どうなっちゃうの?日本の将来

県から土地の寄附を強要されている。すでに占有されて竹島状態・・・。

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中国外交は非常識?

中国外交は「極めて非常識」=「中華思想」と批判−自民政調会長


 自民党の中川昭一政調会長は15日、都内のホテルで講演し、日本から昨年秋に安倍晋三首相が訪中したのにもかかわらず、中国側はトップの胡錦濤国家主席ではなく、温家宝首相が訪日したのは「外交上極めて非常識だ」と厳しく批判した。
 中川会長は「日本のナンバーワンが行ったのに、中国のナンバー3が来るというのは外交儀礼から言って、おかしい」と指摘。
中国側の考えは「中華思想」であり、外国指導者の訪中に関して昔の「朝貢」のような感覚を持っているのではないかと語った。
共産党総書記である胡主席は党内の公式序列首位だが、温首相は第3位とされている。

最終更新:4月15日21時0分配信 時事通信


「外交上極めて非常識だ」?

「外交上の常識」って何?

「日本のナンバーワンが行ったのに、中国のナンバー3が来るというのは外交儀礼から言って、おかしい」?

だったら「来日」を断れば良かったのでは?

中国は会談の為に来日しても、何もせずに帰った事が有る。

外交は駆け引き・・・?


外交に常識が有ったら「北朝鮮」は国では無い。

小泉首相は2度も訪朝している・・・。


「中華思想」であり、昔の「朝貢」のような感覚を持っている?

理解しているのに、何故来日させてから言うの?


幕末の「不平等条約」で判る様に外交は自国に有利な条件を引き出す為の手段では?


事前に判っていたのだから、事前に止めるべきだったのでは・・・?

外交とは「相手国」にコビヘツラウ事ではないと思うけど?










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御田八幡

親父の一番長い日               (昭和20年4月15日)

「御田八幡」

暫く歩いて、「田町九丁目」の停車場を過ぎると左手に「御田八幡」の小山が見えてきます。
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「御田八幡」
和銅二年(七〇九)牟佐志(むさし)国牧岡に東国鎮護の神として鎮祀され、その後、寛弘八年(一〇一一年)武蔵国御田郷久保三田の地に遷座されました。
御田八幡は源氏ゆかりの神社なので、自称源氏を名乗る徳川家康が江戸開幕にあたって源氏の白旗を献納しました。この白旗は今でも社宝として保管されているそうです。御田八幡は俗に「綱八幡」と言われていました。御田八幡の裏の方には「渡邊綱」が生まれ育ったとされる屋敷が有ったと言う三田綱町があります。明治二年九月稗田神社となり同七年一月、三田八幡神社と改称し、同三〇年四月、三田を御田の旧名に復し、御田八幡神社と称号する様になりました。後の五月二十五日の東京大空襲により社殿などは炎上してしまいました。
「札の辻」の停車場がある交差点まで来ました。道は緩やかに右に曲がっていきます。「札の辻」とは江戸時代に高札(政府広報の掲示板)を立てた交差点の事です。左手にある「聖坂国民学校」の校庭も畑になっていました。札の辻辺りから、やはり、左手の後ろには焼け残った慶応大学の校舎が見えました。「渡邊綱」が住んでいた三田綱町は、ここから見える慶応大学の裏手にありました。慶応大学との境の坂道は今でも「綱坂」と呼ばれています。この時の三田綱町には、三井邸(現、綱町三井倶楽部)、松方邸、山羽中将邸、蜂須賀邸、上村中将邸等(現、オーストラリア大使館)、隣には、イタリア大使館が在り、そうそうたる屋敷が焼け残っていました。親父は首を捻りながらリヤカーを引いていました。三田綱町の辺りは、徳川家康が江戸に入る以前は、一面の湿地帯で平安時代末期の渡邊綱が館を構えて住んでいるはずが無いと思ったからです。親父はリヤカーを引く足を速めました。木造家屋のほとんどが焼け落ちて、残っているのはコンクリートの建物ばかりでした。暫く行くと右手に果物屋、中華ソバの三田軒、ほてい食堂、伊藤運送店と天野理容店、芝鋼材 浜野ガソリンスタンド 三河屋酒店 永代運送店 千葉屋食堂 板倉煙草店、ネジの内田重蔵商店、榎並工場、西村切手屋、工具店、高杉研磨材店等が何とか焼け残っていましたが、やはり後の五月二十五日の空襲で焼けてしまったようです。
「薩摩原」の停車場には都電の三田車庫がありました。明治三十六年一月に開設された、東京市街鉄道の営業所が前身で、都電の中では最も古く車両百四両が収納できました。昭和初期の頃までは、薩摩屋敷跡の原っぱで「さつまっぱら」と地元の人達に呼ばれていた所です。江戸時代の薩摩原は諸大名の参勤交代で賑やかで活気がありました。幕末に江戸の無血入城を決めた、「西郷隆盛と勝海舟が会談」したのもこの場所でした。
イメージ 2

首輪に監察を付けたやせこけた犬が親父の前をノコノコと横切っていきました。
「ご主人様は、無事なのかい?」
犬に問いかけましたが、答えるはずも無く、親父の顔をチラリと見て足早に去っていきました。
右手の狭い道を行けば、直ぐに「鹿嶋神社」が在ります。江戸時代は、落語家の信仰を集めていました。その先が海で、江戸時代に雑魚場(河岸)が置かれた芝浜です。「薩摩原」から「雷門」に向かう都電一系統と南千住に向かう都電二十四系統が駒形二丁目まで同じレールの上を一緒に走ります。親父は聞きなれた落語を思い浮かべていました。落語は同じ話を何度聞いても面白いのは、何故だろうといつも思っていました。親父は聞き覚えた「芝浜」の落語を一人で語って気を紛らわせてリヤカーを引いていきました。落語の芝浜は棒手振りの魚屋「熊五郎」の物語です。
『熊五郎は、大変な酒が好きで、仕事に行かず借金だらけ。暮れになって、にっちもさっちもいかない。禁酒を誓って、働くと言ったので女房も張り切って、翌日の早朝、亭主を起こしました。大きな河岸は日本橋にありましたが、雑魚場と言って、芝浜にも小さい魚のいい物が揚がりました。その芝浜へきましたが、まだ河岸も開いていません。女房が早く起こし過ぎたようです。眠気覚ましに顔でも洗おうかと冷たい海水をすくって洗っていると、手に紐のような物が引っかかりました。なんだろうと、水から引っ張るように出してみるってえと革財布。それを腹掛けのどんぶり(前掛けの胸ポケット)に突っ込むと、夢中で自宅に跳んで帰ってきました。家で数えてみると、なんと五十両もの大金。料理を買い、人を大勢連れてきてドンチャン騒ぎ。翌日の昼過ぎやっと目を覚ました。女房が「この払いはどうする」と聞くので、熊五郎は拾ってきた金で払ってくれというが、女房は「妙な夢を見てるんじゃないかい」と取り合わない。熊五郎は大反省。それからってえっものは、いつ寝るのか判らないくらい働きました。二年たったときに、表通りへ小さな店を一軒構え、三年目には、若い衆も二、三人置くようになりました。その年の大晦日。女房は五十両の入った革の財布を見せ、三年前財布を拾ってきた時、女房は熊五郎にだまって大家さんに相談し、財布とお金をお上に届け出たのです。そして、熊五郎へは夢を見たということにしました。一年たって、落し主が無いということで金は戻ってきたが、この金を見ると熊五郎が元の酒飲みに戻るのではないかと心配し、出しそびれていたのです。今回「働くのが道楽」という熊五郎の言葉を聞き話すことにしたのです。それを聞いた熊五郎は怒らずに女房を許します。
「一杯どうだい。許してもらったら、飲んでもらおうと思って、前々から支度をしてたの」
「ん〜!やっぱり、よそう」
「どうしてだい? あたしのお酌じゃ、いやなのかい」
「いいや。また、夢になるといけねえ」
お後が宜しいようで・・・・。
『チャカ、チャンチキ、チャンチキ、チャンチキ』お囃子の口三味線まで入れました。
「泡銭に頼って、生きてはいけないと言う事だな」ポツリと漏らしました。
芝浜で取れた魚を「江戸前」と言いました。芝浦は、もともと本芝一丁目から四丁目の浜辺の総称だったのですが、江戸時代の後期には芝口新町から田町辺りまでも芝浦と言う様になりました。芝浦は別名、竹芝浦、袖ヶ浦、芝浜ともよばれ、芝浦沖は古くからの漁場で「芝海老」の名は芝浦沖で多く取れた海老の事です。
道は「東京港口」の停車場から、大きく左に曲がって行きます。



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可笑しさが判らない?

最近の笑いに付いて行けない・・・。
可笑しさが判らない・・・。
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言葉だけを聞いても使い方が判らないから・・・早速、見たけど・・・。
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オラの頃は植木等さんの「お呼びでない。こらまった失礼しました〜」
谷啓さんの「ガチョ〜ン」や青島幸男さんの「青島だ〜」が流行ったけど・・・。
言葉だけを聞いたら何処が「面白い」のか判らないと思うけど・・・。

コント例

ロシアの民族服を着た合唱団
「ヴォルガの舟唄」を「えいこ〜ら。えいこ〜ら」と歌い始める。
ここに植木の旦那が袢纏に捻り鉢巻姿で登場して来る・・・。
「おかちゃんの為なら」と合いの手を入れる。
合唱団は「えいこ〜ら」
「も一つオマケに」
合唱団は「えいこ〜ら」
指揮者をはじめ、合唱団全員が植木の旦那を睨む。
その場の雰囲気を感じ取った植木の旦那が皆の顔を見回す。
どうも場違いだったと理解して「お呼びでない。こらまった失礼しました〜」
(「よいとまけ」を知らないと判らないか?)

コント例

台風で急に停電になった家庭。
慌てて「ローソク」に火を付けて明かりを確保する。
すると植木の旦那の歌声が聞こえて来る。
「ハッピバースディ・ツゥーユー、ハッピバースディ・ツゥーユー」
植木の旦那が歌いながら登場して
「じゃ、行きますよ〜」と・・・。
「ローソク」の火を一気に吹き消す。
電気が復旧して明るくなった室内。
家族全員が植木の旦那を睨んでいる。
その場の雰囲気を読み取った植木の旦那が「お呼びでない。こらまった失礼しました〜」
(昔は停電が多かったけど・・・現在は皆無に近いから判らないか?)

谷啓さんの「ガチョ〜ン」や青島幸男さんの「青島だ〜」も同様のパターン。
皆と違う事をやって「言葉に困った」時の決まり文句。
時代を理解しないと「お笑い」も判らないのかな・・・。

植木等さんが死去された時の拙ブは↓
http://blogs.yahoo.co.jp/w1919taka/30710837.html








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