| 青島幸男さんが20日午前、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で亡くなった。 |
放送作家、タレントとして高度成長期のお茶の間の人気を集める一方、95年の東京都知事選で無党派旋風を巻き起こすなど政治家としても活躍した前同知事、青島幸男(あおしま・ゆきお)さんが20日午前、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で亡くなった。
74歳だった。
葬儀は未定。
自宅は非公表。
喪主は長男利幸(としゆき)さん。
1932年、東京・日本橋の仕出し弁当店の二男として生まれた。
早稲田大学卒業後、テレビのコント番組「おとなの漫画」で放送作家としてデビュー。
歌謡バラエティー「シャボン玉ホリデー」で売れっ子に。
植木等の「スーダラ節」の作詞などを手がける一方、67年には、テレビドラマ「意地悪ばあさん」に主演し、タレントとしても一世を風靡(ふうび)した。
81年に母親をモデルにした「人間万事塞翁が丙午」で直木賞を受賞した。
芸能・文化面での活躍の一方、庶民の目線による政治の実現を標榜。
68年の参院選全国区で2位当選(以後5回当選)し政界入りした。
この時のトップ当選は現都知事の石原慎太郎氏だった。
71年の参院予算委員会で、当時の佐藤栄作首相を「財界の男妾」と呼んで批判し、92年には、5億円献金受領問題で金丸信自民党副総裁(当時)の議員辞職を求めてハンストをするなど、意表を突く手法で時の権力への対決姿勢を貫いた。
95年の都知事では「反既成政党」を掲げ、政党相乗りの石原信雄・元官房副長官らを破って初当選。大阪府知事に当選した横山ノック氏と共に無党派層の時代を演出した。
知事就任後は、開催が決まっていた世界都市博覧会の中止を実現させたものの、東京協和・安全の旧二信組の破たん処理への対応や自衛隊違憲発言、都の食糧費公開への消極的な態度などで批判を受けた。
1期限りで知事を引退。
04年の参院選に出馬したが、復帰はならなかった。
【清水忠彦】
最終更新:12月20日13時54分配信 毎日新聞
子供の頃「おとなの漫画」「シャボン玉ホリデー」が好きでした。
谷さんの「ガチョ〜ン!」
植木さんの「お呼びで無い・・・こら又失礼しました〜!」
と並んで「青島だァ!」のギャグは小学校で皆がやってました。
子供の頃の憬れ・・・。
・・・が。
まず、
1989年、韓国の盧泰愚大統領宛に『在日韓国人政治犯の釈放に関する要望』という署名を133名の国会議員と連名で提出し、日本人拉致実行犯辛光洙ら29名の無罪放免を訴えた。
この時点で行方不明者の地元警察は北朝鮮の犯行疑惑が有った・・・。
その後、金丸信と東京佐川急便の癒着疑惑に、検察庁が罰金のみの略式起訴で幕引きを図ったときには抗議のハンガーストライキを行い、多少は汚名を挽回したのに・・・?
金丸信とは?
1990年、日本社会党の田辺誠らと訪朝団を編成し、団長として朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問。
金日成が対談を行うが記録係を挟んでいなかったため一体何を話したのかが謎。
日朝の交渉においてしばしば「金丸さんが金日成主席と約束した」という形で北朝鮮側から言われる。
後に脱税捜査の際に発見された無刻印の金の延べ棒数億円分はこの時北朝鮮から貰ったのではないかとする疑惑がある。
1992年、東京佐川急便から5億円のヤミ献金が発覚し党副総裁を辞任。
世論の反発も強く10月に衆議院議員を辞職。竹下派会長も辞任。
裁判で徹底的に戦う事を主張した小沢一郎に対し、梶山静六は略式起訴での決着を主張。
東京地検に政治資金規正法違反で略式起訴され、東京簡易裁判所から罰金20万円の略式命令。東京地検は世間からすさまじい批判を受ける。
身内の検察からも批判的な意見が出たようだが・・・。
刑罰の軽さに批判が大きいが、前科一犯が確定したため、叙勲を受ける資格を失った。
1995年の東京都知事選挙は、与野党相乗り候補で元内閣官房副長官「石原信雄氏」に青島氏は無所属で立候補し、開発中の臨海副都心地区で開催が予定されていた世界都市博覧会を中止する公約を掲げ予想を裏切り1,700,933票を獲得して初当選。
| 都市博中止決定への異議に対し「中止補償は金で購いが付く。青島は約束を守れる男かそうでないのか、信義の問題なんだ!」と一喝。 |
| 都市博中止以外に特に目立った施策はなく、都市博中止でもっとも迷惑を被った零細企業に対する保証は不十分のままだった・・・。 |
| 選挙民に選ばれたのだから「青島だ〜!文句あるか〜」で都議会の解散をすれば良かったと思うけど・・・。 |
スーダラ都政と週刊誌に皮肉られてしまった・・・。
2004年の参議院選挙に無所属で出馬したが、次点で落選。
自らの後継として娘の青島美幸を立てるなど、それまで批判してきた世襲政治をも踏襲し、政治家としての評価は地に落ちた・・・。
漫画『天才バカボン』のパパは
知らない事が有ると
自分で勝手にルールを作ったときには
大好きなフレーズでした・・・。
参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初めて議員に立候補したときは、日本を変える事が出来る人だと思っていただけに残念です。
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