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東京でも台風15号は凄かった〜。 東北の皆様〜、ご無事ですか〜。 ご健闘をお祈りして〜〜〜。 先人達が苦難に立ち向かった「南部盛岡藩士の物語」をお届けします〜。 吉村貫一郎は脱藩して、京の「新撰組」を目指します。 このドラマは永いけど・・・。 次回は「新撰組」での活躍を予定しています。 「新撰組」は同じ被災地「会津中将容保公」のお抱え武士団。 おまけ 吉村貫一郎に関する資料は少なく、その実像は良く分かっていない。 撃剣師範に就いていたが、表立った斬り合いの記録は少ない。 屯所移転について西本願寺に交渉しに行ったり、三条制札事件の詫びを目的とした土佐藩の饗応に吉村が出席したりしているが、天満屋事件で三浦休太郎の護衛の任についていた時には、とくに吉村が斬り合った記録はない。 どちらかといえば、論客として活躍したようである。 慶応4年(1868年)正月、鳥羽・伏見の戦いに参戦したが、戦死したのか、脱走したのか、以後の消息は途絶える。 子孫の嘉村家の過去帳には、明治三年一月十五日没、とあるという。 参考・ウキ ,
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2011年09月23日
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