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うさぎのしっぽのブログ
よき1年になりますように。

書庫東日本津波原発事故第震災

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7年目の3.11


みなさん こんばんはm(__)m
2011年3月11日の東日本大震災より7年という月日が経ちました。
そして3月12日の早朝に避難ということになり
荷物は最小限に犬猫の同伴は認められず
車での移動も出来ず
着の身着のままで家を後にしてから2557日。
365週2日。
84ヶ月。

まだ7年という思いはなくて
もう7年も過ぎたのに
まだまだ復興は道半ば。
私の故郷は、住んでた地域はあの日から手つかずのままです。
復興は進んでないのです。
原発の廃炉作業も40年とも言われています。
また40年でも終わらないんじゃないかとのことばも耳にします。


岩手県、宮城県、福島県の3県ともに
今日のテレビからの映像では復興したとは言い難いと思いました。

東日本津波原発事故大震災(11.3.12)
おかめたちを残して家を出ました。
バスに乗っても西に向かうというだけで何処に行くのかも分からないというミステリーバスに乗ったような思いで不安で心配で堪りませんでした(´;ω;`)

当初に避難したところから歩いてでも帰りおかめたちと死してもいいとさえ思いました。
幸いなことにツレの知り合いからの電話で実家が会津の隣の喜多方で車を借りられることになり
保護団体の方と家で待ち合わせることになりました。
11.4.14 約1ヶ月後のことでした。
その時の写真のおかめちゃん
イメージ 3

↓の写真は5月5日の伊豆のお山でのおかめちゃんです。
イメージ 4
弁慶が家にいなくて
いわき市で保護されているとの連絡がはいり
弁慶も伊豆のお山に行きました。
長期預かりより里親に出した方が幸せになれると言われて
命が助かるのならと里親に出すことにしましたが
いわきの姉の所から弁慶が伊豆に行く時に手紙を託していました。
伊豆で長期預かりをしてくれることになり
恐縮しながらもお願いすることにしました。
「この子たちと暮らそうと思ったら再建も早くなるんじゃないか」
そんなふうに言ってくれました。
とてもありがたかったです(´;ω;`)
イメージ 5

11.4.14 ほまにゃんとしまちゃんです。
イメージ 1 イメージ 2

避難したのが12日
10日ほどで体育館に移動して
4月3日に会津の温泉宿に入りました。
仮設に入居したのは11月になってから。
我が家と言えるところが出来たのでとても嬉しかったのを覚えています。
11月上旬におかめと弁慶を迎えに行き
下旬にはほまにゃんとしまちゃんを迎えに行きました。
仮設でのほまにゃんです。
イメージ 6

会津でおかめちゃん動物病院に行った時です。
イメージ 7

ほまにゃん、今は孫んちになった家での写真です。
イメージ 8

順不動ですが
おかめと弁慶。伊豆のお山で海を眺めながら「おかあさんに会いたいね」なんて話しているのかな。
イメージ 9

今夜のほまにゃんです。
イメージ 10
今年で20歳ですが椅子の上には上がれますのでまだまだ元気です。(耳からの出血がある程度治まってくれてるといいのですが)
イメージ 11

13年4月
我が町で家を持った人は100人くらいだそうよと聞きました。
仮設にいて家が決まったとはまだ言えない頃でした。
早い方だったと思います。

これで良かったんだと言い聞かせてはいますが
本当にこれで良かったのかという思いは付きまとう日々です。

もっと別の道はなかったのか
ここで良かったのかなどなど
ふるさとに帰還するという選択肢も狭まり
こころが塞ぐ日もありますが
当初よりも
またここに来たころよりも
元気になったことも確かなことです。


今日は2時46分サイレンが鳴り渡り
黙とうしてたら無意識に
ポロリと一粒の涙がこぼれました(´;ω;`)

もう7年もたったのに・・・・・



今日16時49分、福島県沖を震源とする地震がありました。
M5.7
最初に飛び込んできたのは震度5弱
ごぉぉ〜という音と共にかなりの揺れを感じました。
地震はいつでも3.11を思い出しますが
今日の地震も東日本大震災の余震とのことでした。
楢葉町、双葉町、南相馬市、相馬市、宮城県岩沼市が5弱でした。
青森や反対側の日本海までも揺れました。
我が家のある町は震度4でしたが大きく感じました。
地震のあった時刻には
小太郎を散歩させようと孫んちにいました。
(小太郎は日中は孫んちの庇の下にいます・・・おかめや弁慶のいたところです)
何かが落ちたような音がして見たら
冷蔵庫の上にあったプラの餌入れでした(今は使ってない)

テレビの速報を見て落ち着いたので小太郎の散歩を済ませて
家に戻り
玄関のドアを開けたら
イメージ 1
鉢スタンドが倒れて、鉢植えが割れていました。
家の中では軽い物などが少し落ちてもいましたが
この鉢植えは「頭でっかち」だったかもしれません。
反対側には鉢は置いてませんでしたし、高いところに置いた瀬戸鉢が重かったのだと思いましたが
外の物入れ(倉庫)の棚に置いてた水の入ってるペットボトルが
何本か床に落ちていました。

発表の震度4よりは大きかったのかもしれません。
同じ町でも場所によっては揺れも違うと思いますし地震の震度計がどこに設置されているかでも違ってくると思います。
3.11の時も家の建て方にもよるとは思いますが
地盤によっても違うし
地震の通る道もある気がします。

ともあれ
この時期に大きな地震は
忘れもしない3.11のあの日の恐怖が蘇ります。
6年も経ってもその余震ということは
東日本(あえて津波原発事故)大震災がどれほどに大きなものだったのかということを思い知らされます。
最近地震が多かった気がします。

今回も大きな被害は出てないようですので一安心ではありますが
いつどこで
災害が起きるかわかりませんので
心の隅に置いといて過ごしましょう。

*日付が変わってしまいました<m(__)m>
3月になりましたね
今月もよろしくお願いいたします。

東日本大震災の余震

今朝は地震で飛び起き、枕元に置いてる着替えを抱えてリビングでテレビをつけた。
5時59分、震源地福島県沖

地震だな・・・と思っているとエリアメールがなって揺れも大きく、先日届いたキッチンボードのオーブンやマルチグリラーが落ちるんじゃないかと頭を過った。
食器も落ちるかもしれない。
抑えなくちゃ・・・テレビもつけなくちゃ。。。
着替えは相変わらず抱えたまま。
テレビを見ながら震度5、マグニチュード7.3(から7.4に変更)
当然のようにあの日が嫌でも蘇る。

実際には津波は見てない私だが、津波が到達した地域の方は避難所に避難したらしいとのことを耳にした。
今沿岸部は人の住めないエリアになっているが、ぎりぎり免れた家も、津波に遭いながらも直して住めるようになった家もあるでしょう。
あの時に津波を目の当たりにしていた人たちは、その怖さを知っているので、避難したのだと思う。
また町の方でも、避難を促したのだと思う。

私の住む場所は
東に6号バイパスがあり、その東には火力発電所があり
3.11の時はバイパスを超えて津波が押し寄せることはなかったとのこと。
ただ川からは津波も押し寄せて、線路から東側は川からの水が被ったと聞いている。

ここは標高が低い(地震だ!)駅は海抜低いところで
川の水もモーターで吸い上げて流してるような地域です。
大型台風が来たら、家には水は上がらないにしても
道路は川になってしまうだろうと話しています。
実際に駅前は台風が来ると浸水します。

津波は、火力があったために免れたように聞いています。
住所が深町と付くのが気になりますね。

話は戻して、津波は3.11以上の物がこない限りは
大丈夫だろうと思っていますが
地震は怖いです。
裸になった原発も津波を被ったらどうなってしまうのかと
不安です。
19日に大熊町の様子を目の当たりにしてきての
今朝の地震
思い出さない分けがありませんが
「東日本大震災を思い出してください」「逃げてください」
決して間違っていないけれど
気持ちが滅入りました。

午後に津波注意報や避難も解除になり
夕方になると
朝のサイレンの音の恐怖もなく
妙に静かに感じました。

3.11の時は不安と緊張が続きっぱなしだったけれど
今日は一段落して、緊張もとけたのかとても心労を感じました。
茨城や宮城でも津波もあり
けがをした方もいたようです
なるべく慌てずに行動いたしましょう。
一日も早い回復をお祈りいたしています。

最後に
メールや電話、LINEやFacebook等でご心配のお言葉をいただきました。
お心に止めていただいてありがとうございました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
皆さんも、何かにつけてお気をつけてお過ごしくださいますように。
イメージ 1
遠いので見えにくいですが、試験走行の電車です。昨日です。
今日は走りませんでした!?
イメージ 2
ご近所の皇帝ダリアがきれいに咲いています。

4年10ヶ月


犠牲になった方と
未だに帰れない人たちの為に・・・
また、この4年10ヶ月の間に
天変地異で被災した方たちを思いながら(合掌)

先日帰還宣言のあった楢葉町が5年ぶりに「秋空散策歩こう会」を
実施するとのこと。
原発事故前は毎年楽しみにして参加していた。
広野町、楢葉町、帰還してる人は少なくても一歩ずつ前に進んで行こうとしている。
我が町大熊は取り残されてしまっているような。
原発のこの先も見えず、中間貯蔵施設の話しも頓挫して進んでいない。

原発のこと中間貯蔵施設のことなど
考えれば、帰還宣言したとしても帰りたくない町になってしまった。
帰還宣言して一歩を踏み出す人にもなりたい
でも、中間貯蔵施設やどうなるのかわからない原発を考えれば
帰りたくないのも事実で
放射能の影響が本当はどうなのか、
出荷しないまでも稲刈りをしてる傍では除染作業をしている
真実はどこにあるのか
この先がどうなるのか
安全と安心は違うような気がする。
一度や二度ならず本当に信頼を失ってしまった東電へ対して
保障や倍賞をしたから、あとは好きにしてください
そう思っているなら、それは違う
町民が安心できる町に戻してほしい。
生きてはもどれない
ここで生きると決めては見たものの
生まれ育った町、苦労して持った家、子育てしてきた町
骨を埋めるつもりだった町
安寧の中で暮してきた町
友達や知人と笑え和えた町

忘れちゃいけない原発事故、それでも心の隅っこに追いやって
過す日々、
時々むくむくと悔しさが湧き上がって
私を悩ませます。

月日の流れの中で
天変地異は起こり災害に被害
多くの人が翻弄されているこの頃

人同士のことも含めて
もうこれ以上、不幸なことが起こりませんようにと
心底思います。

真実がどこにあるのか解からないままに過す毎日です。

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