落語家の立川談志さんが死去落語家の立川談志(たてかわ・だんし、本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが死去したことが23日、分かった。75歳だった。 東京都出身。昭和27年、五代目柳家小さんに入門。 早くから才気を表し、先輩からは“天狗(てんぐ)″と非難されたものの、38年に真打ちとなり、五代目立川談志となる。 以後、日本テレビ系番組「笑点」の大切りの仕切り役なども務め、毀誉褒貶(きよほうへん)はあったが、江戸っ子風の威勢のよさと、歯にきぬ着せぬ毒舌でトップクラスの人気落語家になった。 社会的発言を好み、46年には参議院選挙に出馬して当選。 三木武夫内閣で沖縄開発政務次官に就任したが、問題発言によりわずか36日で辞任した。 1期6年の議員活動の後に本業に戻ったが、58年には師の小さんと対立して落語協会を脱会、立川流を創設して家元となるなど、落語界の異端児の健在ぶりを示した。 平成9年に食道がんを告白。 近年は持病の糖尿病などの悪化で療養を続けていた。 著書に「現代落語論」「立川談志独り会」など。 産経新聞 11月23日(水)15時57分配信 立川談志 短命 普通、落語のマクラは「落ち」の伏線(理解してもらうヒント)になっているのだが・・・。 談志師匠のは本題に入る、自分のタイミングの為に有ったのか? 走り幅跳びの助走だな。 最もマクラ(助走)の方が面白い時の方が多かった・・・。 本人は話の出来に、納得がいかなかったのかぁ〜〜〜? 見ている方はそうは思わなかったけど。 好きな落語家が、減っていくなぁ・・・。 知らない昔の映画や歌謡曲の話を、もっと聞きたかったなぁ。 ご冥福をお祈りいたします。 付録 『言いたい放だい2008大晦日スペシャル』2008年12月31日放送 日本国憲法。この哀れな代物 http://blogs.yahoo.co.jp/w1919taka/54312224.html 1962年 - 入門が5年も遅い古今亭志ん朝が、「36人抜き」で小ゑんより先に真打になり、生涯最大の屈辱を味わう。
1978年 - 6代目三遊亭圓生ら三遊派が落語協会脱退。 落語協会分裂騒動となる。 この脱退については諸説あり、落語史としても今なお、不透明の部分の多い歴史でもある。 談志と5代目圓楽を黒幕とする説が多い(5代目圓楽は著書で新協会設立の話を圓生に持ちかけたのは談志であると述べている。また、志ん朝の香盤を下げるために仕組んだとする見方もある)。 しかし、反響の大きさに慌てている談志の姿も目撃されてもいる。 また、参加しないと思われていた志ん朝が参加してしまったため、慌てて参加を取りやめたとも言われる。 川柳川柳の著書によると、談志は脱退した三遊派で構成される『三遊協会』の次期会長は自分だと思い込んでおり、圓生に確認したところ、「次は志ん朝だ」と答えられたため、思惑が外れて計画から手を退いたとある。 金原亭伯楽の著書にも同内容のことが書かれている。 2011年11月21日14時24分、家族に看取られて死去。死因は喉頭癌。75歳没。 談志の死去の報は、一門の弟子たちを含む落語界・芸能界・知人の誰にも伝えなかった。 家族のみで通夜・告別式(密葬)を挙行。 2日の間、死を誰からも隠し通した。 2日後、事務所(談志役場=息子慎太郎の会社)が死の事実をプレス・リリースしたが、その際も弟子たちに知らせなかった。 弟子たちは、死の2日後に、テレビニュース等で談志の死を知ることとなる。 1966年5月15日の放送開始から1969年11月2日まで日本テレビの演芸番組『笑点』の司会を務めているが、後年「笑点ってのはよう、アタシが作った傑作なんだよ」と語っている通り、笑点は談志が自ら企画して実現したものである。 「源平盛衰記」 立て板に水の時代。 この頃が絶頂期だったかな? 初めて聞いた時、歴史が嫌いだったけど面白いんだと思った〜。 談志陳平の言いたい放だい 2008年8月2日放送 (政権交代予想・テレビ局の実態・北京五輪) 、
|
全体表示
[ リスト ]




テレビなんかは談志の事を異端児だのなんだの言ってるけど
古典を演ってる途中に志ん生は圓生は文楽はって注釈がはいるだけでスタイルが新作みたいなものだっただけだとおもうけど
とにもかくにも四天王と呼ばれたなかで残っているのは圓蔵師匠だけになりましたね(柳朝が早死にしてその後の四天王ですが)
今回一番ショックは圓蔵師匠なのかも
2011/11/24(木) 午前 7:30
桂枝雀さんと同じぐらい好きな落語家でした。
ご冥福をお祈りします。
昨日公表された中国海軍の大規模演習計画、日本では伝えられていないんですね。
『中国海軍の艦隊が、11月下旬、西太平洋海域で軍事訓練を行う。オバマ大統領がアジア太平洋地域での軍事配備の増強を公表した矢先のことで、中国側の動向に諸外国の関心が高まっている。
23日に中国国防部の公式サイト上で、今回の軍事訓練の情報が公開された。』
2011/11/25(金) 午前 10:14
私個人的には立川談志は好きではなかったです
2011/11/25(金) 午後 7:37
僕も大好きな落語家でした。
落語家というだけでなく人間としても魅力的だったな…残念。合掌。
2011/11/26(土) 午前 1:41
ネオンさん、
「源平盛衰記」の中で、古典落語を話しても「名称」が判らない観客をどうするか悩んでいたみたい。
現代版のマクラを振ると、その方が受けて肝心の「本題」は付け足しに成っちゃうと・・・。
2011/11/26(土) 午後 3:38
ベトナムオフロードさん。
東の志ん朝・西の枝雀と言われていたのに早く亡くなられてしまった。古典落語は消えて行く運命なのかも知れません。
中国軍の動きは、ほとんど報道されません。
日本の「増すゴミ」は終わっているのかも・・・。
2011/11/26(土) 午後 3:51
さぶさん。
談志師匠は異端児だった。
落語家仲間でも評価はまちまち。
弟子の評価「人格は最低だが芸は最高」が当たっているかも・・・。
2011/11/26(土) 午後 3:57
風祭竜二さん。
談志師匠の発想は飛んでた。
だから敵も多く、大阪では日本刀で頭を切られている。
自分と大衆との隔たりに悩み、独演会では客とのケンカも多かったようです。
2011/11/26(土) 午後 4:08