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ベースボール部員の中馬庚(読み方は”たかびごん”さんから指摘を受け下記に調べました〜)が「ベースボール」を部史に書き残す時「Ball in the field」という言葉を元に「野球」と命名した様です。 当時、一般的にベースボールと呼ばれ、訳語は「底球」。これでは「庭球」と間違う人が居るので「野球」にしたとされています。 1897年、(明治30年)ベースボールが日本に来てから25年。中馬は一般向けの専門書「野球」を5月に出版し「ベースボール」の訳語として「野球」を発表しました。 ここに日本で初めて「野球」が登場したので〜す。 尚、正岡子規が名付けたとの説が有りますが、正岡子規の本名が「升(のぼる)」で「能球(のう・ぼーる)」「野球(の・ぼーる)」という『雅号』を用いていただけで、中馬庚の「野球」訳に喜んだと伝えられています。 正岡子規は野球用語の「直球」「四球」「飛球」「打者」「走者」等を訳し、捕手として野球をやっていました〜。 余談になりますが、幕末以来、英語の翻訳には大変な苦労があった様です。 それまでの日本には無かった考え方が多かったからです。 良くご存知の「プレジデント」は、日本に「選挙」の考えが無かったので、大工の棟梁の一番偉い人との意味で「大統領」としたようです。 「バージン」も日本に無かった考え方で「未通娘」「おぼこ」等の案が出たようですが「処女」に成りました。 「処女」は大辞林 第二版では【〔家に処(い)る女の意〕未婚の女性。男性と交わったことのない女性。きむすめ。おとめ。バージン】となっていますが、当時は出戻り(×がいくつ有っても)実家に居る女性を「処女」と考えていた様で、大きな違いが有った様です。 最大の誤訳は「ゴッド」を「神」と訳してしまった事です。 日本には八百万の神が居ましたから、西洋の一神教国からはバカにされたのです。 西洋に追いつけ追い越せだった明治政府は、バカにされない様に天皇を唯一の神に仕立て上げ、一神教の国家神道として世界に進出して行ったのです。 その結果、現在に至るまで変な論争が起きています。 話しが横道にそれましたが、野球のルールも現在の様な細かい規定が無く簡単でした。 ですから、野球をやる人達によって細部のルールが違ったようです。 野球ではデッドボールの球をよけるのは、武士道に反するとして1塁が与えられませんでした。 ヘルメットも無い時代に頭に速球が向かって来たら、絶対に避けますよね〜。 避けて身体に当たると、1塁が貰えないどころか「卑怯者!」と審判に罵られた様です。 泣き面にハチとはこの事か〜? 昔の野球は怖かった〜! つづく 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 中馬庚(ちゅうまん かなえ、1870年3月10日(明治3年2月9日) - 1932年(昭和7年)3月21日)は鹿児島県出身で、アメリカ伝来のスポーツであるBaseballを野球と訳した人物である。名前は「ちゅうま」や「かのえ」とも読まれるが「ちゅうまん・かなえ」と読むのが正しいようである。 昔は中馬庚(ちゅうま・こう)と読んでいました。地名、人名は読めなくても恥ずかしくないですよね〜。・・・ん?言い訳でしかないな・・・
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