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故談志師匠の話 上方落語四天王の一人、三代目桂春団治の「野崎詣り」 三代目桂春団治 歌や芝居に表現される春団冶の破天荒でやたけたなキャラクターは、当代の春団治には当てはまらない。 むしろ「繊細」「華麗」という表現が当代の芸風に当てはまる。 語り口は淡々として艶やか。 爆笑噺を得意とした初代や2代目とはまた違う上品さを持ち合わせており、その高座は「奇麗な芸」とも形容される。 落語の導入部である「枕」を振らず、いきなり本題に入る型をとっており、最近の若手の落語の導入前の噺は枕とは言わずただの世間話と苦言を呈しており、本題より枕が受けるのはどうかと言う考えを持つ。 上方落語の特徴である見台は使わない(但し『代書屋』『寄合酒』ではまれに使用する場合もある)。 また、羽織を脱ぐ仕草一つにも拘りを見せる。 残念ながら、羽織を脱ぐ仕草は映っていない・・・。 弟子には「4代目桂福団治」「2代目桂春蝶」「桂春之輔」「桂春若」「桂春駒」「3代目桂小春団治」 「故談志師匠」も認めた、三遊亭百生の「船弁慶」 付録 上方落語の四天王(三代目桂春団治・六代目笑福亭松鶴・桂小文枝・桂米朝)の他の人は↓ 弟子には「笑福亭仁鶴」「笑福亭鶴光」(落語芸術協会)「笑福亭鶴瓶」 付録に桂小文枝(5代目桂 文枝)の「天王寺参り」 弟子には「桂三枝」(2012年7月に「6代桂文枝」を襲名予定)「桂きん枝」「桂文珍」 弟子には「月亭可朝」「桂枝雀」「桂ざこば」「桂吉朝」「桂米團治(長男)」「桂すずめ」 桂すずめ(女優:三林京子) 大阪芸術大学短期大学部専任教授、女優。
過去に文化審議会委員と大阪府教育委員などを務めた。 おまけ 米朝の弟子「桂枝雀」の得意な演目『代書屋』 『代書屋』は米朝の師匠「桂米團治」の体験を元にした創作落語。
米朝は枝雀に伝えると自分では高座に掛けなくなった。 内弟子の一日 ネタのけいこ 基礎知識 ,
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落語の世界
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故談志師匠の話です〜〜〜 落語は上方からやってきた〜〜 故立川談志師匠は「上方落語」を評価していなかった事が判る。 若手の頃、志ん朝と仕事で来阪した際に、空き時間にたまたま6代目笑福亭松鶴の「らくだ」を聞いて、2人とも打ちのめされるほど感動し評価を一変させた。
5代目桂文枝を好きな上方噺家の1人として挙げている。 志ん朝師匠は立川談志師匠の後輩。 しかし、真打に昇進したのは「志ん朝師匠」の方が先だった。 ここで2人の天才に、ひと騒動有るのだが話は別の機会に・・・ 動画までのあらすじ 町内の嫌われ者「らくだ」がフグを食べて死んでいる。
そこへ尋ねてきた「兄貴分」が発見し、葬式を出してやろうと思うが金が無い。 通り掛かった「屑屋」を捕まえて、家財道具を売り払おうとするが金目の物は無い。 そこで「屑屋」に町内からの「香典集め」、大家へ「酒と肴」の要求、八百屋へ「棺桶代わりの漬物樽借り」とパシリをさせられる。 もし断られたら「死骸のやり場に困っております。ここへ背負ってきますから、どうか面倒を見てやってください。ついでに『かんかんのう』を踊らせてご覧にいれます」 今まで、パシリで動き回っていた「屑屋」に「兄貴分」が大家から届いた酒を飲ませる場面 「らくだ」は、全て演じると1時間近くなる。 この後にも、埋葬するまでの話があるのだが・・・。 3代目桂米朝も「らくだ」を演じているが、松鶴存命中はあえて演じなかったらしい。 蛇足・「らくだ」と言うあだ名に付いて 1821年(文政四年)両国に見世物としてラクダがやってきた。
砂漠でその本領を発揮するラクダだが、それを知らない江戸っ子達は、その大きな図体を見て「何の役に立つんだ?」と思ったらしい。 そこで、図体の大きな人や、のそのそした奴をラクダになぞらえて表現したことが下敷きになっている。 わたしの自叙伝 6代目笑福亭松鶴 1918年8月17日 - 1986年9月5日
父は同じく落語家5代目笑福亭松鶴。 母は落語家6代目林家正楽の養女。 息子は同じく落語家5代目笑福亭枝鶴(後に廃業)。 上方落語の復興を果たす。米朝、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)、3代目桂春団治とで『上方落語界の四天王』と讃えられた。 豪放な芸風と晩年の呂律が回らない語り口(1974年頃に脳溢血を患った後遺症による)が知られているが、若い頃はまさに立て板に水というところで、テンポよく迫力のある語り、酔態や子供の表現の上手さで人気を得た。 エピソード 桂春団治と新世界の飲み屋で、それぞれの弟子を連れて飲んでいた時の事。 近くの席でヤクザが女に因縁をつけているのを見つけた松鶴は、春団治にアイコンタクトを取りつつ「三代目」と代数で呼びかけた。 状況を察した春団治も松鶴を「六代目」と呼び、弟子たちも師匠を「おやっさん」と呼ぶなどしてしばらく会話しているうちに、件のヤクザは席を立っていた(『六世笑福亭松鶴はなし』春団治の回顧)。 東京の落語家とも親交を持ち、東京でも「六代目」と呼ばれた。 特に5代目柳家小さんと三笑亭夢楽とは同じ世代でもあり無二の親友であった。 松鶴自身東京の若手をもよく可愛がり、7代目立川談志と3代目古今亭志ん朝は松鶴に心酔した。 弟子の鶴光が東京の落語芸術協会にも加入した時、周りの芸人たちが「六代目の師匠にはかわいがってもらいましたから」と手厚く扱ってくれ、改めて師匠の偉大さに気付いた。 また、2代目快楽亭ブラックも短期間ではあるが、松鶴に世話になった事がある。 弟子には「笑福亭仁鶴」「笑福亭鶴光」(落語芸術協会)「笑福亭鶴瓶」 付録 桂小文枝の「天王寺参り」 5代目桂 文枝 桂小文枝が1992年には5代目桂文枝を襲名する。
1930年4月12日 - 2005年3月12日 弟子には「桂三枝」(2012年7月に「6代桂文枝」を襲名予定)「桂きん枝」「桂文珍」 こうしてみると、現在の「上方落語」の原点が判る。 『上方落語界の四天王』がいかに日本の落語(関東落語)界に影響を与えたか〜〜〜 おまけ 「手紙無筆」と笑福亭松鶴師匠が入門しようとした役者「曾我廼家五郎」の暑中見舞い 小米朝の決意 2008年10月に『桂米團治』襲名を控えた「桂小米朝の特番」 南光の話が良い。 「こぶ平が正蔵になれたのですから」 名言なのかも知れない。 野球では「新城が大リーガーになれたのだから」が、日本の球児に夢を与えたし・・・。 、
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代書 上方落語の演目の一つ。「代書屋」とも呼ばれる。 昭和10年代、大阪市東成区今里の自宅で副業として(一般)代書人(今日の行政書士のルーツ)を営んでいた4代目桂米團治が、その経験から創作した新作落語で、1939年4月初演。 原典は雑誌『上方はなし』第46集(1940年5月発行)に掲載されている。 この『代書』では、従来の落語で使われてきたクスグリが一つも使われていないことが、作者の自慢であった。 発表当時から人気作となり、米團治が高座に上がると客席から「代書屋!」「代書!」と叫ぶリクエストが絶えなかったという。 米團治から直弟子である3代目桂米朝に伝えられたが、米朝は3代目桂春團治と2代目桂枝雀に付けた(伝授した)後は、彼らの十八番となったこともあり、高座に掛けなくなった。 米朝の息子である5代目桂米團治(前・桂小米朝)も5代目米團治の襲名にあたり『代書』に力を入れている。 現在では上方の新作落語の中でも半ば古典に近い存在となり、東京にも移植されている。 2代目桂小南をはじめ3代目柳家権太楼、古今亭寿輔など多くの落語家が手掛け、東西とも広く親しまれている名作である。 桂枝雀 1984年(昭和59年)3月28日東京歌舞伎座にて「第一回桂枝雀独演会」を開催。
会場では大入り袋が出た。 桂雀々 、桂べかこ(後の3代目桂南光)が前座に入り、枝雀は「かぜうどん」を演じた後で中入りとし、前後編に分けることの多い「地獄八景亡者戯」を一気に演じきった。 終了後は緞帳が下りても観客の拍手が鳴り止まず、再び緞帳を開き感謝の挨拶を行った。 上岡龍太郎が20歳頃に米朝の弟子になろうとしたが、米朝宅で枝雀(当時は小米)を見かけ、かなわないと思い弟子入りをあきらめたという。 上岡は枝雀を「幻の兄弟子」として尊敬し続け、自身が司会の『EXテレビ』にて笑いの理論「緊張の緩和」についてのインタビューを行ったこともある。 米朝一門会で演じた際には枝雀が前トリであったことから、トリの米朝から 「ほんまは大食いのオチなんですけど、あんな派手な噺やなかったんですが……」 『代書』が創作されてから70周年にあたる2009年には、4代目米團治のかつての代書屋跡でもある大阪市東成区役所敷地の一隅に、地元の有志団体「東成芸能懇話会」ほかの発起により、大阪市ほかの協力を受けて、4代目米團治の顕彰碑が建立された。 同年5月2日の除幕式には桂米朝らゆかりの人々も出席し、東成区民ホールでは5代目米團治によって『代書』が口演された。 弟子の桂南光が語る 『代書』アレンジの理由 後に、登場人物の職業を「ガタロ」から「ポン菓子屋」に変えたらしい。 「ポン菓子屋」に成ってからの話は聞いた事が無かった・・・。 ガタロ 「河太郎」(河童)がなまって「ガタロ」。 関西では年寄りとか普通に使う言葉。 恐らく、抗議が殺到したからだと思うが・・・。 付録 「3代目桂春團治と2代目桂枝雀に付けた(伝授した)後は、彼らの十八番となったこともあり、高座に掛けなくなった」 その幻の話です。 桂米朝 落語研究家としても活動を行い、一度滅んだ噺を文献から発掘したり、落語界の古老から聴き取り調査をして多数復活させている。 入門当時には衰微を来たしていた上方落語の復興を願い、共に上方落語四天王と讃えられた6代目笑福亭松鶴、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)、3代目桂春団治らと東奔西走して尽力した。 現在の上方落語の隆盛は米朝・松鶴らの功績であるというのが衆目の一致する処である。 「米朝師匠」は「古典落語」(昔の話)をする時、観客に判らないと思われる「言葉」をマクラで説明して、出来るだけ昔のままに演じていた。 だから「歴史」として、非常に興味のある話が多かったのだが・・・。 弟子達はバラエティーに富んでいた 月亭可朝・桂枝雀・桂ざこば・桂吉朝・桂米團治(長男)・桂すずめ(女優:三林京子)など
桂すずめ(女優:三林京子) 大阪芸術大学短期大学部専任教授、女優。 過去に文化審議会委員と大阪府教育委員などを務めた。 どれを取っても、米朝の弟子とは思えない面々が揃っている。 その中で、米朝に近いと思われたのは「桂吉朝」だったが「桂枝雀」同様、既に早世している。 2002年の東京・歌舞伎座の口演を最後に一線を退く。 11月3日、演芸人として史上初の文化功労者顕彰を受ける。 おまけ 「関東の落語、関西の漫才」だと育って来たので、上方落語に関心を持ったのは近年。 昨年なくなった「立川談志師匠」も「代書屋」を演じている。 立川談志 代書屋 3/3 デキとしては、良くないと思う。 では何故演じたのか? 放送禁止用語が発表された時「立川談志師匠」は猛反発をしていた。 「床屋」もその中に入っていたので、これでは落語が出来ないと言っていた。 恐らく、人気の演目なのに「桂枝雀師匠」が割愛してしまった朝鮮半島の下りを演じたかったのだと思う。 本当の話は、こうだったと言いたかったのではないか? 「桂枝雀師匠」が何故、後半をカットしてしまったのか? これだけ受けていた話の登場人物の職業を何故変更したのか? 何故、絶頂期に「自殺」をしてしまったのか? この辺の答えが有る様な気がする。 画像の話は、絶頂期の物らしい。 これからの「代書屋」は「桂枝雀師匠」の話が継承されていくのだと思うが・・・。 笑いの為に、時代背景が消えてしまうかも〜〜〜 立川談志 タブーを物ともしない過激ぶりで有名なのが吉本興業批判。 自著で初代桂春団治が晩年非業の死を遂げたという例をあげ「あそこ(吉本興業)の使い捨て体質は戦前から(創業時からの伝統)なんだよ」と批判しており、吉本が東京に進出して以降、テレビの出番が減っている。 自他共に認める、無鉄砲なまでの冗談・いたずら好きであり、洒落か本気かわからぬ行動によるこの種の武勇伝は極めて多い。 エピソードの一つとして、レポーターやナレーション業で知られる「神太郎」が付き人だった時の話がある。 地方興行の折、夜中に突如「トランプを買ってこい!」と無理難題を押しつけられたが、機転を利かせた神はバーへ行き、バーテンダーからトランプを調達して、談志を唸らせたという。 桂南光について 東西の落語家が集まる酒席で、泥酔して、談志に「あんたの落語は素晴らしいけど、あんたがマスコミやら何やらで、下らない話をするのはがまんがならん。もし生活のためにやってはるんやったら、贅沢はさせてあげられまへんけど、あんた一人ぐらい私が面倒みてあげますさかい、落語に専念しなはれ」と暴言を吐いた時に、
談志は「ま、いろいろあるんだよ」と言って笑って咎めず、その後弟子一同に対し、桂南光と言う男はなかなかの男だから、関わる際には失礼の無いようにと申し渡した。 この話をテレビ番組の対談で南光から直接聞いた談志の弟子の志の輔は、師匠から大体の話しは聞いていましたが、そこまでとは、東京の落語家では偉い人でも(大師匠クラスを指すと思われる)そこまで言える人はいません、恐れ入りましたと語った。 3代目桂米朝について 桂米朝とは若手時分より大阪や東京での米朝独演会に参加する、「兄貴」と呼ぶ(入門は米朝が1947年、談志が1952年)など友好関係を築いている。
また「米朝さん」と呼んでいるなど敬意を表し、「滅亡寸前の上方落語の中興の祖」と評している。 2代目桂枝雀について 2代目桂枝雀の「笑いは緊張と緩和」であると主張したこと(緊緩理論)を支持していたが、当の枝雀の芸に対しては「好きになれない」と低い評価をしていた。
ただし、志ん朝の死後「(志ん朝は)さっさと死にやがって、俺は死にたくても死ねないのに…(桂枝雀の死は自殺と言われている)。志ん朝と言い、枝雀と言い、俺がライバルと思ったやつはみんな先に死んでしまう。死なれちゃあ、勝てないじゃないか」と彼独特の表現でその死を悼んでいる。 桂南光が語る「師匠」の姿 、 、
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故談志師匠が復活するらしい。 第2部で談志の「芝浜」をやる? 楽しみだね〜 内容は他の落語家がやる「芝浜」とはチト違う。 登場人物の立場で考えた解釈が入っているから、違った演目の様になっている。 例えば、海の水で顔を洗うのだろうか? 貧乏していた「かみさん」が大金を眼の前にした時、習った通りの完璧な人物なのか? 個人的疑問を元に、工夫をしている。 人情話として、完成に近いデキだと思うが・・・。 正に「しゅはり」 先人の教えを守る「守」 良く理解した上で教えの矛盾を破る「破」 自分の理論を確立する「理」 「源平盛衰記」等が良い例だが、故談志師匠の話は他の落語家と聞き比べれば違いが判る。 「代書屋」だけは、米朝師匠の方が良いが・・・。 お時間が有れば是非見てください。 放送が見られない関東以外の人は後日MXTVにより、ユーチューブにアップされると思います。 、
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内弟子の一日 ネタのけいこ 故談志師匠が語る「上方落語史」? 落語は、上方が発祥だったのね〜〜〜。 故談志師匠も絶賛している。 オラは子供の頃から「落語は関東」だとバッカリ思っていたから、成人して「米朝師匠」の話には驚いた。 付録 上方落語の内容だから関東では違和感があるけど〜 落語を見るのに役立つ基礎知識 あなたの身近の落語会 江戸時代の大阪船場の町並み、番頭と丁稚のやりとり、タバコを吸う仕草、裏長屋等をビジュアル表現。
天満天神繁昌亭の舞台裏を公開。
楽屋、神棚、根多帳、囃子場、舞台、ちょっとだけ時うどん、送り出し ,
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