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一、『春と修羅』序をめぐる状況
 『春と修羅』は、大正13年(1924年)4月に出版された宮沢賢治(当時28才、1896〜1933)の詩集である。
 大正10年(1921年)12月、花巻農学校教師となった賢治は、翌大正11年(1922年)1月、これまでの短歌の創作から詩作に転じた。冒頭の「屈折率」、「くらかけの雪」を皮切りに、以後の『春と修羅』第二集、第三集の草稿から文語詩稿にいたるまで、終生にわたる詩作が続いた。
 この『春と修羅』は、その農学校教師時代の前半の2年間(大正11、12年(26才〜27才))の作品を収録している。初めての詩作の高揚感と、妹の死の哀歌という、二面を有する作品群などからなる。
 詩集は四六版(188mm×130mm)で301頁、全体は8章、69篇の詩から構成されている。
 (1)春と修羅         19篇
 (2)真空溶媒         2篇
 (3)小岩井農場       1篇
 (4)グランド電柱      20篇
 (5)東岩手火山       4篇
 (6)無声慟哭         5篇
 (7)オホーツク挽歌     5篇
 (8)風景とオルゴール  13篇
 大正13年(1924年)1月賢治は、『春と修羅』を出版するために「序」を書いた。序は5聯、57行からなり、詩集の詩に比べて抽象的な比喩に富んでいて難解であると言われてきた。それは、冒頭の
  わたくしといふ現象は
  假定された有機交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 この「わたくしといふ現象は・・・」の「現象」がそもそもの問題なのであった。この「現象」の解釈に躓き「假定された有機交流電燈の・・・」の「有機交流電燈」に躓いてしまっては、透明な幽霊の正体はおろか解読の気力をほとんど失ってしまうのである。
 この「現象」は、カント(1724〜1804)が『純粋理性批判』でコペルニクス的転回をなし遂げた「認識論」の重要概念である「現象」なのである。繰り返すがカントの「現象」であることが、重要なのである。(ただの文学的な現象であったり、『宮沢賢治語彙辞典』のフッサールの「現象学」であったり不分明である。カントの「現象」以外では第5聯へのブリッジ、5聯自体の解釈が難しい)。
  また、次の「假定された有機交流電燈の・・」の「有機交流電燈」は「有機体」、「有機生命体」のことであり、「透明な幽霊の複合体」は「有機生態系の現象」のことだ。カント哲学特有の「現象」と「物自体」という二元論が「透明な幽霊の複合体」という、二重の絶妙な表現となっているのだ。これはカントの第三批判書である『判断力批判』の第2部の「目的論的判断力批判」の「有機体」に関連していることとなる。
 以下に検討する『春と修羅』序の解読には、カントの哲学的な概念を適用し、カントの地平における『春と修羅』序の、認識と表現の射程を検証する。カントの適用が、序をスムースに読み解けると思うのは、ひとり私だけであろうか。
三、『春と修羅』序の意訳と補注イメージ 1
 序
[第一聯]
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
[意訳]
 カントが「現象の世界」といい、ショーペンハウエルが「世界は私の表象である」とした、この自然的世界。
 有機生命体として、この世界に生きるわれわれは、あらゆる生物と共に、広大無辺なこの自然界で、それぞれの生態系を形成しています。この生態系は、合目的性を有する、無駄のない、美しいものです。
 多様な有機生態系の生長のロゴスは、それぞれが自らを形成する力を有し、相互因果に満ちていてせはしくせはしくたしかにともりつづける、複合体としての共生の存在なのです。
(滅びても、その輝きは残るでしょう。)
[補註]
①この序の第一聯、第二聯は、いわゆる賢治の時空(時 間・空間)のリフレインから構成されている。「わたくしといふ現象は・・・」、冒頭のこの宣言はデカルトの「我思うゆえに我あり」に倣った力強い宣言となっている。この「現象」はカントの『純粋理性批判』(当時57才)の「認識論」の「現象」のことである。カントが「空間あるいは時間において直感されるすべてのもの、つまり我々にとって可能的な経験のすべての対象は、「現象」以外のなにものでもない。」と宣言したあの「時空のア(*)・プリオリな形式」の「現象」 のことだ。(*ア・プリオリ=経験に由来しない、 先行的な視点をもつ、普遍妥当性をもつ、以下同じ)
②また、同じく冒頭の「假定された有機交流電燈の・・」 の「有機交流電燈」は「有機体」、「有機生命体」のことであり、カントの第三批判書である『判断力批判』(当時66才)の、第2部の「目的論的判断力批判」の「有機体」に関連していることとなる。
  この『判断力批判』でカントは、自然界の有機生態系のメカニズム、生長のロゴスの解明に、目的論的自然観を導入している。この有機体についての考察が後に『永遠平和のために』の著作として結実したという。            
[第二聯]                               イメージ 2
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
[意訳]
 これらの詩篇は、過去22ヶ月間の、わたくしと対象との出会い、わたくしの身に起こったさまざまな出来事の、その時々の思考と経験を書き留めたものです。
 (すべての対象はいつどこでという、ア・プリオリな時間・空間の形式をもち、みんなに共通です。)
 その明暗のひとくさりづつ、「感性的直感」と「時空のア・プリオリな形式」による「現象」であり、そのとおりのスケッチです。
[補註]
③「時間・空間は主観の性質、ア・プリオリな感性的直感である」、カントが沈黙の十年を懸けて生み出したこの思想が、物自体と思われていた対象が、実は「現象」であるという発見となった。
  「時間と空間が感性の形式」として作用する領域が カントの「現象」なのであり、これのみが、われわれにとって有意味な認識の領域にほかならない。なぜなら認識の内容は、センスデータとして与えられなければならないが、それは常に我々に固有の空間と時間という窓口をとおしてしか与えられないからである。
[第三聯]
これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)
[意訳]
 有機生態系の多様な生命世界、有機体は発生すると、なぜか各有機体にとっての世界が開かれるのだ。その一部は見えるようになる。そしてさらにその一部は言語を学ぶ。私たちは正しい認識、リアルな認識とは、私たちが本当にあると思っているもの、例えば、緑の木々や光り輝く太陽や、青い空、森のささやきと静けさ。これらは、私たちとは無関係にまずちゃんと実在していて、だから私たちはそれらを見たり聞いたりすることができる、という風に考えています。
 しかしカントは、「外界をそのままの客観として認識できるのではなく、対象がわれわれの認識に従う」という、「超越論的対象」の概念によって、経験的認識の客観性を基礎づけ、「超越論的真理」の成立する「経験の地平」という領野を拓いたのでした。
[補註]
④これまでの「認識論」では「真理とは、認識とその対象との合致」、すなわち観念の秩序と事物の秩序との間 の一致という理念に基づいていた。この主観と客観との間の調和の理念に、対象への主観的な能力である「現 象」の概念を導入して、客観への従属の原理を置き換えてしまったこと、これがカント本人が自ら命名した 「コペルニクス的転回」であった。これは「主観‐客観」図式の転換であり、古代ギリシャのプラトン以来の英知、価値観の逆転であった。(続く)
 

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