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4月19日に新潟県長岡市の山本五十六ゆかりの地を訪ねて続編の最終回です。
模擬原爆の投下地点を訪れた。
1945年(昭和20年)7月20日に長岡市内 信濃川の支流 太田川付近に一発の大型爆弾が投下された。
長岡に投下された初めての爆弾だった。後に分かったが原爆の投下練習用の模擬原爆であった。長崎に投下されたプルトニウム爆弾とサイズ・重量・重心が同一の物で違いは中身がTNT火薬の通常爆弾だった。形と黄色に塗られた色からパンプキン(カボチャ)爆弾と呼ばれた。この12日後に長岡は焼夷弾による大空襲で被災した。
原爆の投下候補地は京都・小倉・広島・新潟市だった。これら候補地は原爆の効果の検証の為、事前の通常爆弾による爆撃は禁止されていたのでパンプキンは、その周辺地域に投下された。原爆の投下訓練用だがパイロットの士気高揚の為に通常TNT火薬が入れられた。
長岡への投下は、テニアン島から茨城県上空・福島県会津上空を経て新潟県に侵入した。規定で目標をノルデン爆撃照準器で目視で確認して投下指示が出されていたが高空9000メートル上空からの投下の爆撃精度は良くなかった様だ。
広島型のウラン原爆(リトルボーイ)は構造は簡単だが量産に向かなかったので長崎型のプルトニウム原爆(ファットマン)が威力も大きく本命とされたので長崎に投下された原爆と同サイズで作られた。
写真正面奥が長岡市内中心方面
原寸大模型
7月20日、郡山市に投下予定の模擬爆弾を搭載したB29が現地の天候不良の為、投弾出来ずに機長の判断で天皇を殺そうと皇居を狙って投下した。模擬原爆は外れて八重洲の呉服橋に着弾した。皇居を攻撃する事は米軍内でも禁止されていたので機長のクロード・イーザリーは命令違反となり広島への原爆投下を指定されていた彼の機は、エノラ・ゲイの気象観測機として随伴する事となる。
模擬原爆は、広島・長崎への原爆投下後にも愛知県春日井市に4発、豊田市に3発投下している。
パンプキンが通常兵器として使えるかテストしたが、爆弾製造コストの割には爆撃効果が小さいので不採用とされた。
終戦後、原爆投下を担当した第509爆撃航空団が展開した中部太平洋の小島テニアン島には模擬原爆パンプキン爆弾が66発残っていた。それらは機密保持の為に海中深く投棄され歴史の闇の中に姿を消して行った。
長生橋は昭和12年(1937年)完成。かっては国道8号線の橋だったが長岡バイパス開通により国道351号になった。 長岡の花火を描いた切り絵の画伯 山下清の作品でも有名であり毎年行われる長岡花火は、長岡大空襲の犠牲者への鎮魂です。
今回の
山本五十六シリーズは、これにて終了です。御覧下さりありがとうございました。
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山本五十六記念館
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4月19日に訪れた山本五十六の故郷 新潟県 長岡市の山本ゆかりの地 続編その4です。
長岡市 稽古町1636にある 山本家の菩提寺 曹洞宗 長興寺です。
五十六は明治17年(1884年)高野貞吉の6男として生まれた。父が56才の時の子で名前をそのまま付けた。
高野家も長岡藩士の家柄だったが長岡藩 次席家老の山本家が戊辰戦争(北越戦争)で官軍に弓を引いた首謀者の家系として維新後 お家断絶となり明治16年に家名再興が許されたが子孫に後継ぎが居なかったので大正5年(1916年)に高野五十六が山本家の養嗣子として家督を継いだ。
山本五十六の墓は多磨霊園にも有るが遺骨は現在、こちらの長興寺の山本家の先祖代々の墓地に静かに眠っている。
山本勘助の弟が始祖となっている山本一族
山本家の墓 五十六の墓は左から3番目 山本家の墓石を含め2004年10月23日の中越地震により墓石の殆どが倒壊した。2005年4月に復旧した。
左、山本帯刀(たてわき) 中央が山本五十六元帥の墓
山本五十六が眠っている墓
山本家の墓から上越新幹線の高架が見える。 2階建て新幹線の2階席からなら五十六の墓が見える。
五十六も墓の傍を高速で通り過ぎて行く新幹線に何を思うだろか・・・
昭和10年。欧州の軍縮会議から帰って来て海軍の閑職に追い込まれて仕事を与えられずに海軍を辞める事まで考えていた時に郷里の友人、反町栄一と共に新潟県各地を旅している。加治川の桜を舟から鑑賞している事や前日は、関川村荒川峡 鷹の巣温泉に宿泊した事など前後の行動が分かって興味深い。
次回は、長岡に投下された模擬原爆(パンプキン爆弾)です。
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4月19日に山本五十六出身地の新潟県 長岡市を日帰りで訪れた続編です。
如是蔵博物館・空襲中心点を見学して直ぐ近くの山本五十六記念館・生家の地である山本記念公園を見学しました。記念館は今回で5回目でしょうか・・・前回は無かった戦艦 長門の艦尾に掲げていた軍艦旗である旭日旗が飾られていた。終戦時に米軍将校が長門から外したが最近、日本に返還。当館に寄贈した様だ。
館内は撮影禁止 以前は目立たない様に撮っても良いよ!と言っていたが現在は厳格に禁止です。
戦艦ミズーリ記念館に保存されていた戦艦長門の軍艦旗が当館に返還された。 2017年10月
軍艦旗の大きさは 縦2メートル64センチ 横3メートル96センチ 煙と脂の匂いが染みついているという。
1945年8月終戦直後 横須賀に係留された長門のエンジンを調査に来た米軍少尉が軍旗を持ち出して自宅に保管してあったが本人の死後、友人からミズーリ記念館に寄贈されミズーリ保存会の会長マイケル・カー氏(写真)から本来有るべきところに返還された。
出典:朝日デジタル
朝日新聞記事はこちら
山本五十六記念館の道路を隔てて隣の区画に五十六の生家がある山本記念公園がある。この胸像は全身像が霞ケ浦航空隊に有ったが終戦後、霞ケ浦の湖水に沈めて進駐軍から隠したものを胸から上を飾っている。
長岡藩士であった高野家の住宅は戊辰戦争(北越戦争)で焼失。その後に建てられた家だが昭和20年8月1日の長岡空襲で焼失した。これは忠実に復元したもの。
次回は、山本五十六の墓がある長岡市の菩提寺 長興寺です。
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4月19日にバイク日帰りツーリングで山本五十六ゆかりの地を見学しに新潟県長岡市を訪れた続編です。
如是蔵博物館での展示品を約2時間の丁寧な説明で解説して頂き堪能したのですが想定外の時間を消費して以後は駆け足で見学地を回ります。
次に行ったのが、昭和20年8月1日の22時30分から米軍のB29 125機による焼夷弾925トン爆撃の投下中心地にやって来ました。当時、長岡市街地の8割が消失。新潟県で唯一の空襲被災地でした。
長岡は真珠湾攻撃を立案・指揮した山本五十六連合艦隊司令長官の故郷でしたので米軍に狙われた結果でした。
中央の木立に爆撃中心点碑が有り 左奥の建物が 互尊文庫の図書館
B29爆撃機
次回は、山本五十六記念館 と 山本記念公園・生家です。
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4月19日にバイクで新潟県 長岡市 長岡駅を中心に山本五十六元帥のゆかりの地を日帰りで巡ってみた。
奇しくも この日は、山本五十六の命日の翌日でした。
自宅からバイクで出発したのがAM9:00 新々バイパスを行き、西新潟ICから北陸道を南下して北長岡スマートICで降りて長岡市内へ 約2時間の行程だ。天気は晴天、降水確率0パーセント。バイク日和だ。
この日は、暖かいとは言えバイクで高速を飛ばすと体が冷える。途中、PAで天ぷらウドンで腹ごしらえした。
初めの見学地は、JR長岡駅裏の如是蔵博物館だ。ここは野本互尊に関係が有る方の展示が有る。
山本五十六も彼の影響を受けたそうだ。
今回の訪問では、ここの他に【山本五十六記念公園・記念館】 【五十六の墓】【模擬原爆投下地記念碑】等を訪れた。五十六の出身校である長岡高校・長岡戦災資料館は時間が無く次回の訪問予定とした。
右後方がJR長岡駅の新幹線ホームだ。本丸の真上を通っている。
館内は規模は小さいが中身が濃い展示物で良かった。撮影禁止なので紹介出来ないが展示物を紹介しているサイトが有ったので下に紹介する。(ほんの一部だが・・・)
如是蔵美術館の展示品サイトです。
次回は、長岡空襲の中心地見学です。
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