九州王朝「倭国」は、なぜ “根こそぎ・東遷” したか

九州王朝「倭国」は、広大な北部九州全域から秘密裡に “根こそぎ・東遷”( ・住民大移動 ・建物大移築 ・遷都 )した
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311以降気付いたことは、古代史以上に現代史も嘘と欺瞞に満ちていると!

《ご注意》 下記はtwitter記事の転載ですので悪しからず。

なお一番上の
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➡︎ 「倭国」は“根こそぎ”東遷した@t0_yan·48s
返信先:@t0_yanさん、@tenzo_cさん
『源氏物語』は源氏の年齢に600を加えた年次の記録となる
『源氏物語の作者は、不穏な時代情勢の中、全盛期の記憶を記録したのかもしれませんね。』

⇒ 源氏物語に「唐冊封使高表仁が為尊親王を切殺す」事件記載にはびっくりですが、「九州年号」年表「白雉」年間でしょう






「源氏物語」は倭国の最盛期の博多とその周辺を克明に写している。
大阪の難波では博多周辺の豊かな内海の情景が成立しない。
(『明石の君の住吉詣で』舞台は観世音寺創建の607年以降で、
倭国が滅亡する672年までの間と限定できる。)

2019-05-19 18:07:27
テーマ:古代史
「源氏物語」は倭国の最盛期の博多とその周辺を克明に写している。もちろん京である太宰府都城がメインであるが、現在に痕跡を探すのは容易ではない。大阪の難波では博多周辺の豊かな内海の情景が成立しない。(『明石の君の住吉詣で』舞台は観世音寺創建の607年以降で、倭国が滅亡する672年までの間と限定できる。)
 



米田良三氏は『源氏物語は光源氏の生誕(西暦600年)から、
光源氏が亡くなる53歳(西暦653年)迄を描写している』と書いている。
つまり白雉 2年迄で白村江戦(西暦662年)は、
まだ始まっていなかったのではないか?
氏は『壬申乱672年に倭国滅亡』とするが、
天武天皇=白鳳倭王薩夜麻が倭国を再統合している



根こそぎ東遷だと九州王朝の痕跡を消す必要はないのでは?
米田氏は壬申の乱は扶桑国(後の大和朝廷、騎馬民族国家)が衰弱していた九州倭国を侵略した戦争だったと書いています。
しかも扶桑国は新羅、唐と3国密約をしていたと。




「米田氏は壬申の乱は扶桑国(後の大和朝廷、騎馬民族国家)が衰弱していた九州倭国を侵略した戦争」
⇒では、その「扶桑国」の実態とはなんだったかですが、
正木裕氏が解明した難波副都⇒難波朝廷ではないのか、
⇒近江朝廷⇒一旦日本国独立
⇒壬申乱で倭国白鳳王天武天皇が再統合で倭国は滅亡していない



返信先: さん、 さん
倭国常色王(甘木王)が詔した倭国難波副都建設

「白雉年間の難波副都建設と、評制の創設について:川西市 正木 裕」

「日本書紀の編纂と九州年号(三十四年の遡上分析):川西市 正木 裕」



返信先: さん、 さん
根こそぎ東遷も魅力的な説です。
倭国の地名をそっくり大和周辺に引き写しているようなので。
でもなぜ大和朝廷は日本書紀などで九州王朝の痕跡を消しているのか?
この理由が見当たらないと思うのです。
(米田氏の説は今のところ論理の破綻が見出せませんがいかがでしょうか。)



「百済・高句麗は滅亡させたのに、倭国は存命」を嫌ったのでは?
書紀は倭国・秦王国を抹殺し、日本国造作の改竄史書である。
632年、唐が倭国に遣わした冊封・刺史「高表仁」に対し、
26歳の倭国・王子「弾正尹・為尊親王」が、「唐への冊封強要を拒否した事件」
が発端になる。



返信先: さん、 さん
なるほど「対外的な理由で国の歴史を曲げる」という行為ですか。
ないとは言えない気がしますね。今の日本がまさにそのようですからね。



返信先: さん、 さん
大化改新クーデターで、696年7月10日倭王・高市天皇を暗殺し、
政権を奪取した大和朝廷が、唐の則天武后の指示で、
倭国名・倭国史を抹殺し日本書紀を改竄した
(814)
『「日本書紀」七二〇年編纂完了後、唐朝では国史編纂資料中から、
倭国史五十四年分が抜き取られたのである』



唐朝側も「倭国史五十四年分を抜き取る」と言った共謀が為された
唐が「百済・高句麗は滅亡させたのに、倭国は存命」を嫌ったのでは?
大化改新クーデターで、696年7月10日倭王・高市天皇を暗殺、政権を奪取の
大和朝廷と唐の則天武后が共謀して、倭国を抹殺し日本国に改名した







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唐朝側も「倭国史五十四年分を抜き取る」と言った共謀が為された
唐が「百済・高句麗は滅亡させたのに、倭国は存命」を嫌ったのでは?
大化改新クーデターで、696年7月10日倭王・高市天皇を暗殺、政権を奪取の
大和朝廷と唐の則天武后が共謀して、倭国を抹殺し日本国に改名した



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➡︎  6 分6 分前
返信先: @t0_yanさん、@lebleudeciel38さん、@ShinHori1さん
「壬申大乱:古田武彦著」は 天武の薩夜麻(=白鳳倭王)が州柔戦で捕縛
古事記序文によると、その後、天武は唐の南山に幽閉されたのでしょう。
長門以東の難波→近江朝日本国の反乱独立を知って唐の高宗に
解放帰還を願い出で、唐郭務粽援軍のもと倭国再統合戦(=壬申の乱)に勝利した






● 筑紫天三
元源氏物語の舞台は福岡。「明石」は「姪浜」。こう比定できる根拠は色々ある。
姪浜住吉神社の存在。小戸大神宮の存在。などなど、とにかく古代が色濃く残る地域だ。




● 筑紫天三
つまり住吉神は九州王朝守護の神様だったということだ。
源氏の夢に現れた桐壺帝
「住吉の神の導きたまふままに、はや、舟出してこの浦を去りぬ」。



● 筑紫天三
地名の残存ということで「田蓑の島」=美野島がもう一つの証拠だ。
住吉神社の南側一帯を美野島という。
博多区のかなり広いエリアだ。



住吉神社にある博多古図。
左上に住吉神社の杜、箕島、塩原が見える。




つまり、
源氏物語の舞台が福岡だという説は、住吉信仰が大きな根拠になるということだ。





以下秘仏中の秘仏
より引用。


返信先:
@tenzo_さん
"上宮王の后です。干食王后(かんじき)像です。
同じ樟一本創りです。百済の姫君です。
663年 薩野馬(さちやめ)が白村江で唐・新羅連合軍に大敗しますが
 戦いに挑んだのは一にかかって百済国救済のみならず
 母君の母国救済の意味もあったのです。"




返信先:
@tenzo_
さん
米田良三氏は「光源氏の母が干食王后」とは書いているけど、
薩夜麻の母とは書いていないのではありませんか?
干食王后は薩夜麻にとっては祖母にあたる年齢差があると思うけど。


はい、私も同じことを思いました。
源氏の子の冷泉帝(619年生、631年即位、648年退位)にしても、
薩夜麻(663年捕虜、671年帰国)より上の世代になり対応しないなと。
冷泉帝後の今上帝の時期から白村江の戦いまでの間に国内で政治的な大混乱があったのかなと思います。


『冷泉帝後の今上帝の時期から白村江の戦いまでの間に国内で政治的な大混乱があったのかなと思います』

⇒おっしゃる通りです

◎白村江戦以前・「常色の改革」・「天下立評」以降

【白雉年間の難波副都建設と評制の創設について:川西市・正木裕】


源氏物語の作者は、不穏な時代情勢の中、
全盛期の記憶を記録したのかもしれませんね。


『源氏物語の作者は、不穏な時代情勢の中、全盛期の記憶を記録したのかも』

⇒ 源氏物語に「唐冊封使高表仁が為尊親王を切殺す」事件記載にはびっくりですが「九州年号」年表「白雉」年間でしょう。

【九州年号・書紀天皇表〔九州年号の34年繰り下げ/50年繰り上げ〕】



返信先:
@t0_yan
さん
第19帖『薄雲』で藤壺の死、また異常気象と合わせて語られていますよね。
西暦631-632年当時の日本の悪い雰囲気を伝えているのだと思います。



返信先:@tenzo_さん
『源氏物語』はー筑紫の京を舞台とし、源氏の年齢に600を加えた年次の記録になっています。
ー653年の源氏の死までの内容はー云々

源氏53歳死亡年は、年表で白雉元年(652年)天下立評・難波副都完成⇒白雉改元儀式挙行の倭国甘木王の対唐政策が実行に移された翌年です



今上帝=甘木王だったんですね。知りませんでした。上宮王の血を引く気性の王が想像されます。きっと甘木にゆかりのある人で、現地に何か伝承などが残っているかもしれませんね。



「倭国」は“根こそぎ”東遷した@t0_yan·7h
「壬申大乱:古田武彦著」に書かれています。
柿本人麻呂の「天帰の王」➡︎「甘木の王」
私は「天帰の王」➡︎「天来の王」
これは、米田良三の伊勢神宮移転時期?➡︎天下立評給地➡︎難波朝廷
➡︎日本・天皇制原案者が天来の王➡︎初代天智天皇の日本国独立
➡︎天武天皇(=白鳳倭王)と続く事からです。



返信先:
@t0_yan
さん
壬申の乱とその前後は本当に複雑ですよね。
こちらの年表も拝見しました。古田氏の著書も再読してみます。いずれにせよ、
通説は九州王朝抜きにこれらを語っているのでまったく呆れますよね。









返信先:
@tenzo_c
さん
甘木王が難波副都を尼崎に築き、そこを拠点に長門以東の扶養国を天下立評・中央集権化を進めた。
その後、白村江戦が勃発し、難波副都の天智は近江に遷都し長門以東を日本国に独立させた
『大和朝廷の生い立ちから倭国滅亡迄の歴史的経緯の想定年表』







返信先:
@dau_ye
さん、
@DDnagaoka
さん
「天皇の陰謀」を読むと、問題は、
この南京入城後に派遣の後続の部隊が、これと真逆の事をしたということ。

その指示系統は?
ユダヤ王➡︎昭和天皇➡︎皇族大将➡︎部隊長



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返信先:@t0_yanさん、@tenzo_cさん
『源氏物語』は源氏の年齢に600を加えた年次の記録となる
『源氏物語の作者は、不穏な時代情勢の中、全盛期の記憶を記録したのかもしれませんね。』

⇒ 源氏物語に「唐冊封使高表仁が為尊親王を切殺す」事件記載にはびっくりですが、「九州年号」年表「白雉」年間でしょう



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311以降気付いたことは、古代史以上に現代史も嘘と欺瞞に満ちていると!

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➡︎  1 分1 分前
『令和』とは、和(=日本人)を跪ひざまかせる(=服従させる)


書紀は倭国・秦王国を抹殺し、日本国造作の改竄史書である。
632年、唐が倭国に遣わした冊封・刺史「高表仁」に対し、26歳の倭国・王子
「弾正尹・為尊親王」が、「唐への冊封強要を拒否した事件」が発端になる。






●  3月27日
紀元前3世紀に「日本」という"国家"があったのですか。

⇒  3月26日
これからも千代に八千代に、万世一のこう室をお守りするのは、わたしたち日本人の役目です!すめらぎいやさか。(年表はstrawberry苺さんの制作です)






●  3月28日
返信先: @ShinHori1さん
藤井輝久『天皇系図の分析について』には、仰天することが書かれています。
倭国とは朝鮮半島南部と九州にまたがる海峡国家。
卑弥呼は遼東半島の公孫氏の出身で、九州の西都原で殺害され、男狭穂塚(おさほづか)古墳に埋葬された。
『日本書紀』が史実ではないこと、倭国と秦王国、日高見国の存在など。



●  14 時間14 時間前
返信先: @lebleudeciel38さん、@ShinHori1さん
藤井輝久『天皇系図の分析について』横浜市図書館に無くて、
アマゾンで検索するとありましたが新品@9,500で価格が高いッす、欲しいけど。
故米田良三氏は卑弥呼の墓は吉野ヶ里遺跡だと言ってたけど。
「『日本書紀』が史実ではないこと、倭国と秦王国、日高見国の存在など。」
は自分も全く同じ意見です。



●  9 時間9 時間前
返信先: @t0_yanさん、@ShinHori1さん
八幡書店で売っていますよ。
郵送費はかかりますが、たしか7000円ぐらいで買いました。




●  1 分1 分前
返信先: @lebleudeciel38さん、@ShinHori1さん
ご紹介戴きありがとうございます。
古代史に関心ある方は誰しもですが、
古事記、日本書紀、魏志倭人伝と言った書物から入って行かれるのでしょう。
私もそうでした、「まぼろしの邪馬台国」とか、
然し、何故かある日突然「倭国」が消えてしまうのです。
それを知って以来、逆に近代から古代へ攻めています



●  9 時間9 時間前
返信先: @t0_yanさん、@ShinHori1さん
倭国の王は、朝鮮半島南部出身の蘇我氏と大伴氏。倭国は朝鮮半島南部と九州。
畿内には秦王国があった。白村江の戦いで、倭と百済の連合軍は、唐と新羅の連合軍に敗北し、倭国と秦王国を占領。
新羅が倭国と秦王国を統一して日本国を建国。
奈良朝は百済の貴族の反乱で滅亡。百済系の平安朝へ。



●  6 時間6 時間前
返信先: @lebleudeciel38さん、@ShinHori1さん
鹿島昇説の「新羅が倭国と秦王国を統一して日本国を建国」を当初信じましたが、
「壬申大乱:古田武彦著」の本文と真逆の表題を知って、
天武とは唐に幽閉後解放帰還の薩夜麻(=白鳳倭王)と確信しました。
壬申乱とは天武による筑紫と難波複都の再統合戦だった訳です。



●  5 時間5 時間前
返信先: @t0_yanさん、@lebleudeciel38さん、@ShinHori1さん
「壬申大乱:古田武彦著」は
天武の薩夜麻(=白鳳倭王)が州柔の戦いで捕縛されたと書いている。
古事記序文によると、その後、天武は唐の南山に幽閉されたのでしょう。
長門以東の難波→近江朝日本国の反乱独立を知って唐の高宗に解放帰還を願い出で、唐郭務悰援軍のもと倭国再統合戦(=壬申の乱)に勝利した



●  2 時間2 時間前
返信先: @t0_yanさん、@lebleudeciel38さん、@ShinHori1さん
668年高句麗が滅亡。同668年、新羅本紀に「阿麻(=近江朝の仮名)来服」

670年更に、天智天皇の近江朝が「倭国」更えて「日本」号す。

「長門以東の天智近江朝が倭国から独立」は新羅から唐へ急報された


鹿島昂【高市皇子は新羅軍指揮者】説は、万葉集歌(前書き)からの誤謬



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➡︎  6 分6 分前
返信先: @t0_yanさん、@lebleudeciel38さん、@ShinHori1さん
「壬申大乱:古田武彦著」は 天武の薩夜麻(=白鳳倭王)が州柔戦で捕縛
古事記序文によると、その後、天武は唐の南山に幽閉されたのでしょう。
長門以東の難波→近江朝日本国の反乱独立を知って唐の高宗に
解放帰還を願い出で、唐郭務粽援軍のもと倭国再統合戦(=壬申の乱)に勝利した



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311以降気付いたことは、古代史以上に現代史も嘘と欺瞞に満ちていると!

《ご注意》 下記はtwitter記事の転載ですので悪しからず。

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➡︎  46 秒46 秒前
元号を決める臨時閣議の時の連中の顔が実に苦渋に満ちてる


「令和」は『万葉集』の引用というより、
中国の『文選』張衡の「帰田賦」からの孫引き。
「仲春の令月、時和し気清らかなり」
暗愚な安帝に召され、腐敗した政治に嫌気がさして、田舎に帰るという内容。
安倍にぴったり






●  3月23日
倭国が九州から近畿へ根こそぎ遷都し、日本国へ改名し、倭国史は抹殺され、
古事記を隠蔽し、日本書紀を編纂する発端になった大事件。
◆『632年、唐が倭国に遣わした冊封・刺史「高表仁」に対し、
26歳の倭国・王子「弾正尹・為尊親王」が、「唐への冊封強要を拒否した事件」』



●  3月23日
倭国史が抹殺され、日本書紀が改竄編纂された
昔(346)
『白村江の会戦の年代の違いを検討する:中国山東省曲阜市 青木英利氏寄稿』

(814)
『「日本書紀」七二〇年編纂完了後、
唐朝では国史編纂資料中から、倭国史五十四年分が抜き取られたのである』



●  3月23日
(815)
『白村江敗戦で、九州王朝「倭国」は唐に制海権を奪われ、
為に、海運取引税収入が無くなり財政が逼迫した』

昔(824)
『『古田史学会報』no.106掲載の
『唐書における7世紀の日本の記述の問題/:青木英利著』で、
誤記では?の疑問点』



●  3月23日
『古事記』は和銅4年9月(711年)の詔勅を受け、和銅5年正月(712年)朝廷に献上。
●『続日本紀』元明天皇、和銅7年(714年)2月10日戊戌「詔従六位上紀朝臣清人。正八位下三宅臣藤麻呂。令撰修国史(=『日本書紀』)
即ち、711年の詔勅は消され、714年の詔勅は明記された。



●  3月23日
九州王朝「倭国」の本体「筑紫朝廷」は、白鳳王(=薩夜麻=天武天皇)の
678〜684年に掛け、倭国が、先の652年近畿へ派遣の
“分王朝”( 難波副都朝廷 ⇒近江朝廷 ⇒大和朝廷 )周辺へ広大な北部九州全域から秘密裡に“根こそぎ・東遷”(・住民大移動 ・建物大移築 ・遷都)した



●  3月23日
百済・高句麗は唐の高宗に滅ばされたが、
倭国は大宰府を占領されるも「壬申乱」再統合戦を経て生き延びた。
が、その代償に九州から近畿へ根こそぎ遷都させられ、日本国に改名、
倭国史は抹殺され、日本書紀が編纂された。
それを裏付けるのが、建築物の大量移築の痕跡である。



●  3月23日
倭国が九州から近畿へ根こそぎ遷都し、日本国へ改名し、倭国史は抹殺され、
古事記を隠蔽し、日本書紀を編纂する発端になった大事件。
◆『632年、唐が倭国に遣わした冊封・刺史「高表仁」に対し、
26歳の倭国・王子「弾正尹・為尊親王」が、「唐への冊封強要を拒否した事件」』



●  3月23日
「「源氏物語」 NYで発信」⇒
(西暦600年+光源氏の年齢=源氏物語記事年)だったとは、わかりやすい^_^
源氏物語は九州王朝「倭国」が近畿へ「根こそぎ東遷する」以前の筑紫で書かれた絵巻物ですよね。
このことを知って読むと読まないとでは、物語の臨場感がまるで違う‼️




●  3月23日
倭国が国名を日本国へ変える発端になる大事件!
◆『632年、唐が倭国に遣わした冊封・刺史「高表仁」に対し、
26歳の倭国・王子「弾正尹・為尊親王」が、「唐への冊封強要を拒否した事件」』
【法隆寺移築説の原点である観世音寺・考:米田良三 論】



●  3月23日
【九州王朝「倭国」は、なぜ “根こそぎ・東遷” したか】

【大和朝廷「日本国」出生秘話】

【大和朝廷「日本国」出生秘話《つぶやき:「古代」目次編a》】

【ー出生秘話《つぶやき:「古代」011》】



●  3月23日
改竄創作史「日本書紀」を正史と義務教育された国民は、
九州王朝「倭国」が“根こそぎ・東遷”したと言っても誰も聞く耳を持たない。
然し、法隆寺移築、源氏物語が九州「倭国」時代の著作と知れば、
「倭国」が“根こそぎ・東遷”したと同時に、
倭国自身の歴史を抹殺し倭国自身の文化を封印したと分かる。



●  3月24日
古事記序文は唐から解放帰国の倭王・薩夜麻の倭国再統合・倭王復位戦

祢公墓誌は古事記序文を、相互に補完している

淑人(唐・高宗)の、よしとよく見て、好し言ひし、
芳野(郭務宗)よく見よ、多良人(倭王・薩夜麻)よく見



●  3月28日
『「飛鳥」発祥は佐賀県下無津呂』⇒

『万葉集に登場する
雷丘(いかづちのをか)は本来、福岡/佐賀県境にある雷山のことであり、
その裾を流れる嘉瀬川・神水(しおひ)川がオリジナルの飛鳥川と思われます。』

古田武彦氏は『壬申大乱』で、嘉瀬川=吉野川と言われていたが





●  3月29日
「飛鳥」発祥は佐賀県下無津呂
万葉集に登場する雷丘(いかづちのをか)は本来、福岡/佐賀県境にある雷山のことであり、その裾を流れる嘉瀬川・神水(しおひ)川がオリジナルの飛鳥川。

古田武彦氏は『壬申大乱』で、嘉瀬川=吉野川と言われていたが

⇒  2011年1月3日
返信先: @t0_yanさん
嘉瀬川の件。柿本人麻呂が歌った吉野川は、嘉瀬川のことです。
私はそう理解しています。できれば現地で嘉瀬川の全体を観察していただければ幸いです。どうぞ。(壬申大乱のテーマです)



●  4月5日
隋書俀国伝中
『明年(608年)上、文林郎裴清を遣わして俀国に使いせしむ。
ー又竹斯国に至り、又東して秦王国に至る。ー又十余国を経て海岸に達す。
竹斯国より以東は、皆な俀に附庸す』
裴清は文中に秦王国は書き、大和「日本国」に至るとは書いてない。
何故か、(当時、大和「日本国」は)無かったから書きようがなかったのだ。



●  4月6日
書紀は倭国・秦王国を抹殺し、日本国造作の改竄史書である
唐からの一団は「倭国王が唐王従属」を強いる使いであった為、
王子の為尊親王は主従の礼を拒否、高表仁と言い争いになり切られてしまい、
傍にいた太政大臣(総理大臣)と式部卿(外務大臣)も巻き添えを食うことになる



●  18 分18 分前
九州から倭国が「ごっそり」やって来て、国名を日本国へ変えた


「九州王朝から大和王朝への交替は明確」それにしてもです。
こんな晴れがましい政権交代を何故、日本書紀は黙っているのでしょうか?
その中で、王朝の交替を臭わす記載は皆無です。これは何故か?という疑問です






●  2015年11月8日
朝香宮鳩彦親王が虐殺を指揮した?は、
デヴィッド・バーガミニの『天皇の陰謀』と、
それを参考にして書かれた『ザ・レイプ・オブ・南京』の言説そのまま。
(2013年12月27日)
映画『ジョン・ラーベ』再考①朝香宮中将宮殿下を巡る表象と実相



●  2015年3月11日
写真を比べるとどうも本当のようだ
大正天皇に子種が無いと分かって、
明治天皇が貞明皇后との間に設けた皇子が昭和天皇・秩父宮・高松宮であり、
大正天皇と同様に御3方共に子種が無かった。
三笠宮は明治天皇の崩御後に誕生ということで種違いの兄弟。



●  2016年10月28日
(心優しい)平成天皇の支えが「ふっ!」と消えた一瞬。
心よりお悔やみ申し上げます。
毛利・昭和天皇の(種違いの)弟君(平成天皇のお父上)島津・三笠宮さまの薨去。
100歳の長寿を祝し、併せて、ご冥福をお祈りします。





●  2015年11月9日
何れにしろ、背後に更なる大物が
デヴィッド・バーガミニ『天皇の陰謀』と、これを参考の『ザ・レイプ・オブ・南京』は
朝香宮鳩彦親王が南京事件虐殺を指揮したとするが、
そもそも、朝香宮鳩彦親王を南京に派遣蹂躙させたのは昭和天皇ではないのか?






●  4月1日
「令和」の「令」は漢字辞典の字源で「ひざまずく」、
「和」を日本だと解釈すれば、
「和をひざまずかせろ」という意味で、
「日本を屈服させろ」という意味にも取れますね。



●  4月4日
返信先: @Trapelusさん
新元号「令和」の本当の意味は、「日本」または「日本人」をひざまずかせるでしょ。
漢字辞典で「令」の字源を調べると、「ひざまずく」と出てくる。
皆さん、新元号の発表を祝して、土下座の練習でも始めますか。
欧米の金貸しのために戦地へ行きますか。


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➡︎  1 分1 分前
『令和』とは、和(=日本人)を跪ひざまかせる(=服従させる)


書紀は倭国・秦王国を抹殺し、日本国造作の改竄史書である。
632年、唐が倭国に遣わした冊封・刺史「高表仁」に対し、26歳の倭国・王子
「弾正尹・為尊親王」が、「唐への冊封強要を拒否した事件」が発端になる。



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《ご注意》 下記はtwitter記事の転載ですので悪しからず。

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➡︎  28 秒28 秒前
スティーブ・バノンが、BS4日テレに今出てるぞ!
マスコミは重要な質問をしていない。


ステファン・K・バノンの生の声が聴ける動画がみたい。
【テレビ 動画 BS日テレ 深層NEWS
スティーブ・バノン元米大統領首席戦略官 河井克行自民党総裁外交特別補佐
2019年3月8日 金曜】






●  20 時間20 時間前
「命令に和せ!」⇒「命令にしたがえ」だってさ。。。





●  20 時間20 時間前
新元号がヤバい❗️
令和の「令」の意味を調べると

「上上级对下级发出强制性的指示」

つまり、上級者から下級者への強制的な命令
安倍晋三の思いは

「国民は政府の言う事に従い、個人(人権)よりも和を重んじて国を治める」という思いが込められているようだ。命令の一文字を使うとは最低である👎





●  8 時間8 時間前
返信先: @CharlesRobert__さん、@tanuki0223さん
「令和」上から命令が下され、命令のもとで不平不満言わずに和せ。
国民主権を奪い、国家主義に進めたい官僚・警察権力と安倍政権の思惑を受けた元号。
国会、マスコミ、識者が官僚・警察権力の支配下との実態を現し、国民多数がこの支配に反撃できるかが問われる。
タブー打破しなければ現状認識もできず






●  20 時間20 時間前
令和は下品。ゼロ戦が編隊を組んだ映像が見えた。
マスコミと公務員の低いレベル。皇太子のイメージとつながらない。
命「令」を庶民は「和」して従え!という感じか。
反中勢力が作った反平和憲法の匂いがする。
原発推進派の作品。残念な未来が予知された。



●  21 時間21 時間前
「令和」ねぇ…。
普通の説明の仕方としては、「命令の令に昭和の和で令和」ですよね。
命令に和をもって従えという第一印象。



⇒  21 時間21 時間前
いやな名前だわ。
令 には、「いいつけ」「おきて」って意味があるじゃない。
要するに、お上の言うことを聞けと?

⇒  21 時間21 時間前
【お知らせ】新元号は「令和」に決まりました。







●  7 時間7 時間前
海外の新聞は「令和」の「令」を「order」と「説明」しているようである。
「new world order」のあの「order」である。
「命令」とか「秩序」とかいう意味がある。
中国のデジタル・レーニン主義の後追い政策を行っている安倍一味の実際の政策に於ける「令」は「麗しい」より「NWO」の「O」に近しい。



●  20 時間20 時間前
新元号「令和」は、百田尚樹の『日本国紀』に拠ったんだそうです。
マジでキモいですねー(ΦωΦ)

⇒  21 時間21 時間前
『日本国紀』をお持ちの方、あらためて万葉集について書かれたくだりをお読みくだされば幸い。
新元号がこの書に拠ったことの意味をより深くご理解いただけるかと思います。





●  7 時間7 時間前
英国のBBCが「令和」を「Order and Harmony」と英訳しているが、英語で表現するとより増しにNWOぽくなる。
魔術結社の名称も「order」が付くものがよくある。
「黄金の夜明け団=The Hermetic Order of the Golden Dawn」など。




●  7 時間7 時間前
新元号発表の裏では実質的な移民政策と言える外国人労働者受け入れ拡大の新制度が開始。
巧言「令」色鮮し(すくなし)仁。
うるわしい言葉に惑わされず、その裏にある実質と実態を見極めるべきである。





●  18 時間18 時間前
令和:政府発表は万葉集由来。
「命令」や「令状」を連想し第一印象は良くなかったのですが。
twitterでは、中国の科学者張衡「帰田賦」由来であることが暴かれ、韓国・朝鮮人の女子に多い名であるという意見も。
政府を欺き、別の意図を滑り込ませた賢人が、元号決定に関わっていたのかもしれません。w





●  16 時間16 時間前
あ、今後は018(れいわ)を足せば西暦になるのか。
例:令和2年(2+018)=西暦 2020年



●  12 時間12 時間前
さっき呟いた「018」のツイートがめっちゃバズってて自分でも驚いてるんだけど、「意味が分からない」という方もちらほら。
例を「令和2年」にしたのはまずかったかなぁ……他の年にすればよかった。
当然ですが、西暦(下二桁)から018(れいわ)を引けば、令和何年か分かります。



●  6 時間6 時間前
返信先: @tokyo_ayanoさん、@t0_yanさん
令和は、人工知能を使った大衆支配を表している
「は?」と思った方は是非ご覧ください





●  20 時間20 時間前
令和は万葉集の「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」からだそうだが、梅の花が咲く頃はまだ寒さが厳しい感じ。私としては1年で一番好きな時期だけど、令和にするとpacification (鎮撫)を連想させる。



●  21 時間21 時間前
大伴旅人が
「時に初春の令月、気淑く風和ぐ。」
の句を詠んだのは多分この辺。
大宰府政庁跡。
太宰府市は「令和発祥の地」みたいな碑を建ててはどうか?






●  18 時間18 時間前
白川静常用字解より。
令=神意=良いこと。命の元の字らしい。




●  18 時間18 時間前
考案者は「当面」非公表らしいが、万葉集が九州王朝の歌集であることを知っている人だと思う。





●  3 時間3 時間前
元号を決める臨時閣議の時の連中の顔が実に苦渋に満ちている。
天皇と安倍の戦いは天皇の完勝だったのだろう。
令和の大洗濯でみんなきれいに流されちゃうと思う。
「臨時閣議」始まる 新たな元号決定へ



●  3 時間3 時間前
菅も元号を書いた額を不気味そうに掲げている。
人間、無意識に思いが出てしまう。
連中にとっては美濃尾張




●  2 時間2 時間前
万葉集から元号を取ったということだが、万葉集の巻一の一は雄略天皇の長歌。
雄略天皇は朝廷の一大廓清を断行した天皇。
しかし民にはこのように優しく接していた。。
平和のために民を安んじ、役人・政治家には断固対峙する。
この長歌のイメージが今の象徴天皇像とかぶってくる





●  16 時間16 時間前
返信先: @koichi_kawakamiさん、@nasukoBさん
晋三騙した考案者はすごい。現政権の悪政状態を和暦に残した。
令和とは、腐敗した安倍政権が倒れ、自民党政権が倒れることを祈ってつけられた和暦。

⇒  17 時間17 時間前
張衡の「帰田賦」の一節
「於是仲春令月 時和氣清」

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1904/01/news129.html

張衡は【安帝】・順帝に仕え、順帝の時代の腐敗した【宦官政治】に我慢できず、朝廷を辞し、河北に去った。

その時に詠んだ句。🤣

令和とは、腐敗した安倍政権が倒れ、自民党政権が倒れることを祈ってつけられた和暦。



●  16 時間16 時間前
返信先: @014mikanchanさん、@mayamasaさん
要約「都に出てきて政治の世界に入ったが、腐敗しきっていた。このような俗世はもう嫌なので、田舎に帰って暮らしたい。」政治批判の漢詩これが、何度かの引用を経由して、万葉集にまで到達した。



●  13 時間13 時間前
安晋で皮肉ったのか「張衡の『帰田賦』は、中国の「晋」王朝の「安」帝の時代の作品。 内容は、「宦官の専横で政治が腐敗しており、都暮らしに疲れたので、田舎に帰る」みたいな内容。この初出まで知っていて、あえて「令和」を「万葉集」というパッケージで提出したのなら、提案者は凄いと思う。」



●  18 時間18 時間前

『令和』時系列まとめ

張衡「帰田賦」(AD78-139)
王羲之「蘭亭序」(AD353)
昭明太子「文選」(AD501-531)←今まで日本の元号の出典に25回もなってる格式ある漢籍
大伴家持「万葉集」(AD759)↓安倍晋三「令和」(AD2019)





●  19 時間19 時間前
新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、
『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』
の補注に指摘されています。
「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」とある。」




●  19 時間19 時間前
「令和」の句を含む後漢・張衡「帰田の賦」。
たとえば『文選詩篇(二)』☞
では、こんな風に訓読されています。
「仲春の令(よ)き月、時は和らぎ気は清し」。






●  21 時間21 時間前
令和の出典について。
78年-139年の張衡の文(「帰田賦」内)は当然万葉集より先で出典と言われても納得できる。(これ見つけた方仕事速い!)
しかも張衡は『また、天文・暦算に通じ、渾天儀・候風地動儀(一種の地震計)を作り、円周率の近似値を算出[広辞苑 第七版]」』とのこと。おお。

令和の出典、より古いのは多分こちら。
あらまぁ。画像: 張衡「帰田賦」『文選』v.3, f.35b
所蔵: 国立国会図書館 特70-512info:ndljp/pid/901414

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/901414/37?tocOpened=1






●  9 時間9 時間前
安倍首相は、新元号の「令和」を何が何でも国書が出展で日本固有で日本凄いということにしたいのだろうけど、無理だよね。漢字を使うのをやめると言うなら、話は別だけど。

【新元号『令和』の本当の出典は中国の漢詩『帰田賦』だよね?とネットで話題に】





●  6 時間6 時間前
返信先: @ryozanpaku007さん、@syouwaoyajiさん
古典の専門家が選定?
『「令和」は『万葉集』の引用というより、中国の『文選』張衡の「帰田賦」からの孫引き。反知性主義の政権らしい。
「仲春の令月、時和し気清らかなり」暗愚な安帝に召され、腐敗した政治に嫌気がさして、田舎に帰るという内容。
安倍政権にぴったりの選択でした!高野敦志氏』



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➡︎  46 秒46 秒前
元号を決める臨時閣議の時の連中の顔が実に苦渋に満ちてる


「令和」は『万葉集』の引用というより、
中国の『文選』張衡の「帰田賦」からの孫引き。
「仲春の令月、時和し気清らかなり」
暗愚な安帝に召され、腐敗した政治に嫌気がさして、田舎に帰るという内容。
安倍にぴったり



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