オートレース界のプリンセス、坂井宏朱(ひろみ)選手が15日午後、所属の千葉・船橋オートレース場でレース終了後の夕方練習中にフェンスに激突、頭蓋骨骨折で死亡した。 27歳の若さだった。 OLから転身し44年ぶりの女子オート選手として話題となったが、デビューからわずか6カ月で帰らぬ人となった。 オート界に衝撃が走った。 この日、船橋オートは何事もなく開催を終了したが、約3000人のファンが家路についた後に悲劇は訪れた。 事故が起きたのはゴール線から数十メートルの1コーナー付近。 最終レース後の午後4時過ぎ、何台ものマシンが夕方練習に出ている中で起きた。 後ろで走っていた鈴木一馬選手の話によると、坂井選手はゴール線過ぎから体勢を崩し、1コーナーで単独落車。 先に体だけフェンスに当たり、その体が跳ね返った時に、自らのマシンと激突した。 事故直後から意識はなく、付き添った選手によると全身打撲と頭蓋骨骨折で耳、鼻から出血、腹部も膨らんでいた状態だったという。 すぐに救護室に運ばれるや、意識のない坂井選手に、師匠の永井大介、指導員補助の池田政和らが「坂井! 戻って来い! 聞こえるか! 戻って来い!」と、永遠に続けるかのように何度も何度も呼びかけ、心臓マッサージなども施されたが、手当のかいなく5時13分、ドクターから死亡が確認され、帰らぬ人となった。 救護室前では、養成所で苦楽を共にした同期が立ちつくして祈りを捧げ、座り込んでずっと顔を伏せながら坂井選手の意識が戻るのを待ち望んだが叶わず。 もうひとりの女子レーサー佐藤摩弥選手や、横浜から駆けつけた両親とも悲しい対面となった。 坂井選手は法政大学を卒業後、JTB法人東京での企画営業を経て、オートレースの世界に飛び込んだ。 44年ぶりのオートレース女子レーサーとして、佐藤摩弥とともに昨年7月にデビュー。 オートレース発祥の地・船橋オート所属としてこれからの活躍が期待される矢先だった。 サンケイスポーツ 1月16日(月)12時38分配信 オートレースはやった事が無いので、概要を調べると〜 オートレースのバイクは競走用に改良されたもので、最大スピードは時速約150キロ出る。
大半は1級車と呼ばれる排気量600CCのエンジンだが、坂井さんら新人は2級車の500CCからスタート。 ハンドルは左に傾けてコーナーを回るので左ハンドルが極端に高い。 ブレーキは付いておらずエンジンブレーキで止める。 ギアはローとトップの2速。 タイヤは特殊な角度の付いたものを使用。 選手はフルフェースのヘルメットとプロテクター付きのユニホームで走る。 レース場は船橋を含め全国に6場あり、コースは左回りで1周500メートル。 女子オートレーサーの死亡事故 少なくとも4人 オートレースでは戦後、女子選手が在籍していた時代(67年10月以前)にも死亡事故が起きている。
オートレース草創期の54年2月、坂井さんと同様に練習中の落車で死亡した寺岡ちず子さんを含め、少なくとも4人の女子レーサーが亡くなった。 当時は、現在の舗装コースより危険性が高いダートコースが舞台だったこともあり、死亡事故が続出した。 ・・・凄い世界だね〜 坂井宏朱、初勝利!! 得意の雨&ハンデを生かし逃げ切り、デビュー9戦目で初白星。 男でもビビル雨のレース。 男より「度胸」があったのかも・・・ これが生涯唯一の1着か・・・。 舞台裏では〜 ご冥福をお祈りします・・・ 付録 デビューした「坂井宏朱」に「森且行」が贈った言葉 森 且行 オートレース選手に転向する1996年(平成8年)5月までは、日本の男性アイドルグループSMAPのメンバーとして活動していた。
SMAP時代の愛称は、森くん。 所属芸能事務所はジャニーズ事務所を経てJKAの川口オートレース場。 公式ファンクラブはAngelを経てビアンコ。 1996年8月25日:走行訓練中に金網に激突し、左股関節脱臼骨折の重傷。 東京医科大学病院にて手術を受け、入院・リハビリを行う 2007年4月15?18日:川口オートレース場の開催で、自身初の完全優勝を達成。 優勝戦は雨コースでの勝利であった。 2008年度後期適用ランク(平成20年1 - 6月の結果を基に算出)で全国14位となり、初めて川口オートレース場で1位となった。 2008年12月9日:5年ぶりとなるGII優勝(西日本鉄道 GII第4回オーバルチャンピオンカップ) 2009年1月28日:初のGI優勝(川口オート第57回GI開設記念グランプリレース) 2009年度前期適用ランク(平成20年7月 - 12月の結果を基に算出)で全国5位となり、2期連続で川口オートレース場1位となった。 【SG日本選手権】坂井宏朱とボートレーサー・市村沙樹トークショー 石川県金沢市出身で神奈川県横浜市育つ。
法政大学法学部政治学科出身(2007年卒)。 その後、JTB法人東京に入社。 船橋オートレース場へ観戦に行った際に、後に自身の指導員(師匠)となる永井大介の走りに感銘を受け、当時原付免許すらも取得していなかったが、オートレース選手になることを決意。 レースデビューからわずか半年での事故・・・。 期待していたのに・・・ 「度胸」に「テクニック」が追いつかなかったのかなぁ・・・ 44年ぶりの女子オートレーサー復活で注目されていた27歳の坂井宏朱さんの練習中の事故死から一夜明けた16日、半旗が掲げられた中で開催された千葉県船橋市の船橋オートレース場では関係者が早すぎる死を悼んだ。 第1レース発走前には黙とうが行われ、選手は左肩に喪章を付けてレースに臨んだ。 入場門に設置された献花台には、笑顔を浮かべる坂井さんの写真のそばにファンからの花束が供えられた。 オートレース界の第一人者で師匠でもあった船橋所属の永井大介選手(34)は「悔しいとしか言えない」と声を絞り出し、坂井さんと同年齢の同期で昨年の最優秀新人、青山周平選手(船橋)は「彼女の分まで頑張るだけです」と気丈に話していた。 スポニチアネックス 最終更新:1月16日(月)18時40分 坂井宏朱さんがレーサーを志した会場 ここの観客の一人としていた。 鈴木雅之氏による国歌独唱 着 車 選手名 1 1 永井 大介 2 2 池田 政和 3 6 中村 雅人 4 5 浦田 信輔 5 3 田中 茂 6 7 荒尾 聡 7 8 岡部 聡 8 4 有吉 辰也 この時1着になった「永井大介」に師事しようと思ったんだね。 クラシックバレエ歴15年、チアリーディング歴3年。オートバイとは無縁の生活を送ってきた。
訓練期間中には2度の落車に見舞われることもあった。 しかし夢をあきらめずに練習を重ね、昨年7月30日のデビュー戦にこぎつけた。 結果は8着と振るわなかったが、「この悔しさは一生忘れない」と前を向いた。 「夢」に向かって、ひたすらだった。 「努力」「努力」「努力」か・・・。 事故があったのも練習中、最後まで努力の人だったね。 親御さんも辛いだろうな・・・。 ,
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日本の訃報
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オートレースについてゎ何も知りませんが、今日献花してきました。
2012/1/22(日) 午後 7:45 [ - ]
SHI♀RIさん。
有難う。
オラもオートは知らないが、素人が参加するには危険な事は判る。
夢だけで立ち向かった彼女に敬意。
・・・オラは、献花に行ってないけど。
2012/1/23(月) 午前 0:34