出演 広田弘毅:北大路欣也 広田静子(妻):高橋惠子 広田弘雄(長男):木村彰吾 広田正雄(三男):山本耕史 広田美代子(次女):遠野凪子 広田登代子(三女):原田夏希 広田徳平(父):長門裕之 高橋是清(蔵相):神山繁 斎藤実(首相・内大臣):織本順吉 岡田啓介(首相):窪田弘和 板垣征四郎(陸相):石田太郎 武藤章(陸軍中将):菅原大吉 荒木貞夫(文相・陸相):目黒祐樹 寺内寿一(広田内閣陸相):寺田農 山本五十六(海軍次官):内藤剛志 杉山元(陸相):西田健 永田鉄山(陸軍省軍務局長):笹木俊志 松尾伝蔵(陸軍大佐・岡田首相の義弟):江原政一 鈴木貫太郎(侍従長):東孝 花井忠(弁護士):石丸謙二郎 東条英機(陸相・首相):小峰隆司 近衛文麿(首相):平田満 花山信勝(教誨師):笹野高史 佐藤賢了(陸軍軍務局課員):橋爪功 西園寺公望(公爵・元老):大滝秀治 吉田茂(外務省の同期・のち首相):津川雅彦 ほか スタッフ プロデューサー:田中芳之(テレビ朝日)、加藤貢、手塚治、河瀬光(東映) 脚本:尾西兼一 音楽:渡辺俊幸 監督:猪崎宣昭 制作:テレビ朝日・東映 城山三郎さんも好きだし、広田弘毅も好きな人物です。 自分の行動には「一切弁解せず」 他人の判断に任せた。 日本人として、人間として尊敬している人です。 現代の政治家は自分から「法律的に問題は無い」と言う輩ばかり。 「もし問題が有ったら、返金をする」 これで、犯罪にならない日本は法治国家なのか〜? 法律違反かどうかは、他人が判断する事だと思うのだが・・・。 A級戦犯のうち文官で唯一死刑になった。 城山三郎さんの「落日燃ゆ」は〜。 処刑される際、前の組が「天皇陛下万歳」を唱えた。
それを聞いた広田は、教誨師の花山信勝に言った。 「今、マンザイをやっていたんでしょう」 「マンザイ? いやそんなものはやりませんよ。どこか、隣の棟からでも、聞えたのではありませんか」 仏間に入って読経のあと、広田がまたいった。 「このお経のあとで、マンザイをやったんじゃないか」 花山はそれが万歳のことだと思い、 「ああバンザイですか、バンザイはやりましたよ」といい、 「それでは、ここでどうぞ」と促した。 だが、広田は首を横に振り、板垣に 「あなた、おやりなさい」 板垣と木村が万歳を三唱したが、広田は加わらなかった。 広田は、意識して「マンザイ」といった。 広田の最後の痛烈な冗談であった。 万歳万歳を叫び、日の丸の旗を押し立てて行った果てに、何があったのか、思い知ったはずなのに、ここに至っても、なお万歳を叫ぶのは、漫才ではないのか。 広田は「天皇陛下万歳」を拒否して死んだのだと信じている読者は多いかも知れない。 しかし〜、 教誨師、花山信勝の著書『平和の発見 巣鴨の生と死の記録』 (朝日新聞社、S24) 「ああバンザイですか、バンザイはやりましたよ」
「それでは、ここでどうぞ」 というと、広田さんが板垣さんに、 「あなた、おやりなさい」とすすめられ、板垣さんの音頭で、大きな、まるで割れるような声で一同は「天皇陛下万歳」を三唱された。 唱和したと思うのですが・・・。 東京裁判開廷前に自殺した、妻・静子は国粋主義団体玄洋社幹部・月成功太郎の娘。 頭山満の葬儀委員長を務め、大陸で工作活動をした黒龍会を設立した内田良平とは友人であった。 現代風に言えば彼は「右翼」に入ると思う。 だが、右翼にも色々あるんだよね。 右翼=暴力団では無いのだが、左翼のプロパガンダに注意しないと騙される。 日韓併合を「植民地」。憲法改正を「憲法改悪」等と言う。 昔、野党にいた時は「自衛隊は違憲」与党になったら「自衛隊は合憲」だと言った人がいる。 憲法が変わった訳でもないのに・・・。 つまり、法律等の決め事は曖昧な方が便利な人達がいるのだ〜。 下手な正義感の思い込みには気を付けた方が良いと思うよ・・・。 広田の出身地である福岡では「バ」と「マ」が混同しやすいことから生じた聞き間違いではないかとも言われている。 (言語学的には「B」と「M」は共に破裂音であり、「さびしい」が「さみしい」へと変化したように混同しやすいとされている) 江戸っ子の「ひ」と「し」が区別できないのと同じか? ホントなの〜。 福岡の人おせ〜て〜。 ドラマの最後に「これはフィクションです」の文字が小さく書かれていた・・・。 参考文献・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
人物伝
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これは愛国党総裁「赤尾敏」が銀座数寄屋橋で辻説法をしていた時、場所の移動をお願いに来た某大手電気メーカーのキャンペーン責任者に対する言葉。 赤尾 敏(あかお びん 1899年1月15日 - 1990年2月6日)は、日本の政治家、元衆議院議員、右翼活動家、元大日本愛国党総裁。東京都銀座数寄屋橋の辻説法による過激でユーモアをたたえたアジテーションで有名。
三宅島に移住した赤尾は「武者小路実篤」が唱えていた新しき村運動(原始共産制の実現を目指した社会運動)の実践を志し、貧困の中にあった島の孤児らを引き取って共同農場を運営した。 農場では階級の別なく平等に作物が分配されるなどユートピア的な制度が用いられ「新しき村」運動に賛意を示していた作家「幸田露伴」は赤尾の理想に共感して彼と面談している。 この時に三宅村神着地区の旧名主浅沼家とも知り合い、後に日本社会党委員長となる「浅沼稲次郎」や大日本愛国党参与となる「浅沼美智雄」(稲次郎とは遠縁になる)らとの交流が始まった。 赤尾は理想的社会主義社会を建設する事を夢見たが、農場は島の有力者に接収される。 アナーキズムの大家であった「大杉栄」や後の日本共産党書記長「徳田球一」らの支援を受け熱心に活動した。 指導力を妬んだ仲間の裏切りによって逮捕されてしまった。 左翼運動に深く失望した赤尾は釈放後の1925年に転向を決断する。 1942年、東京6区から出馬して3位当選を果たし「鳩山一郎」「斎藤隆夫」「中野正剛」「笹川良一」などと同様に翼賛政治会(翼政)に加入。 1943年の第81通常議会では戦時刑事特別法改正案に抗議し委員を辞職。 第82臨時議会では施政方針演説に臨もうとした「東條英機首相」に対し野次を飛ばして議場退場処分、右翼ながら筋を通した反体制派議員としての行動が目立った。 第二次世界大戦後にGHQによって公職追放。 追放解除後の1951年、大日本愛国党を結成し総裁に就任。 参議院全国区では最高で122532票(第6回参院選)を獲得。 参議院不要論を唱え、参院選のたびに自分へも投票せず棄権するよう訴え続けた。 党員であった山口二矢(事件当時は離党)が起こした浅沼稲次郎暗殺事件では取調べを受け、嶋中事件では殺人教唆で逮捕されている(証拠不十分で釈放)。 赤尾が個人的に交流のあった浅沼を「善人だから始末に悪い」と評した。 事件後赤尾は浅沼の妻享子や三木睦子と電話で連絡を取り合ったというエピソードもある。 銀座数寄屋橋での辻説法は当地の名物であった。 街頭宣伝車を導入した右翼のはしりとも言われる。 韓国にも好意的で「北朝鮮打倒のために日韓は協力すべき。領土問題がそれを阻むと言うなら、竹島など爆破して沈めてしまえ!」と主張した。 第二次世界大戦前の左翼活動の中で感じた憤りから徹底して世の中の矛盾を糾弾し、歯に衣着せない、狂信的とも見えるが筋の通った演説は市井の零細企業経営者から与党政治家まで幅広い支持者を得た。 第二次世界大戦前の国会議員時代から、反共産主義、反ソ連の立場から対アメリカ、対イギリス開戦に反対し、反戦演説会を開くなどした親英米派右翼の典型でもあり、戦前右翼からは「売国奴」との風評もある。 北方領土問題については「南樺太・全千島列島が日本固有の領土である」と主張した。 愛国党総裁 赤尾敏 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋 左翼思想の綺麗ごとから右翼に転向した人間は多い。 若い頃は怒鳴り飛ばした「赤尾敏」より、怒鳴り飛ばされた方に好意的だった。 しかし「金権(金融)資本主義」が崩壊した現在、 あの時の判断が正しかったのか、ふと思い出しました・・・。 |
ローマで開かれた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後に、ろれつが回らない状態で記者会見して辞任に追い込まれた中川昭一前財務・金融担当相が、14日の会見終了後、同行した財務省幹部や現地大使とともにバチカン市内を約2時間、観光していたことが19日分かった。 財務省によると、礼拝堂などバチカンの主要施設を見学したという。 記者会見での失態ぶりが世界のメディアで報じられ、日本の経済財政運営に対する国際的な信用を大きく傷つけた直後の行動だけに、新たな批判を呼びそうだ。 バチカン観光について、財務省は「中川氏の希望で当初から予定していた日程」と説明している。 また、G7初日の13日夜に開いた懇親会には財務省幹部に加え、男性記者2人、女性記者2人が出席していたことが判明。 懇親会は深夜0時半まで約1時間50分にわたり、中川氏はこの場でジントニックを3、4杯飲んだという。 翌日は午前8時15分からG7の2日目の会合が始まった。 中川氏が14日のG7昼食会を途中退席し、ローマ市内のホテルのレストランで食事をとった際には財務省幹部や通訳のほか、前日の懇親会にも参加した女性記者1人が加わっていた。【赤間清広】 最終更新:2月19日21時38分配信 毎日新聞 ろれつが回らない状態で記者会見して終了後、財務省幹部や現地大使とともにバチカン市内を約2時間、観光していた・・・。 すご〜〜〜〜い。 こんな状態だったのに・・・。 国際記者会見の場。 ろれつが回らない人間を見ても〜。 当事者達は誰一人として、恥ずかしい姿だとは思っていなかったのか〜。 事情を知らない国民は・・・。 中川昭一前財務・金融担当相の体調を心配しちゃった・・・。 恥ずかしい画像が世界に配信された事よりも、アル中の体調を心配した事の方が恥ずかしい。 善良な国民をバカにするな〜〜〜! 「志村のバカ殿」だって〜。 側近は必死に「バカ殿」を、かばっているのだ〜。 自分達が生きている藩(会社や国)の為に・・・。 役人達よ〜! 世界に日本の「恥」を晒すな〜。 役人達よ〜! アホな議員でも、日本の為に確実にカバーするのが役目だ〜。 一緒になって「アホ」をやるな〜。 主役がダメでも〜。 脇役がしっかりしていれば〜。 立派なドラマは出来るのだ〜。 この国は「政治家と官僚」の常識レベルが低いから、確実に崩壊への道を歩んでいく・・・。 |

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【ローマ藤原章生】ローマで14日午後に閉幕した先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)の記者会見の席上、中川昭一財務・金融担当相は、体調が優れないのか、時折ろれつの回らない口調がみられた。 時差ぼけの影響か、疲労によるものか原因は不明だが、初めて目にしたイタリア人の政府職員からは「彼はどうしたんだ」という声が聞かれた。 中川氏は、白川方明日銀総裁らと会見に臨んだ。 中川氏は終始眠そうにまばたきを続けていたかと思うと、白川総裁に対する記者の質問に「何、もう一度言って」と割り込んだり、いきなり語調を強め「どこだ」と質問した記者の位置を確認するなど、不自然な態度が目立った。 また「アメリカの対策も……、一応……説明を、説明を……受けましたし」と、かなり遅い口調で語る場面もあった。 2月15日22時9分配信 毎日新聞 あほう首相に似てきたか・・・。 衆議院本会議で「渦中」を「うずちゅう」、「改正」を「改革」、「削減」を「縮減」などの読み間違えがあり、財務省が26ヵ所の訂正を申し出ているし〜。 記者会見で「あくび」をしている顔が世界中に配信されちゃった・・・。 彼は〜、 自他ともに認める大の酒好き〜。 2000年の総選挙でも、選挙事務所で酔った姿が全国に放映された〜。 酔っ払って墨の量も考えずにダルマに目を入れちゃったから〜。 黒い涙になってしまった〜。 今回も二日酔い?だったと思うけど〜。 日本の代表として恥ずかしい・・・。 将来の首相候補として期待していただけにショックは大きい〜。 中川 昭一(1953年7月19日 ‐ )
科学技術庁長官を務めた中川一郎は父。参議院議員中川義雄は叔父。 麻生内閣が打ち出している2兆円の定額給付金について「少しでも使われず、不用になって(国庫に)戻ってくる方が財政的な観点からはいい」と発言しており、高額所得者などが受給を辞退するのが望ましいとしている。 2006年4月7日、二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に「この構想は中国の参加を想定している。昨年春に中国で起きた反日デモの、一般人や民間企業が襲われたことの総括もできていない」 同日「日本は中国と経済連携協定締結の努力をするべきではない。なぜなら中国は日本国民の安全を保証できないからだ」 同年6月6日、日本政府が凍結していた中国向け円借款の再開を決めたことについて 「なぜ中国に対し、また援助するのか。正直言って分からない」 2006年12月19日、官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた1993年(平成5年)の「河野洋平官房長官談話(略して『河野談話』)」について早期に見直しを検討すべきだとの考えを示した。 自身の核論議発言に関しては直後に雑誌で「最近は非核三原則に『言わせず』を加えた非核四原則どころか、『考えてもいけない』という非核五原則だ」と批判。 週刊新潮(2007年2月2日号) 旧ソ連の北方領土侵略を「20世紀最大の国際法違反」とし、 外務大臣であった麻生太郎が唱える「北方領土・面積二等分論」を激しく批判。 2007年12月17日、 「原爆投下はアメリカが世界ナンバーワンの軍事力を持つための実験だった」 「我々は実験台にされた」 アメリカに抗議し、国会でも非難決議を行うべきという見解。 1998年7月31日、「強制連行があったのか、なかったのか分からない。中学校教科書に従軍慰安婦問題が記述されたことも疑問だ」 2008年10月17日、会見の場で日の丸を掲揚した際、会見を主催する財務省の記者クラブ・財政研究会の記者が 「国民の中には違和感を持つ人もいる」と発言。 「世界に発信する場という認識で国旗掲揚は当然だ」 2005年8月13日、1998年にミサイルを発射した北朝鮮について 「相手(北朝鮮)はまともな国ではない。気違いだと思っている」 2007年2月、「中国は北京オリンピックを契機に経済・軍事的台頭を終える準備を進めているのではないか。日本はあと20年もすれば中国の省になっているかもしれない」 中国脅威論を唱えた。 2007年4月15日、中国の首相「温家宝」が来日した時、 「日本のナンバー1が行ったのに、中国のナンバー3が来るというのは、外交儀礼から言っておかしい」と、中国の外交姿勢は非常識であると批判した。 2007年4月22日都内で行われた拉致問題の国民大集会に出席。 北朝鮮の不誠実な態度を激しく批判したうえで、日本独自で北朝鮮への「テロ支援国家指定」を可能にできる法整備に言及。 2007年7月6日、1993年の従軍慰安婦問題に関する河野談話について「(河野洋平氏は)自虐的な方」、「外国なんか、うそでも誇りを持って(話を)する。(日本政府が)真実と思われるものを封じ込めているのは納得できない」 父・一郎の自殺後に起きた鈴木宗男との跡目争いは、マスコミから骨肉の争いと書き立てられた。 当選後は父の派閥であった自由革新同友会に所属、その後は清和会→亀井グループ→志帥会と歩み、農水系の有力議員として地歩を築いた。 早くから竹下派で頭角を現し、経世会系の実力者に上り詰めた鈴木宗男に後れを取っていた。 両者の実力が逆転したのは、小泉政権下であり、中川が一貫して党幹部・閣僚として政権中枢にあったのに対し、鈴木はスキャンダルで離党・逮捕されるに至った。 2007年11月28日、中国による東トルキスタンとウイグル人に対する弾圧に対する強い懸念を示した。 中川秀直と区別するため、昭一を「中川(酒)」 愛人スキャンダルのあった秀直を「中川(女)」と表記する。 石原宏高(衆議院議員、旧興銀の後輩) 三木谷浩史(楽天社長、旧興銀の後輩) 中川昭一 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋 |
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昨日のアンビリバボー100連発で11年間の「ベスト1」に輝いたのが〜。 この作品だ〜。 奇跡の大逆転1/3 奇跡の大逆転2/3 奇跡の大逆転3/3 オペラは生で聞いた事は無いけど・・・。 良いものは、ジャンルを超えて良いんだよね。 夢と現実は違う。 しかし、いくら現実の生活に追われても「夢」を捨てる必要は無いよね・・・。 |




