あらすじ ノモンハン事変で生き残った親父は、内地に帰還し川崎市東門前町で新しい生活を始めていました。 空襲が激しくなった昭和20年3月10日に東京大空襲が有り、工業地帯の川崎にも必ず空襲が有ると考えて言いました。 養母は「リュウマチ」で一人では動けない。乳飲み子が2人居たので家財道具と家族全員では疎開が出来ませんでした。 そこで親父は、まず家財道具を小さなリヤカーに積み込み、4月15日に1人で妻の実家のある千葉県の松戸市を目指してリヤカーを引いて行きました・・・。 川崎市と松戸市はどちらも丁度、東京都を挟んだ先に有り、空襲を受ける可能性が高かかったのですが、通り抜けるしか有りませんでした・・・。 無事に松戸に到着した親父は再び川崎市東門前町へ戻ってきました。 親父が疲れた身体を休めていた時・・・・。 突如「ブウ〜、ブウ〜」と、けたたましくサイレンが鳴り響き空襲警報が発令されたのです。 親父達は、防空壕に非難をしたのですが焼夷弾が投下された為に、そこからも避難しなければなりませんでした・・・。 川崎の大空襲から奇跡的に生き延びる事が出来、松戸に疎開しました。 松戸に疎開して、幸せな日々が3ヶ月も続いたある日、妻の久が急病になりました。
翌日、親父は会社を休んで、「とく」と長女、次女の三人を久が入院した病院に連れて行く事にしました。 松戸から市川までバスが通っていたのですが、とくに肩を貸して次女を抱いて、長女の手を引いては乗れませんので、三人をリヤカーに乗せて、同じ道を歩いて久を見舞いに行きました。 「腸チフス」は発熱が一ヶ月程度持続し、いったん解熱しても、しばしば再発を繰り返すのが特徴です。 昭和初期から終戦直後まで「腸チフス」は年間約四万人の発生がみられていました。 当時としてはよく有る病気で有効な治療を行なえば、たいした病気では無かったのですが、終戦間際で医薬品の不足している時でした。 久も同様の症状を繰り返し、有効な治療が出来無いまま、時間だけが進んでいきました。 実家からも、兄や姉が頻繁に久の見舞いに来ていたのですが、なすすべが有りませんでした。 八月六日には、広島に原爆が投下されました。 広島原爆
広島以外の人達には、いつもの空襲くらいにしか感じられなかったのです。 しかし、アメリカ大統領「トルーマン」が原子爆弾を使用した事を発表すると、翌日の八日には、ソ連が「日ソ不可侵条約」を破って、日本に宣戦布告と同時に、満州、樺太に雪崩込んできました。 九日、日本の政府は最高戦争指導者会議構成員会議を招集し、戦局処理を討論している最中に、長崎にも原爆が投下され、日本の運命も決まろうとしていました。 イギリス首相「チャーチル」は「米国人百万人と、その半分の英国人の生命を救った」と原爆投下を正当化しましたが、非戦闘員を一瞬にして殺傷したり、空襲するのは戦争犯罪なのです。 そんな戦況が続いた八月十二日午後四時五十五分、家族と親族に見守られて、久は永眠しました。夏場の事でしたので、久の遺体は直ぐに荼毘に付されました。 親父には除隊後の幸せな生活が、一転してどん底生活の始まりだったのです。 何故なら、養母の「とく」の他に、幼い娘二人が残されたからです。 久が嫁いでくれた以前より状況が悪くなってしまったのです。 粗末な葬儀が終わった八月十五日、遺骨を前に途方に暮れていた親父の耳に天皇陛下の玉音放送が流れて来ました。 前夜から予告されていた正午の事でした。 「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ、茲ニナンジ臣民ニ告グ・・・・・」 日本がポツダム宣言を受諾し、敗戦が決まったのです。親父は養母と二人の娘を育てる為に、当時の一流企業だった「東京自動車工業」を退職し、養母と二人の娘を育てようとしましたが、家を離れる事が出来ないので勤め人になる事は出来ませんでした。 仕方なく親父は、久の納骨に合わせて、養母の「とく」を船形の姉夫婦に無理やり預け、次女は里子に出したのです。 戦後、親父は長女を連れて闇屋やブローカー等、食べる為に何でもして生き抜いて来ました。 安定した生活等は出来ません。今日の米すら米櫃に無い日もザラでした。暫くして故郷の船形から後妻を世話して貰い、長女の養育から手が離せたので、又、勤め人の生活を始める事が出来ました。 あらゆる仕事をしてどん底の生活から這い上がり、姉夫婦や親戚から先祖伝来の土地を奪われながら、戦後を生き抜いてきたのです。 |
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2007年11月27日
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気持ちよくドライブしていると、「ルルル…」と耳に馴染んだメロディーが車内に響く−。そんな不思議な「メロディーロード」が相次いで誕生している。 路面に刻んだ溝で音階を作ったもので、制限速度を守って車を走らせないとうまく曲になって聞こえないという。 スピードの抑制にもつながるユニークアイデアだ。(海老沢類) 愛知県豊田市川手町の国道257号バイパス。 10月に完成した「メロディートンネル」は、一定の速度で走行すると童謡「どんぐりころころ」が聞こえてくる。 秘密は、路面を横断する形で刻まれた複数の溝にある。 通過時にタイヤと溝が接触する音がメロディーになって聞こえる仕組みだ。 溝と溝の間隔で音階、溝の幅で音量を調整。 「溝の間隔は制限速度を想定して設計されているので、スピードを出し過ぎると音が聞き取りづらくなる」と同県豊田加茂建設事務所足助支所の加納久揮さん。 区間の長さは約300メートル。 制限速度の50キロを守って走行すると、約20秒間にわたって一曲分の演奏が楽しめるというわけだ。 現場はトンネルの出口付近で、ゆるやかな下り坂。 自然とスピードが出やすい上に、左右のカーブが続く。 実際、昨年12月にはトンネルから500メートルほど離れた地点でトラックと軽乗用車の追突事故も起きていた。 愛知県警は「スピード抑制やカーブ直前の注意喚起につながる。効果を検証しながら他の場所に適用できるかどうかを検討していきたい」と話す。 技術を考案したのは、知床半島に近い北海道標津町の建設会社、篠田興業の篠田静男社長だ。重機で溝がついた舗装道路の上を走行中、スピードの違いによって振動音が変わることに気づいたという。 「溝の大きさや間隔を変えれば音楽を奏でられるかもしれないと思った」と篠田社長。 居眠り運転防止にも役立つと考え、道立工業試験場と共同で実用化に向けた研究に取り組んだ。 平成16年に町道の一部区間に「知床旅情」を奏でるメロディーロードを完成させたところ、観光バスの周遊コースにも組み込まれ、知る人ぞ知る穴場スポットになった。 メロディーロードは今年3カ所が開通し、全国で計4カ所になった。 和歌山県紀美野町内の国道370号に3月完成したメロディーロードは約320メートルという全国一の長さが売りだ。 町内に大きな天文台があることから、曲は坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」を採用。 県海草振興局の担当者は「高野山へと通じる道をアピールする目玉の一つ。以前に比べて通行量は確実に増えている」と手応えを感じている。 群馬県沼田市白沢町の利根沼田望郷ラインの「メロディーポイント」(全長約140メートル)は、約13秒間にわたって「夏の思い出」を奏でる。 「尾瀬を訪れる観光客に向けた選曲。通行量が増え、町の活性化につながれば…」と沼田市白沢町振興局。観光のPR効果も期待される一石二鳥の「歌う道路」に、自治体関係者らから熱い視線が注がれている。11月25日22時45分配信 産経新聞 以前、パチンコ屋で懐メロが流れる台「マハラジャ」を打った事がある。 ひとりで打っていた時は、懐かしい曲が聞けたけど・・・・。 両隣で打たれたら単なる騒音でしかなかった〜〜〜。 ・・・1台だけが走っている時は判るけど。 何台かがつながって走ったらどうなるの? |
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