大和朝廷は、九州「倭国」の【筑紫朝廷と同じ血族・分流 】である。

大和朝廷の 「はしり」 は、皇太神宮儀式帳で言う 【 難波朝廷(=九州王朝倭国の難波複都)】 に始まる。

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▼ 【 西摂地域の主な弥生遺跡(1) 】
▼ 【 武庫庄公園内の武庫庄〔むこのしょう〕遺跡所在地 】
▼ 【 武庫庄遺跡(むこのしょういせき) 】





▼ 【 尼崎の歴史 ・古代編第一節 ・古代社会の黎明1
「 大型掘立柱建物 」 ■大型の高床建物 】



《ご注意》下記は上記の抜粋・転載ですのであしからず。
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大型の高床建物

当時の考古学的な比較資料として、大阪府和泉市の池上・曽根遺跡で発見された弥生時代の建物として国内でも最大規模の大型掘立柱建物がありましたので、その調査例から、柱の規模・柱と柱の間隔・柱列(側柱)間の間隔、棟持柱〔むなもちばしら〕の規模・位置等を比較してみました。

数字のうえだけの比較ですが、いずれの数値も池上・曽根遺跡の例をはるかに上回る規模の数値でした。

その数値がこれを建物とするには規模が大きすぎると考えられたことから、当初、建物の柱穴ではなく、象徴的な場所・建物への導入の役割をはたす林立する標柱,記念碑的な木柱に類するものと考え、独立する柱列と見ていました。

のちに、建築史の研究者から、図上の検討から「上部構造については現段階ではプランを持たないが、大型の高床建物であろう」との教示を受けました。



専門家の指摘をもとに再検討の結果、梁間〔はりま〕1間〔けん〕、桁行〔けたゆき〕4間以上の独立棟持柱をもつ南北棟の高床建物であり、建物の南側が検出されたと考えるに至りました。

全容があきらかでないことから単純には比較できせんが、池上・曽根遺跡の建物を上回る、国内最大規模の巨大高床建物と考えられるようになりました。



それではこの巨大な建物はどんな役割を持っていたのでしょうか。
建物は武庫庄遺跡のなかでは、西寄り中央付近の小高い場所に位置しています。
東西に広がる集落の中では周囲から仰ぎ見られる場所に建てられていたことになります。

この建物にはほかにどのような施設が付随していたのか、また全体の規模・構造は、など不明の点がありますが、梁間から離れて独立した棟持柱をもつ建物は、掘立柱建物のなかでも特殊な構造を備えた建物で、祭式・儀礼に関わる建物であった可能性が高いとされており、未だ確たる証拠はありませんが、神殿・祭祀に関わる施設、首長の居館とする見解が表明されています。

太さ80cm以上の巨木を使った独立棟持柱は、2m×1.7mの長方形の大きな掘方のなかに残されていました。

この柱穴で特徴的なことは、垂直に掘り込んだ柱穴の底に向かって南側から傾斜する、細長い溝が掘り込まれていたことです(写真8)。この傾斜路は柱を建てる際に、柱穴に向かって柱を滑らせるための装置だと考えられます。

柱穴に向かう傾斜路はこの建物だけでなく、他の建物の柱穴にも認められており、武庫庄遺跡で巨大建造物を建築する際の柱の建立にあたって、巨木(柱にはすべてヒノキが使われていました)を建てる際の共通した装置であったことが確認されました。



武庫庄遺跡の大型掘立柱建物は、建物の北側が未調査のため全容が不明ですが、あきらかになった部分だけでも、国内では他に類のない弥生時代最大の建造物であると言えます。

この武庫庄遺跡に巨木を運搬してきた労力もさることながら、原木を加工し、柱として据えるために礫混じりの硬い地盤に穴を掘り,柱を建てた労力には目を見張るものがあります。

それをさせた権力の基盤が、武庫庄遺跡に存在したことがわかります。



▼ 【 写真:大型掘立柱建物の出土状況 】





更に続く次頁の

▼ 【 尼崎の歴史 ・古代編第一節 ・古代社会の黎明1
「 柱根と年輪年代 」 ■出土樹木の実年代測定 】


の項の中には次のグラフが掲載されて出土樹木の実年代が、▽245年と結論されている。

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図1 柱根3の年輪パターングラフ(赤線)と暦年標準パターングラフ(黒線)



図1 柱根3の年輪パターングラフ(赤線)と暦年標準パターングラフ(黒線)  奈良文化財研究所・光谷拓実氏提供

図中の黒線は光谷拓実氏が作成した年輪年代測定の基礎になる暦年標準パターングラフです。縦軸に年輪の幅、横軸に年数を表示。
縦軸の凹凸〔おうとつ〕は成長した年輪の幅が年によって異なっている様子を示しています。
例えば、毎年成長が同じであれば、グラフは折れ線状をなさず、横一直線になります。
ヒノキは現在から紀元前912年まで約3千年間の暦年標準パターンが作成されています。

武庫庄遺跡の柱根はヒノキです。
横軸の年によって縦方向に年輪幅の凹凸があり、成長が変化している様子がつかめます。
図の赤線は武庫庄遺跡の柱根3の今回計測された年輪パターングラフです。
年輪の成長の変化の様子が暦年標準パターンに合致していることが、よくわかります。
−245年のところに柱根の最後の年輪が合致して、伐採・枯死年代が特定できました。

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《引用・転載は以上です。》





3月20日
 

【柱根3の年輪パターングラフ(赤線)が、暦年標準パターングラフ(黒線)に、合致していることが、よくわかります。
−245年のところに柱根の最後の年輪が合致して、伐採・枯死年代が特定できました。】


って言うのだが、
これのどこが合致してるのか?



3月20日
武庫庄遺跡の大型掘立柱建物は、建物の北側が未調査のため全容が不明ですが、あきらかになった部分だけでも、国内では他に類のない弥生時代最大の建造物であると言えます。

【尼崎の歴史「大型掘立柱建物」■大型の高床建物】

⇒ これって、(ほんとうに)弥生時代?




3月20日
柱根年輪パターン分析の結果▽245年の弥生時代に特定できるとしてるが、
この分析は正しいのだろうか、650年代の建造物ではないのだろうか

▼【武庫庄遺跡の大型掘立柱建物は、国内では他に類のない 「弥生時代」 最大の建造物である。と言うが…】



3月20日
【柱根3の年輪パターングラフ(赤線)が、暦年標準パターングラフ(黒線)に合致している】
って言うのだが、
このパターンのどこが合致してるのか?
私にはパターンが相似形であるとは「とても」思えないのだが、
何を根拠に合致していると言えるのか?



3月20日
【柱根3の年輪パターングラフ(赤線)が、暦年標準パターングラフ(黒線)に合致している】
⇒ やはり、この「赤線」「黒線」のグラフパターンは、
私には 「全然」 合致していない、と思えるのだが、
各位には合致している、合致していないの何れだろうか?



3月20日
ー略ー しかし光谷氏は、「この結果は、(同時に出土した)土器の年代より約200年も古い。
この年代差をどう埋めていくのか。実に頭のいたい問題を投げかけた事例の一つである」と述べている。
【木材の年輪年代法の問題点―古代史との関連について】





3月20日
確かに、後代の西摂地域では古墳の出現が3世紀半ばまでさかのぼる
【西摂地域での古墳の出現】
【古墳時代前期】
とある。
この絵図からこの尼崎市域には、かなりの豪族がいたことは確かだろうが果して?



3月20日
この絵図【古墳時代前期】からこの尼崎市域には、かなりの豪族がいたことは確かだろう。
然し、右下の奈良盆地を良く見てほしい。
この絵図には無いが、当時ここには「奈良湖」が拡がり干上がる直前だったのだろう。
古墳は「奈良湖」の縁辺にわずかにあるだけだ。



3月20日
奈良盆地に古墳が拡がりをみせるのは【古墳時代後期】になってからだ。
【当時の奈良湖、河内湖とは?】(で紹介した)古代「奈良湖」が干上がるのは、
大和川流域の「亀の瀬」が地震か、有力者かが、決壊させた以降と考える。



3月21日
この武庫庄遺跡に巨木を運搬してきた労力もさることながら、原木を加工し、柱として据えるために礫混じりの硬い地盤に穴を掘り,柱を建てた労力には目を見張るものがあります。
それをさせた「権力の基盤」が、武庫庄遺跡に存在したことがわかります

⇒ !?



3月21日
「それをさせた「権力の基盤」が、武庫庄遺跡に存在したことがわかります」 ⇒ !?
これは柱根3の年輪年代測定の結果 「紀元前245年の柱と誤認識してる」 だけだろう。
奈良盆地でさえ湖が干上がって肥沃な弥生式農業が発展し、古墳が築造され、この農業権力が秦王国に発展するのは6世紀末である。





● 古代 モサク @qq5r9hrc9
@t0hyan
http://homepage3.nifty.com/washizaki/ronbun1.html【木材の年輪年代法の問題点―古代史との関連について】
読み始めたのですがあまりにも膨大でしたので、9の結論だけを取りあえず読ませていただきました。
考古学の年代測定が歴史認識においてとても重要なのはなんとなく理解できましたが、
多くの問題も含まれているようですね。



3月21日
@qq5r9hrc9
そうなんですね。科学的といってもパターン分析ですからね。
而も、該当の樹木が育った場所で自然災害に遭遇したかどうか個性があります。
【法隆寺五重塔心柱●五九四年伐採確定に思う】
で米田良三氏さえ腑に落ちないようですから…



● 古代 モサク @qq5r9hrc9
@t0hyan
「図説尼崎の歴史」はURL登録させていただきます。私くしの基礎知識習得の糧にさせていただきます。
武庫庄遺跡で弥生時代(?)最大級の建造物の遺跡が発掘されつつあるというのは知りませんでした^^;
尼崎近辺の古墳は気が付かずひたすら吉備を目指してチャリ通り過ぎた場所です。



3月21日
@qq5r9hrc9
でしょうね。吉備には
吉備津彦神社
吉備津神社
がありますからね。
武庫庄遺跡で「弥生時代」最大級の建造物の遺跡が発掘。
 この「弥生時代」という「時代認識」が間違いなのでしょう!!




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