次文化大革命(戦後民主主義)」は戦勝国の歴史観を受け入れ、余計な事は学ばないのが自分の為なのです。
「沈黙のファイル」そのままの人達です・・・。
2009/7/6(月) 午前 1:46