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米朝 『江戸荒物』 米朝師匠からは、上方の文化や歴史を教えて貰った。 師匠の「江戸弁」は似合わないが、話が面白いから「よし」としよう。 3代目 桂米朝 入門当時滅びかけていた上方落語の復興に尽力し、6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝、3代目桂春団治と共に、昭和以降の「上方落語の四天王」と呼ばれる。 地方においては昭和40年代(1965年 - 1974年)であってもなお、落語に対する理解は低く、米朝が高座に上がって落語を始めても、客からは「何を一人で喋ってるんだ? 遊んでないで早く落語を始めろ!」と野次が飛んでくる有様だった。 地方ではテレビの『笑点』でやっている大喜利が落語であると、その程度の認識であり、その苦労は並大抵のものではなかった。 オラも「関東の落語、関西の漫才」と言われて育った。 事実、昭和の時代に「花月」に通った事があるが、出し物は漫才と歌と演劇コントだった。 「新花月」では若手漫才師に「面白くねえぞー」の野次が飛んでいた。 芸人は土下座し、客同志がケンカに成っていた。 師匠の功績は大きいが〜〜〜、 落語家で江戸弁の事なら、この人。 長短の枕だが、関東人のオラでも勘違いしていた事が多い。 桂文治 (10代目) 1979年、桂派宗家。 1996年、芸術選奨文部大臣賞受賞。 1999年9月、4代目桂米丸の後任で落語芸術協会会長就任。 正調の江戸弁を大切にしていた噺家。 2004年1月急性白血病に倒れ、同月31日芸協会長の任期満了日に死去。 80歳没。 文治没後の会長職は、既に翌日の昇格が内定していた副会長の桂歌丸が就任した。 「『こたけむかいはら』(小竹向原)というのは間違っている、江戸言葉では『向こう』というのが正しいから、正確には『こたけむこうはら』なんだ」 「やじうま(野次馬)」ではなく「やじんま」 「何を言やがるんでえ」ではなく「何をいやんでぇ」 「やかましいやい」ではなく「うるせいやい」 「ありがとうございました」では縁が切れるから「ありがとうございます」や「ありがとう存じます」 付録 二人の亭号は「桂」 昔は、同門だったようです。 3代目以降、東西に分裂し「桂文治」の名は東西に3代目・4代目があったらしい。 「桂」の亭号の由来に関しては、初代文治が大阪市北区にある佳木山(「桂木山」とあるのは誤り)太融寺の檀家であったことから、寺の山号から連想して名付けたのだという。 (大阪市西成区天下茶屋にある石碑「桂塚」の碑文の説。『落語系圖』p63に翻刻あり。) 一方、『落語系圖』p65所載の説によれば、初代文治の先祖が「桂中納言左近」という人であったため「桂」を名乗ったとあるが、詳しいことは不明。 参考文献『ウィキペディア(Wikipedia)』 おまけ 文治 長短 流れるような江戸弁なら、今は亡きこの人。 古今亭志ん朝 「水屋の富」 江戸時代の水屋と水売りの違がいを知った話です。 本所・深川は「忠臣蔵」の時代に「江戸」に成った所。 枕だけで、江戸時代の庶民文化が判る。 「東の志ん朝、西の枝雀」と言われた時代に、枝雀も「水屋の富」を演じていたが、関西の人に水屋が理解できたのだろうか・・・。 ,
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子供の頃から『ひねるとジャー』などと言っている人たちには、決して水屋なんて理解できないでしょうね(笑)
こちらも地下水と流水は硬水、天水だけが軟水。
水商売、まだ田舎に行くとありますよ。
2011/11/8(火) 午後 9:22
ベトナムオフロードさん。
日本人は「水と空気」は只だと思っている。
ドロ水生活を強いられている国は多いのにね。
2011/11/9(水) 午前 2:58