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不勉強にも「和田三造」と言う人を知らなかったが・・・。
この絵画を見せられて、すぐに判った。 1909年(明治42年)文部省美術留学生として渡欧し、フランスを中心にヨーロッパ各国を巡歴し、洋画とあわせて工芸図案の研究を行なった。 その帰途、インドやビルマ(現・ミャンマー)で東洋美術を研究し1915年(大正4年)に帰国。 「ウィキペディア」には簡単に書かれているが、帰国を待ちわびるご家族は大変だった様です。 1年ぐらいで帰国すると思っていたから、時代が「大正」に変わった頃には「死んだ」と諦めていた。 ところが、急にひょっこり帰国したので、親族一同驚いたそうです。 自宅には「杉山元」「岸信介」等、当時の政治関係者が尋ねて来たとか・・・。 ??? 何で「画家」の家に政治関係者が・・・。 と思ったのですが・・・。 もしかすると戦前の歴史の裏話が判るかも知れないと期待したけど〜。そこまでは話が進みませんでした・・・。 アジア諸国の著名な建物に「壁画」を書いていたそうです。 絵を描く前には、その国の「歴史」を深く学んでから創作に入った。 イスラム教の聖地の絵画を見る為に、イスラム教の作法を必死に学んだとか・・・。 韓国の「朝鮮総督府」にも描いていたらしく解体後も、それが大切に保存されているのを聞いて喜んでおられました。 1953年大映映画『地獄門』で色彩デザイン、衣装デザインを担当し、この作品で翌1954年の第26回アカデミー賞で衣装デザイン賞を受賞。 カンヌ国際映画祭でもグランプリを受賞。 後の「文覚」になった遠藤盛遠の物語。 歴史的にも、映画的にも好きで何回も見ていたのに・・・。 色彩デザイン衣装デザインを担当した方だとは、不覚にも知らなかった・・・。 和田三造 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋、参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E4%B8%89%E9%80%A0 |
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2008年12月03日
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警視庁玉川署の留置係の男性巡査長(27)が、同署に拘置中の無職の男に約1週間、携帯電話を不正に貸したうえ、男から「ばれたらクビになるぞ」などと脅され、現金500万円を提供していたことが明らかになった。 巡査長は、男が携帯電話で70回以上、メールや通話で外部と連絡を取り合うのを黙認していたほか、房内での喫煙も認めていた。 警察官が拘置施設の収容者に、これだけ多大な便宜を図ったことが明らかになるのは極めて異例。 同庁は巡査長の懲戒処分を検討するとともに、3日にも、男を恐喝容疑で逮捕する方針。 巡査長から500万円を恐喝した疑いが持たれているのは、2005年5月に都内で起きた強盗傷害罪などで起訴されている福岡県大牟田市の無職の男(21)。 捜査関係者によると、巡査長は先月初め、同署の拘置施設内で私物の携帯電話を使っているところを男に見られ、「それやばい」「クビになりますよ」と言われるようになり、口外しないことを条件に数本のたばこを提供。 男が同房者数人とともに房内で喫煙しても止めなかった。 さらに携帯電話も使いたいと言い出したため、巡査長は同月8日頃から中旬にかけ、私物の携帯電話を貸し、男が70回以上、通話やメールで外部と連絡をするのを許していた。 巡査長が男から現金を要求されるようになったのも同じ頃で、「自分が携帯を使ったのは貸した側にも責任がある。 クビになりたくないのなら、500万円を出せ」などと脅され、結局、現金500万円を同署拘置施設内の男あてに差し入れていた。 警視庁は、どこから現金を調達したのかについても調べる。 問題が発覚したのは、巡査長が男からさらに恐喝されるのを恐れ、上司に相談した先月下旬。同庁が同じ房内の収容者らから事情を聞いた結果、携帯電話の使用発覚を恐れる巡査長が、「口止め」のため男に便宜供与を図った揚げ句、恐喝の被害に遭ったという事件の構図が明らかになった。 同庁は、昨年8月の立川署巡査長(自殺)によるストーカー殺人事件以降、勤務中に私物の携帯電話を使うことを通達で禁じている。 最終更新:12月3日6時1分配信 読売新聞 ・・・。 警察官が服務違反で、拘置者(犯罪容疑者)に脅かされるとは・・・。 情け無い時代に成った物です・・・。 |
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