ふるさと川崎 〈2〉

2019年 4月 1日 (月) に新ブログへ移転致しました。引き続き、宜しくお願い致します。 ↓

エンタメ (歌手)

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 続いても、同じく本日の 【YAHOO!ニュース】 から以下の記事を。

  “ 『秀樹の妹』 河合奈保子、訃報に悲痛 『あまりにもショック過ぎて・・・』 ”

   ◆◆ 以下引用 ◆◆ ↓

  歌手の西城秀樹 (本名 : 木本龍雄、きもと・たつお) さんが16日に63歳で亡くなった
 ことを受け、1980年に 『秀樹の妹』 としてデビューした歌手・河合奈保子 (54) が
 17日、所属事務所を通じ、文書で追悼コメントを発表した。

  『あまりにもショック過ぎて・・・。全く言葉が出ません。今はただただ、秀樹さんに多くの感謝
 の気持ちをお伝えしたい想いでいっぱいです』 と悲痛な胸の内をつづっている。

  河合は1980年、西城さんの名を冠した新人発掘を目的とする 
 『HIDEKIの弟・妹募集オーディション』 で優勝。

  同年6月1日、アイドル歌手としてデビュー。

  翌1981年には 『スマイル・フォー・ミー』 でNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、
 1982年発売の 『けんかをやめて』 も代表曲として知られている。  【オリコン】

   ◆◆ 引用ここまで ◆◆ ↑

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 『HIDEKIの妹オーディション』 の応募者約25000人の中から選ばれ、華やかなアイドル
デビューを飾った河合奈保子さん。

 一体、0が小数点以下何個つくのか、低確率も相当な難関を突破し・・・・。

 何やら、採用も秀樹さんの独断だそうで・・・・。

 プロフィールの写真から、スター性や光る原石のような将来性を見い出したのか・・・・?

 その先見性に導かれ、数多くのヒット曲に恵まれ、25歳を過ぎてからは作詞・作曲活動や舞台公演
など多様な分野で活躍し・・・・。

 かつては同じ事務所に籍を置き、CMでも共演した事のある芸能界・音楽界の兄と妹。

 活動休止から21年、今なお復帰を望む数多くの奈保子ファンにとっても、秀樹さんが 
『運命の救世主』 である事は不変の定理。

 私自身、まだまだ秀樹さんの楽曲やテレビにまつわる昭和の古き良き思い出は尽きぬ中、本日は大変
拙劣ながら追悼記事を3本まで・・・・。 (合掌)

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 本日も最後までご覧頂き、誠にありがとうございます。

 そして、今日も一日お疲れ様です。

 どうか、明日もあなたにとって素晴らしき時間でありますよう。 
(祈)





















 
 続いても、同じく本日の 【YAHOO!ニュース】 から以下の記事を。

  “ 野口五郎、秀樹さんの急死に衝撃 『あまりにも突然で、言葉が見つかりません』 ”

   ◆◆ 以下引用 ◆◆ ↓

  急性心不全のため、63歳で死去した歌手の西城秀樹さん・郷ひろみ (62) とともに 
 『新・御三家』 と呼ばれた歌手の野口五郎 (62) が17日、所属事務所を通じてコメントを
 発表。

  『あまりにも突然で、今は言葉が見つかりません。気持ちの整理がつくまでもう少し時間を
 下さい。申し訳ありません』 と短く挨拶。

  苦楽をともにした盟友の急死を受け、ショックを隠し切れないようだった。
  【スポニチアネックス】

   ◆◆ 引用ここまで ◆◆ ↑

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 70年代は 『新・御三家』 として活躍し、秀樹さんの大親友でもある野口五郎さん。

 コメントを見ても、その突然の訃報を受けての落胆度は察するに余りあり・・・・。

 3年前の 『秀樹還暦ライヴ』 で、サプライズゲストとして登場する五郎さんとの会話のやり取り
を見れば、それは明言するに及ばず・・・・。 ↓


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 芸能生活40数年の中で、一度もやった事がないというお二人の抱擁シーン。

 あえて、それを観客の前で披露する大胆さと痛快さ。

 まるで、長年音楽の世界で分かち合ってきた苦労がにじみ出ているかのよう・・・・。

 何度見ても、私自身の中で深い感銘を与える瞬間であり・・・・。 (涙)

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 2度の困難に見舞われながらも、歌う事への飽くなき情熱を燃やし、最後まで魅了し続けた 
『生涯一歌手』 のプロ精神。

 たとえ若くして旅立とうとも、秀樹さんは数多くのファンの心の中で未来永劫熱唱し続ける
『不屈のヒーロー』 『魂のアイドル』 『不滅のヤングマン』 ・・・・。 (称)

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   ※ 次編へ続く ↓






















 
 こんばんは。

 本日も 【YAHOO!ブログ ふるさと川崎 〈2〉 】 へご来訪頂き、誠にありがとう
ございます。

 あなたとの素敵&有意義な出会いに深謝申し上げます。

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 まずは、本日の 【YAHOO!ニュース】 から以下の記事を。

  “ 西城秀樹さんが死去、63歳 『傷だらけのローラ』 『ヤングマン』 大ヒット ”

   ◆◆ 以下引用 ◆◆ ↓

  歌手の西城秀樹 (さいじょう・ひでき、本名・木本龍雄 = きもと・たつお) さんが16日、
 急性心不全のため亡くなっていたことが17日、分かった。

  63歳。

  広島県出身。

  デイリースポーツの取材によると、4月25日に自宅で家族と一緒にいる時に倒れ、横浜市内の
 病院へ搬送。

  その後は意識が戻らないまま、16日午後11時53分に息を引き取った。

  通夜は25日午後6時、葬儀は26日午前11時から、東京都港区南青山の青山葬儀所で
 営まれる。

  喪主は妻の木本美紀 (きもと・みき) さん。

  1972年に 『恋する季節』 でデビュー。

  その後も 『傷だらけのローラ』 『ヤングマン』 『ギャランドゥ』 など、次々と大ヒットを
 飛ばし、郷ひろみ・野口五郎と 『新御三家』 と呼ばれ、大人気歌手となった。

  歌手の他、ドラマ 『寺内貫太郎一家』 や映画 『愛と誠』 では俳優としても活躍。

  ハウス食品 『バーモントカレー』 のCMにも長年出演し 『ヒデキ、カンゲキ!』 のセリフ
 が有名になった。

  西城さんは2003年、2011年と脳梗塞で2度倒れ、右半身に麻痺が残りながらも、リハビリ
 を続けながら歌手活動を行っていた。

  テレビなどでは過酷なリハビリ生活を公表することもあり、ファンからは病魔を乗り越えて闘う姿
 に感動の声が届けられていた。  【デイリースポーツ】

   ◆◆ 引用ここまで ◆◆ ↑

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 昨日、YAHOO!ニュースの速報を見て驚いた、西城秀樹さんの急逝。

 驚愕同様、私自身にとっても大変ショッキングな・・・・。

 先月25日からの入院、3週間も生死の境をさまよい・・・・。

 リハビリ中の身とはいえ、63歳というあまりにも早い歌手生活の終焉。

 確か、当ブログのお友達 【ゴルゴ】 様も秀樹さんと同い年 (昭和30年生) 
であり・・・・。

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 若かりし頃の秀樹さんといえば、パワフルでリズミカルな曲に激しいダンス。

 そして、独特の魅せる・聴かせる声でダイナミックに熱唱する姿が特徴。

 私の中では 『激しい恋』 『情熱の嵐』 『傷だらけのローラ』 
『ブーツを脱いで朝食を』 『ブルースカイブルー』 『ヤングマン (YMCA) 』 。

 そして、1990年発売の 『ちびまる子ちゃん』 エンディングテーマ 『走れ正直者』 
がお気に入りの作品。

 代表曲 『ヤングマン (YMCA) 』 がTBS系の 『ザ・ベストテン』 で9999の満点
を獲得した事は今なお歌番組の伝説。

 また、フジテレビ系 『夜のヒットスタジオ』 の常連ゲストでもあり、新曲を発売する度に番組に
呼ばれていた芸能界屈指の実力派アーティスト。

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 その他、同じくフジテレビ系 『オールスター水泳大会・大運動会』 やTBS系 
『8時だヨ!全員集合』 の体操コーナーでは運動神経の鋭敏さを如何なく発揮していて・・・・。

 TBS系ドラマ 『寺内貫太郎一家』 では主人公の息子を演じ、父親役の小林亜星さんと卓袱台を
ひっくり返しての大ゲンカを毎回繰り広げ・・・・。

 『バーモントカレー』 のCMに出演する事でハウス食品の広告塔を務め、カレーを日本の国民食へ
と定着させた食品業界への貢献度は現在も絶大。

 もう数え上げれば際限のない、私自身が幼少時に見ていた秀樹さんの多岐な雄姿。

 今回はぜひ、私 (昭和42年生) と同世代の方も含め、ご自身の秀樹さんの歌やドラマ・映画に
まつわる思い出や体験談などをコメントの中でお話し頂ければ、これ幸甚。 (求)

 音楽界の太陽たる存在を失い、また一つ消えてゆく昭和の灯。

 どうか、安らかにご永眠下さいますよう。 (祈)

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   ※ 次編へ続く ↓






















 
 続いても、同じく昨日の 【YAHOO!ニュース】 から以下の記事を。

  “ 山口達也さん契約解除 ジャニーズ事務所が報道機関向けに文書 理由など説明 ”

   ◇◇ 以下引用 ◇◇ ↓

  人気アイドルグループ 『TOKIO』 の山口達也さん (46) がジャニーズ事務所から
 契約解除処分を受けたことに関して6日、同事務所から報道機関向けにファクスで文書が届いた。

  以下がその全文。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

  報道関係各位 当事務所所属、山口達也に関する契約解除のお知らせ

  この度の山口達也の事件に際し、被害者とそのご家族の方々には多大なご迷惑をお掛け
 致しました。

  誠に申し訳ございませんでした。

  また、ご負担をお掛けしております仕事関係者の皆様や報道関係者の皆様、さらに報道をご覧に
 なった多くの皆様にもご心配をお掛けしておりますことを重ねてお詫び申し上げます。

  山口達也の処遇につきましては、5月2日のTOKIOメンバー4人の会見において、本人からの
 辞意表明があった旨の説明がございましたが、重ねて6日本日、本人からも直接弊社に対して、強い
 意思表明がございました。

  それを踏まえ本日、弊社社長とTOKIOリーダー城島茂との協議が行われ、この申し出を受理
 する判断に至りましたことをご報告申し上げます。

  これにより、弊社は山口達也と契約を解除することとなりますが、事件の社会的な影響や現在、
 山口の置かれている状況等に鑑み、彼を育ててきた立場として、社会に責任を果たすために必要な
 支援を今後も積極的かつ継続的に行って参る所存でございます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

   ◇ 経緯について ◇

  弊社では山口達也の処分について、23年間、バンド活動を軸に芸能活動をグループとして行って
 きたTOKIOのメンバーの意思も尊重すべきとのスタンスを取ってまいりました。

  メンバーは4月26日の山口の会見によってその詳細を知り、5人での会合を30日に実施
 致しましたが、その際に本人からの辞意表明があったこと、結果としてその場で辞意への回答が
 できなかったことは話し合いの直後、弊社社長に伝えられておりました。

  弊社と致しましてはTOKIOメンバーの心情に配慮しながらも、社会的影響の大きさから、
 速やかに意思決定をすべきとの考えでしたが、本日6日にメンバーの総意として辞表が社長に託され
 当人からも別途、社長への直接の意思表明があったことも踏まえ、辞意の受け入れとなりました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

   ◇ 契約解除の理由について ◇

  4月26日の会見では、山口が事件への十分な認識と反省をしていないとのご不安を皆様に与える
 形になってしまいましたが、その後のメンバーとの話し合いの際の 『TOKIOを脱退したい』 
 との意思表示は被害者の方への謝罪の念、引き起こした社会的影響力の大きさ等を自覚し、責任を
 取るという本人の強い決意をメンバーがそれぞれに感じており、弊社もそれを確認しております。

  山口は今後、被害者へ誠心誠意、謝罪を重ねることはもちろん、事件の要因となった様々な問題を
 克服すべき状況にあります。

  一人の人間として、再び社会に復帰するためには本人の強い意思と周囲のサポートが不可欠です。

  そのためには無期限謹慎という曖昧な形ではなく、本人の強い意思でもある辞意を受け入れ、山口
 が一人の人間として自分と向き合う形を取らせるべきだと決断致しました。

  今後も、山口をサポートしていく旨は弊社社長からメンバーの意思を預かるリーダー・城島に
 伝えられ、今回の選択の最終合意に至りました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

   ◇ 今後について ◇

  山口の籍は残りませんが、彼を長年育んできた立場として、彼が健やかな一人の人間としての精神
 と振る舞いを取り戻し、被害者の方の許しを十分に得た上で、どのような形であれ未来を描けるまで
 を具体的に支援することが弊社の責任と考えます。

  また、弊社がTOKIOを大人のグループとして尊重し、意思決定に強く関与させたことについて
 様々なご批判も頂きましたが、今回の事件での意思決定と責任は全て弊社にあることは言うまでも
 ありません。

  彼らは、会見でも言及した通り 『4人のTOKIOが必要とされるのか』 という命題を背負い
 茨の道を歩むことになります。

  弊社も当然、彼らとそれを分かち合い歩んでいきますが、これまでご理解・ご支援を頂いた皆様に
 おかれましては、彼らの今後の活動へも温かい眼差しを注いで頂けますと幸いです。

  重ね重ね申し上げていることですが、被害者、並びにご関係者の方々の精神的な負荷がこれ以上
 大きくなることを防ぐため、報道関係者の皆様には 『被害者の方、被害者のご関係者の方、及び
 山口の家族への取材自粛』 をお願い申し上げます。

  2018年5月6日

  ジャニーズ事務所  【産経新聞】

   ◇◇ 引用ここまで ◇◇ ↑

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 先の事件後、契約解除を決断し、メディア向けに文書を送付したジャニーズ事務所。

 まぁ、これも招くべくして招いた結果であり・・・・。

 『成人男性の家へ行く女子高生も悪い』 という意見もあれど、やはり事件を引き起こした本人の罪
が重い事は明言するに及ばず・・・・。

 特に、有名人・芸能人の行動や言動が社会へ与える影響力の多大さを鑑みても・・・・。

 まだまだ、アルコール依存症の克服と自己更生の道は閉ざされていない46歳・・・・。 (憂)

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   ※ 次編へ続く ↓






















 
 こんばんは。

 本日も 【YAHOO!ブログ ふるさと川崎 〈2〉 】 へご来訪頂き、誠にありがとう
ございます。

 あなたとの素敵&有意義な出会いに深謝申し上げます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 まずは、昨日の 【YAHOO!ニュース】 から以下の記事を。

  “ レコ大 『愚か者』 作曲の井上堯之さんが死去、来月ライブの夢叶わず ・・・ ”

   ◇◇ 以下引用 ◇◇ ↓

  ザ・スパイダースの元メンバーで 『太陽にほえろ!』 のテーマ曲などで知られるギタリストの
 井上堯之 (いのうえ・たかゆき) さんが、2日に亡くなっていたことが5日、分かった。

  77歳。

  死因は明らかにされていない。

  井上さんは2009年に健康上の理由などから、プロ活動からの引退を発表。

  しかし、その後もライブや楽曲制作活動を行っていた。

  所属事務所によると、生前からの本人の意思により葬儀は密葬で執り行う。

  都内の斎場で5日に通夜を行い、今日6日に告別式が営まれる。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

  亡くなる直前まで、音楽活動への意欲は衰えなかった。

  昨年はスパイダースの元メンバー・ムッシュかまやつさん (享年78) のお別れ会で、堺正章
 ら元メンバーとともに演奏を披露。

  来月10日にも、都内でライブを開催する予定だった。

  最後のライブとなったのは、2ヶ月前の3月11日。

  音楽関係者は 『かなり痩せていた。声も出ていないし、具合が悪いのではと思いました』 
 と振り返る。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

  井上さんは1995年に初期の胃がんと診断され、手術で胃の3分の2を切除。

  2009年1月、肺気腫と診断された直後にプロ活動からの引退を決断した。

  不完全感が拭い切れなかったライブが続いて悩んでおり、病気が音楽界からの引退を後押しする形
 になった。

  翌月に予定していたライブもチケットを販売していたが 『決断は固い』 として中止。

  関係者は 『責任感の強い人だから、このままやっても 「輝けないのでは」 と悩んだ結果なの
 でしょうが・・・・』 と、苦渋の選択だったと明かした。

  現役引退後の1年半は北海道小樽市に住み、病院でボランティアスタッフとして勤務。

  『今はここが自分の思い切り輝ける場所』 と言い、院内や周辺でライブを行った。

  帰京後も、年数回のライブや楽曲制作など音楽活動を続けた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

  井上さんは1962年、ザ・スパイダースにメンバー加入。

  ボーカルとリードギターを担当、グループサウンズ人気を牽引した。

  1970年に 『井上堯之バンド』 を結成し、沢田研二 (69) のバックバンドとして
 約10年間、沢田を支えた。

  1971年には沢田や萩原健一 (67) らと 『PYG (ピッグ) 』 を結成。

  1993年に宇崎竜童 (72) とタッグを組むなど、数々のアーティストとコラボした。

  『太陽にほえろ!』 を始め 『傷だらけの天使』 『前略おふくろ様』 など、ドラマテーマ曲
 の演奏を担当。

  中島みゆき (66) の 『ファイト!』 や近藤真彦 (53) の日本レコード大賞受賞曲 
 『愚か者』 の作曲に貢献。

  その他 『居酒屋兆治』 (降旗康男監督) や 『火宅の人』 (深作欣二監督) など、数々
 の映画音楽も手掛け、活動範囲は幅広かった。  【日刊スポーツ】

   ◇◇ 引用ここまで ◇◇ ↑

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 バンド活動のみならず、数多くの作曲も手がけてきた井上堯之さんの逝去。

 私自身、2009年に引退していた事は露知らず・・・・。

 『太陽にほえろ!』 『傷だらけの天使』 『前略おふくろ様』 など、我々の世代にとっては名作
と呼ぶべきドラマのテーマを世に送り出した功績はあまりにも有名。

 特に 『太陽 − 』 は各メンバーごとにテーマを設定し、刑事ドラマ特有の息詰まるシーンを音楽
で表現するという見事なまでの芸術品。

 盟友のムッシュかまやつさんに続き、また一つ音楽界から消えてゆく昭和の灯。

 どうか、安らかにご永眠下さいますよう。 (祈)

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