訃報 大沢啓二さん78歳=元日ハム監督、「親分」の愛称
プロ野球・南海ホークス(現ソフトバンク)や東京オリオンズ(現千葉ロッテ)で活躍し、引退後は日本ハムファイターズなどで監督を務めて「親分」の愛称で親しまれた大沢啓二(おおさわ・けいじ)さんが7日午前7時25分、胆のうがんのため東京都内の病院で亡くなった。
78歳だった。
葬儀は14日正午、東京都港区芝公園4の7の35の増上寺。
葬儀委員長は黒江透修・全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)理事長。
喪主は長男康人(やすと)さん。
神奈川県藤沢市出身。
神奈川商工高から立教大に進学して長嶋茂雄・元巨人監督らとともにプレーし、1956年に南海に入団。
強肩の外野手として活躍し、59年に巨人、64年には阪神との日本シリーズで日本一を経験した。 65年に東京に移籍し、この年限りで現役を引退。
実働10年間の通算成績は出場988試合、501安打、打率2割4分1厘、17本塁打、191打点。
引退後はロッテで監督やコーチを歴任し、76年から9年間、日本ハムの監督を務めた。
81年には球団創設以来、初のパ・リーグ優勝に導いた。
86年に球団常務としてフロント入りしたが、93年に再度、監督に就き、2年間、采配(さいはい)を振った。
監督としての通算成績は1547試合で725勝723敗99分け、リーグ優勝1回。
監督退任後は、解説者や全国野球振興会理事長として野球の普及、発展に尽力。
TBSの番組「サンデーモーニング」にも出演し、「べらんめえ口調」で人気を得たが、TBSによると、9月19日まで出演。
10月3日の放送では司会の関口宏さんが「体調がすぐれず、番組を楽しみにしてくれた方に申し訳ない。(前身が出身チーム・南海である)ソフトバンクのパ・リーグ優勝はあっぱれ。今後に期待したい」などとする本人の手紙を紹介した。
また、タレントの大沢あかねさんは孫で、お笑い芸人の劇団ひとりさんとの間にひ孫となる女児が9月8日に生まれたばかりだった。
最終更新:10月7日(木)19時47分 毎日新聞
「レフトゴロ」の記録保持者だと記憶していた。
ヒットの際に、ボールを取ってからエラーをしたように後ろに走り、二塁で封殺するトリックプレーをやったとも聞いている。
外野手として、打者によって守備位置を変える「頭脳プレーヤー」だった様だ。
1959年の日本シリーズは「セリーグ巨人」と「パリーグ南海」の遺恨試合。
南海は立教大学の「長嶋・杉浦」の両選手獲得のため大沢親分を通じて2人に当時の大学初任給をはるかに超える額を栄養費として渡していた。
杉浦は約束通り南海へと入団したが、長嶋は巨人に入団してしまったから・・・。
現在だったら、2人共プロになれなかったね。
杉浦の4連投、4連勝したシリーズだ。
巨人のエース藤田も第2戦から3連投だったと思う。
申し訳ないが南海捕手の「野村」は知っていたが、大沢親分が活躍したのは記憶に無かった。
巨人は前年も「神様、仏様、稲尾様」と言われた西鉄(現・西武)に3連勝し4連敗している。
この時も、後の名監督「仰木(二塁手)」の存在を知らなかった。
その「稲尾和久」を尊敬して居たのが、
「権藤、権藤、雨、権藤」と言われ、中日で35勝の新人最多勝日本プロ野球記録の「権藤博」
投手の完投や連投は当たり前の時代。
当時は感動したけど、今考えたら「恐ろしい時代」だった。
この時の西鉄監督「三原脩」がセリーグのお荷物球団「大洋」(現・横浜)の監督になって、
翌年巨人を抑えリーグ制覇をし、日本シリーズで大毎に4連勝している。
ちなみに権藤も1998年に横浜監督に就任し38年ぶりのリーグ優勝、日本一に導いた。
2回も優勝シーンを見たから、3度目は生きている内には、もう見られないだろう・・・。
その又前年、西鉄が対巨人に引き分けを挟んで4連勝。
この時も「水原」の復帰によって巨人を追い出された「三原」の遺恨試合だった。
その「水原」も、後に「川上」が監督になり、巨人を追い出された。
巨人を追われた「水原」は、万年Bクラスの東映(現・日本ハム)の監督になり日本一になっている。
当時のプロ野球ファンには堪らない時代だった。
野球ファンが急増したらしい。
かく言う、オラもその一人だが・・・。
親分の高校時代
全国高等学校野球選手権神奈川大会の試合で球審の判定に不服を覚えていた。
試合終了後、球場のトイレで偶然その審判と遭遇し、他の選手1名とともに蹴りつけてしまう。
この結果、大沢の出身校「神奈川商工高」は1年間の出場停止処分を受けた。
ところが、この審判が立教大学野球部関係者で、
「君のような野球がうまくて元気のある選手が立教大学には必要なんだ」とスカウトした。
縁は異な物で野球部推薦で立教大学へ進学。
人生なんて判らない物です・・・。
オラに取っては親父亡き後、子供時代に見ていたプロ野球の生き証人だった。
もっと、色々な話を聞きたかったなぁ・・・。
ご冥福を祈ります。
|
学生時代、当時日ハムの監督をしていた大沢親分が過去の罪ほろぼしだと
公演にきてくれたときに壇上でいきなり 歩のない将棋は〜♪と唄いだし選手が頑張ってくれるから云々の話をしてくれたのを思いだします
小柄なんだけど凄いオーラが滲みでてたっけ
大先輩、大沢親分のご冥福をお祈りします
2010/10/9(土) 午後 0:03
ネオンさん。
お久振り〜。
逃亡生活が長くてすいませんでした。
大沢親分は「野球をやっていなかったら、ヤクザの親分になっていたかも」と言っていた。
若い頃は、口より先に手が出るタイプ。
高校野球の審判が居なかったら、違う人生だったかも・・・。
外野の前に飛んだ時、打者は油断した走塁をする。
だから、子供達にも1塁に投げさせた。
ライトゴロは何処のチームでも有ったが、ここぞと言う場面でセンターゴロが何回か取れた。
流石にレフトゴロは取れなかったが・・・。
レフトゴロは簡単には達成できない「偉大な記録」だと思います。
2010/10/10(日) 午前 2:37