映画監督の市川崑さんが死去 戦後の日本映画界をリード
| 映画「どら平太」完成会見 市川崑(映画監督)=2000年4月21日 |
「ビルマの竪琴」「東京オリンピック」などで知られ、戦後の日本映画界をリードしてきた映画監督の市川崑(本名・市川儀一)さんが13日午前1時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。
92歳だった。
市川さんは大正4年11月20日、三重県宇治山田市(現伊勢市)で生まれた。
幼いころは画家志望だったが、伊丹万作監督の「国士無双」(昭和7年)に感動。
映画の世界で働くことを決意する。
8年に入社したスタジオでアニメの企画、脚本、作画、撮影などを一人で担当したことがその後の監督生活に大きく役立ったという。
23年に「花ひらく」でデビュー。
「三百六十五夜」(23年)、「夜来香」(26年)などのメロドラマから、「足にさわった女」(26年)、「プーサン」(28年)などの風刺コメディーまで幅広いジャンルをこなした。
名作「ビルマの竪琴」(31年)では、水島上等兵の生き方が人々の共感を呼び、60年には再映画化。
「29年前には成し得なかった海外ロケとカラーで撮りたい」という市川さんの強い希望があった。
同作品でベネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞受賞。
米アカデミー賞外国語映画賞候補にもなった。
大映に転じた30年代も「鍵」(34年)、「黒い十人の女」(36年)など秀作を世に送り、初のドキュメンタリー「東京オリンピック」(40年)で市川の名は日本中に親しまれた。
150台のカメラで選手の表情や動作を追い、五輪を人間賛歌ととらえて「記録か芸術か」の論争も巻き起こした。
映画は空前の大ヒットとなり、その後の五輪映画に大きな影響を与えた。
ミュンヘン五輪の記録映画「時よとまれ、君は美しい」(48年)でも世界10監督の一人に選ばれ、陸上男子百メートルを担当した。
横溝正史原作の「犬神家の一族」(51年)では金田一耕助ブームを起こし、その後も多くの監督によって製作されたが、シリーズ最高傑作の呼び声が高い。
「細雪」(58年)など文芸作品でも独特の映像美とカット割りを見せた。
90歳を迎えた平成18年には石坂浩二の金田一耕助で再度「犬神家の一族」をリメーク。 健在をアピールしていた。
私生活では、脚本家の和田夏十(本名・市川由美子)さんとおしどり夫婦として有名だったが、和田さんを昭和58年に亡くしていた。
ヘビースモークがトレードマークだったが、晩年は「あと1、2本は映画を撮りたいから」とたばこをやめていた。
2月13日18時52分配信 産経新聞
「東京オリンピック」が印象に残っている。
オラが、清く・正しく・美しかった時代だっから衝撃は大きかった・・・。
オリンピック担当大臣の河野一郎が「記録性に欠ける」と批判したことから「『東京オリンピック』は記録映画か芸術作品か」という大論争を呼び起こすことになった。
1965年 『東京オリンピック』で
カンヌ国際映画祭青少年向映画賞
UNICRIT賞
英国アカデミー賞長編記録映画賞
国連平和賞
モスクワ国際映画祭スポーツ連盟賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋。
そもそも、単なる「記録」だったら誰でも出来る。
現在だったら「1億人総監督」の時代。
幼稚園や小学校の運動会を見れば判る。
巨匠に依頼するまでも無いのだ。
アホな発言をする人だと思っていたが・・・。
息子の河野洋平も「河野談話」で「同じ」アホだった・・・。
河野太郎は孫だから要注意か?
河野一郎は汚職事件で逮捕され、獄中から立候補した人物と記憶しているが・・・。
河野一郎
早稲田大学時代は、弟・謙三とともに陸上長距離選手として鳴らし、草創期の箱根駅伝で活躍。総合優勝も経験している。
1963年(昭和38年)7月15日午前6時50分ごろ、野村秋介は松野卓夫とともに、ガソリン18リットル入り2缶を携えて、神奈川県平塚市にあった河野(当時は建設大臣)の私邸に侵入した。松野が、応接間の中にガソリンをまき、これに野村が点火をした。
(河野邸焼き打ち事件)。
戦前、日中戦争の激化に伴い東京オリンピックの開催返上の議論が沸き上がった際に、帝国議会でその急先鋒だった。
このため、戦後の東京オリンピック開催に際して彼が担当大臣に指名されたことを訝しむ向きも少なくなかったが、総理の池田は「昔開催反対を唱えた人間の言うことなら皆納得して従うだろう」という意向で起用したといわれる。
河野は担当大臣としてオリンピックを成功に導いた反面、オリンピックを「スポーツのイベント」から政治の介入する国家的プロジェクトに変貌させたことへの批判もある。
平成5年(1993年)10月20日、朝日新聞社東京本社に社長の謝罪を受ける為訪れ、社長ら首脳と話し合いの後「天皇弥栄(すめらみこと いやさか)」と三度言い残し、拳銃で自決した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋。
市川崑監督は常に大衆を意識して「楽しませる映画」に徹した?
政治に巻き込まれなかった作品が多かった様に思う。
もっと多くの作品を残して欲しかったのだが・・・。
ご冥福をお祈り致します。
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