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書庫私のバイク史

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それはもう何歳の頃か定かではありません。幼稚園か小学校低学年の頃だったかな??しかし私の記憶の中になぜか強烈に残っています。今もこうしてバイクに乗っているとあの時の興奮がふと蘇ってきます


私のバイク史の最後はこの思い出話を・・・・


親父は中学校の体育の先生でした
(今は見る影も・・やめておきましょうこの話は・・)

割と熱血漢系で今でも教え子達が親父をあだ名で呼ぶくらいで・・・教え子さんたちにとっては記憶に残る先生だったと子供ながらに自慢の先生(親父)でした(今は見る影も・・だからやめろって!俺!)

多分、夏休みの部活だったと思います。

兄と私そして親父。3人の移動手段は90ccクラスのカブ号

そう・・泣く子も黙る3人乗り!


当時はこれで走っても違反じゃなかったのかな??いまだに謎・・

その当時の写真は現存していないのでイメージ写真を・・・
イメージ 1
たぶんこんな感じだったはずです・・

親父は自分の子供の面倒を見ながら部員をしごいて?
もといっ!ともに汗を流していたわけです。

私と兄は玉拾い!ってその気になってお手伝い・・なんか楽しかったけどボール直撃で大泣き練習中断??そんな繰り返しの夏休み・・小さい私は中学校のグラウンドにいるってだけで大人になった気分。部室とか職員室とかは・・もう夢の玉手箱状態・・

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練習が終わり片づけが終わるともう夕方。「明日も来いよ!バイバイ!」と頭を撫でながら帰っていくいがぐり頭のお兄ちゃんたちに「バイバイ!」って言うのがなんか照れくさかったなあ

帰るぞ!と親父の声

私を抱え上げハンドルに無理やり取り付けた幼児用のイスに乗せ
兄はリアに自分で乗り込み・・

そして、小さい私にとってとてもワクワクのお楽しみ時間がやってきます

誰もいないグラウンドを3人乗りカブ号がぐるぐる走り回る


ハンドルを持つ私・・・ハンドルを右に切るとバイクが右に回っていく。左に切ると当然左へ。兄と一緒になって「ゴーゴー!」って言うとバイクがスピードアップ!

すべて親父がコントロールしているんですけどね・・・・

まるで自分で運転しているようで・・・・風を切る音と親父や兄貴や私の笑い声と「うわーっ」と言う叫び声とカブ号のちょっと伸びててケースに当たるチェーンの音と単気筒エンジンの音が校舎ではねかえってグラウンドに響き渡る・・ボール直撃でおお泣きしたことはどこへやら・・・


楽しかった・・・ホントに楽しい夕暮れのワンシーン・・・

思えば私のバイクとの出会いはここが原点なのかもしれません。



あの時の記憶を覚えているのは私だけで親父も兄貴も忘れているかもしれません。でも、そんなもんですよね思い出って・・

ふと・・・
うちの娘達はどんな思い出を家族の営みの中のどのシーンに懐いていくのだろう?

エピソードZEROネタアップに際し、ちょっとだけそんな事を考えてしまった私でした。

バイク史はこれで終了です。長編大作にお付き合いいただきましてどうもありがとうございました。制作にあたり関係各位の証言、参考にしました写真やカタログの数々、文献の数々に感謝です(そんなのないけど・・・)


そしてなによりコメントを書き込んでいただいたり、ナイスポチ入れていただいたりしてくれたブロ友のみなさまどうもありがとうゴザイマス。おかげさまで完結を迎えることができました。私自身、活字に落としたことで振り返ることができ老後の楽しみになります。(ブログって残るのかな?)


BMW R1200RPCXよ。次はどんな思い出を作ってくれるかな?

そして18台目のバイクは果たしてどんなバイクなのか?そもそもやってくるのか・・・・

それは・・・また次のお話し・・・・・

最後に・・・バイク大好き!!!そして俺はバイクばか!!



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長編大作?として書き上げた「バイク史」もいよいよ最終段階となりました。こうして18歳からのバイクとの付き合いを振り返ってみると実に17台ものバイクやスクーターに乗ってきたことになるんですね。改めてびっくりしています


MONSTER S4。まだまだガンバルつもりで車検を受けたにもかかわらず車の延命が決定したことで風向きが大きく変化しその資金がバイク買換えの資金となりました


BMW R1200R購入の模様は書庫「俺のバイクネタ」をご覧ください。



さて、このR1200R。何年乗ることになるのか?そして半世紀を生きた私はいったい何歳までバイクライフを楽しむことになるのか?
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それはきっとこのブログで今後語られていくことになるかな?
ブログは挫折する可能性もないわけでもないけど・・・

「私のバイク史」これで最後となりますが・・そうですね。最後の最後に「エピソードZERO」・・・そもそも私がバイクに興味を持つきっかけになった小さい頃の思い出を掲載して完結したいと考えてます







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単身赴任がひとまず終了となり約6年ぶりに広島の自宅へ戻ったジョグ。肩身の狭い共同駐輪場からゆったりの車庫で心休まる日々を過ごしておりましたが・・・・


ブログネタで以前アップしました「俺と猫の1ヶ月戦争」でシートに壊滅的な被害をこうむってしまい・・・9年に及ぶ役目を終えることとなりました

これがそのブログネタ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/wadajin_2000/5299797.html

そして次期セカンドバイクとして選んだのは経済性抜群のPCXというわけです。
イメージ 1


PCX購入から現在に至るネタは書庫「俺のスクーターネタ」をご覧ください


これでセカンドバイクネタの歴史が現在に追いつきました。「バイク史」もいよいよ終わろうとしております。


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SS900での鎖骨骨折入院中にアクシス90も「もう2台もいらんだろ」と行きつけのバイク屋のご主人に言われ「そうだなあ」あっさり引き取られました。そのためS4に乗りだして数ヶ月は1台体制。しかし再び2台体制病が再発します


3ヶ月の入院中に色々迷惑をかけた当時の部下が東京に転勤となりました。

彼の通勤は中古のJOG。東京では使わないからもって行かない・・

「先輩・・・欲しいんじゃないの???」

私の事をよくわかっているようで・・・・

そう言われれば・・・いただくしかないでしょう

やっぱ、俺。バイクバカ・・・・

彼の自宅にあったソファーともども3万円で頂きました。

このジョグが私のブログで紹介していたジョグです。
イメージ 1


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原付2種登録して二段階右折&時速30キロ規制を回避・・・


このバイクはその後2005年4月から始まる単身赴任先で大活躍でした。

大阪の吹田駅周辺や岡山の総社周辺をガンガン走ってくれました。

リミッターを外したりプーリー&ウェイトローラー換えたり・・規制前のジョグでしたのでそりゃーいじれば速い速い・・・中古のスクーターでしたが2002年から2011年まで約9年もの間セカンドバイクとして頑張ってくれました

・・・・そして書庫「俺のスクーターネタ」へとつながります


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前回MONSTER S4のネタを作成中に思い出しこの話だけスピンオフします。それは長渕剛の桜島オールナイトライブへの参戦と亡くなったお袋のことです

イメージ 1
これは翌年の年賀状用に作成

この写真と
イメージ 3


この写真を合成しました
イメージ 2


結婚してからは鹿児島へは車で家族みんなで帰っていました。ところがこのライブに関しては俺一人で鹿児島へ・・・じゃあやっぱりバイクでしょ

長渕が桜島の溶岩だらけの場所をライブ会場に仕立てオールナイトライブを行う・・・じゃあ俺は負けじとバイクで鹿児島を目指すべきでしょ???

そんなわけもわからない衝動にかられバイクで鹿児島に向かいました

オールナイトライブだし移動も含め4日間の休みが必要

ところが、仕事の絡みで3日しか休みが取れなくなりました。

3日間の休日でミッションクリアを模索・・・その日程は・・

夜通し寝ずのライブを終え実家に帰り速攻で寝る。その夜10時にバイクで広島に向けて出発、翌朝そのまま出勤という荒業


これなら長渕と渡り合える???

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前日に実家へ帰りライブ当日はおやじのスクーターで桜島フェリー乗り場へ

フェリー乗り場周辺の混雑は想定内。だから鹿児島中央郵便局の駐輪場に停め・・

地元鹿児島を熟知している行動なわけです

ライブの模様はこれらの写真で・・・
イメージ 4

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イメージ 8


興奮冷めやらぬ中、朝10時くらいに実家に帰り爆睡でした

その夜、広島への移動は雨・・・・しんどかったです・・・・

朝5時に広島に帰りつきそのまま出勤・・しんどかったです・・・

今からちょうど10年前とはいえ・・・なかなかの無茶ぶりでした・・・・


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今にして思うことがあります・・・・・


ひとりで実家に帰るなんて結婚してから一回も無かったから・・
久しぶりに子供に戻った気分でした

普段ホコリひとつ無い実家が妙に散らかっていて・・おふくろの神経質とも取れるきれい好きは子供の頃からきつかったのに変だなあ・・・・

そして剛のライブの為に帰ってきたこと、ライブは夜から始まって翌朝終わって帰ってくるということ、それから寝て夜中に広島に帰るということ・・これを何回説明してもなんか通じていないことに「なんか変なお袋・・・・」って感じました。

いつに無く鹿児島を出発する時の母の見送りが寂しげに見えた・・・・そう感じた自分自身も「変だなあ俺・・・」

それから2年後の2006年にお袋が認知症と診断されました。
今にして思うとあの時じわじわと認知症が進行していたのかな・・・・

バイクで長渕オールナイトライブ参戦・・・このことを思い出すと必ずあの時のなんか寂しそうなお袋の姿と意思疎通が図れずイライラしながらもそんな変なお袋を認めたくなかった自分を思い出します


だからかなあ???長渕の「MOTHER」って曲・・・・・なんか涙が出ます


「MOTHER」  作詞・作曲:長渕剛
呆けた かあちゃんが遠くを見てる
病院のベットで 死んだように
俺の少年ばっかり探している

俺は かあちゃんの手を握る
かあちゃんは 俺に笑いかける
その後すぐにずっと遠くを見た

俺の机の引き出しには
まともな字を書けたころの
大きな女性(ひと)の手紙がしまってある

どれだけ人を愛しても 愛しぬいたとしても
母親の子宮(からだ)に戻る事はできない

それは弱いという事じゃない
それは恐いという事じゃない
それは男らしくないという事じゃない

とどまる事を知らない不安が別の女性を欲しがってる
抱いても 抱いても 最後には 孤独になる

Oh! MOTHER Oh! MOTHER Oh! MOTHER
笑ってばかりいる…

だから 俺は「何故 笑っているんだい?」って聞くと
また遠くを見て ただ笑ってるだけ


高速道路の下を俺は
死にかけた かあちゃんを病院へ
ゆっくりゆっくり走らせている

もうすぐ かあちゃんは 俺が誰かも
そしてここが 何処かも
そして全て わからなくなってしまうだろう

いらだつ俺は家へ帰りため息をふたつつき
屋上へ足早に かけ上った

エントツの向こう俺たちは
いつかのしゃぼん玉みたいだ
いったい俺たちは何処へ流れてゆく…

それは弱いという事じゃない
それは恐いという事じゃない
それは男らしくないという事じゃない

とどまる事を知らない不安が別の女性を欲しがってる
抱いても 抱いても 最後には 孤独になる

Oh! MOTHER Oh! MOTHER Oh! MOTHER
笑ってばかりいる…

だから 俺は「何故 笑っているんだい?」って聞くと
また遠くを見て ただ笑ってるだけ


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