どうなっちゃうの?日本の将来

県から土地の寄附を強要されている。すでに占有されて竹島状態・・・。

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故談志師匠の話です〜〜〜




落語は上方からやってきた〜〜

故立川談志師匠は「上方落語」を評価していなかった事が判る。

若手の頃、志ん朝と仕事で来阪した際に、空き時間にたまたま6代目笑福亭松鶴の「らくだ」を聞いて、2人とも打ちのめされるほど感動し評価を一変させた。
5代目桂文枝を好きな上方噺家の1人として挙げている。


志ん朝師匠は立川談志師匠の後輩。
しかし、真打に昇進したのは「志ん朝師匠」の方が先だった。
ここで2人の天才に、ひと騒動有るのだが話は別の機会に・・・


志ん朝師匠と談志師匠が「打ちのめされるほど感動した」と言う「六代目 笑福亭松鶴師匠」の「らくだ」



動画までのあらすじ
町内の嫌われ者「らくだ」がフグを食べて死んでいる。
そこへ尋ねてきた「兄貴分」が発見し、葬式を出してやろうと思うが金が無い。
通り掛かった「屑屋」を捕まえて、家財道具を売り払おうとするが金目の物は無い。
そこで「屑屋」に町内からの「香典集め」、大家へ「酒と肴」の要求、八百屋へ「棺桶代わりの漬物樽借り」とパシリをさせられる。
もし断られたら「死骸のやり場に困っております。ここへ背負ってきますから、どうか面倒を見てやってください。ついでに『かんかんのう』を踊らせてご覧にいれます」


今まで、パシリで動き回っていた「屑屋」に「兄貴分」が大家から届いた酒を飲ませる場面







「らくだ」は、全て演じると1時間近くなる。
この後にも、埋葬するまでの話があるのだが・・・。

3代目桂米朝も「らくだ」を演じているが、松鶴存命中はあえて演じなかったらしい。


蛇足・「らくだ」と言うあだ名に付いて
1821年(文政四年)両国に見世物としてラクダがやってきた。
砂漠でその本領を発揮するラクダだが、それを知らない江戸っ子達は、その大きな図体を見て「何の役に立つんだ?」と思ったらしい。
そこで、図体の大きな人や、のそのそした奴をラクダになぞらえて表現したことが下敷きになっている。



わたしの自叙伝







呂律が回らない語り口だが、脳溢血を患った後遺症だとか・・・



6代目笑福亭松鶴
1918年8月17日 - 1986年9月5日
父は同じく落語家5代目笑福亭松鶴。
母は落語家6代目林家正楽の養女。
息子は同じく落語家5代目笑福亭枝鶴(後に廃業)。
上方落語の復興を果たす。米朝、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)、3代目桂春団治とで『上方落語界の四天王』と讃えられた。
豪放な芸風と晩年の呂律が回らない語り口(1974年頃に脳溢血を患った後遺症による)が知られているが、若い頃はまさに立て板に水というところで、テンポよく迫力のある語り、酔態や子供の表現の上手さで人気を得た。



エピソード
桂春団治と新世界の飲み屋で、それぞれの弟子を連れて飲んでいた時の事。
近くの席でヤクザが女に因縁をつけているのを見つけた松鶴は、春団治にアイコンタクトを取りつつ「三代目」と代数で呼びかけた。
状況を察した春団治も松鶴を「六代目」と呼び、弟子たちも師匠を「おやっさん」と呼ぶなどしてしばらく会話しているうちに、件のヤクザは席を立っていた(『六世笑福亭松鶴はなし』春団治の回顧)。

東京の落語家とも親交を持ち、東京でも「六代目」と呼ばれた。
特に5代目柳家小さんと三笑亭夢楽とは同じ世代でもあり無二の親友であった。
松鶴自身東京の若手をもよく可愛がり、7代目立川談志と3代目古今亭志ん朝は松鶴に心酔した。
弟子の鶴光が東京の落語芸術協会にも加入した時、周りの芸人たちが「六代目の師匠にはかわいがってもらいましたから」と手厚く扱ってくれ、改めて師匠の偉大さに気付いた。
また、2代目快楽亭ブラックも短期間ではあるが、松鶴に世話になった事がある。

弟子には「笑福亭仁鶴」「笑福亭鶴光」(落語芸術協会)「笑福亭鶴瓶」





付録
桂小文枝の「天王寺参り」





5代目桂 文枝
桂小文枝が1992年には5代目桂文枝を襲名する。
1930年4月12日 - 2005年3月12日

弟子には「桂三枝」(2012年7月に「6代桂文枝」を襲名予定)「桂きん枝」「桂文珍」


こうしてみると、現在の「上方落語」の原点が判る。

『上方落語界の四天王』がいかに日本の落語(関東落語)界に影響を与えたか〜〜〜










おまけ
「手紙無筆」と笑福亭松鶴師匠が入門しようとした役者「曾我廼家五郎」の暑中見舞い




小米朝の決意
2008年10月に『桂米團治』襲名を控えた「桂小米朝の特番」



南光の話が良い。
「こぶ平が正蔵になれたのですから」
名言なのかも知れない。

野球では「新城が大リーガーになれたのだから」が、日本の球児に夢を与えたし・・・。





人間国宝の「桂米朝」も自分の子供に「師匠の名跡」を継がせたのか・・・。
























閉じる コメント(2)

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「こぶ平でも正蔵になれたのですから」たしかに名言でしょうね
うちの小米朝はこぶ平なんぞとはまるっきり違いますよとのことだと思っています

ただ吉朝が存命ならば米團治を継いでいた筈 そうなると小米朝が米朝を継いでいくことになっていたかもしれませんね

2012/1/4(水) 午前 10:17 ネオン

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ネオンさん。
吉朝は惜しまれますね。
米朝の異色の弟子達の中では、伝統芸を受け継ぎ一番師匠に近い存在だった。

2012/1/5(木) 午前 6:00 w19*9t*ka


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