苦手でも書き続けるCS教師

教会と子どもたちへの定点観測はまだまだ続きます。

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立派な息子

聖書箇所ルカ15:25−32

2年前に話し合った時は1回ではおさまりきらずに2回に分けて激論を交わした箇所でした。
お兄さんの気持ちはよくわかります。今までまじめにやってきたのに、遊びほうけて財産食いつぶした弟には宴会を開いて自分には何もない、そう感じてしまうことに同情します。同情できるということは、自分にもお兄さんと同じ感覚を持ち合わせているということでもあります。
ちなみにこのたとえ話の聞き手はパリサイ人と律法学者です。お兄さんはこの聞き手を象徴しているのはいうまでもありません。つまり、私にもパリサイ人や律法学者と共通点を持っていることにほかなりません。
共通点とは何でしょう。

自分はどちらかというとまじめなほうだと思っています。(もちろん一貫性はないです・・・)少なくともこの箇所にあるような弟の生き方には賛同できません。きっとほとんどの方がそうではないでしょうか。まじめ、勤勉さはとてもいいことだと思います。しかしここでは、まじめだけでは生き方としては足りないのだといっているようです。
もちろんこの箇所のキーワードは言葉としては出てこないけれども、罪人をも受け入れる神の愛です。しかし、もうひとつ気になる言葉がありました。それは「喜ぶ」(32)という言葉です。
この言葉からある方が「いつも喜んでいなさい」を引用しました。この第1テサロニケ5:16から続く有名な御言葉は3つの命令をしています。「喜びなさい」「祈りなさい」「感謝しなさい」と。「祈る」「感謝する」とは共に自分の意思で行動することです。対して「喜ぶ」とはどちらかというと感情的でコントロールしにくいことのように思えます。しかしそこを敢えて命令されているのです。感情が湧き出るのを待つのではなく、意思で喜びを行うように言われているのです。つまり「喜ぶ」のも感情だけでなく意思もあるようです。

お兄さんが自分の置かれた状況をもし喜んでいたら・・・。弟が財産を半分持って出て行った後、残された財産と雇い人の生活に対する責任を引き取った厳しい状況の中でまじめに真摯に働いて立て直したその努力はすごいもので素晴らしいものだったと思います。その努力は並大抵のことではなかったでしょう。そこにもし「喜ぶ」という意思があれば、弟が帰ってきたときの反応は違ったものになったかもしれません。
お兄さんの発言には矛盾がありますが、そこを父は指摘せずに愛を持って諭しなだめようとしています。
現代において主はどんな我がままを言おうとも愛を持って諭そうとしておられるのかもしれません。

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